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 律の部屋は綺麗に装飾が施され、中央のテーブルにも彩り豊かな料理が並んでいる。
料理は律の手作りが半分を占めるが、残りは友人が持って来てくれたものだった。
部屋の装飾に付いては、材料の提供も含めて彼女達が行ってくれた。
レースのカーテンでテーブル周りが仕切られ、造花も至る所に飾られている。
花もカーテンも律の好みに合わせて、黄色が多用されていた。

「ありがと、唯、ムギ、梓っ」

 律は一人ずつ名を呼びながら、彼女達に礼を述べた。

「お礼なんていいよー。祝いたいのは、私達なんだから」

 唯が恐縮そうに手を振った。

「その祝いたいって気持ちが嬉しいんだ」

 しみじみと律は言う。
夏休みであるにも関わらず、律の誕生日を祝いたいと唯達は自発的に集まってくれたのだ。
そこに感謝しない訳がない。

 ただ、澪の姿が見えない事は気になっていた。
席も食器も、四つしか用意されていない。
律がその疑問を続けて放つ前に、梓がテーブルの一角に座を取りながら言った。

「喜んでもらえると、誕生日会を開く甲斐もあるってものですよ。
ちょっと夕飯には早いですけど、準備も整った事ですし、早速始めましょうか」

「そうそう、始めようよ。私もう、お腹ペコペコだよー」

「ええ、お喋りしながらだから、早いくらいが丁度いいわ」

 唯と紬が順に梓への同意を示しながら、テーブルを囲んで座った。
空いた席には一際豪奢な食器が配され、存在感を放っている。
律の為に設えた席なのだろう。

 彼女達に倣って律も座ると、唯が音頭を取るように言う。

「それじゃあ、改めて。誕生日おめでとー、りっちゃん」

「りっちゃん、おめでとう」

「おめでとうございます、律先輩」

 紬と梓が順に、唯へと続いた。

「ん、ありがとなー、皆ー」

 裏のない祝意が篭った言葉に、自然と律にも笑顔が零れる。
だが自分で発した”皆”という言葉に、澪を思い出してすぐに寂しくなった。

「りっちゃん、どうしたの?」

 唯が心配そうに問うてきた。
表情に出さぬよう努めていたが、胸中の寂寞は目敏く看破されていた。

「えっとね、澪は、どうしたの?」

 先程から気になっていた事を、隠す事無く律は言った。
仲間に優先順位など付けたくはないが、やはり恋人の澪にだけは祝って欲しかった。

「誘ったんだけどね、来れないみたい。大事な用事があるんだって」

「それって私の記念日以上に大事な用事なのっ?」

 唯の言葉を受けて、思わず律の口から叫喚が迸った。
途端、唯達の顔に緊張が走る。
律は叫んだ事を反省すると、素直に謝った。

「ごめん、驚かせちゃって」

「いえ、いいのよ。気にしないで。
りっちゃんと澪ちゃん、大の仲良しだものね。
誕生日会に来れない事に驚くのも、無理はないわ」

 紬は穏やか表情を浮かべて言った。
紬だけではなく、唯や梓の顔からも緊張は消えている。

「うん。そりゃ澪にだって、色々と用事はあるんだろうさ。
でも、来れないなら来れないで、予め連絡とか欲しいよ。
別に約束とかはしてないけど、約束なんて要らないのが私達じゃんかー。
ていうか、それ歌ったの澪だし」

 もう叫ぶ事はしないが、愚痴までは止められなかった。

「全く、澪ちゃんたら酷いよね。
それでその用事の内容も教えてくれないの。
そんな大事な用事なら、教えてくれるのが筋じゃん」

 唯が律に同調して、憤然とした調子で言った。

「唯先輩、澪先輩にだって人に言えない用事くらいあるでしょう。
責めたりしたら可哀想ですよ」

 澪を庇う梓の言葉が、不意に律の不安を惹起した。
唯達にさえ言えない用事とは何なのか、不吉な想像が胸中を過ぎる。

「澪、大丈夫なのかなぁ」

 ふと零れた自分の声は、震えていた。
表情もきっと曇っているだろう。笑顔を繕う余裕など持てないのだから。

「大丈夫よ。澪ちゃんに限って、変な問題に巻き込まれたりしないはずよ。
澪ちゃんが聡明だって事、りっちゃんも分かってるでしょ?」

 声や表情から律の不安を察したのか、紬が慰めるように言った。
確かに澪は慎重で賢い。君子とは言わないまでも、危うきに近寄る真似はしないだろう。
それでも律の不安は消えない。

「でも、病気とかで、病院に行くんだったりしたら……」

「それも無いんじゃないかしら。
澪ちゃんの身体が壮健で剛力だって事、りっちゃんなら身を持って知ってるでしょ?」

 紬の拳を振り下ろす仕草に、思わず律の口から笑みが零れた。
だがすぐに不安が擡げて、律の口元から笑みを奪う。

「でも……何の用事なのか、教えてくれないんでしょ?」

 結局、問題はそこに立ち戻るのだ。
紬が何を言ってくれても、澪が用事の内容を隠している事までは消えない。
何か重大なトラブルや病気を抱えているのではないか、そう勘繰ってしまう。
いや、例え澪が病気やトラブルを抱えていなくとも、それで問題がなくなる訳ではない。
ならば何故律の誕生日会に来てくれないのか、という不満に転化するだけだ。
それとて不安よりはまだ良いが、律の弱く繊細な心を甚振るには十分過ぎた。

「あ、分かった。きっと澪ちゃん、サプライズで乱入してくるつもりなんだよ。
それで私達に内容も教えず、りっちゃんにも事前に連絡しなかったんだよ」

 唯が思い付いたように声を上げた。
紬の同調の言葉がすぐ後に続く。

「きっとそうよ。澪ちゃん、凛々しく見えてお茶目な面もあるから」

 梓が物言いたげな目で、唯と紬を見つめている。
その事に律は気付いていたが、素知らぬよう装って唯に便乗した。

「そっか。澪ったら、可愛げある事企んでるんだね。
心配して損しちゃったよ」

 梓の視線の真意は分かっている。
目先を凌ぐ為に口先で慰撫しても、傷付く時を遅らせるだけに過ぎない。
そう言いたいのだろう。
もし澪が来なければ、その時に反動が来るのだから。

 それが分かっていながらも、律は唯の言葉に縋った。
そうでもしないと、張り裂けそうな心を維持する事などできそうにもない。
折角唯達が誕生日会を開いてくれたのに、開始早々暗い顔を見せ続ける事も気が引けた。
だからこそ、律の懸念を払拭する唯の推理は、渡りに船だったのだ。

 それに、と律は考える。
唯の言う事が、もしかしたら真実かもしれない、と。
完全に有り得ない話ではない。サプライズはパーティーの定番であるのだから。
律はそう必死に自分へと言い聞かせた。

「さ、りっちゃん。じゃあ、お誕生日会を楽しもう?
澪ちゃんが羨ましくなって飛び出してくるくらいに、ね」

 紬がコップにオレンジジュースを注ぎながら言った。
律は表情を笑顔に切り替えて応じる。

「うん、それがいいよね。楽しくやってれば、きっと澪も出て来てくれるよね」

 唯と紬は一様に曖昧な笑みを見せた後、自信あり気な表情に転じて頷いた。
続いて梓が、唯と紬に責めるような一瞥を送ってから頷いていた。
律は三人が最初に浮かべた表情を、見ていないよう装った。
澪の不在に精神が限界を迎えるまでは、唯達の労に応えて明るく振る舞いたかった。

「意地っ張りっちゃん、だもん」

 限界を迎えそうになる度、そう呟いて無理矢理に自分を鼓舞して。

* 

 夕餉の時刻などとうに過ぎ去り、外には夜に特有の静けさが下りていた。
テーブルの上の料理も、あらかた片付いている。
それでもまだ、澪は来ていない。

「あ、律先輩、コップが空です」

 梓が気付いたように言うと、コップにオレンジジュースを注いでくれた。
料理が少なくなったので、律達は先程から飲み物ばかり口にしている。

「ありがと、梓。料理もそろそろ、なくなってきたね」

 皆、パーティーが終わりに近づいている事に、気付かないよう振る舞っていたのだろう。
だが、律はいい加減耐え切れなくなっていた。
その事を察したのか、紬が慌てたように声を上げた。

「あ、そうだ。なら、そろそろケーキにしましょうか。
皆で美味しいケーキを作ったのよ」

 紬が立ち上がった。冷蔵庫に置いてあるケーキを取りに行くのだろう。

「ムギちゃんに賛成ー。丁度私、ケーキが食べたいって思ってたんだよ。
机の上は私が片付けておくね」

「じゃあこっちはお願いするわ」

 紬は唯の言葉に手を上げながら返すと、部屋から出て行こうとした。
その背を、律は呼び止める。

「ちょっ、ちょっと待ってよ」

「なぁに、りっちゃん」

 振り向いた紬の顔から、張りつめたような緊張が感じられた。
聞きたくない、”それ”を指摘される事を恐れている。
その事が痛い程に伝わってくる。
それでも律は、言わずには居られなかった。

「何等分、するの?澪はまだ、来てないんだよ?」

 途端、重い空気が場に下りた。
聞いてしまった、言われてしまった、その思いが唯達の顔に表れている。

「あー、まぁでも、取り敢えず、ケーキ、食べよ?」

 唯の声は緊張に掠れて、途切れ途切れだった。
話を逸らして聞かなかった事にしよう、という唯の意図に律はもう乗る事はできなかった。
出来レースに乗る心の余裕など、既に失われている。

「ケーキ食べたら、もう誕生日会終わっちゃうじゃん。
澪が来ないまま、澪からの連絡さえないまま、誕生日会が完遂しちゃうじゃん。
そんなの、ヤダもん」

 誕生日会を唯達が開いてくれた事は嬉しかった。
できるなら、その思いに応えてやりたい。
だが、澪の事で不満を残して完遂するくらいなら、未遂で終わらせてしまいたかった。
そうする事でしか、心の崩壊を防げそうにもない。

「あ、そうだ。もしかしたら、ケーキを食べてる時に入ってくるつもりなのかも。
王子様って、いつもクライマックスに現れるでしょ?
さ、食べましょ?私達三人で作った、自慢のケーキよ?」

 紬の声は痛々しいほどに震えていた。
無いと分かっている希望に縋る者の声だ。
その哀れを誘う姿にさえ、もう律は乗ってやる事ができない。
自分の為に精魂込めて作ってくれたケーキさえ、受け取ってやる事ができない。

「もういいよ、もう演じきれないもん。
それにもう、時間だって……」

 律は時計を見上げた。
時刻は零時に近付いている。もうすぐ日付が変わり、律の誕生日は終わりを迎える。

「時間だって、もう無いんだよ。もういい、澪に電話するっ。
電話して、来てもらう。来れないなら、納得できる理由を聞かせてもらうっ」

 律は半狂乱に叫ぶと、携帯電話を取り出した。
途端、梓の悲しげな視線が律に向けられるが、構わず澪に向けてコールした。
幾度も続いたコール音はやがて途切れ、言伝を促す留守番電話の音声に変わった。

「何で……何で、出てくれないの……。澪、澪ぉ……」

 慟哭した律は一旦電話を切り、もう一度掛け直そうとした。
だが梓の手に腕を掴まれ、リダイヤルはできなかった。

「もういい、もういいんです、律先輩。
電話したところで、無駄なんですよ」

 梓の悲痛な声に、律もまた悲痛な声で返す。

「どうして、どうして分かるの?どうして、無駄だって」

「さっきから何度か、澪先輩にメールしてるんです。
どうしたのかって、何で来ないのかって、律先輩が寂しがってるって。
せめて律先輩に一報だけでも入れてあげてくれって。
でもその悉くが、無視されてるんです」

 梓の声には悲痛の他、諦めも混じっていた。
それは澪からの連絡に対する諦めか、或いは澪そのものに対する諦めか。
いずれにせよ、梓は希望が無いと分かっているらしい。
律とて流石に分かりかけてきたが、受け入れる事まではできやしない。

「じゃあ、行くっ」

 律は叫ぶと、部屋を飛び出した。

「りっちゃんっ?」

「待ってっ、りっちゃん」

「律先輩、落ち着いてくださいっ」

 唯が、紬が、梓が、叫ぶ声を背に受けた。
続いて聞こえてくる慌ただしい足音。
彼女達自身も、律を追って来ているのだろう。
それでも律は構う事なく走って、裸足のまま玄関から飛び出した。
そしてそのまま、澪の家を目指して裸足で駆けた。

 澪の家は近所だが、短距離でも外を走った代償は大きかった。
律のか弱い足の裏は、軋むような激痛を訴えている。
それとても心の痛みに比べれば大した事はない。
そう思いながら、律は澪の家を見上げた。

「りっちゃんっ、裸足で外を走ったら危ないよ」

 その間に追い付いて来たのか、律の後ろから唯が息を切らせながら言った。
振り返ると、唯だけではなく紬と梓も付いて来ていた。

「りっちゃん、今からでも帰ろう?
こんな時間に訪ねても、澪ちゃんはもう寝てるかもしれないわ。
それでなくとも、用事でどこかに出掛けているかもしれないし」

「あれ、澪の部屋だよ」

 諭すように言う紬に、律は二階の一室を指差して答えた。
カーテンの隙間から、明かりが漏れている。

 律は再び唯達に背を向けると、玄関のドアに向けて歩き出した。
だが、ドアノブに向けて手を伸ばした時、後ろへと引っ張られる力を感じた。
首だけ振り向けると、梓が切なそうな顔で律の服の裾を掴んでいる。

「律先輩、訪問するなら止めはしませんが……。
せめて、ケーキだけでも、召し上がってくれませんか?
私達、律先輩への想いを込めて、一所懸命に作ったんです。
せめてそれだけでも、食べてくれませんか?」

 懇願と言ってもいい程、梓の声は切実さに満ちていた。
唯と紬も、神妙な面持ちで律を見つめている。
澪に執着するあまり、無神経に振る舞い過ぎたかもしれない。
そう省みるだけの冷静さは辛うじて残っているが、
それでも澪に会わずして帰る事などできなかった。
欠片程の冷静さでは、謝る事で精一杯だ。

「ごめんね……やっぱり、澪の事を片付けてからじゃないと、誕生日会は締められないから」

 途端、梓は律の袖から手を離し、嗚咽とともに顔を伏せてしまった。
紬の瞳からも、隠す事のない涙が溢れてきている。
ただ、唯だけは泣く事をせず、毅然とした態度を見せてきた。

「じゃあ、澪ちゃんの部屋まで私も付いてく。
それで私も澪ちゃんから、何でりっちゃんの誕生日会に来ないのか、
納得できるような理由を聞かせてもらう。
じゃないと、気が済まないもん」

 唯の直情的な性質は、涙ではなく澪に対する憤懣として表れていた。

「つ、付いてくるって……。これは、私と澪の問題だから」

 戸惑う律に対して、唯は激しく首を左右に振った。

「澪ちゃんは用事の内容を話さず、あずにゃんのメールも無視して、
りっちゃんからの電話にさえ出ないんだよ?
そんな風にりっちゃんの誕生日を軽視する人を、
りっちゃんは想いを詰め込んだ私達より優先してるんだ。
なら、私だって理由を聞く権利があるはずだよ。
そうじゃないと私、引き下がれないし、澪ちゃんにりっちゃんを任せられない」

 語気鋭く迫る唯に、梓も加勢してきた。
涙の跡は乾いていないが、声は明朗としている。

「そうですよ、私達だって、聞く権利くらいはあります。
私も付いて行きますから」

「あの、私も行きたいわ。
私だって、このままじゃ二人を気持ちよく祝福できそうにないし」

 遠慮がちだが、紬も唯や梓と同意見らしい。
律は観念したように、軽く頷いた。
自分の我儘で、彼女達が好意で開いてくれた誕生日会を破綻させてしまった。
その負い目が、律に譲歩を選択させていた。

「鍵が掛かっていたら、インターホン鳴らすけど。
それでも無視されたら、唯達は無理せずに帰るんだよ?」

 その場合、律はここで待ち続けるつもりでいる。
決意とともに、ドアノブを回した。
鍵は掛かっていなかった。


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最終更新:2012年08月28日 00:28