*  *  *


 朝。昨日は真夜中から出勤していたので、
 こういう朝から活動が出来るのは嬉しい。

 さて、今日は自分の足のみが頼りだ。
 私のペースで目的地へは半日以上はかかるだろう。
 いくらかの食料を用意しなくてはいけない。

 配達屋の給料は割と良く、買い物は滞りなく行えた。
 いや、むしろ安い。ここの商品はどれも安いのだ。
 何か裏でもあるのだろうかと思ったが、これだけ自然に恵まれていると、
 原料も安く仕入れられるのだろう。


 「さて」


 私はまだ到着地点が見えない道を進み始めた。
 さらば、一日限りお世話になった町よ。


  *  *  *


 花畑はどこまでも続く。色鮮やかで綺麗だ。
 道は小さな丘を登っては降るのを繰り返しているが、
 傾斜は緩やかなので負担にはならない。

 そもそも、私がこの仕事に従事して一年以上経っている。
 少しぐらい足腰が丈夫になっていないとおかしい。
 それでものんびり屋で名が通ってしまっているのは、少し悔しいが。


 「ところで答えは出たのかい」

 「出てないよ。もうこれは、りっちゃんの所へ行かないと
  わからないんじゃないかな」

 「そうか。残念だね」


 本当に残念に思っているのだろうか。
 ギー太は意地悪だから、さしてそうは思ってはいないのだろう。
 まあ……、ほんの僅かでも、小指の先程度でも
 思っていてくれたのなら、それは嬉しいことだ。


  *  *  *


 予定より少し時間が掛かりすぎてしまった。
 半日と、その半分ぐらいの時間を掛け、私は目的地に辿り着いた。
 ここは町というよりは、やはり一つの集落といったところか。
 規模が、あの澪ちゃんの住む集落よりも、小さいかもしれない。

 周りを見渡す。知った顔を、一人だけ見つけた。
 他でもない、りっちゃんだ。


 「りっちゃーん!」


 私の大きな声に振り向いたりっちゃんは、こちらに気づいた。

 私は驚いた。私の親友の一人田井中律ちゃんが、
 なんとトレードマークのカチューシャを外していたのだ。
 髪は下ろされ、肩にギリギリ届かないほどの長さで、きちんとセットしてある。
 こんな辺境にいても、ある程度のオシャレには気を遣っているようだ。


 「唯じゃねえか。久しぶりだな」

 「うん、おひさだね!」

 「こんな辺境にわざわざようこそ。
  それで、何の用だ?」

 「うん、ちょっと配達屋としての仕事をね」


 配達屋という言葉に、りっちゃんの眉がぴくりと反応した。
 恐らく誰宛の配達物なのか、察したのだろう。


 「そうか。ただ、唯には悪いけど、それは受け取れない。
  まあ一泊ぐらいなら泊めてやれるけど……、
  手紙を受け取ることは出来ないからな」


 二回もそれを否定されてしまった。
 だが、りっちゃんは勘違いしている。
 私が“手紙”の配達屋であると。


 「わかった、手紙はいらないんだね」

 「ああ」


 じゃあ。


 「手紙がお望みでないなら、これをお届けだよ!」


 私の大声に怯むりっちゃんを気に留めることもなく、
 ギー太を取り出し、演奏を開始した。当然澪ちゃんの前で演奏した曲だ。

 ……“声”が届けられる。


 『……律。まず、誕生日おめでとう。
  これが届いている頃には、もうとっくに過ぎているかもしれないけれど。
  驚いた? そうだよね、驚いたよね。

  でも、律にはこうするしか無いと思ったから。だから唯にも頼んだんだ。
  別に特別なメッセージを送ろうとしたわけじゃない。これが最後のメッセージだ。

  うん、それだけ。頑張れよ、律』


 演奏終了。気づけば、周りに此処の住民と思われる
 人だかりが出来ていた。特に子供が多い。

 しまった、人前で演奏してしまった。
 また和ちゃんに怒られてしまう。
 だが、それ以上にりっちゃんだ。顔がとても険しい。
 やはりマズイことをしてしまったのだろうか。

 しかし、りっちゃんは私を罵倒するわけでもなく、
 ただ黙って手招きをしてきた。付いて来い、ということか。


  *  *  *


 招かれた先は古ぼけた木製の住居だった。
 中にあるのは木の家具と、あまり柔らかくなさそうなベッド。
 懐古趣味は無いが、こういう雰囲気のものは割と好きだ。

 りっちゃんは黙りながらカップを取り出し、
 紅茶を淹れてくれた。
 ここで話をしよう、ということなのだろう。

 りっちゃんが席につくよう勧めてきたので、
 私は近くにあった木の椅子についた。
 背もたれのない丸椅子だった。
 対するりっちゃんは椅子に座ることなく、壁に寄りかかった。


 「さて、どこから話せばいいのやら、だな」

 「え……?」


 話が見えてこない。
 一体、なんの話をしようというのだろうか。


 「お前、知ってるんだろ? 私が澪からの手紙を拒み続けていること」

 「う、うん」

 「今回もお断りしようと思ったんだけど、まさか“声”とはな。
  それは想像もしなかった」


 流石にそれはどうしもないと、りっちゃんは笑った。
 私は笑わず、真剣な顔をしていた、と思う。


 「まあ最後のメッセージって言ってたしな。
  お前も、すっきりしないだろ。説明無しじゃ、さ」


 そういうことか。
 さっきの声を聞いて、りっちゃんの中で吹っ切れたんだ。
 好都合といえば、好都合だ。


 「じゃあ単刀直入に聞くよ、りっちゃん。
  どうして澪ちゃんの、一番の親友の手紙を拒むの?」

 「……一番の親友ね。言ってくれるじゃん、唯のくせに」


 唯のくせに、は余計だ。
 私だって学生時代の時と比べれば成長している。
 ……しかし、皆はそれ以上に、特に目の前のりっちゃんは段違いに
 成長している。

 下ろした髪。あの時のカチューシャは今、どこへ行ったのだろうか。
 りっちゃんの表情が一層険しく、そして悲しみを帯びてくる。
 口を固く結んだ。言ってよいことなのか、吟味しているようだった。

 そして、重い口がゆっくりと開かれた。


 「あいつは、私の決心を踏み躙った!」


 ……今、なんて言った?
 りっちゃんの決心を踏み躙ったと? あの澪ちゃんが?

 そんな、はずが。

 私は信じられなかった。
 当たり前だ。澪ちゃんが、りっちゃんの決心を汲み取れないわけがない。
 そんなこと絶対にありえない。
 何か間違いが起きているはずなんだ。

 その間違いを正すため、私はその事情を聞き出した。


 「一体、何があったの?」

 「……そうだな、事の発端は私の手紙だったかな」


 りっちゃんは慎重になりながらも、憤慨を飲み込みきれない、
 怒気の帯びた声で説明した。


 「私は卒業後、此処にやって来た。
  学校に行けない連中のために、学校を作ったんだ。
  私が先生なんて冗談みたいな話だ、とかお前らは言っていたけど、
  その意気込みは本物だった。それは信じてくれ。

  それで、此処の先生になるということは、
  この地域から滅多に出れないことを意味するだろ?
  だから私は今までの全ての時間に、別れと区切りをつける必要があった。
  そのきっかけとして、私は手紙を一通送ったんだ。

  誰に? 当然、澪さ。私の一番の親友だ。
  中には私の決心を記した。それのついでに、ある花の種を送った。
  寒い地域でも咲く、白くて可愛い花。私の決心の証さ。

  名前はプリムラ。花言葉は“青春の喜びと悲しみ”。
  私は澪に、今までの思い出を全て預けた。そういう意思表明のつもりだった。
  ……おかげで、一年ぐらいは何も思い出さずに頑張れたよ」


 りっちゃんは一度、言葉を切った。
 見ると額には汗が滴っている。
 精神的にも相当きているのだろう。

 そして言葉が続けられた。


 「問題は手紙を送った一年後に起きた。
  ある一通の手紙が送られてきた。差出人は澪。
  嬉しかったかって? そりゃ嬉しかったさ。
  一年も経てば、此処に慣れてくる。だからある程度なら
  手紙交換なんかも出来るかなって、期待してたんだ。

  期待しながら手紙を開けたからこそ、
  私は失望したんだろうな。

  中には手紙と……、“花の種”が入っていた!」


 りっちゃんは声を張り上げた。
 声に驚いた私は、身体を震わせた。単純に怖かったのだ。
 そんな私を見たりっちゃんは、すまんと言って、
 気持ちを落ち着かせた。

 説明は続く。


 「花の種を見た私は落胆したよ。
  何でか? ……その種、まるで私が送った種と同じだったんだんだよ。

  澪は私の決心の証を、あろうことか送り返してきたんだ!
  お前の青春はお前のものだってことか? そういうことじゃねえんだよ!」


 りっちゃんは寄り掛かっていた壁を拳で殴りつけた。
 先程収まった声が、再び激しい怒りを帯びてくる。
 身振り手振りは荒くなり、その怒りや落胆がひしひしと伝わってきた。


 「だから澪は、私の決心を踏み躙ったんだ……。
  あいつは私の意思なんて、何もわかってくれちゃいなかった!
  ……今まで、澪は一番の親友だと思っていた。私はそいつに裏切られた……!

  わかったか? だから手紙は全て受け取れなかった」


 りっちゃんが全てを言い切ると、部屋には静寂が訪れた。
 今まで怒声が鳴り響いていた部屋にとって、
 この静寂は静かすぎた。

 しかし、私は何も言い返す事ができなかった。
 澪ちゃんとりっちゃんの仲を戻す術は、
 聞いた限り、もう残されていないのだ。


  *  *  *


 すっかり夜は更けた。
 りっちゃんには一泊だけでも、と言われたが
 泊まる気にはなれなかった。
 歩いてきた道を、今はただ戻っている。


 「いいのかい、それが終わりで」


 ギー太が話し掛けてくる。いいわけがない。
 しかし、私にはわからないのだ。どうすればいいのか。


 「ねえギー太。私、もっと人の気持ち理解出来るようになれるかな?」

 「そんな能力があっても無駄さ。
  人の気持ちに、答えは見つけられない。自分のもの以外はね」

 「……そんなのおかしいよ。
  自分の気持ちを、りっちゃんの決心を認めた手紙を、
  澪ちゃんが理解出来なかったはずがないんだよ」


 私は考えた。何かがおかしいのだ。
 答えの見つからない気持ちは、決心に成り得ないはずだ。
 ならば澪ちゃんが、その手紙に書かれた気持ちを理解できなかった?
 それも有り得ない。澪ちゃんは私たちの中で誰よりも頭が良かった。

 「ならば、そこには曖昧な何かが介在したとしか
  考えられないじゃないか」

 「曖昧な何か?」

 「そこまで僕が推察する義理は無いよ」

 「はいはい」


 ……一見意地の悪いギー太は、確かなヒントを与えてくれた。
 相変わらず意地悪だけども。

 どうやらまだ考える余地は残っていそうだ。
 私は、あのメッセージを反芻する。


 “……律。まず、誕生日おめでとう。
  これが届いている頃には、もうとっくに過ぎているかもしれないけれど。
  驚いた? そうだよね、驚いたよね。

  でも、律にはこうするしか無いと思ったから。だから唯にも頼んだんだ。
  別に特別なメッセージを送ろうとしたわけじゃない。これが最後のメッセージだ。

  うん、それだけ。頑張れよ、律”


 何度考え直しても、特に新しい印象は覚えない。
 強いて言えば……。いや、待って。

 私は今までの旅路を振り返った。
 全ての記憶を巡り、答えを見つけようと試みた。
 その結果……私は一つの答えを編み出した。


  *  *  *


 「りっちゃん」


 日付が変わる直前に、私は再びりっちゃんの家を訪ねた。
 真夜中にも関わらず、すぐに扉は開かれた。


 「……ん、なんだ唯か。結局泊まる気になったかー?」

 「じゃあ、そうさせてもらおうかな。
  それに加えて、お話があるんだけどね」

 「ふーん。まあ、入れよ」


 お邪魔します。


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最終更新:2012年09月28日 21:14