唯「木登りしようよ、あずにゃん!」


――と、或る日、我が敬愛する平沢唯先輩殿は申したもうた。

いえ、冗談です。この歳にもなって木登りとか言い出す女性をどう表現すればいいのか悩んだだけです。
しかも校内で。私の在籍する桜が丘女子高等学校で。
ぶっちゃけ、正気を疑います。

唯「じゃあ先登るねー」

いやちょっと待ってくださいよ本気なんですか
っていうかこんな大樹校内にありましたっけ
っていうかスカートの中身見えますよタイツですけど
っていうかよく考えたらなんで大学生のはずの唯先輩が制服着てここにいるんですか
っていうか落ちたらどうするんですか危ないですよ!

唯「だいじょーぶ、ほら、マットしいてあるから」

そう言われて上にいる唯先輩が指差す方に目を向けると樹の周囲にはいつの間にか体育倉庫にあるようなマットが一面に敷かれていたわけです。
いつの間にか私もその上に立っていて足場が少し不安定でした。さっきまで普通に地面に立っていたのに。
こんな超展開を何と説明付ければいいか。私の中で答えは一つ。

梓「夢ですか、これ」

唯「そうだよ」

なんだー夢かーじゃあいいかー、と私は思い切り良く眼前の樹の枝に手をかけました。
私の身長でも届く場所にある妙に低い枝はなかなか細いですが、私の体重ごときでは悲鳴の一つも上げません。
一応下に誰もいないことを確認してよじ登ると、唯先輩が一段(?)上の枝で手を伸ばしていました。
「持ち上げてあげるよ」と言うので、それを無視して枝に飛びつくとそこが少しだけ軋んだ音を立てました。唯先輩もついでに少しだけ驚いた音を立てました。

唯「あぶないよー?」

梓「別に……落ちても平気なんでしょう? マットあるし、そもそも夢なんですし」

唯「でも落ちる夢って気分のいいものじゃないよ」

梓「それはたしかに」

正論を言われては形無しなので先輩の言う事には大人しく従って無理せず普通に木登りを続行します。
唯先輩が先に掴んで登った枝に同じように手をかけて、私の脚で届く範囲の樹の幹に足をかけて、体重をかけながら腕に力を入れて身体を持ち上げます。
まあやってることは普通の木登りです。女子高生が普通にやることかと言われればNOですけど。
でも普段見られない高いところからの眺めはそんなに悪いものでもありません。
上を見上げれば唯先輩のスカートの中身と黒いタイツの脚線美が見えますがそれは別にいいとしてその更に上にある枝から伸びる葉っぱが太陽光に透かされて黄緑気味に見えるのはそれなりに美しいと思います。
夢だからか毛虫とかもいませんが、何故か葉っぱの量が少なくも感じました。葉っぱの隙間から青空が見えるというより、青空の隙間に葉っぱが浮かんでいるようにも見えます。
森林浴をしているわけでもありませんし、本来こんなものなのかもしれませんけど。
というかよく考えたら私は木登りとか今までしたことなかった気がするんですけど。この景色、どうやって私の脳は作り出しているんでしょうか。
おーい、答えなさーい、私の頭。返事は期待していませんが。

唯「あずにゃんあずにゃん、もうすぐてっぺんだよ!」

梓「早いですね」

唯「夢だからね! とりあえず礼儀として、下を見てみようよ」

梓「嫌ですよ」

唯「すごいよー、人がモミのようだよ」

梓「もみ?」

唯「ほら、あのトゲトゲして服にくっつくやつ」

梓「オナモミ…でしたっけ。で、それがどうかしました?」

唯「だから、人がモミのようだ!」

梓「意味わかりませんよ」

唯「夢だからね!」

和先輩からメガネ借りてきたほうがいいんじゃないですか、とか言いながらついつい下を見てしまいました。
すると確かに遠くにモミが……ってあれ律先輩じゃないですか。
たぶん澪先輩の髪にオナモミを投げて遊んでいるんだろう。良い子は真似しちゃいけません。ムギ先輩も真似しちゃいけません。あれ取るの地味にめんどくさいんですから。

唯「ほら、あずにゃんおいで。早く行くよ」

梓「あ、はい」

唯先輩は今度は手を伸ばさずに手招きしながら言います。
ずっと下を見ていた私はハッとして「すいません」とかいいながら登ろうとして、それでもさっき見た律先輩の小ささ(胸の話ではない)からここが相当な高さであることを察していました。

梓「落ちたらどうなるんでしょうね」

唯「あずにゃん、そういうこと言わないほうがいいよ」

唯先輩の言いたいことはわかります。それは落ちるフラグ的な何かだと言いたいんですよね。
だから私は「そうですね」と普通に返せばそれでいいんですけど、

ズルッ

梓「あっ」

唯「あっ」

いやはや、言うより先に落っこちてしまいました。
落ちる夢は見たくなかったんですが……

唯「あずにゃん!」ガシッ

梓「わ、ゆ、唯先輩っ」

唯「へっへーん、ナイスキャッチ」

唯先輩が私の手首を掴んでくれました。悔しいけどこの時ばかりは少しかっこよかったです。
っていうか意外と力ありますね唯先輩。私が軽いだけですか。

唯「夢だからね!」

梓「それもそうですね」

唯「というわけで今から颯爽と引き上げてあげるから、そしたらお礼にキスしてくれる?」

梓「ほっぺになら」

助けられたのは事実ですし、どうせ夢ですし、それくらいならいいか、と軽く返事をしましたが。
それを聞いた唯先輩は「ぅえっ!? いやぁんどうしよう、あずにゃんったら大胆っ」とか言いながら両手を頬に当ててクネクネし始めました。

いやアナタが言ったんじゃないですか。まるで私が変なこと言ったような反応は止めてくださいよ。
反応自体は可愛いので特に文句は無いですが、私からすれば理不尽なんですよ。
っていうかそれ以前にですね。

梓「ひゃー」

唯「ああっ、あずにゃーん!」

……手、離さないでくださいよ。


「確かに落ちる夢は気持ちのいいものじゃなかった」



唯「リトライだね、あずにゃん!」

梓「残機が1減りましたね」

唯「大丈夫、1UPスター取ってきたから!」スッ

梓「なんでスターなんですか?」

唯「ほら、とんがってる場所5ヵ所! 私たちと一緒だね!」

梓「よく見たらそれ保安官バッジか何かですかそれ」

唯「キミのハートを狙い撃ち!」バキューン

梓「保安官が積極的に銃を抜かないでください。無法地帯ですか」

後で保安官バッジをグーグル検索したら6角形のもたくさん出てきたのですがさすがに私は黙っておきました。
私は空気の読めるレディです。

唯「さぁ、陽が落ちる前に登っちゃうよ!」

言われて気づきましたが、今回は夕刻のようです。茜色の空が物悲しい気分にさせてくれます。隣の能天気な先輩さえいなければ。
それでも軽く首を上に向けてみると、夕暮れ空に溶ける緑の木の葉はそれはそれで趣のある、綺麗なものではありました。
でもやっぱり、唯先輩に夕暮れが致命的に似合わない気がします。いや、唯先輩が夕暮れに合わせる気がないだけなのでしょうけど。


唯「あずにゃん、はやくはやくー」

梓「あ、はい」

前回と変わらず唯先輩のタイツを追いかけていくうち、木の枝の配置について少しの疑問を抱きました。
私は背が低いほうなのに、枝はどれもギリギリ届く範囲にあるんです。「あそこに届けば楽なのに」と歯噛みすることが無いんです。

唯「夢だからね!」

そういうことなんでしょうね。

唯「はい、中野梓さん、二度目のチャレンジです!」

梓「もうこんな所にまで来てたんですね」

枝の配置は覚えている限りでは前回と変わっていません。前回足を滑らせたあの枝もちゃんと覚えています。
下を見たらマットを菫がメイド服で掃除していました。大変だなぁ。

梓「とりあえず唯先輩、もう一つ先に行ってください」

唯「えー、大丈夫?」

梓「大丈夫です」

前回の夢で、私は自分一人で集中して成功させることの大事さを学びました。
いえ勿論唯先輩が悪いというわけではないのです。助けてくれたことはありがたかったし、カッコよかったです。
そもそも私が迂闊にも足を滑らせたのがいけなかったのですから、今回は唯先輩を先に行かせることでそのへんの気を引き締めよう、ということです。
決して唯先輩が頼りにならないというわけではありません。ホントですよ。

梓「よっ、と」

はい、変に気を逸らさなければこんなものですよ。

唯「やったー! やったねあずにゃん!」ピョンピョン

梓「あー、はいはい、危ないからそんな跳ねないで――」

唯「あっ」

ズルッ

梓「唯先輩っ!?」ガシッ

先の枝でピョンピョンしていた唯先輩が今度は足を滑らせ、真っ逆さまという直前。
私は手を伸ばして、唯先輩の手首をどうにか掴むことに成功しました。
ですが、

梓「ゆ、唯先輩、重っ」

唯「夢だからね!」

梓「何ですかそれぇ……あっもう無理」ズルッ

結局、唯先輩と一緒に私も真っ逆さまに樹から落ちていきました。
手は離しませんでした。私えらい。

唯「あっはっはー、だめだよあずにゃんあんなこと言っちゃー」ヒュゥゥゥゥゥ

梓「私のせいなんですかあぁぁぁぁぁぁぁ」ヒュゥゥゥゥゥゥ


「唯先輩は重かった」



唯「はい、三度目です!」

梓「誰のせいですか前回は」

唯「私だね!」

梓「あ、一応そういう事でいいんですか」

今回のシチュエーションは早朝のようです。空気が少し肌寒いです。
太陽はまだ地平線から半分顔を出した程度のところにありますが、木登りが出来る程度には明るくなっていました。

唯「あの陽が完全に出てしまう前に登りきるよ!」

梓「そういえば初日の出とか、なんとなく太陽が顔を出した瞬間に拝みますけど厳密には全部出てしまうまでは日の出って言えそうですよね?」

唯「あずにゃん、そんなことは今はどうでもよくないかい?」

梓「夢ですからね」

唯「言うようになったね」

そのままひょいひょいっと、相変わらず意外と身軽に唯先輩は登っていきます。
この人、運動は苦手と言っていたはずですが。あくまで自称である、ということでしょうか。
マラソン大会でも最後は軽音部全員本気で横並びで走ってましたし。運動神経のいい澪先輩や律先輩と並んで。

唯「夢だからね!」

梓「慣れたものですね、もう」

もしかしたら私の理想の唯先輩像なのかもしれない、と思うと居心地が悪くなってきたのでその想像を振り払う為にも目の前の枝に手をかけました。
少しだけ冷たさを感じたので唯先輩が触れていたあたりに手を移動すると、そこは温かくなっていました。
「よっ」と体重をかけて登ると、唯先輩は既に二つ以上先に登ってしまっていたので、私も少し急ぎます。

梓「次は……あれっ?」

何故か前回の夢もちゃんと覚えている私は、すぐに気づいてしまいます。
今回は枝の配置が妙に簡単になっていることに。


唯「今回はイージーモードだねー」

梓「ですねー」

唯「もうこの前のポイントだよー」

梓「そうですねー」

唯先輩は相変わらずひょいっとそこをクリアします。私も普通にクリアして、唯先輩が変な動きをしないうちに隣に並びます。
前回の失敗は唯先輩を先に行かせたこと、だと思います。私が集中するために必要な気がしたとはいえ、この人を一人にしておくのは危なっかしいです。
身近な人では唯先輩ですけど本来この人に限ったことではないのでしょう。私だって誰かに心配されてる自覚はあります。
つまり要は何事も自分のことが最優先ではありますけど、だからといって他者をないがしろにしていいはずはない、ということでしょう。
自分に出来る範囲で気を配っていてあげれば、たとえ唯先輩といえども阿呆な真似はしないはずです。

唯「えへへー、やっと隣に並んでくれたね」

梓「そんなに嬉しいですか」

唯「イージーモードにしてまで並んでくれたのは嬉しいよ」

梓「私がしたんですか?」

唯「だってあずにゃんの夢でしょ?」

梓「それはそうかもしれませんけど」

でも少なくとも意識的にしたわけではありません。
そう考えると、無意識のうちに唯先輩と並ぶことを目標にしていたようで、余計に悔しかったりするのですが。
というわけで話題を逸らしましょう。ひそかに。したたかに。

梓「でもあれですよね、こんな枝に二人で乗っていると折れそうですよね」

唯「だからあずにゃん、そういうこと言っちゃダメだってば」

梓「えっ」

バキッ

あらら。
再び私たちは地面へと真っ逆さま。

唯「そろそろ学習しようね?」

梓「はい…面目ないです……唯先輩に言われると特に」


「もうそろそろ落ちたくない」


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最終更新:2012年10月02日 11:28