「それってつまり、自己満足なんじゃない?」
何でも無い事みたいに、純が言った。
普段通りの口調と普段通りの語調で、微笑みさえ浮かべて。
前々から分かってはいた事だけど、本当にマイペースな子だなあ、と思った。
普通はこんな言いにくい言葉を歯に衣を着せずに言えるなんて、そうそう出来る事じゃないよね。
こんな事を続けてたら、友達がどんどん減ると思う。
私だって結構胸を抉られた。
自分のやって来た事、やろうとしてる事が、
自己満足だって言われて、平気で居られる人なんて少ないんじゃないかな。
とりあえずでも正しいと思ってやってる事なのに、
そんな簡単な言葉で片付けられるとやっぱり傷付くなあ……。
でも、純はあっけらかんとしてて、言ってる事も多分間違ってなくて……。
いつも私がフォローする立場なのに、純はこんな時だけちゃんとした答えを出していて。
楽しそうに、思いのままに、
単純な答えを出せる純にはちょっと腹が立っちゃうけど。
だけど、そんな純だから、私は……。
◇
きっかけは放課後、
誰も居なくなった教室で純が口に出した言葉だった。
「梓さあ……、好きな人って居る?」
家の用事があるとかで憂が先に帰って教室で二人きり。
二人で席に座って話をしていると、何でも無い事みたいに純がそう口にした。
携帯電話を操作しながら、視線すらこっちに向けずに、単なる雑談みたいに。
ううん、確かに普通なら単なる雑談だった。
私達も一応女子高生なんだし、恋の話に花を咲かせたって不自然じゃない。
でも、私達はそんな自然な話を滅多にしなかった。
たまに純が訊ねて来る事があったけど、その度に憂が微笑んで有耶無耶にしてくれてた。
有耶無耶にしてくれてたのは、その話題が出る度に私が視線を逸らしてたからだと思う。
目を伏せて、軽く下唇を噛んでいたりもしてたくらい。
物凄く不自然だったけど、私はそうする事しか出来なかったんだ。
そうしなきゃ、自分の想いや胸の痛みに耐えられない気がしたから。
実は私にも好きな人は居る。
傍に居たいし、笑い合いたいし、言葉に出して好きと伝えたい。
それが出来たらどんなに嬉しいか、っていつも思ってる。
だけど、それが出来ない事も自覚してるんだ。
あの人との関係を壊したくないし、
壊すのが怖いし、あの人はきっと私の想いを困ると思うから。
私の事なんかで困らせたくなんてないから。
だから、私は自分の想いを言葉になんて出来ない。
私の想いは、私の気持ちは、きっと普通じゃないから……。
「梓……?」
私が何も言わない事を不審に思ったのか、
それとも、最初からそれを予期していたのか、純が軽く顔を上げて私に視線を向けた。
純は何を言い出すつもりなんだろう……。
どんな話に展開させるつもりなんだろう……。
胸が強く鼓動して、話を逸らそうとしても緊張で声が出て来ない。
私の想いを知られてしまったら、純との関係まで壊れてしまうかもしれないのに、
多分、壊れてしまうに違いないのに、私は嫌な汗を掻いて純の次の言葉を待つ事しか出来なかった。
「前から思ってたんだけど梓ってさ、恋バナになると黙り込んじゃうよね。
その顔を見る限り、好きな人が居ないってわけじゃないよね?
もしかして、何か付き合うのに問題がある人に恋してるんじゃないの?
例えば……、掘込先生とか!」
予想外の中年男性の名前を出されて、私はどう反応していいのか迷った。
純、本気で言ってるのかな……?
真意を掴めない以上、私は軽く笑って「そんなわけないでしょ」と肩を竦めてみる。
掘込先生はいい先生だと思うけど、恋愛対象には全然ならない。
奥さんとお子さんの話を授業中にいつも聞かされてるしね。
「やっぱり?」と苦笑した後、
「だとすると……」って言いながら、純が口元に手を当てて首を傾げて唸り出した。
これから思い当たる候補を全部挙げてくつもりなのかな……。
だったら、私の好きな人について、詳しく分かってるって事じゃないのかも。
私は胸を撫で下ろす気分で、純のジャズ研の事に話を逸らそうと口を開いた。
単なる雑談なら、それくらいの事で話を逸らせるはず。
そう思ってたのに、純は私が何かを言うより先にその言葉を出していた。
「ひょっとして……、梓が好きなのって軽音部の先輩?」
そんなわけないでしょ!
って、すぐに返せばよかったんだと思う。
それが普通だし、それこそが私の取るべき普通の反応なんだから。
でも、私にはそれが出来なかった。
ただ顔を青くして、自分の身体から力が抜けていくのを感じて、泣きたくなった。
だって、純の言葉は一つも間違ってないんだから。
否定なんて、出来なかった。
これからの私達のためにも否定しなきゃいけなかったのに、
否定してしまったら自分の想いまで否定するみたいに思えて出来なかった。
これで純と私の関係が終わっちゃうかもしれないのに……。
思えば、憂は何となく私の好きな人に気付いていたから、純の話を止めていてくれてたんだと思う。
私が自分の想いを否定出来ない事を分かってたから、手助けしてくれてたんだ。
憂はそんな風に私を思いやってくれてたんだ……。
でも、今、私の傍には憂が居なくて、私は自分の想いを誤魔化し切れなくて……。
「えっ? 当たりっ?
梓の好きなの人って本当に軽音部の先輩なのっ?」
純が目を丸くして私を見つめる。
その視線に耐え切れなくて、私は純から顔を逸らしてしまう。
その行為で完全に私が軽音部の先輩の事を好きだって事が悟られてしまったはずだった。
同性の……先輩の事を……。
私の中にこんな感情があるなんて、あの人を好きになるまで思ってなかった。
中学生の頃までは周囲の同級生と同じ様に、歌って踊れる男の子のアイドルが好きだった。
女子高に進学はするけれど、文化祭か何かで男子と知り合う事もあるのかな、って軽く考えてた。
あの人の事だって最初から好きだったわけじゃない。
予想とは全然違うのんびりした部に入ってしまって、
どうしたらいいのか戸惑ってしまって、あの人の事も変わった先輩だな、としか思わなかった。
他の先輩達もどこかしら変わってたから、そういう部なんだろうなって思っただけだった。
いつから好きになったのかは、私も憶えてない。
時期としては、一年の頃の学祭のライブが終わったくらいだったと思う。
気が付いたら、あの人の事を目で追うようになって、あの人の事を考える時間も増えていた。
その想いが好きだって気持ちだと認めるのには、それからとても長い時間が掛かった。
多分、普通じゃない自分。
一般からはかなり外れてる自分。
そんな自分の事を思うと悲しくなった。
でも、今はそれより純の事だった。
口が軽くてマイペースだけど、純はいい子だと思う。
私が軽音部の先輩の事を好きだって知っても、誰かに言い触らしたりはしないだろう。
私の秘密を胸の中に仕舞い込んでくれるだろう。
だけど、それと純自身が感じる事とは別問題だった。
純が私を見る目を変えてしまっても仕方が無い。
私の想いはそういう普通じゃない想いなんだから……。
嫌われたって何も不思議じゃないんだから……。
身体が緊張で震えるのを自覚しながら、恐る恐る視線を純の方に戻してみる。
純は見た事も無いような無表情で私を見つめていた。
何か言わなきゃ……。
何かを言葉にしなきゃ……。
「あの……、あのね、純……。
私ね……、私……」
言葉に出来たのはそれだけだった。
それ以上の言葉は、どんなに努力しても溢れ出そうになる嗚咽に掻き消された。
何も、言葉に出来ない。
そのまま時間だけが無為に過ぎて行ってしまって、
気が付いた時には、純が無表情のままで小さく息を吸い込んで、
私の一番聞きたくなかった言葉を口に出してしまっていた。
「それって変だよ、梓。
……気持ち悪い」
その一瞬、自分がどんな顔をしてたのか分からない。
目の前が真っ白になって、頭の中も真っ白になって、
泣いたらいいのか、叫んだらいいのか、それも分からなくなって……。
ただ、純に嫌われてしまった、って事だけが分かって……。
それが辛くて……悲しくて……。
この世界から消えてしまいたい気分になって……。
そうだよね……、こんな私なんて消えてしまった方が……。
あの人にだって、この私の想いはきっと迷惑なだけなんだから……。
「ごめっ……」
それだけ言って、鞄を手に持って、
席から立ち上がってその場から逃げ出そうとして……。
自分の足に力を込めた瞬間、私の頭の上に柔らかい感触を感じた。
誰かの手のひら……。
軽く撫でられる。優しく、温かい体温で……。
誰の手のひら……?
そんなの……決まってる……。
この教室には……、私と純しか居ないんだから……。
これは……純の手のひらだ……。
何が起こったのか分からないままに視線を向けると、
そこには優しい表情で微笑んで私の頭を撫でている純が居た。
ごくたまに私に向けてくれる優しい表情の純が。
「……なんて、言われると思ってた?
そんな事、私は言わないよ」
純が静かに言葉を紡ぐ。
その言葉も優しくて、それが逆に胸に突き刺さって……。
何だかたくさんの感情で目まぐるしくなって、
気が付いたら私の目の前がぼやけてしまっていた。
勿論、私の瞳から大量の涙が流れてしまっているからだった。
悲しいわけじゃないし、辛いわけでもない。
ただ涙が溢れて……。
「あ……あら、あらら……。
ご、ごめん、梓、びっくりさせちゃったみたいだね……」
純が動揺した口振りで私の頭をまた優しく撫でる。
何度も何度も、心を込めて撫でてくれる。
でも……。
「撫でないで……よ、もー……!」
私は軽く純の手を払ってから、それだけ言ってまた声を上げて泣いた。
純の行動が嫌だったわけじゃないし、純の事が嫌いになったわけでもない。
ただ何だか多分嬉しくて、でも照れ臭くて、頭を撫でられてる気分にはなれなかったから。
恥ずかしかったんだ、単純に……。
それからかなり長い間。
私は声を上げて大粒の涙を零してしまっていたけど、純は何も言わずに傍に居てくれた。
傍に居て、見守っていてくれた。
もう……、これじゃいつもと逆じゃない……。
そう心の中では毒づいていてしまったけど、私はとても心強かった。
◇
完全にってわけじゃないけど、私がかなりの涙を流し終えた頃、
純がスカートのポケットの中から絹のハンカチを出して、渡してくれた。
「落ち着いた、梓……?」
「一応……ね……。
って、これ、お兄さんから貰ったって言ってたハンカチじゃ……。
こんなの使えないよ……」
「いいから使いなってば。
梓を泣かせちゃったのは私にも原因があるわけだし、
ハンカチってのは手と涙を拭くためにあるんだから。
ハンカチは用量、用法を守って正しく使いましょう」
「何よ、それ……」
呟きながらも、私は純のハンカチを受け取って流れた涙を拭いた。
想像以上に泣いてしまったらしく、完全に拭き取るまで時間が掛かった。
私、こんなに涙を流せる子だったんだ……。
そう思いながら一息吐くと、純がとても真剣な視線を私に向けてから言った。
「さっきはごめんね、梓。
こんなに泣いちゃうくらい悩んでたなんて思ってなかったよ。
ずっと一人で悩んでたんでしょ?
でもね、梓、私の言いたかった事も、分かってるよね?」
「……うん」
泣いている最中、気付いた事がある。
純は私をからかうためにあんな事を言ったわけじゃないんだって。
現実を私に教えてくれるために、わざと言ってくれたんだって。
自分の口元を結んで純と目を合わせると、純がまた真剣な表情で続ける。
「世の中には色んな人が居るもんね。
テレビとか観てるとさ、
男同士とか女同士とかの恋愛に寛容に思える事もあるけど、
テレビでやってる事と現実とじゃ、結構違ってるみたいなんだよね。
ねえ、知ってる、梓?
前に一年生が三年の先輩に告白したみたいなんだけど、
「気持ち悪い」って言われて、断られたらしいんだよね。
その噂を聞いてたからさ、梓にも言っておいた方がいいかもって思って。
それで必要以上に驚かせちゃったみたいで、ごめんね」
私は首を横に振った。
やられた身としては辛かったけど、今は純に感謝していた。
純は私に最悪の状況を前もって教えてくれたんだ。
純が謝る必要なんて無いよ……。
でも、一つだけ疑問に思う事がある。
私は少し緊張しながら、純にそれを訊ねてみる事にした。
「純は……」
「何?」
「純は……、私が気持ち悪くない……?」
「気持ち悪くなんて、無いよ、梓。
梓は梓なんだし、私って結構自由と友情を大切にする女なんだもんね」
「そんなので……いいの……?」
「まあ、私が好きなのは男の子なんだけどね……。
でも、人を好きになる気持ちには、
相手が同性でも異性でも変わりは無いって私は思うよ。
それに梓が好きなのは、別に私ってわけじゃないんでしょ?」
「それは……そうだけど……」
「分かってても、あっさり言われるとちょっと傷付くなー……。
まあ、いいけどね。
だったら、私の梓に対する態度は変わるわけないでしょ?
私の事が好きってわけじゃないなら、ならばよし!
逆に応援したい気分だよ」
「そうなんだ……。ありがとう……」
「お礼を言われるような事でも無いけどね」
純が少し照れ臭そうに微笑んで頭を掻く。
その笑顔には何の嘘も含まれてないみたいに見えた。
本気でそう思ってくれてるんだろうな……。
その考えはまた私の涙腺を緩くした。
さっきまでと違って、辛さや悲しさじゃなくて、嬉しさからの涙が出そうになる。
それをぐっと堪えて軽く微笑むと、純が急に表情を崩して悔しそうに続けた。
「あー……、でも悔しい!
やっぱり、梓って軽音部の先輩の事が好きだったんだね。
変わってるけど素敵な先輩が多いもんね。
唯先輩は面白いし、澪先輩はカッコいいし、
律先輩は元気で楽しそうだし、ムギ先輩はミステリアスで魅力的だし……。
よりどりみどりのハーレムじゃん!
悔しいなあ……、私も軽音部に入っとけばよかった……!」
残念だけど、それに関しては私に言える事は何も無かった。
……にしても、純って澪先輩以外の事も気になってたんだ。
結構浮気性なのかな……?
私が苦笑しながら首を傾げていると、純が今度は私の手を強く握って言った。
「それで梓の好きな人って誰なのっ?
唯先輩? 澪先輩? 律先輩? ムギ先輩?
先輩の誰かが好きなんだろうな、
ってのは前から薄々思ってたんだけど、その相手が分からなかったんだよね。
ここは私の顔を立てると思って教えてくれないっ?」
候補の人を全員出して訊ねて来るなんて、何だか純らしい。
ちょっと躊躇ったけど、私は意を決して純にあの人の名前を伝えた。
私の今までの嘘を受け止めてくれた純だから、正直な答えを伝えたかったんだ。
最終更新:2012年10月03日 20:32