12 Dark And Long by 唯
唯「知らない天井だ……」
目を覚まして、私は自分が病院のベッドに寝ていることに気付いた。
さわちゃん先生から貰ったヘロインをキメて、私は倒れてしまったのだ。
質が悪かったのか、もしくはへんな混ぜ物でもあったのかもしれないね。
憂「お姉ちゃん! 気がついたんだね!」
唯「う……憂?」
憂「心配したよ……お姉ちゃんが倒れて運ばれたって聞いて……」
唯「うう……ごめんね、憂」
憂「お姉ちゃんが無事だったなら……でも、お医者さんに聞いたよ?
お姉ちゃん、またヘロインやったんでしょ?」
唯「あ……」
憂「こうなったらもう国のメタドンプログラムになんか頼っていられない。
お姉ちゃんは私が連れ帰って、クリーンになるまで面倒を見る」
唯「え……」
憂「そういうわけだから、お姉ちゃん、私と一緒に帰ろ?」
こうなった憂はもはや止めることはできない。
私はなすすべなく実家に連れ戻され、自室のベッドに縛り付けられた。
最悪なのは、よりによってこういう時になって、身体中の血管という血管がドラッグを欲することだった。
唯「憂……なんでも……なんでもいいから身体に入れたいよぉ。メタドンでもいいから……」
憂「だめ! 今のお姉ちゃんに必要なのは、有害無害に関わらず、全てのクスリを身体から抜くことなんだよ?」
唯「そ、そんなぁ……うい~ドラッグぅ~……」
憂「お姉ちゃんのためなんだよ……? 我慢してね……?
私がきっとお姉ちゃんの病気を治してあげるから、それまでの辛抱だよ?」
そういい残して憂は部屋から出て行った。ご丁寧に、外からの厳重な施錠つきだ。
そしてしばらくすると、ついにコールド・ターキー(禁断症状)が襲ってきた。
唯「う~ん、う~ん……痛い……痛いよぉ……」
身体中の骨という骨がすり合うかのように、キリキリピキピキと音を立てているような錯覚。
唯「う……ん……気持悪いよぉ……」
絶え間なく襲い来る吐き気、身体中の毛穴という毛穴から吹き出る脂汗。
唯「やだ……もうやだよぉ……」
頭の中は死とか孤独とかHIVとか、これ以上ないくらいの欝な想像でいっぱい。
いっそのこと死んでしまいたい。でもやっぱり死ぬのは嫌だ。わからない。もうなにもわからないよ。
すると足元に突然、人影がひとつ。
聡「なんだよ、唯さんはヤク中だったのかよ。危なかった~、俺、ヤク中のビッチとヤるところだったのか~」
やめてやめてやめて。私はビッチなんかじゃない。
聡「やっぱりヤるなら澪さんみたいな女性が理想だよなぁ~。今度姉ちゃんに紹介してもらおうっと」
ヘンなこと言わないで。澪ちゃんだってヤク中なんだよ? しかも今はブタ箱入り。私よりクズじゃない。
すると人影の姿が変わる。
紬「唯ちゃん、酷いザマね」
なにしにきやがったんだ、この沢庵。私の裁判にも来てくれなかったくせに。
紬「私は禁ヤクに成功したし、可愛い彼女もいるし、今はまさにバラ色の生活よ? うらやましいかしら?」
うるさいうるさいうるさい。どうせムギちゃんだって同じ穴のなんとやらじゃないの。彼女の穴に突っ込むための棒もないくせに。
堪りかねて私は頭から毛布を被る。これならもうヘンな幻覚を見ずにすむ。と、思ったら布団の中にはどこかで見慣れたデコが。
律「はん。酷い顔だな。これがジャンキーの末路ってやつか?」
だまれだまれだまれ。そのデコ、シンバルでカチ割ってやろうか。
律「別にいいけどさ。何なら私が力づくで唯の禁断症状を覚ましてやってもいいぜ?」
やめて。お願いだからやめて。
もう布団の中も耐えられない。すると、
憂「お姉ちゃん、お腹空いたと思って。シチュー作ってきたよ?」
シチューなんて、今の私には牛乳の混じったゲロの沼にしか見えない。
憂「だめだよ? 食べて体力つけないと良くならないよ? 私にはお姉ちゃんの病気を治す義務があるのに……」
すると今度は部屋のドアの方向。どこかで聴いたことのある歌が聞こえてくる。
澪「あぁ~神様~お願い~2人だけの~ドリームタイムくださーい♪」
やめて。今の私には耳触りでしかないから。
澪「唯のこと、見損なったよ……。まさか私を裏切って一人だけ執行猶予だなんて」
ふざけないで。こんなつらい思いをするくらいなら、それこそブタ箱行きの方がよかった。
梓「私の……私の子供……あずにゃん2号……どうして……どうして……」
今度はあずにゃん? お願いだから、もう私を混乱させないで。
でも悪夢はまだ終わらない。今度は天井をあの猫が這いつくばっている。
あの猫はあずにゃん2号だ。泣いている。不憫な死を迎えた自分を儚み泣いている。
猫「よくも……よくもわたしをしなせたにゃ!」
あずにゃん2号が言った。
やめて。そんなのあの可愛かったあずにゃん2号じゃない。
猫「あんたがしなせた わたしをころした いっつもやくをうってばかりでろくにわたしのせわをしなかった わたしはまだいきたかった せいごいちねんもたってなかった あんたみたいなやくづけのばかのところにひろわれたせいで わたしはなんのたのしみもあじわえずしんだ ふざけるな ころしてやる あんたをずたずたにひきさいてそのへろいんづけのちぶさをかみちぎってころしてやる あんたのま○こをどすぐろいこっくでぶちやぶってころしてやる わたしがそうされたみたいに いきができなくなるようにしてやる してやるしてやるしてやるしてやるしてやる」
そうして天井を這いつくばっていたあずにゃん2号が落ちてきた瞬間から、私のその日の記憶はなくなった。
そんな感じで数日間、私は地獄の苦しみを味わい続けた
正気を取り戻した時には、身体中引っかき傷だらけ。
涙も枯れて、生理も一時的に止まっていた。
その後、私は憂に連れて行かれHIVの検査を受けた。
私が日常的に他人と注射針を共用してヘロインを打っていたことが憂にバレたからだ。
結果は奇跡的に陰性。憂は私のことを幸運だと言って、泣いて喜んだ。
確かに幸運かもしれない。
でもそれがなんだっていうんだろう?
13 新天地 by 唯
真剣に考えてみた。
自分はなんでヘロインと手を切れないのだろう?
意志が弱いから?
そんなことはない。私にだって自分の意思で何かを始めることが出来る。
高校時代、軽音部の活動でそれは証明したはずだった。
だったら……?
その答えのヒントを得たような気になった私は、生まれ育った街を離れた。
どっちにしろ、このまま実家にいても過保護すぎる憂のせいで、
私は籠の中に囚われたカブトムシのように、水分過多のスイカを食べさせられて死んでしまうだろうから。
唯「いらっしゃいませ~。本日はフェンダーのテレキャスターが大変お安くなっております~」
楽器屋の店員という仕事も見つけた。
店主のご厚意で下宿場所まで手配してもらえた。小さなアパートだけど、住み心地は上々。
なんだ、人生を選ぶのってこんなにも簡単だったんだ。
ここには私をヤクに誘う友人も、ケンカに巻き込む悪友も、レズセックスの良さを無理やり語る沢庵もいない。
つまりはそういうことだったんだね。
14 追跡 by 律
さすがにちょっとやり過ぎたかな、という自覚はある。
パブのチンピラとケンカするならともかく、
カツアゲ目当てに戦闘力の欠片もないモヤシくんをいきなり路地裏に引きずり込んでボコボコっていうのは、
いくら気が立っていて酔っぱらっていたからとはいえ、やりすぎだったかもしれない。
おかげで私は今、警察に追われてる。
紬「ちょうど良かったわ。私も新しい刺激に飢えていたところなの」
禁ヤクしていたムギも、付き合っていた女と上手くいかず、いらいらしていたらしい。
ま、そんなことはどうでもいいが、この街を離れる必要があるっていう利害は一致してる。
紬「律ちゃんが一緒なら、心強いですわ♪」
こんな風ににっこり微笑んで、ぶっとい眉毛を垂れ下げる時のムギは特に信用ならない。
まぁ、もし私に牙を向くようなことがあれば、眉毛が反転するまで殴ってやればいいんだけど。
梓はどうやらついてくる意思も気力もないらしい。
澪が出所してくるのはもう少し先の話だ。
鍵盤奏者とドラマー、不釣り合いな2人だけのパーティーだけど、なんとかなるだろう。
律「私から逃げ出そうなんて、100年早いぜ、唯!」
14 デコと沢庵 by 唯
一日の仕事を終え、少しの充実感と疲れた身体を引きずりアパートに戻った時、
部屋のドアの前で胡坐をかいてラッキーストライクを吸いこむりっちゃんの姿を見つけてしまった時の私の心はどういう風に表現すればいいんだろう?
律「お、やっと戻ってきたな」
聞けば、ムギちゃんまで一緒らしい。
私はヘロインを打ってもいないのに立ちくらみがして、一瞬倒れそうになった。
それからりっちゃんとムギちゃんは私の部屋に居つくようになった。勿論、拒否権はなし。
りっちゃんは今、警察に追われる身らしい。
寧ろ今まで追われたことないのが不思議なくらいなので驚かない。
ムギちゃんは地元の女の子にはほとほと嫌気が差したという。
私からすればムギちゃんの性癖のほうが、嫌気が差す。
ともかく、私の新生活は一瞬にして悪友たちに侵食されることとなった。
律「なぁ唯、お前今楽器屋で働いてるんだろ?」
唯「そうだけど?」
律「楽器ってさ、知ってのとおりだと思うけどめっちゃ高く売れるんだよな。唯のギターも元は25万もしたし」
ギー太のことだね。
私はギー太についてはクスリ代のために転売してしまうのが心苦しく、今でも部屋の押入れの奥で眠らせている。
他の皆はとっくに楽器なんて手放してしまっているというのに。
でも……なんか嫌な予感がする。
律「そうか……ギブソンにフェンダー、モノを選べば当分の逃亡資金と酒代には困らないな」
唯「お願いだから、そういうことはやめてよ……」
律「あん?」
律「…………」
嫌な予感は的中してしまった。
りっちゃんはムギちゃんを引き連れ、私が働いている楽器店に押し入った。
幸いなことに強盗は未遂で終わり、2人ともうまいこと逃げおおせたが、犯行の際にりっちゃんが、
律「唯ーッ!! 来てやったぞー!! さっさとこの店で一番高いギター出せ~!」
とか、大声で叫んだものだから始末が悪いよね。
当然のごとく私は楽器店をクビになった。
どうしてなんだろう?
あの悪夢のようなヘロインを断ち切ったのに、何も変わらない。
私はいつまでたっても人生を選ぶことができない。
15 帰郷 by 澪
半年の刑期を終えてシャバに戻ってくると、相変わらずのメンバーが揃って、酒盛りで私を出迎えてくれた。
やっぱり仲間というのは良いよな。
でも、半年振りに見る仲間の表情はどこか違和感がある。特に唯。
唯は一度この町を離れ、職に就いたものの、辞めてまた戻ってきたらしい。
唯「選ぶ……選んだのに……人生……元通り……」
唯はウーロン茶を啜りながら視点の定まらないうつろな表情でそう呟くのみ。
あれ? 唯はもうヘロインは止めたって聞いたんだけど……。
ちなみに唯がこの町に戻ってきた理由はもう一つあった。
幼馴染の和がオーバードーズで倒れ、入院したのだ。
……って、あの和までヘロインやってたなんて、知らなかったよ。
和「ああ唯……それに皆まで……。うふふ、こうして全員揃うのは高校時代以来ね」
病床に伏せる和には、ヘロイン歴数年の私たちの内の誰よりも、げっそりとして生気がなかった。
唯「和ちゃん……」
和「いいのよ唯、貴方が責任を感じる必要はないわ。これは私が自分で選んだ道ですもの」
もっとも、オーバードーズで仲間が気を失うくらい、今までもよくあったこと。
それでも唯が和の病状を心配している理由は……和がHIVに感染し、既に発症の兆しを見せていたからだ。
唯「こんな話ってある? 注射針の使いまわしなんて今までに腐るほどやってきた私たちじゃなくて……
まだ覚えたてのひよっこだった和ちゃんが……」
紬「1回も100回も関係ないわ。当たる時は当たる。妊娠と同じようなものなのね」
梓「真鍋先輩……もしかして死んでしまうんですか? ……私の子供と同じように」
律「ケッ……あのお利口で優等生だった和がなぁ……」
もしかしたら私は、まだ恵まれているほうなのかもしれない。
刑務所帰りの身ながら、少しだけそんなことを思った。
16 儲け話 by 唯
その危険な儲け話の発端はムギちゃんからであった。
なんでも昔琴吹家と取引をしていたロシアの貿易商が、物凄い量と質のヘロインを格安値で譲ってくれるらしいと。
紬「あの貿易商も昔はそういう商売はしていなかったんですけど、今は未曾有の不景気ですからね。 生き残るためなら、どんな黒いことにも手を染める。 思えば琴吹家はそれが出来なかったからこそ、没落してしまったのかもしれません」
律「ま、なんでもいいけどさ。要はそいつを転売して、一儲けしてやろうって話さ」
いつもそうだ。
悪い企みをもってくるのはいつもこの二人。
澪「でも……ロシア人からそのヘロインを買うお金はどうするのさ」
梓「私も澪先輩も律先輩も……ムギ先輩ですら文無しだというのに」
律「そこはホラ、いるだろう? ついこの間までせっせと額に汗して働いて、それなりの貯蓄がある素晴らしき元労働者が!」
りっちゃんはとてもわざとらしく、大げさな声で言った。
私にケンカの腕があれば、そのオデコをかち割ってやったのに。
律「なぁ唯? 悪い話じゃないだろう? いっちょ将来性のある投資だと思って、考えてくれないか?」
何が「考えてくれないか?」だ。力づくでも私から銀行口座の暗証番号を聞きだすつもりのクセに。
結局、私はそのヘロイン転売ビジネスの資本金を出す羽目になった。
それはつまり、この危険なビジネスの片棒を担ぐ一員に、ほぼ自然と、そして強制的に、なるということ。
優柔不断の澪ちゃんももはや自分の意思すら持たない壊れた人形になってしまったあずにゃんも、断れるわけがない。
こうして私たちは、ヘロインの買い手であるヤクザとの取引のため、住み慣れた故郷から都会へと向かう夜行バスに乗った。
最終更新:2010年02月08日 03:27