斎藤「お嬢様、空をご覧ください。星が綺麗ですよ」

紬「そうね」

琴吹の家名から解放されたからだろうか、
車から眺める星がやけに輝いて見える。
大人になったからといって変わらない、
昔見たのと同じ星空だ。

紬「はくちょう座…」

斎藤「紬お嬢様が最初に覚えた星座ですな。夏の大三角の一部です」

紬「車を止めて」


私達は車から降り、河原へと足を運ぶ。

偶然にも、ここは幼少の頃に、
よく斎藤に連れられて遊んだ河原である。

斎藤「昔を思い出しますな」

紬「あなたも覚えていたの?」

斎藤「娘と遊んだことを忘れる親などおりません」

紬「ふふ、そう」

紬「ね、またアレやって?」


幼少の私は少しでも星に近づきたくて、
毎日のように斎藤に肩車を頼んでいた。

幼女紬「さいとー」

斎藤「はい」

幼女紬「あれやって!あれ!」

斎藤「はい」

私は斎藤の肩に股がる。

幼少紬「おおお!」

幼少紬「ほしがちかくなったよ!」

斎藤「お嬢様、あれがはくちょう座でございます」

幼女紬「ふーん。よくわかんないや」

斎藤「これはこれは。帰ったらお勉強ですね」

幼女紬「えー。もうべんきょうやだー」

斎藤「ここで…でございますか」

紬「冗談よ。あなたの困った顔を見るのは何年ぶりかしら」

斎藤「一本取られました」

紬「ふふ」


紬「帰ろうっか」

斎藤「よろしいのですか?」

紬「ええ、もう満足だから」



屋敷に帰ると、当然ながら私達の失踪で大騒ぎになっていた。

このことは父の耳にもすでに入っていて、斎藤に対して激怒しているらしい。

紬「斎藤…」

斎藤「心配なさいますな。紬お嬢様は先に休んでいて下さい」

紬「でも…」

斎藤「子は親の言い付けを守るものです」

紬「わかったわ…何かあったら呼んで」

斎藤「はい」

今日は色々ありすぎて、少し疲れてしまった。
斎藤の言葉に甘え、ベッドに入った私はすぐに深い眠りについた。




次の日、いつも起こしに来るはずの斎藤がこない。

昨日のこともあったし、疲れて寝坊でもしたのだろうか。

私の予想は外れだった。

私の枕元には一枚の紙が置いてあった。

丁寧で武骨な字が書かれたその紙は、
斎藤が私に宛てて書いた別れの手紙である。




親愛なる紬お嬢様へ

まずは昨晩の蛮行をお許しください。
思い悩む紬お嬢様を見ると、胸が締め付けられる思いだったのです。

紬お嬢様がお休みになった後、御主人様と電話致しました。
御主人様は今回の件についてひどくご立腹でしたが、これからも職務を全うするならばお咎めなしとのことです。

我が御主人様ながら本当に心の広い方です。

御主人様のような父を持てたことを誇りに思って下さい。
今はわかり合えずとも、よくよくお話すればきっとお二人の絆深まることでしょう。

しかし、今回の私の行動は決して許されるものではありません。
御主人様の御厚意を無下にするのは心苦しかったのですが、私自らお暇を頂くことを決心いたしました。

この先、紬お嬢様の成長を見届けられないと思うと大変残念ですが、致し方ありません。

琴吹家の益々のご発展と、紬お嬢様が健やかに育つことを心から願っております。

さて、私には琴吹家執事、お嬢様の教育係としての最後の仕事が残っております。
明朝、御主人様とともに婚約者様とそのご家族に、今回の婚約断る意を伝えにまいります。
この行動がお嬢様のためになるからわかりませんが、育ての親の最後のわ




紬「バカ」

紬「バカバカバカ!」

手紙を読み終えた私は、パジャマのまま屋敷から飛び出した。

どこ?
どこに行けば斎藤に会える?
空港、それとも駅?


私はどこに行けばいいのかわからないまま、ただただ走り出していた。
靴を履いていないことに気付くのはもう少し後のことである。

唯「あっ、ムギちゃんおは」

紬「おはよ!」

唯「よー。って、行っちゃった…慌てて走ってるムギちゃんも珍しいなー。漏れそうなのかな」

唯「ふふ、可愛い」

途中、通学中の唯ちゃんに声を掛けられたが一言だけ挨拶し、
止まること走った。

後で美味しいお菓子で埋め合わせしよう。
優しい唯ちゃんならきっと許してくれるはずだ。

そんなことを考えて走っていると、
幼少の頃、そして昨晩斎藤と一緒に星を眺めた思い出の河原にたどり着いた。


斎藤「スーッ…ゴフッ」

斎藤「紬お嬢様がお生まれになった日にタバコを止めたから…16年ぶりか。さすがに体が受け付けないな」

斎藤「…」

斎藤「お嬢様、どうかお幸せに…」

紬「斎藤!」

斎藤「紬お嬢様!?」

紬「ここにいたの…やっと見付けた…」

斎藤「何故ここに…いやそれよりも足がボロボロですが」

紬「靴を履き忘れたのね。ううん、今はそんなことどうでもいいの」

斎藤「お嬢様、一体…」

紬「斎藤!琴吹紬が命じます!」



そして次の日の朝。

斎藤「御主人様、おはようございます。本日の車での送迎は如何なさいますか」

紬「今日は車で送って」

斎藤「はっ、失礼致しました。ではお気をつけて電車に…は?」

紬「あなたもまだまだ未熟ね。私が毎日電車で通学すると思ってたら大間違いなんだから」

斎藤「これはこれは…」

紬「執事業は流れ作業じゃないの。御主人様の言葉はちゃんと聞かなくちゃね」

斎藤「一本取られましたな。さすが御主人です」



さらに話は前日に戻る。

斎藤は琴吹家の執事を自ら辞めた。
その決意は堅い。
今更戻れと言っても、真面目で頑固な彼のことだ、
絶対に首を縦に振らないだろう。
ならば…

紬「今日から私が斎藤の御主人様です!」カーッ

顔が熱くなった。
何かとんでもなく恥ずかしいことを言っている気がする。

斎藤「は…?」

紬「あなたは今から琴吹家執事ではなく、琴吹紬の執事です!お給料も私が払います!」

私が就職するまでは斎藤のお給料はお父さんに立て替えてもらおう。
そうだ、長い休みにはアルバイトをして少しずつ返していこう。
どこでアルバイトしようかな。

斎藤「それは屁理屈というものです」

紬「わ、私の命令は絶対なのー!」

斎藤は笑いたい時には笑い、泣きたい時には泣いていいと言った。
ならばわがままを言いたい時にはわがままを言っていいはずだ。

斎藤「しかし…」

紬「私が御主人様…命令なの…」ポロポロ

斎藤「…ふっ」

斎藤「アッハッハ、そうですね。執事として御主人様の命令は聞かねばなりますまい」

紬「斎藤…」

斎藤「これからよろしくお願い致します、御主人様」


その後、私は斎藤と父と一緒に先方に頭を下げに行った。

先方も私がまだ学生ということでひどく追求してくることはなかったが、
当の父は政界進出のチャンスを失って非常に残念がっていた。

泣きっ面に蜂、そういうことは他力本願ではなく、自分の力で掴むものだと斎藤から説教を食らっていた。

ちょっぴりいい気味だと思ったのは内緒だ。


今日からまたいつもの毎日が始まる。

斎藤が私専属の執事になったと言っても、何かが変わるわけではない。

親子の距離はこれから徐々に縮めていけばよい。

今回のことで、私の中で斎藤がいかに大きな存在か気付かされた。
斎藤には斎藤が死ぬまで、あるいは私が死ぬまで執事を続けてもらうつもりだ。

斎藤、これからもよろしくね。



そして待ちに待った温泉旅行。
澪ちゃんとりっちゃんは相変わらずケンカ中だ。

唯「りっちゃんと澪ちゃんは幼馴染みだから、何も言わなくても澪ちゃんなら理解してくれると思ったんじゃないの~?」

紬「そうかもね。それだけ長く一緒にいたら何も言わなくてもお互い理解できたりするもの。私も…」

斎藤が何を考えているかわかるし、
斎藤も私が考えていることがわかるだろう。
私達の間に言葉などいらない。

澪「え?なに?」

紬「ううん、なんでもない」

唯「私も和ちゃんが何を考えているかわかる時あるよ~!」

梓「幼馴染み、親友ってそういうものですよね」

紬「澪ちゃんは今りっちゃんが何を考えているかわかる?」

澪「それは…」

唯「ちゃんと話し合って、仲直りしないと部屋に入れてあげないからね」プンプン

温泉から上がり食事を済ませた後、
宿内をブラブラしていたら、玄関の方から唯ちゃんの声が聞こえた。
なんだか怒っているみたいだ。

どうやら、澪ちゃんとりっちゃんを仲直りさせるために、外に閉め出したらしい。
なんという荒治療。
でもあの二人ならきっと大丈夫だろう。

唯「それじゃあ私達は部屋に戻ってトランプでもしよっか!」

紬「そうね♪」



次の日、玄関前で凍死寸前の澪ちゃんとりっちゃんを発見したのは新聞配達員だった。







最終更新:2010年02月09日 00:36