律「え~っと、どっかで休むか? どこかにベンチは……」

紬「ううん、大丈夫だから。それより、次はあれに乗りましょう」

 そう言いながら夕陽に映える観覧車を指差した。

律「そうだな、観覧車なら休めるし。乗ろう乗ろう」

 揺れるゴンドラの中で向かい合わせに座る。遮られることのない夕陽の光が私達をオレンジ
 に染め上げる。

紬「りっちゃん、今日はありがとう」

律「な~に言ってんだよ。困ったときに助け合うのが友達だろ」

紬「……うん、そうよね。それが友達、よね」

 胸がちくりと痛んだ。それをおくびにも出さずに感謝の言葉を述べる。

紬「今日は本当に楽しかった。まるで本当の恋人みたいに過ごせて。こんな私でも普通の女の
  子みたいに、恋する女の子みたいに胸をどきどきさせて……楽しかった、本当に……」 

律「なんだよ、普通の女の子みたいにって。普通の女の子だろー、ムギは。それもとびきり可
  愛い女の子! 全く世の男共はなにをやってんのかねぇ。こんな可愛い子をほったらかし
  にー……しなかったからこんな騒ぎになったんだっけか」


日は沈み、パレードのイルミネーションが夜の闇を払う。パレードに見入る人の波を掻き分 屈託無く笑うりっちゃんの笑みに、諦念にも似た笑みで応える。
 普通の女の子。そうだったらどんなに良かっただろう。
 別に今の暮らしに不満があるわけではない。それどころかこんなに恵まれた環境に文句など
 言いようものなら、罰が当たるだろう。
 だけどその代償として私は女の子としての自由を差し出さなければならなかった。
 誰かに恋すること。そんな当たり前のことが私には許されていなかった。
 いずれ私は琴吹家次期当主として、どこかの企業の御曹司と結婚することになるだろう。
 父は何も言わなかったが、歴史ある家の子として今まで育てられてきたのだ。それぐらいの
 自覚はある。だけど───

律「ムギー、どうした? やっぱり具合悪いのか?」

 黙りこくってしまった私を心配して、りっちゃんが熱を測ろうと額に手を乗せた。掌から伝
 わる温もりが今は切ない。

紬「大丈夫よ。それよりももう終点だわ。降りましょう」

律「ん」

 けて、私達は出口へと向かっていた。
 出口へとたどり着いてしまえば、この恋人ごっこも終わってしまう。結果がどうであれ、そ
 ういう約束だったからだ。
 まるで魔法が解けるのを恐れるシンデレラの心境。鐘の音はもうすぐ鳴ろうとしていた。

 魔法が解ける。ささやかな夢が終わる。ならせめて───


紬「律人くん」

律「ん、なんだ、ムギ?」

 噴水の辺で二人、向き合う。

紬「キス、しようか」

律「キ……え、ぅえぇ!?」


紬「振りよ、振り。これだけ駄目押しをすればストーカーの方も何かしらアクションを起こす
  んじゃないかしら」

 せめて、小さな思い出が欲しかった。別に本当にするわけではない。後になってあんなこと
 もあったなと笑い合えるような、そんな思い出が欲しかったのだ。

律「あー、なるほど。そうだな、やれることはやっておくか」

 そう言ってりっちゃんが私の肩に手を掛ける。
 周りの人達はパレードに夢中で私達には目もくれない。

律「……なあ、こういう時って、目を瞑るもんじゃない?」

紬「目を瞑ってしまったら、急にストーカーさんに襲われた時に対処出来ないでしょ」

律「そ、そうか」

 互いに見つめあったまま、顔を、唇を近づける。

 あと5cm、3cm、1cm……。

 すぐ横の噴水のイルミネーションが一際強い光を放つ。周囲の人ごみがそれに群がるように
 流れを変える。

 「んぅっ!?」

 人ごみに背中を押されたりっちゃんの唇が私の唇を塞いだ。

 世界が停まる。唇に感じる感触以外の感覚が時を止め、今や唇越しに感じるりっちゃんの体
 温だけが世界の全てだった。

 「んむ……ぅ、っちゅ……」

 思考は凍りつき、身体が引き離せない。なのにも係わらず唇だけはりっちゃんを求めるよう
 に動いていた。電流が這うように背筋に甘い快感が奔る。

 「……ん、ぷはっ…っはぁ」

 人ごみが緩み、ようやく身体の自由が戻った。身体を離すと同時に、飛びかけていた理性が
 復活する。

紬「………………」

 今更ながら事の大きさに気付き、唇を手で押さえた。

紬(キ、キス、しちゃった……りっちゃんと……私の、ファーストキス……)

律「あ、え、えと、その」

 混乱しているのはりっちゃんも同じなのだろう。だけど今の私にはそこまで気遣う余裕が無
 かった。

紬「う……」

 涙が一筋、頬を伝う。なんで涙が流れたのか、自分でも分からなかった。だけどそれをりっ
 ちゃんに見られたくなくて、気付いたらその場から逃げ去るように走り出していた。

律「ムギ!」

 差し伸べられたりっちゃんの手を振り切って、私は夜の闇へと身を投じた。






澪「………………!」

 見た。見て、しまった。

 律とムギがキスしているのを。

 イルミネーションでライトアップされた噴水をバックに唇を重ねる二人はまるでドラマの主
 人公みたいだった。 

 私はいったい何をしているのだろう。
 ストーカーを誘き出すために律とムギのデートを出歯亀のように付け回し。
 人ごみではぐれ、ようやく探し当てたと思ったら、二人はキスをしていて。

澪(……なに、この気持ち……)

 胸の中で昏い感情がむくむくと湧き上がる。
 親友に対して決して抱いてはいけない感情。

澪(……やだ……)

 抱くはずのない感情。

澪(……やだよ、律……!)


唯「みおちゃーん、二人、見つかったぁ~?」

 園内を走り回って探していたのだろう。気付けば息を切らした唯がすぐ傍にいた。
 律達の方に視線を戻す。一瞬だけ目を離した隙にムギはどこかへ去っていた。

澪「……いや、見つからなかったよ。これだけやってもストーカーは出てこなかったんだ。も
  う大丈夫だろうし、帰ろうか」

唯「えぇ? でも勝手に帰って大丈夫かなぁ」

澪「あの二人には先に帰るってメールしておくよ。さ、梓と合流して帰ろう」

唯「うん……」

 急かすように唯の背中を押し、律に気付かれぬよう、その場を去る。今は誰にもこの顔を見
 られたくなかった。

 きっと醜く歪んでいるだろうから。


……

紬「恋とはどんなものかしら、か……」

 見慣れた自分の部屋の天井を見上げながら独り言ちる。まるで恋する乙女みたいに。
 唇にそっと指を添える。キスの感触がまだ生々しく残っていた。

紬「りっちゃん……」

 友達の名前を呼ぶ。ただそれだけで胸の奥に小さな火が灯る。

紬「りっちゃん……」

 友達の名前を呼ぶ。ただそれだけで心が甘い想いで満たされる。


紬(やっぱり……)

紬「この気持ちは、気のせいなんかじゃ、ない……」

 改めて口にしたことで自分の気持ちの輪郭が鮮明に浮かび上がった気がした。そのことに戸
 惑いを覚える。
 溜め息を吐いて、目を瞑る。瞼の裏に浮かぶのは近付いてくるりっちゃんの顔。

紬「Voi che sapete Che cosa e amor, Donne, vedete S'io l'ho nel cor.
 (恋とはどんなものか 知っておられるあなた様方 
  ぼくが胸に恋を抱いているかどうか 見てください)」

 恋に恋焦がれる青年の詩。まるで今の私のようだ。

紬「Quello ch'io provo Vi ridiro, E per me nuovo Capir nol so.
 (ぼくが感じていることを あなたがたに申しましょう 
  こんなことはぼくには初めてで よく理解することができないのです)」

 誰かに話すことが出来たらどんなに楽だろうか。そんなことすら今の私には叶わない。

紬「Ricerco un bene Fuori di me, Non so chi'l tiene, Non so cos'e.
 (ぼくは何か幸せがどこかにあるのではないかと 捜し求めていますが 
  誰がそれを持っているのか それがなんなのかわかりません)」

 始めは友達だった。偶然の出会いから思い出を積み重ね、いつしか私達、軽音部のみんなは
 親友となった。

 幸せだった。素敵な仲間の一人になれた気がして。

紬「私は見ているだけで充分……」

 りっちゃんや澪ちゃん達が仲睦まじくしている光景を、どこか一歩退いたところから見てい
 た。

紬「見ているだけで……」

 普通の恋が叶わない私にとって性別など些細なことに思えた。本人達の気持ちさえ通じ合っ
 ていればそれでいいと。

紬「充分だったのに……」

 だけど私にはそれすらも許されない。琴吹家を背負って立つ人間として、そんなことすっか
 り受け入れていたはずなのに。

 今はただ、彼女が恋しい。


……

澪「律、またドラム、走ってるぞ」 

律「ん、あぁ、ごめんごめん」

 弱々しい笑みを浮かべて謝る律。
 ちらりとムギの方を横目で窺う。こちらも心ここに在らずといったかんじだ。

澪「ふぅ……今日はこれでおしまいにするか。どうも上の空な奴がいるみたいだし」

律「あはは、わりぃ」

 律が片手で謝罪の意を示す。いつもならもう少し突っ掛かってきそうなものなのに。
 棘のある言葉を吐いた自分に嫌気が差す。

紬「あ、じゃあ私、この後、用事があるから先に帰るわね」

唯「うん、ばいばいムギちゃん」

 軽く手を振り、そそくさと部室を後にするムギ。

梓「ムギ先輩、ここのところ、帰るのが早いですよね」

唯「やっぱりストーカーさんのことでいろいろ悩んでるのかなぁ」

澪「それはないんじゃないか。この前の遊園地の時、散々中てつけたにも係わらず、結局現れ
  なかったしな」

 渦巻く負の感情を言葉に込めて律を見る。
 あの時のことを思い出したのか、律は顔を真っ赤にしながら頭を抱えていた。
 心がざわりと波打つ。

澪「律、やっぱりもう少し練習していこう。ここ何日か、あまり練習に身が入ってないようだ
  からな」

唯「あ、じゃあわたし達も残ってやってくよ」

澪「いや、唯達は帰っていいよ。ちょっとリズム隊だけで練習がしたいんだ」

唯「ん~、分かった。じゃあばいばい、みおちゃん、りっちゃん」

梓「お先に失礼します」


 唯と梓が去った音楽室に私と律だけが取り残される。

律「で、何から練習する、澪?」

澪「……練習はしない。律に残ってもらったのは訊きたいことがあったからなんだ」

律「え、なんだよ、訊きたいことって。そんな改まっちゃって、なんかこえーなぁ」

 いつもの調子を装う律。だが次の言葉を聞けば、平静ではいられないだろう。

澪「ムギのこと、好きなのか?」

律「はあぁ!? ……あ痛ッ!」

 私からの唐突な質問に、律が素っ頓狂な声を上げながらドラム椅子からすっ転んだ。
 身体を起こし、打ち付けた腰を擦りながらこちらにやってくる。

律「なんだよ、それ? なんで私がムギを好きって話になるんだよ。
  そりゃ、ここ数日、恋人の真似事とかしてたけど、あれはあくまでも演技だろ?」

澪「キスしたのも演技だっていうのか?」

律「ッ!? な、んで、それを……」

 頬を赤く染めながら、目を見開く律。正直、律のこんな反応を見るのは辛かった。

澪「あれ以来、律もムギもどことなくぎこちないじゃないか。お互いに意識しているようにし
  か見えないんだけど」

律「そ、そんなわけねーだろ。ムギは親友なんだし、そんな対象としてなんて見れないよ。
  確かに今は気まずいけど、少し時間が経てばまた元通りだ。第一、女同士だろ、ムギと私
  は」

澪「性別なんか関係ないだろ……。じゃあ律、本当に今は好きな奴とかいないんだな?」

律「いないいない。女子高に通ってて、早々そんな出会いなんてあるかよ。
  つーかそういう澪ちゅわんはどうなのよー。いないの、好きな人とか?」

 反撃の糸口を見つけたと言わんばかりに悪戯っぽい笑みを浮かべ、からかうようにこちらに
 詰め寄る。

澪「……いるよ」

律「えぇ! マジで!?」

 見事なカウンターをくらった律は、私に詰め寄った体勢のまま、驚きの表情を顔いっぱいに
 浮かべる。

律「え、誰!? 私の知ってる奴!?」

澪「あぁ、律もよく知ってる奴だよ」

律「ん~、私も知ってる奴……?」

澪「私も最近、ようやく気付いたんだ。 今までずっと近くにいたから、自分がそいつにそん
  な感情を抱いてたなんて、気付けなかったけど」

 今ならはっきり分かる。この気持ちは、気のせいなんかじゃ、ない。

律「ずっと近くにいたってことは幼馴染か……。 もしかして、聡か? いや、親友として応
  援してやりたいのは山々だが、小学生が相手っつーのは、ちょっと……いやしかし
  むぅ……」

 ここまで言っているのに気付かないなんて、とぼけているのだろうか。
 いや、恐らく素なのだろう。律がこういう奴だってことは、私が一番よく知っている。

澪「律は、応援してくれるか? 私の、恋を」

律「おう、あったりまえだろー! 親友じゃないか、私達」

 切なさと罪悪感で胸がちくりと痛んだ。

澪「じゃあ教えてあげる。私が好きなのは……」

律「……っ!?」

 律の腕を掴んで一気に引き寄せ、唇を奪う。
 律が呆然としているうちに、逃さないように両腕で彼女を抱きすくめる。

 「んん、ぅ~……! っぷはぁ、ちょ、み、おぉ……ん……!」

 我に返った律が頭を退いて逃げるが、追い縋り、再度唇を塞ぐ。

 「んむうぅ……ん、はぁ、澪、や、はぁあ……!」

 猫のような律の上唇を優しく愛撫するようについばむ。

 「ん、ちゅ……ぅん!? んぅう~……!」

 唇を押し開き、律を味わうように舌を滑り込ませ、律のそれと絡ませる。
 始めは抵抗していたが、抗し難い快楽の波に呑まれてしまったのか、くったりと身体を脱力
 させ、されるがままだ。

 長い長いキスだった。
 子供が戯れに唇を触れされるようなものじゃなくて。
 恋人同士が互いの心に触れ合うためのキス。

律「はぁ……はぁ……ん、や、あぁ……み、お……?」

 律の唇を奪った。その心までも奪うように、ただただ一方的に。

 涙を滲ませる律の顔が目と鼻の先にあった。
 それが愛しくて。
 律を泣かせてしまったという事実に心が痛くて。
 深く彼女の身体を掻き抱いた。

律「澪……?」

 抱きすくめられたまま、数分が経過していた。
 身体の中には炎のように激しい熱がまだ渦巻いている。

律「いったい、どうしたんだよ……。なんで、急に、こんな……」

 身体に力が入らないため、振りほどくことが出来ない。
 もし力が戻っていたとしても振りほどくことは出来そうになかったが。

澪「……い、で……」

 今、振りほどいてしまったら、何かが壊れてしまう。
 そんな予感をさせるほど、今の澪の様子はおかしかった。

澪「どこにも、いかないで……!」

律「澪……おまえ……」


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最終更新:2010年05月02日 17:56