奴らがこちらに気付くよりも早くここから抜け出そうと裏口までの道のりを駆け抜ける。
 だが時既に遅く、黒服を着た手下のような男達に回りこまれてしまった。

手下A「お前……!? 琴吹紬の男じゃねえか!」

坊「なに……?」

 どうやらこいつら、私が女だと気付いてないようだ。

律「くそ……!」

 どこかに抜け道はないかと辺りを見回すが、周りは四人の黒服に囲まれていた。


坊「おい、お前。これはどういうことだ?」

手下A「申し訳ありません、坊ちゃん! どうやら後を尾けられていたようで……」

坊「そんなことは分かっている。 僕が言っているのはどうして尾けられるような失態を犯し
  たんだと言ってるんだよ、この間抜け」

 そう言いながら男は手下の顔を蠅でも追い払うように叩いた。

坊「さて、君は琴吹紬さんの彼氏だよね? 君が今ここにいるってことは、そこにいる間抜け
  が随分前から紬さんを尾けていたことに気付いてたってことだけど……」

 後ろに黒服の一人を従えながら、包囲の中へと歩み寄ってくる男。

 だが今の私には目の前のぼんぼんなんかよりも、その後ろに立っている男の方に注意が注が
 れていた。 明らかに他の四人の黒服とは空気の違う幹部風の男。腰には白鞘の日本刀なん
 ぞをぶら下げている。 取り立てて特徴のない顔立ちなのにも係わらず、その細い目の奥か
 らは無機質な光が放たれ、不気味な雰囲気を醸しだしていた。

坊「参ったねぇ。せっかくここまで順調に事が進んでいたのに。
  さっきの会話は聞いていたんだろう?
  出来れば穏便に事を済ませたかったけど……」

 男は嘆息しながら気だるげ右手を振り上げる。

坊「そうもいかなくなったようだ。……やれ」

 手を振り下ろす。
 それが合図だったのか、周りを囲んでいた黒服達がじりじりと包囲を狭めてきた。

律(不味い。不味い。不味い……!)

 四対一。しかも男と女。どうあっても勝てる状況じゃない。
 まともに戦ったらものの数秒でやられてしまうだろう。然るところこれは───

律(どうやってここから逃げ出すか)

 この窮地を脱し、ムギに真実を告げれば私の勝ち。
 ムギを守るとか言っておきながら、出来ることが逃げることだけというのは歯痒いことこの
 上ないが、今はそんなことに構っている場合ではない。

手下A「おらぁっ!」

 手下Aがこちらに詰め寄る。
 汚名返上とばかりに先走り、大振りなテレフォンパンチを繰り出してきた。

 向かってくる敵の全身を見るとはなしに見る。
 視界は広く、視点を一極だけに集中させずに全体の流れを読むように見る。

 耳は相手の呼吸、足運びの音、果ては心音さえも聴き取れるのではと思えるほどに研ぎ澄ま
 されている。

律(1&……)

 迎え撃つように右足を踏み出す。

律(2&……)

 放たれた右拳がこちらの右頬を掠めた。だがそんなもの気にしない。

律(3&……)

 手は握り込まず、虎爪の形で相手の顎を───

律(4!)

 打ち抜く!

手下A「ぐえぁっ!?」

 相手の呼吸(リズム)を読み取り、放たれたカウンターは見事に顎を打ち抜き、脳を揺さ
 振って昏倒させるに至る。顎を打ち抜かれた男は膝から崩れ落ちた。 

手下B「てめぇ!」

律「ぐぅ!?」

 仲間が倒れたのにも怯まず、黒服の一人が横合いからこちらのボディを射貫いた。

律「~~~っ!」

 追撃を警戒するがこちらが一人と侮っているらしく、
 黒服共はにやにやと嗜虐の笑みを浮かべるだけだった。

手下B「ったく、なにこんななよっちい野郎にやられて……ぐあっ!?」

 油断していたところに、思いっきり脛を蹴ってやった。

律「へっ、ドラマーの腹筋をなめんなよ……!」

律(いける!)

律「はっ! どうしたどうした、おっさん共! 
  こんなガキ相手に、何いいようにやられてんだぁ!?」

手下C「上等だ、くそガキがぁ!!」

 一瞬のうちに仲間を一人やられた彼らは、こちらの安い挑発にのって、連携もくそもないま
 ま、襲い掛かってくる。
 こうなれば組みし易い。後は逃げ回って自滅を誘うだけだ。
 背後を取られないように注意して、敵と敵の対角線上へと重なるように逃げていく。
 怒りで相手が見えていない彼らは、猪のように突進し、互いにぶつかり、自滅を始めた。

律(あとは隙を衝いて逃げ出すだけ……!)

坊「……ちっ、馬鹿共が。おい」

幹部「……は、畏まりました。お前ら、下がっていろ」

 幹部風な男の一言で黒服共が下がっていく。これは逃げ出すチャンスだ。
 だというのに私の目は目の前の男に釘付けで、足は一向に動いてくれない。

律「う……」

 思わず呻き声が漏れる。目の前の男の迫力に圧倒されて。

幹部「ったく情けねぇ。女にいいようにしてやられるなんてよ」

律「え……?」

 男はそう言うと腰の刀に右手を掛け───

律「……ッ!?」

 次の瞬間には刀を振り上げ終わっていた。
 はらりと服の前面が綺麗に切り裂かれ、解けたさらしと共に落ちる。

律「きゃああぁあっ!?」

 晒された胸を両腕で掻き抱いて隠し、へたりとうずくまる。

手下B「お、女!?」

手下C「マジかよ」

手下D「うっひょ~」

坊「は、あは、はははははははっ! まさか女だったとはなぁ。
  琴吹のお嬢様もいい趣味をしていらっしゃる」

 複数の男達の好奇の視線に曝され、今更ながらに恐怖を覚える。
 裸を暴かれただけでこうも無力になってしまうなんて。
 今ほど自分が女であることを呪ったことはない。

坊「気が変わった。どうせこのままだと琴吹のお嬢様に知られるのは時間の問題だ。
  だったらこいつの裸をカメラに収めてそれを脅迫材料にすればいい」

 くつくつと笑いながら、ぐつぐつと煮え立つ凶暴性を露にする男達。
 かたかたと身体が震える。
 立って逃げなきゃいけないのに、足が全然言うことを聞いてくれない。

坊「好きにしていいぞ、お前達」

幹部「坊ちゃん……」

坊「なんか文句あるのか? お前は黙って、僕の言うことを聞いてりゃいいんだよ」

幹部「………………」

手下B「ふひひ、じゃあまずは俺から……ぐへぇ!?」

 ベルトを外し、ズボンを下げようとしていた男の脇腹に蹴りが突き刺さる。

幹部「何を勘違いしてるんだ? 坊ちゃんは裸をカメラに収めろと言ったんだ。
   それ以外の真似をしてみろ。てめえの首、叩き落すぞ」

手下B「す、すいませ……!」

坊「……まあいいだろう」

幹部「……こんなことを言えた義理じゃねえが……すまない」

 そう呟いて、男は視線を外しながら後ろへ下がった。

手下C「へへへ、まあそういうわけだから観念しろよ?」

律「……っ!!」

 強張る身体に活を入れ逃げようとするが、すぐに回り込まれてしまう。
 愉悦に顔を歪ませた男達を前に、心が絶望に侵されていく。

 こんなところで終わるのか、私は。
 自分の身一つ守れないどころか、ムギの足を引っ張る羽目にまでなって。
 悔しさと恐怖の入り混じった涙で視界が滲む。

律(神様……助けて……!)

 目を固く瞑り、都合のいい神頼みで現実逃避を試みようとしたその時───

?『……ぁぁぁあああああっ!!』

手下B「ぅぐあっ!?」

手下C「ぐふぅ……!?」

 怒涛の如き二つの雄叫びがこちらへと押し寄せた。
 何事かとそっと瞼を開く。そこには見慣れた二つの背中があった。

澪「大丈夫か、律!?」

紬「大丈夫、りっちゃん!?」

 鉄パイプを構えた澪と、無手のまま佇むムギがいた。

律「お前ら、なんで、ここに……?」

唯「りっちゃんがいつまで経っても帰ってこないから、心配になってみんなに電話したんだ」

梓「律先輩の携帯をGPS検索してみたら、妙な場所にいるから、
  これはおかしいってことになって慌てて駆けつけたんですよ」

 いつの間に近付いていたのか、後ろから唯と梓が現れ、私を守るように抱きしめてくれた。

唯「遅くなって、ごめん、りっちゃん……」

梓「………………」

 悲痛に顔を曇らせる二人。
 どうやら私のあられもない格好を見て、何か勘違いしているらしい。

律「あっはは、いや~、ぎりぎりセーフ。なんとか抵抗してたんだけどなー、
  もう少しでやばいことになるところだったぜ。ほんと助かった。だから大丈夫だぜ?」

澪「……それでも律が怖い思いをしたということには変わらないだろう」

紬「りっちゃん、これを……」

 努めて明るく振舞う私の心を見透かしたかのように、気遣わしげな視線を送る二人。
 ムギは羽織っていた上着を投げ寄越し、二人は目の前の暴漢共と対峙する。

澪「お前ら、よくも……!」

紬「許しません……」

澪「律は、私が守る!」

紬「私の親友を……大切な人を傷付けた報い、受けてもらいます」

手下B「てめえぇ~~……やりゃあがったなぁ!」

手下C「どいつもこいつもひん剥いてやらぁ!」

 女の子にいいようにしてやられたのが、相当頭にきたのだろう。
 冷静さを欠いた彼らは考えなしにこちらに襲い掛かる。

澪「わあああぁぁぁあぁッ!」

 澪ちゃんが手にした鉄パイプを滅茶苦茶に振り回す。
 中ることはないが、敵を分散させるのには充分だった。

手下D「うおおぉっ!」

 鉄パイプの乱打を潜り抜けた一人がこちらを捕らえようと手を伸ばす。掴んでくれといわん
 ばかりに。 ならばと要望に応えるように相手の右手───親指を掴み、外側へと捻る。

手下D「いぎゃあぁぁぁ!?」  

 絶叫する男は指が折れないようにと身体を同じ方向に捻る。
 その虚を衝いて、懐へと潜り込み、足を掛け、地面へと叩き伏せる。
 その上に倒れ込むように圧し掛かり、右肘を水月へと入れた。

手下D「げぅっ!?」

 男は短い呻き声を漏らし、戦闘不能へと陥った。

 まずは一人。

 大回りに澪ちゃんの背後へ近付こうとしていた男へと間合いを詰め、
 咽喉仏へ容赦のない拳打を叩き込む。

手下C「……っ!? ぁっ!」

紬「跪きなさい」

 喘ぐ男の頭をがっちりと両腕で固定し、躊躇することなく膝蹴りをボディへと何度も何度も
 浴びせる。

手下C「っ、あ、ぁ、ぅ、っ、っ……!」

 膝蹴りを一発、水月へと入れられる度に、肺から酸素が搾り出されているのだろう。
 男は喘ぐことも出来ず、顔色を真っ青に変えていく。
 鼻っ柱に強烈な一撃をお見舞いし、とどめとする。

 次いで二人。

手下B「ひ、ひいぃ……!」

 立て続けに仲間が二人もやられたため、残りの一人は戦意を喪失しているようだった。

澪「大体打ち合わせ通りだな……!」

紬「えぇ」

 事前の打ち合わせで澪ちゃんが敵を散らし、私が撃破すると決めておいたのだ。
 何も無策のまま、ここに飛び込んだわけじゃない。

坊「やあ、紬さん。妙なところでお会いしましたね」

紬「……これはいったいどういうことですか?」

坊「どういうことも何も、ねぇ……?」

 にやにやと癇に障る笑いを顔に貼り付けながら、こちらを値踏みするような目で観察してい
 る。

紬「……これ以上、問い質しても無駄なようですね。いいでしょう。今回のお見合いの件は破
  談ということで。まあもともと断るつもりでしたけど。好みのタイプではありませんでし
  たし」

澪(ムギ……怒ってる?)

坊「はぁ……やはりすんなりと上手く事が運ぶほど甘くはないか。……おい、多少手荒くなっ
  ても構わん。やれ」

幹部「……はっ」

 相手も腹を括ったのだろう。最早相手が私であっても躊躇うことはないようだ。
 異様な空気を纏った男が立ち塞がる。相当の手練れだ。私では敵わないだろう。

紬「澪ちゃん、私があいつを引き付けるから、その間にみんなでここから逃げて」

澪「なに言ってるんだ、ムギ!? そんなこと出来るわけないだろう!」

紬「あいつらの狙いは私よ。これ以上、みんなを巻き込むわけにはいかない。
  それに私一人だったらどうにか逃げ出すことも出来るし」  

澪「だけどムギ……!」

紬「みんなを、りっちゃんをお願いね、澪ちゃん」

澪「……分かった」

幹部「相談は済んだかい? ならさっさと終わらせちまおうぜ」

紬「えぇ、そうですね。貴方達と同じ空気を吸うのもそろそろ我慢の限界ですし」

 澪ちゃんの手から鉄パイプを受け取り、正眼の構えをとる。
 澪ちゃんに心配させまいと、ああは言ったが、隙を衝いて逃げ出すのは難しいだろう。
 だがそれでも時間稼ぎさえ出来ればこちらに勝機はある。

紬「……構えないんですか?」

幹部「基本的に女子供に向ける剣は持ち合わせていないものでね。俺は素手でいかせてもらう
   ぜ」

 侮っているわけではないのだろう。両者の実力の差を考えれば、これぐらいのハンデは当た
 り前だ。じりじりとすり足で間合いを慎重に詰める。こちらの攻撃が届き、且つ相手が手出
 し出来ない必殺の間合いを探る。

紬「ぃやぁっ!」

 気合の叫びとともに死線へと一歩、踏み出す。

 狙うは咽喉元。一撃で決める!

幹部「……ふぅ」

 男は気だるげな溜め息を吐くと両手を振りかぶり───

紬「あっ!?」

 こちらの得物を造作もなく奪い取った。

紬「無刀取り……!? そんな……」

幹部「体格や力の差を埋めるための急所狙いなんだろうが、二回も見りゃ、目が慣れる」


 簡単に言ってくれるが、今のは斉藤直伝の突きだ。 手傷を負わせるとまではいかなくと
 も、相手に警戒心を抱かせるには充分なもののはずだった。それをこうも簡単に手玉に取ら
 れるとは。

澪「ムギ……!」

唯「もう、だめぇ……!」

幹部「観念するんだな。あんたさえ大人しくしててくれれば、他の奴らには危害は加えねえか
   らよ」

紬「………………」

 構えを解いて顔を伏せる。
 倒れていた黒服達が起き上がり、激しい憎悪を湛えた眼でこちらを睨む。

律「ムギぃ!」

幹部「ようやく負けを認めたか」

紬「負け? いいえ違うわ」

 どこかからバスドラムを打ち鳴らすような重低音が聞こえてきた。

紬「私の勝ちよ」

 少女が伏せていた顔を上げる。その瞳に映るのは勝利への確信。
 甲高い音とともに窓ガラスが砕け、何かが飛び込んできた。
 薄闇を切り裂くような蒼く輝く鋼の巨体。
 総重量300kg超のアメリカンバイクが地面を穿つように着地し、スキール音とともに白煙を
 上げながら横付けに停まった。

紬「遅いわよ、斎藤」

斎藤「申し訳ございません、紬お嬢様」

 斎藤と呼ばれた老紳士は跨っていたバイクから降り立ち、己が主の背後に傅く。
 これこそが少女の切り札。事態が只ならぬ方向へと進んでいることを感じ取っていた紬は、
 事前にこの頼りになる従者を呼び寄せていたのだ。

斎藤「ふむ。緊急事態のようですので、詳しい事情は後程、お訊きするとして……。
   私めの役割は目の前の不逞な輩共を排除すればよろしいので?」

紬「えぇ、彼らは私の大切なものを傷付けた……。
  遠慮はいらないわ。思いっきりやっちゃってちょうだい」

斉藤「御意」


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最終更新:2010年05月02日 18:13