幸・参


「おぉーい梓~。後輩の子がきてるよ~」

教室の数人が一瞥をやる。……うぅ、恥ずかしいなぁ。

梓「んー?
あ、横ちゃんじゃん」

私の姿を認めて、梓先輩がとことこ駆けてきた。

梓「なになに?どうしたの横ちゃん?
上級生の階に来るなんてめずらしいね」

幸「あ、はい、さわ子先生から、みんなに渡しといてってプリントもらったから……」

そう言って、私はプリントを取り出した。

梓「さわ子先生自分で配ればいいのにね?横ちゃんにまかせっきりじゃん。
とにかくありがと!
……へぇ、夏休みの音楽室使用日程かぁ。もう夏なんだねー」

先輩は、廊下に入ってくる日射しを眩しそうに見上げた。


もう夏である。
白い校舎は夏の日射しを照り返し、桜高の気温は日に日に上昇中だ。
外ではセミがやかましく鳴きわめき、体育のソフトボールの掛け声が、灼熱の鉄板と化したグランドから響いてくる。


梓「これから三年の教室にも行くんでしょ?
私も先輩に渡すものがあるから、一緒に行くよ」

そう言ったときに、女の子が一人こちらに近づいてきた。


「梓ちゃん、今日日直だって!」

髪を後ろで束ねた、整った顔立ちをした先輩が梓先輩に声をかけた。

梓「えっ、そうなの?
参ったなぁ……。今渡しに行きたいのに……」

「あ、梓ちゃん。もしかしてこの子が新入部員の……?」


梓「うん、そうだよ。一年生の横山 幸」

紹介され、私はペコリと頭をさげる。

「初めてまして。平沢 憂です!
梓ちゃんとは二年間クラス一緒で友達なの。
横山さんのことは、梓ちゃんからよく聞いてるよ!
しっかりしてて、可愛げがあるいい後輩だって」

梓先輩が居心地悪そうに咳払いする。


幸「いえそんな、しっかりだなんて……。
梓先輩も練習熱心で頼れる、いい先輩です!!」

誉め言葉の応酬。でも私はほんとにそう思ってる。

梓「ごほん、まぁでも、しっかりさにかけて憂の右に出るものはいないんだよ?
ほんとにできた妹なんだから!」

憂先輩には姉がいるらしい。


憂「そんなこと全然ないよぉ。
それよりもし良かったら、梓ちゃんの渡したいもの、三年生の教室に届けにいくよ?
私も用事があるんだ……」

そう言って憂先輩は目を伏せた。
梓先輩が何かを気遣ってか、声をかける。

梓「……律先輩のとこだね……」

梓「……うん、分かった。お願いするね!
横ちゃんのことも頼んだよ」

幸「すみません、お世話になります」

憂「いいよ、気にしないでー」

憂先輩が優しく声をかけてくれた。
声の調子がとても柔らかくて、聞いていてこちらも穏やかになれる、いい声。

憂「じゃ、いこっか?」

梓「あっ憂!」

憂「ん?どうしたの、梓ちゃん?」

梓「その……落ちこまないで……?
あと、気をつけてね?」


またひとつ、腑に落ちないことが増えた。

―――
―――――
―――――――

憂「横山さん、軽音部はどんな感じ?」

幸「あ、あの呼び捨てでいいですよ?
軽音部ですか? はいっ、とってもいい部だと思います!!
先輩方はみんな優しくしてくれるし、のんびりした雰囲気も私大好きなんで!」

憂「そうなんだ、良かったね!
じゃ、梓ちゃんにならって、横ちゃんって呼ぶね♪」

幸「楽器もみんなとっても上手で……私のドラムなんて、とても聞けたもんじゃないです」

憂「大丈夫、横ちゃんはまだ一年生だもん。
これからいくらでも練習できるよ。
…………ドラムかぁ」

さっきと同じく、意味深に呟く憂先輩。

……聞いてみようか?軽音部のこと……

幸「あの、憂せんぱ

「幸ちゃん、憂ちゃん?どうしたの、こんなところで?」


振り返るとムギ先輩がバケツ片手に立っていた。

幸「あ、ちょうどムギ先輩達の教室に行こうと思ってたんです」

そう言ってプリントを取り出した。

紬「ごめんなさい、幸ちゃん。今日私日直で、今手がはなせないの。
……りっちゃんに渡しといてくれる?」


憂「お久しぶりです、紬さん」

紬「憂ちゃん、久しぶり。元気してる?」

憂「あ、はい。おかげさまで」

紬「ふふ、相変わらず礼儀正しいわね、憂ちゃん」

憂「そんなことないですよ!
……それにもう『私のお姉ちゃん』は帰ってこないですから……。
『できた妹』なんて言えないです……」

憂先輩が顔を歪めてうつむく。
……なにこれ、一気にシリアスに突入しちゃった……。

紬「憂ちゃん……もう限界でしょ?辛いわよね……」


話の意図が分からず蚊帳の外だが、ムギ先輩は憂先輩を気遣っているようだ。

憂「いえっ」

愛くるしい目に溜った涙をふきとって、再び明るい笑顔を作る。

憂「私はお姉ちゃんが大好きですから!
だから……お姉ちゃんのこと、信じてます!」


紬「強いわね、憂ちゃん♪私も信じてるから♪
それじゃ、ね。幸ちゃんは、また部活でね」

ムギ先輩は振り返ると、水がなみなみと入ったバケツを軽々と運んでいった。

しゃらんらしゃらんら~☆


―――
―――――
―――――――


幸「軽音部で何かあったんですか?」

どうも私だけ、何も分かってない気がしてならない。
隠し事するのは好きだが、されるのは嫌いな質だ。
私は憂先輩に単刀直入に聞いてみた。

憂「な、なんのことやらー?」

憂先輩、それじゃバレバレですって……


憂「よ、横ちゃん、私軽音部員じゃないんだよ?
軽音部のことなら、横ちゃんのほうがよく知ってるって!」

……そうか、やっぱり私には言えないことなのか。
ならこちらも切札を、望み薄の切札をだしてやる!



幸「…………唯」

憂「!!」


引き当てた、かな?

憂「……そ、その名前どこで聞いたの……?」

憂先輩はやはり隠し事が苦手なようだ。

幸「私が軽音部に入部した日に一回こっきり、聞いた名前です。
そのときの先輩達の変わりようが異様だったんで……なんとなく覚えてて……」
大雑把とはいえども、大事なことはしっかり覚える。
都合のいい頭だ。


憂先輩は長い間黙っている。
まるで自己の考えと常識での考えを相剋させているような……

葛藤した末、憂先輩が出した答えはこうだった。


憂「やっぱり私の口からは言えない……ごめんね、横ちゃん……」


そうか……

幸「いえ、いいんです。すみません、変なこと聞いて」

憂「……でも……でも律さんになら……」



律「私がどうかしたー?」


……タイミング良すぎです、律先輩……


憂「……律……さん……」
憂先輩の緊張した声とは対称的に、律先輩はいつもの調子だ。

律「憂ちゃんも幸も、こんなとこにいるなんて珍しいじゃん!
どうかしたのか?」

幸「い、いぇ……」

尻すぼみに声をだしながら、チラッと憂先輩をみた。
先輩、お願いします、律先輩に聞いてください!


憂「あのっ」

Niceです!頑張れ憂先輩っ!
憂「お姉ちゃ

律「憂!!!」

早すぎる。反応が早すぎる。
その怒声は三年廊下に響きわたり、何人かがこちらを、何何?と振り向く。

律「そいつのっ、名前は、口に、出すなよっ!!」

怒りに言葉も途切れ途切れだ。

憂「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」

憂先輩は半泣きになりながら、うつ向いて何度も謝っている。
いくら律先輩でも、これは酷すぎないか?

幸「律先輩!憂先輩泣いてますよっ!いくらなんでもひどすぎ……」

律「さちっっ!!」

その剣幕といったら。
私はびくっとして、のけぞった。

律「さちっ、お前が聞いたのかっ!?
ほっとけよっ!!」

こんなに怒った律先輩は初めてみた。
いつも面白くて、明るい元気な先輩が、カチューシャを取り外し、髪を振り乱してどなりつける。
逆鱗に触れた。まさにそうだった。


律「ハァ、ハァ……クソッ」

投げやりに悪態をはく。

律「ハァ、ハァ……フゥッ……悪かった……ちょっと自分を忘れてしまった……。
後輩にあたるなんて、部長失格だな……」

いえ、と小さくフォローする。
私も泣きそうになっていた。


律「……ごめんな……。
そうだよな、幸の立場だったらめちゃくちゃ不愉快だよな……知りたいと思うよな……。
ホントにごめん……。

でもな、やっぱり……」

律先輩が何かいいかけた……そのとき。

「おーい、大丈夫かぁー?
授業始めるぞぉ、教室戻れぇ平沢ぁ、横山ぁ」

先生が私達を呼んだ。

これでよかったんだ……多分律先輩は『お前には言えないんだ』と言おうとしたんだろうから。
律先輩に隠し事されてるという事実に向き合いたくない……。


お互い目をあわせずに、なにともなく自分の教室へ向かった。
あ、結局プリント渡し損ねちゃったや、はは……。


途中、憂先輩はヒック、ヒックとすすり泣いていた。
その姿を見ながら、多分『唯』は憂先輩のお姉ちゃんなんだ、と推理している自分
なんて嫌な人間なんだ私。

先輩を梓先輩の教室まで送った後、私は自教室に戻り授業をうけた。

混乱する頭を整理する。
そして否応なしに好奇心は広がる。
詮索してはダメだとは思う。しかし押さえきれないのだ。
ホントに嫌なヤツ……


律先輩をあそこまで怒らせるワード。『唯』とは誰なのか。
軽音部とどんな関係があるのか。


クーラーのないうだるような教室で、私の頭はすごい勢いで回転し始めていた。。



最終更新:2010年02月21日 03:52