幸・肆
翌日、私が向かった所は、この街にある警察署だった。
別に誰かが捕まったとか、そんなのじゃない。
ただの調べものだ、調べもの。
ならなんで、帽子にマスク、メガネなんかしているの?犯罪者なん?
と聞かれても仕方ない格好をしている。
これは……やはり昨日のことで、ほっとけと釘刺されたにも関わらず、『唯』のことを調べようとしている、その罪悪感からだろう。
誰にも見つかりたくなかった。
逆に言うと、見つからなければ調べてもいいと考えた。
私は、結局知りたい気持ちに勝てなかったのである。
警察署に入り受付にむかった。
受付カウンターでは、中年の肉付きのよいおじさんが、肘をついてうとうとしていた。
こんな平和な街だ、やることもなくて暇なんだろう。
幸「すみません。この街で過去に起きた事件記録を見せてほしいのですが」
男「んあっ?なんだって?」
おじさんは私が来たのを見て、だるそうに伸びをする。
……ホントに警察署か、ここ?
幸「ですからっ、過去の事件記録を見せてください!」
おじさんは私の頭の上から、足の先まで見下ろし、胡散臭そうに言った。
男「……じゃぁここに、見たい事件の日付、あとあなたの住所、氏名記入して」
やっぱりそうくるか!
様々な事件が綴られている帳簿は、まさにプライバシーの塊。
隅々まで見せてくれないとは思っていた。
しかし『唯』は、おそらくそう遠くない昔、おそらくこの街で事件に関わった可能性は高い。
見れなかったら無駄骨だ、引き下がらないと!
幸「私、その事件がいつあったかも分からないんです!
でもどうしても知りたいんです!」
男「規則は規則だから、困るよ」
大方、私が女子高生だとわかってうわてにでたのだ。
よっし、じゃぁとっておきだぁ!
幸「そ、そんなぁ、グスッ」
泣き真似。
おじさんはギクッとし、カウンター奥の同僚からは、『あ~ぁ泣かした』空気。
男「分かった、分かったよおお嬢ちゃん」
意外に簡単♪泣いてみるものだね!
男「……ったく、めんどくせぇな」
…………めんどくさかっただけかよ。
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―――――――
男「とはいってもなぁ……
だいたいいつごろか分からんと、膨大な量だよ?お嬢ちゃん」
幸「えっと、多分ここ一、二年の間だと思います」
憂先輩と軽音部の先輩が知り合って一年半。
憂先輩が関係あるなら、絶対にこの期間に間違いない。
男「二年て……。空き巣、引ったくり、そんなレベルからわんさかあるんだよ?
どんな程度の事件なんだい?」
幸「多分……大きな事件。
桜ヶ丘高校の女子高生が絡んだ事件……とかないですかね?」
ダメもとで聞いてみたのだが……
男「あぁ、あそこの高校で起きた大きな事件といったら、後にも先にもあの事件しかねぇなぁ。
ちょっと待っとき。……えぇっと昨年の……?」
おじさんは棚をごそごそやり始める。
あった。あったのだ。やはり事件が。
そんな有名な事件なのか?……なんか嫌な予感がする。
男「はいよっ、これだろ?
女子生徒自殺事件。この街始まって以来の大きな、嫌な事件だったなぁ」
おじさんから手渡された資料を食い入るように見つめる。
男「というか比較的最近の有名な事件じゃないか。
この街の者ならみんな知ってるぞ?
なぁ、お嬢ちゃん?…………お嬢ちゃん?」
なんだこれは。
一体どういうことなのか、事態がまったく飲み込めない。
なんで二人も死んでいるんだ?
『誰だ、これは?』
殺人? そして自殺?
それにこれって…………
幸「私、今春この街に越してきたんです。
桜ヶ丘高校一年生で、軽音学部に所属しています」
資料の信じがたさに、自分が何を言っているのかも分からない。
体がおそろしく震えているのは確かだった。
嘘だ。資料が嘘なんだ。だって意味が無い。 意味が分からない。
男「へぇ軽音学部に!
部活動また再開してるんだねぇ!」
おじさんは私が軽音部員だと分かった瞬間、私ににわかに興味を持ったようだ。
男「まぁ今年越してきたんなら、知らないだろうねぇ。
あれは凄惨な事件だったなぁ。
一人は殺され、一人は自殺。おぉ怖い怖い!
最近の女子高生は狂ってんなぁ」
おじさんに何を言われても、私の心はさわりとも、なびかなかった。
男「どうだい?きがすんだかいお嬢ちゃん?
終わったら早く帰ってくれー」
追い出されるように警察署からでた。
こんなに暑いのに帽子とマスクを着用している私は、周囲にはさぞ変に映るだろう。
そしてこんなに暑いのに、私はとても涼しい。
冷や汗が止まらない。
どうしてだ、どうしてこうなった……
その日、私は足取りもおぼつかず自宅へ帰った。
夕方にはひぐらしが泣き出した。
まだ八月も上旬なのに冷夏のせいなのか。
知らなければ良かった……
今さら後悔しても遅かった。
律・肆
唯「えっ弦って交換するものなの?」
一同「なにぃ!?」
学園祭も近付いた、十月のある日は、唯の常識外れの質問から始まった。
唯がギターを『大切に』してるとこはありありと目に浮かぶなぁ。
でもギターの弦を変えることぐらい私でも知っとるわい!
唯「さわちゃん先生なんとかしてよ~」
さわ子「えぇー、やっぱりそおゆうのはお店の人に頼んだ方がいいんじゃなーい?」
絶対めんどくさいだけだろ……
唯「えぇっ、そこまでしなくても!」
梓「いや!学園祭も近いのにこれじゃ練習にならないですよ!」
梓が唯に詰め寄る。
いつもは梓のやる気に振り回されっぱなしだが、今日ばかりは同意見だ。
唯「りっちゃんはお手入れなんかしないよねぇ?」
律「しとるわい!」
唯「ぶー、りっちゃんのくせにぃ」
一発グーをお見舞いしてやった。
―――
―――――
―――――――
律「はいはいとうちゃーく」
澪「じゃあ私ここで待ってるから」
梓「どうしてですか?」
聞くと、右利き用ギターばかりで鬱になるらしい。
自分が使えないもん見ても面白くないわな。
……ん?
律「あ、でも澪?なんかレフティーフェアやってるよ?」
―――
―――――
―――――――
澪「ここは天国ですかっ!?」
そう言ってギターに魅入る澪は、まるでおもちゃの王国にやってきた子供のように生き生きとしている。
楽しむ澪をおいて、ムギの所へ行く。
しばらくムギとマラカスをふって遊んでたら、どうやら唯のギターのメンテナンスが終わったらしい。
メンテはまたもやムギの恩恵をこうむった。
……借金だらけだぞー、唯。
梓「あれ、でも澪先輩は?」
帰る段になって梓が気づく。
律「あぁー、呼んでくるわー」
律「澪ー帰るぞー」
澪「やだ」
律「小学生か。澪しゃーん」
澪「やだ」
何かに一生懸命になってる澪を急かすのは気がひけるが……。
みんなを待たせちゃいけないだろう。
私は澪の襟を無理矢理引っ張った……。
澪「バカっ!」
ズシン!
澪がベースとともにしりもちをついた。
律「あは、何やってんだよ澪!」
いつものようによくあることだろー?
そう思ったのに……。
澪「もういいよ!」
律「……え?」
澪「……馬鹿律」
え?
―――
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―――――――
紬「このあとどうします?」
律「そうだなー。よし!お茶にするか!」
梓「またですか……」
唯「ごめーん、私和ちゃんと約束あるんだぁ」
律「えぇー」
なんだよ唯、のり悪いなー!
パァッと盛り上がろうと思ったのに。
澪「えぇ和も来るの!?私も行っていい!?」
律「え?」
澪がこう言った時の心情は唯の時の心情とは、まったく違っていた。
澪……お前も行っちゃうのか?
私達おいてっちゃうのか?
……私より和のほうがいいのか?
唯「うんいいよー。
和ちゃんに連絡してみるねー」
澪「はは、ありがとー!」
行くな……行くなよ……
澪をとるなよっ!
……ずっと、ずっと私のそばにいてくれよ……!
その時だった。
また……あの視線だ。
あの視線を感じる。
今度は背後からなんかじゃない。
まざまざと正面から、あの冷気が襲ってきた。
唯がこちらを見ていた。
まるで私の中の全てが見透かされているよう。
数週間前体験したのとまったく同じ感覚。
私は確信した。
唯が……唯が澪をストーキングしていたヤツだ!
澪は……澪は和にも唯にも渡さない!!
澪は私が守るっ!!
―――
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その時から私は、唯が澪に近づかないよう牽制した。
確かに和は悪気はない。
分かってはいたのだが、自分でも認めたくない、つまらない感情によって、和も牽制するはめになった。
言うまでもなく、嫉妬、である。
お二人さん仲良いっすねー!
いやーいつもウチの澪がお世話になってますー!
ランチタイムしゅーりょー!
これから学園祭までは、昼休みも練習するから!
そう口実づけて、澪を離れさせた。
昼休み……
律「ふぅーん、もどれば?」
澪「えぇ?」
律「悪かったよ、せっかくの和との楽しいランチタイムを邪魔してさっ!!」
澪「はぁ?そんなこと言ってないだろっ!」
ほんっと素直じゃない。
これじゃ仲がこじれる一方じゃないか。
……それなのにやめられなかった。
後輩の梓に気ぃ遣われるなんて……かっこわる……私……。
梓「皆さん、仲良く練習しましょぁ………」
律「……そうだな……」
澪「……うん、やろっか……」
ジャッジャジャジャッジャッ
ジャッジャジャジャッジャッ
ウィーン
ダンダンダカダカダカ
澪「………ん?」
澪「律?ドラム、走りすぎないのはいいけど、なんかパワー足りなくないか?」
分かってるよ……
体に力入んねぇんだよ……
澪「おい!律っ
律「あーあ、なんかやる気出ないやー。
また放課後ねー」
頼む、とめてくれ。
澪、私のこと好きだよな?
私のこと思ってくれてるよな?
私、意地張ってるんだよ。仲直りしたいんだ。ほんとは。
頼む、とめてくれ……。
―――
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一人外に出ると雨が降り出していた。
時雨。冷たい雨。
まるで『これに耐えないと、冬なんて乗り切れないぞぉ』とでも、お天道様が言っているかのようだった。
律「…………上手くいかねーなぁ」
ポツリと一人言を呟き、どんよりと灰色の雲が立ち込めた空に向かって傘を開いた。
―――
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…………ん、
―――
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…………んん、良く寝た。
風邪ひいちゃったのかなぁ、長い間嫌な夢を見ていた気がする……
体が妙に軽い。ふわふわする。
ついさっきまで暖かな繭に包まれていたサナギが、宙に解き放たれたよう。
そうだ、澪に謝りにいかなきゃ。
私の気持ち、澪に伝えなきゃ。
私、澪のことが…………
―――
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走ってた。
私は疾走っていた………澪のところに向かって。
あれ、向こうに唯たちが見えるじゃん。
……唯めぇ、私がいない間に澪にちょっかいだしてねーだろーなー。
律『おーい、唯ー!!ムギー、梓ぁー!!』
……聞こえないのか?
三人の背後に立った。驚かしてやるぜ!
律『ばぁあ!びっくりしたろー、はは』
私の声は妙に響いた。
三人は振り向かない。……シカトとか質悪ぃーぞ。
律『おいっ、聞いてんのかぁ?』
唯「…………りっちゃん」
……私の体は空に浮かびあがった。
最終更新:2010年02月21日 04:04