幸・伍


律「おーっす、ありゃ、幸一人か?他のみんなは?」

幸「こんにちは、律先輩。
ムギ先輩と梓先輩は遅れるそうです。
さっき会って話しました」

律「そっかぁ。お、お、お菓子~♪お菓子はまだかなぁ~っと♪
っつーか、今日寒くないか、幸?
八月とは思えねーな」

そう言いながら、律先輩は鞄を長椅子に放り投げた。
律先輩の言う通り、今日はやたら肌寒い。
冷夏とは聞いていたが、これじゃ夏服では風邪をひいてしまうレベルだ。


律「聞いてくれよ、さちー。
今日さわちゃんがさぁ~……」

律先輩が愚痴を言い始める。
愚痴っていっても、可愛いものだ。つくづく平和な昼下がり。


……なぜこの先輩は私にしゃべりかけているのだろう。
なぜ半年もこうしていられるのだろう。

……律先輩、




あなたの平和、壊していいもですか?



律「おい、幸、どーしたんだよ?元気ないぞ?」

先輩の話を聞く私の反応が、いつもより鈍かったのだろう。
律先輩が私の顔をのぞきこんできた。

幸「……いえ、なんでもないです」

律「……いつもの幸らしくないぞぉ?
……あっ、さては梓と喧嘩したかぁ?
しょーじきにいったら、仲介してやるぞ」

そう言って律先輩が私の肩ポンポンを叩く。

それでも私がうかない顔をしていたからであろう。
今度はさっきより心配そうな顔をして言った。

律「幸、ほんとに大丈夫か?気分悪かったら保健室連れてってやるぞ?」

幸「……いえ、気分が悪いわけじゃないんです……。
ただ律先輩に答えてほしいことがあって……」


律「答えてほしいこと?
なんだ、なんでも聞いてやるぞ?」

ほんとにかっこいい。頼れるいい先輩。あなたがいたから、軽音部が回ってました。

……先輩は、間違いなく、軽音部の部長です。

私は…………私は先輩が大好きです。


でも…………







幸「……秋山 澪


ガタンッ

派手に椅子の音がした。

律先輩に殴られると思い、一瞬身が縮まったが、律先輩はその場で立ち上がっただけであった。

こんなに狼狽している律先輩は見たことない。
目はカッと見開き、顔全体が引きつっている。
先輩の体が震える中、特に目を引くのはその手だ。
ギターの弦をはじいているようにも見えるし、まるで何か機会を狙うかのように、ピクッピクッと動いている。


律「そ、その名前を、誰から聞いた……?
ムギか?梓か?……憂なのか……?」


こないだのように怒鳴りつけるかと身構えていたが、律先輩は静かに聞いてくる。

幸「誰からでもないです。

秋山 澪。この人は誰なんですか!?
律先輩、知っているますよね?……いや、知らないはずないんです!
……去年まで一緒に練習していた仲間ですから」

律先輩はしゃべらない。黙ったままだ。

…………黙ったままなんて肯定じゃないですか。

幸「律先輩、答えてください!!なんでも……なんでも聞いてやるって言ったじゃないですか!!」


指のピクピクが速度を増した。

信じられない……。
……だって、軽音部はあったんだよ?私……私軽音部のスタートに立ちあえたって喜んでいたのに……。


軽音部の結成も嘘だ! 初めての文化祭っていうのも嘘だ!!


お願いです……律先輩……。これ以上はこの半年の結晶を壊したくないんです……
これを言ったら……もう元には戻れない……

幸「……お願いします……何か言ってください……」








幸「 平沢 唯 先輩 」

ドスンッ

先輩は全身の力が抜けたように椅子に座りこんだ。
その顔は、まるでいたずらっ子が、しでかしたいたずらが発覚したときのような、汚れない純粋な笑い顔だった。


唯「いつ気づいたの?」

半年間聞いてきた声なのに、声のトーンまで変わったような気がする。

幸「……『唯』のことが気になって、この街の警察署まで調べに行きました。
けっこう大きな事件だったんですぐに分かって……
事件録に、写真入りで関係者の詳細が書いてありました。
……びっくりしましたよ。 田井中 律 は死んでいて、 平沢 唯 の写真が律先輩だったんですから」

律先輩、もとい唯先輩は、ははっと笑った。
観念したように、穏やかな顔でご名答だよ、幸、とつぶやく。



唯「じゃあこのカチューシャも、もう意味ないな」

そう言って、いつもの、あの黄色のカチューシャを取り外す。
押さえ付けていた前髪が、目までふりかかった。


唯「ほんとに幸の行動力はすごいな、あずにゃんにひけをとらない、ふふ」

あずにゃん……梓先輩のことか……
『律先輩』は梓先輩をそうは呼ばなかったんだろう。


唯先輩は微笑しながら続ける。

唯「んー、澪ちゃんの名前が出た時点で観念した。
澪ちゃんが分かって私が分からないわけないもんな。
……まぁでも他の三人が口外しなかったのはえらいっ!しっかり口止めしてたからなぁ」

そんなこと……

幸「そんなことが聞きたいんじゃありません!!
どうしてですかっ!?どうしてこんなことする必要があったんですか!!?
私……私律先輩のこと、ほんとに頼りにしていたんですよ……?
半年もっ!!半年も、何も知らない私をのけ者にして、あなたたちは私の信頼を裏切り続けてきたっ!!!
…………どうして……」

呼び慣れた名前が違うと分かっていても口をついた。

高ぶる感情、押さえきれない怒り、大きな喪失感が私の瞳を濡らす。


唯「泣くなよぉ、幸!別にのけ者にしていたわけじゃないさ。
新入部員にのっけから暗い話するわけにいかねーじゃん。私達なりの配慮だよ」
幸「ヒック……ほんとにそれで慰めているつもりですか?
……それは、それは律先輩が『 田井中 律 』を演じていた理由にはなっていません!!!」


ここで初めて唯先輩に恐怖の色が浮かんだ。
そこに、その理由の全てが、詰まってる。

唯「そ、それは……
そ、それはねっ、幸、私がりっちゃん演じないと軽音部暗くなっちゃってさぁ!
あずにゃんもムギちゃんもなんも喋んないんだもん! 悲しんじゃってねー」


『律先輩』のしゃべり方がとけて、地がでてきた。
唯先輩は焦っているに違いない。

幸「…………じゃあなんで 秋山 澪 じゃないんですか?」

唯「!!」


再び指のピクピクが始まった。

幸「だっておかしいです!!
秋山 澪 をストーカーして自殺においこんだのは 田井中 律 でしょう!?
なら、この部にいなければならないのは澪先輩のほうなんじゃないんですか……?
どうして唯先輩は犯罪者のまねごとなん


唯「りっちゃんは犯罪者なんかじゃない!!!」


その大声に圧倒され、私は言葉を失った。
唯先輩の顔は、再び引きつり、目は焦点があっていない。

唯「りっちゃんは犯罪者じゃないよ……?
……犯罪者なのは私なんだ……りっちゃんを止められずに、みすみす二人を死なせてしまった……
悪いのは……全部私……りっちゃんは悪くない……」
幸「……唯先輩?」

唯先輩は虚空に向かって、一人言を呟き始めた。
……まるでそばにいる『りっちゃん』を慰めるように……


唯「りっちゃんは悪くないよ……?
りっちゃん、様子おかしいの分かってた。なのに止められなかった、私のせい。
りっちゃんは軽音部からいなくなっちゃいけないよぉ、部長さんだもんね、えへへ」

その様子に、私は背筋がゾクッと凍りつく。
放っておくと永遠に会話を続けるんじゃないか。

幸「唯先輩っ!!」

唯「ほぇっ?」

あぁ、もう完全に『 平沢 唯 』だ。もう完全に別人なんだ……


『律先輩』は完全にこの世から消えてしまったのだ。


……しかし、まさか唯先輩は……


まさか唯先輩……


幸「唯先輩、どうしてそんな律先輩のことを……」



唯「…………」

唯「……私、りっちゃんのことが好きだったんだぁ」

唯「好きって、友達としての、じゃないよ……?
楽しいし、面白いし、頼りがいがあるし……」

唯「交わりたいって思った……いけないことだよね、やっぱり……へへ」

幸「先輩……やっぱり……」


私はそれが悪いことだと思わない。

だって……私だって……

唯「……でもね、りっちゃんには澪ちゃんがいたんだよ……。
二人はほんとに仲が良かった。私が立ち入る隙間なんてなかった……」

唯「私は諦めたの。
……もちろん澪ちゃんのことは少し憎かった。
でもね、澪ちゃんも私の大切な友達。私澪ちゃんも大好きだもん」

唯「そしたら去年あの事件が起きた」

唯「一度に二人が死んで、私達軽音部は奈落の底に突き落とされた……。
あの時のあずにゃんの悲しみようは見てられなかったよ……」


唯「当然、軽音部は活動中止。
……四月に言ったように、ムギちゃんの家で練習してたけどね、ふふ」


唯「全校生徒には正確な情報は隠されたの。……なんか学校は自分の学校で殺人があったなんて知られたくなかったみたい」

唯「……でも、りっちゃんが悪かったらしいっていう噂はすぐ広まっちゃった」

唯「……りっちゃん…可哀想だよぉ、ヒック
だ、だって死んだ後にも、わ、悪く言われて……」

唯「わ、私……嫌だったんだ……りっちゃんのこと悪く言われるの。
り、りっちゃんが犯罪者のまま、みんなの記憶に残り続けるなんてた、堪えられなかった……」

唯「だから……だから私がりっちゃんになって、りっちゃんの評価を取り戻した」


唯「ムギちゃんもあずにゃんも、そして憂も、私がしたいこと分かってくれて」

唯「もちろん、私はずっと 平沢 唯 。
でも、周りも私の行動を見て、生前の優しいりっちゃんを思い出してくれた」

唯「噂は消えて、ただの自殺事件として片付いたの」


幸「……今思えば、みんな先輩のこと『唯』とか『お姉ちゃん』ってよんでましたね……。
初日には、ムギ先輩、このあいだは憂先輩が……
……あれ、先輩のこと呼んでたんですね。
はは、なんで気付かなかったんだろ、私……」

先生も名字、二人分しか呼ばなかったではないか……


幸「唯先輩がギターが上手なのも納得です。当たり前ですよね……」

唯「あずにゃんには、悪いことしたなと思ってる。
……ベースほんと弾きにくそうだったもんね……
私なんかすぐドラム諦めたのに……あずにゃんは最後まで頑張ってくれてた。
ほんといい後輩だよぉ……」

幸「唯先輩がドラム、どこか澪先輩の面影のある梓先輩をベースに、軽音部再結成ですか……
……でも、そんなの……」


幸「……でも、そんなの……」

やめたほうがいい。今の唯先輩に追い撃ちをかけてはいけない。


幸「でもそんなの何の解決にもなっていません!」

やめろ。

幸「誰を誰に仕立てあげたって、その人は戻ってきません!」

言うな。

幸「死んだ、その事実を受け止めて、生き残った者が『自分』を生きないでどうするんですか!?」

唯先輩が……

幸「今の唯先輩を見ても……きっと二人の先輩は喜びません!!」



ピクリ

一瞬だった。


唯先輩は懐から刃物を取りだし、あっという間に自分の喉につきつけた。

幸「唯せんぱっ、

唯「こないでっ、幸!!」

私はビクッとして足がとまる。馬鹿っ、何やってんのよ私の足!!動けっ!!唯先輩を止めなきゃ……

唯「きちゃダメだよ……
こんな大嘘つきさんに触ったら、幸がよごれちゃう……」

嘘だっ!そんなこと私思ってないっ!
動いてよぅ!


唯「ごめんね幸……私最後まで頼りない部長だったね。
うん、まったく幸の言う通りだ、はは」

そう、分かってた……。
こんなことしてもりっちゃんは還ってこない……。

私のわがままで、みんな共犯者にしちゃったよ……ほんとにごめん……。

ムギちゃん、あずにゃん、私の戯言に付き合ってくれてありがとう。……最後に抱きつきたかったなぁ。

憂、最近あなたの『お姉ちゃん』やってあげれなかった。ほんとにごめんね。

澪ちゃん、『これ』使わしてもらうね。かわいいよね?澪ちゃんにぴったりだよ。



唯「りっちゃん、今行くから」

そう言った時、唯先輩は笑っていた。ほんとに幸せそうな顔で。


幸「ダメですっ!!!!」

瞬間、呪縛が解けた私は、唯先輩に向かって手を伸ばした…………




最終更新:2010年02月21日 04:01