クラッシュシンバルに、鉈が振り下ろされていた。

よっつの指が、血しぶきをまといながら畳に落ちる。

残り7分59秒――。



※>>15

天井につるされたモニターに、恐ろしい顔が映し出される。
ピエロのようだが明らかに違う、ことさらに恐怖心をあおるような白い仮面。

澪「ひぃ!」

澪「の、のの和、なんだよー……どうなってるんだよぉぉ」

和「……んと……」

澪「…え?」

和「ちゃんと、聞いたほうがいいかもしれないな……」

澪「……」


「君はいま、自分の犯した罪により命の危機にさらされている」


澪「えっ……な……罪って……」


「君は自分の気持ちを優先させるあまり、部内での凶行を止めようとしなかった」

「君は、田井中律をいつでも止めることができたはずだ。しかしそれをしなかった」

「田井中律に嫌われるのを恐れたのだ」


澪「それはっ……」


※>>15


澪「違うっ……私は……」

和「……」


「いじめとはいえ、彼女の気が平沢唯に向かっているのを、妬ましく思ってさえいた」

「君には今日、清く正しい人生をはじめる、チャンスを与えよう」

「君の後輩はいま、自分の命を救うため、罪を犯そうとしている」

「君を殺すという罪を」


澪「えっ……!」

和「!!」


「彼女はいま毒に冒され、その解毒剤を手に入れる『鍵』が君のなかにあることを知っている」

「彼女に残された時間は60分ほど」

「君は完全に閉じ込められているが、扉は120分後に自動的に開くだろう」

「友人を罪人にすることなく、救うことができるか?」

「自分の罪を認める強さがあるのか?」

「達成できたとき、君は救われるだろう」

「運命のときだぞ、澪。そして、和」

「 ゲ ー ム ス タ ー ト だ 」

画面は暗転し、代わりに120を表示したデジタルタイマーが、カウントダウンを開始した。


澪「……」
和「……」


澪「う、嘘だよな、和! こんなこと。なんかの冗談だろう!?」

澪「なぁ、のど……」

和は、暗がりでもわかるほど青白い顔をして、うつろな目をこちらに向けていた。
足元には吐瀉物。とてもいつもの彼女とは思えない、ゾンビのような顔つき。

しかしなによりも目を引いたのは、和の右手にあるナイフだった。

澪「お、お前まさかホントに……っ……ん?」

自分のブラウスが切り取られ、胸から腹まで丸出しになっていることに気づく。
もちろん、赤く残酷な印にも。

澪「なななな、なんだよこれぇ!」

澪「嘘だっ、嘘だ嘘だこんなの!!」

叫びながら、ドアめがけて走り出す。

澪「誰かっ!! 誰か助けてっ!! 誰もいないのかよッ……!!」

和「開かないぞ」

背後に近づく感覚。


澪「ひっ」

和「窓も、開かない。閉じ込められたんだ、私たち」

澪「来るなっ」

言うと、和はぴたりと足を止めた。体全体の震えをこらえて問いかける。

澪「なぁ和、なんなんだよ、これは? そのナイフはなんなんだ? なんでこんなことになったんだよ?」

和「わらないよっ、私にだって!」

和は急に、泣き声を出した。

和「いきなり襲われて……こんなとこに閉じ込められて……毒飲まされて……」

和「どうして……」

澪「と、とりあえず落ち着こ……な? ナイフも置いてさ」

和「うん……」


和がナイフを置き、澪は胸をなでおろした。こんな理不尽なことで、死んでいられない。

澪(120分、120分耐えきれれば、助かるんだよな……!?)

澪「とりあえず、どこか脱出できるところがないか探してみないか……? なにか活路があるはずだよ」

和「そ……そうだな……グっ?」

ビチャビチャッ
和がまた吐いた。といっても、ほとんど胃液しか出ていない。
すっぱいにおいが立ちこめる。


澪「お、おい! 大丈夫か!?」

和「ううぅっ……」

和「……ぅだめだ……私、死ぬんだ……」

涎が糸を引く口をぬぐおうともせずに、和はこちらに顔を向けた。

和「助けてくれよ、澪、澪……私を」

澪「だから出口を……」

立ち上がるが、よろけて壁にもたれかかる和。そのそばに、なにやら見慣れない物があった。

和「……!?」

澪「金庫……?」

本棚の脇に、大小二つの金属の箱が置かれていた。
金庫のようではあるが、よくあるようなダイヤル式の物ではなく、単にノブがついているだけのただの箱だ。
ただし、どちらも鉄鎖が幾重にもまき付けられ、中央でそれぞれ南京錠に固められている。

和「鍵、鍵だっ!!!」

澪「えっ?」

和「きっと、このどっちかに、私の解毒剤が入ってるんだ!!」

澪「お、おい……」

突然気味が悪いほどの元気を出した和は、ひとしきり鎖を揺すると、すっと立ち上がった。

和「鍵……鍵を手に入れなくちゃな」

和は再び、ナイフに手を伸ばしていた。



※>>22

律「ぎゃあああああああああああああああああああああああ」

憂「ヒィイッ……」

クラッシュシンバルに、鉈が振り下ろされていた。

よっつの指が、血しぶきをまといながら畳に落ちる。

残り7分59秒――。



※>>22

律「がぁっ……はぁっ……憂ぃい」

憂「……」

カチカチカチカチカチ……

律「憂……頼む……助けてくれ……頼む」

律「なんでもするから……早く……」

憂「ううっ」

自然と、足はぬいぐるみ達のもとへ向かっていた。これ以上見ていられない。

憂(赦す……の? あの女を……?)

自分に問いかける。

憂(やるしかないよ……っ)

手に取った最初のぬいぐるみは、左右違う長さの耳を持った水色のウサギ。

----------------
唯「あちゃー、失敗しちゃった」

憂「あー、耳が短くなっちゃってるね。でもかわいいよ、お姉ちゃん」

唯「うー、でもこれじゃあ笑われちゃうよねー」

憂「!……お姉ちゃんその手……」

唯「え! あ、これは! そ、そう転んで、これ作ってるときに切って……それで……」

憂「お姉ちゃん……」

唯「失敗作は憂にあげるよー」

憂「うん……」
----------------

憂「お姉ちゃんっ……!」ポロポロ

涙がこぼれた。どうして自分は、なにもできなかったのか。いや、しなかったのか。

律「憂ー!! 早くしてくれぇっ!!」

憂「うるさいっ……」

カチカチカチ

爪を立てるように、ぬいぐるみを強く握り締める。
そのまま左右に両手を開くが、当然そんなことじゃ生地を裂くことはできない。

憂(しっかり縫えてるよ、お姉ちゃん……)

涙が水色に青い斑点を作った。涙をぬぐい、なにか切れるような物を探す。
すぐに、他のぬいぐるみの下に見え隠れする鋸の刃が目に入った。

憂(早くしないと……)

カチカチカチカチカチ……

錆ついた刃をウサギの首もとにあて、引く。が、ウサギも一緒に動いてしまいうまく切れない。

律「頼むよぉ~憂ぃぃ」

憂(早くしないとっ……!!)

ウサギの足を踏みつけ、耳を握り、もう一度刃を首に当てる。
引っかかるような感触と躊躇を押し殺し、利き腕を思い切りうしろに引いた。
縫い目が裂け、白い綿があふれ出す。裂け目に指を突っ込んで、両手に力をこめる。


憂(……っ!!)

無残に裂けた姉の形見から必死に綿をつかみだした。

憂(鍵っ……鍵っ!)

むなしく、綿だけが足元に散らかった。はずれだ。残り12個。

カチカチカチカチッ……

次につかみ取ったのは、茶色のクマ。

---------------
唯「憂ー、これ、憂にプレゼントだよぉ」

唯「憂にはいつもお世話になってるから」

唯「よくできてると思うんだけど……どうかなぁ?」
---------------

憂(これはできないよ……)

次のぬいぐるみを手に取り、足で固定して鋸を当てる。
躊躇は大分少なくなっていた。

律「早くしてくれぇええええええええ!!!」

憂「やってるよっ!!!!」

ぬいぐるみを無残に引き裂き、綿を探る。

憂「ないっ、ないよっ……!!」

すぐ次に移る。悲しいことに、ぬいぐるみを解体する手際はかなりよくなっていた。
しかし、これもはずれ。そして、4体目に手をかけた、そのときだった。

シャーン!!!

律「がぁああああああああああああああああ!!!!」

憂「っっ……!!」

なにが起こったかはわかっている。振り向くことはできなかった。

律「ああああああああああっ!! うぃぃいい! 頼むー、早く助けてくれぇええ」

カチカチカチカチッ

憂「もうやめてっ……!!」

4体目もはずれ。

律「ううううああああああああ!!」

憂(……そうだ、鍵を入れたんだから、それらしい跡がついてるはず)

暗がりのなか、残りのぬいぐるみに目を凝らし、不自然な縫い目があるものから、裂いていく。

憂(なんで……)

カチカチカチ……

4つにそれらしい形跡を見つけ、すべて確かめたが鍵はなかった。
もはや自棄気味に、もうひとつのぬいぐるみを切り裂くが、やはりはずれ。

憂「ああっ!!」

無残な姿のウマを床に叩きつけ叫ぶ。
鍵を目指す視線は自然と、二つ目に選び見逃した、茶色のクマに向かった。

憂(お願い……)

祈るような気持ちで、クマの体を確かめる。後頭部に、真新しい縦の縫い目。

律「痛い……痛いよ……」

憂(ごめん……お姉ちゃん)

クマを踏みつけ、鋸を当てる。絶対に仕損じないように、刃をしっかりと食い込ませた。

憂「ああああーーーーーーーーっ!」

ビリリ゙リ……ゴリュッ

律「ぐぁああああああああああああああああああああ!!!!」

憂「っ!!」

ハンマーが足に振り下ろされたのだ。努めて気にしないようにして、頭の綿をつかみだす。

憂(お姉ちゃん……)

祈るように綿を探ると、指先に確かな金属の感触。

憂「!……あったっ!」

憂「……?」

鍵は、二つ出てきた。しかしとにかく、急いで律のもとへ向かう。

律「ああああ……」

憂「うっ……」

目を背けずにはいられなかった。右足首が完全に押しつぶされ、つま先はあらぬ方向を向いている。
鼓面には、血と肉片が飛び散っていた。

律「あぁっ……早くしてくれっ……」

カチカチカチ……

憂「鍵はっ……」

巨大な仕掛けのどこかにある、ちっぽけな鍵穴を必死で探す。

律「うぁああ……」

乱雑に視線を走らせながら、機械の周りを一周した。
しかし、明かりが充分でないのも手伝って、鍵穴が見つけられない。

カチカチカチカチ

憂「ないよっ、鍵穴がないっ……」

正面に戻り、がっくりとひざに手をつく。先ほどまで焦りと緊張で忘れていた頭痛が、再び押し寄せはじめた。

憂(……?)

律の左足の脇あたりに、ぼぅっと、宙に浮いているような小さな光があった。さっきはこんなものなかった。
光のなかに、確かに見える銀の円盤。そしてその中央の黒い亀裂。

憂「あった……! あったあった……」

鍵穴は、ちょうど煙突のような囲いの奥に位置していた。だからさっきは見えなかったのだ。

律「あはっ……は、はや――」
ヒュンッ
グリュッ
律「ああああああああああああああああああああああああああ!!!」

憂「っ!」

顔のすぐ横で、律の左足首が粉砕された。血飛沫が頬にいくつかぶつかる。

憂(あと2分……っ)

胸に手を当て、めまいと動悸を押し殺す。
ポケットにしまっておいた鍵をひとつ引っつかんで、煙突に腕を挿し入れた。

憂(これで、助けられる――)

憂「痛っっ……!?」

指先に鋭い痛みが走り、反射的に腕をひっこめた。皮がめくれ、かすかに血が出ている。
鍵を左手に預け、今度はそっと煙突のなかに指を這わせる。幾つもの刺激を指に感じた。

憂(そんなっ……)

煙突の内側は、まるで下ろし金だった。入る向き出る向きどちら側にも返しが利くように、金属の突起がびっちり並んでいる。

憂(でも……やらなきゃ……)

利き手は保護するため、今度は左腕をゆっくりと煙突に差し込んでいく。

憂(だめか……)


できる限り手の投影面積を減らそうとはしているが、それでも親指の第一関節あたりがすぐに突起につかまってしまう。
手首をひねりながら、なんとか進む道を模索する。

憂(全然届かないっ……!)

痛みを許容できる範囲では、まだ鍵穴まで10cm以上距離があった。
しかも煙突は奥に向けて、わずかずつだが狭まっている。

律「うぅぅいいぃいい……あっああぁあ……はやっ……く」

憂(痛いっ……、なんでこんな女のために……)

律「ああぁぁ……」

憂(逃げたい……帰りたいよ……でも……)

時間はもう、50秒もなくなっていた。
それが過ぎれば、杭が腹に打ち込まれるのは間違いない。絶対、助からない。

憂「ぐぐぐ……」

歯を食いしばり、腕を進める。手が動くたび、電流のような痛みが全身を襲う。
それなのに、鍵穴に鍵の先すら届かない。肉が裂かれ、血の流れる感触。


憂(時間がない……!)

タイマーは30秒を切った。左手には無数の突起が食い込み、力を入れてもほとんど進まなくなっていた。
痛みだけが、ぼろぼろの体に蓄積されていく。

カチカチカチッ……

律「あぅあぁぁ…かはっ」

憂(お姉ちゃんっ……)

確かに痛みをこらえ、左腕を押し込んではいる。でも、全力を尽くしていないこともわかっていた。
本能というストッパーが、どうしてもこめる力に歯止めを掛けるのだ。
しかし、時間がない。とにかく、時間がない。

憂(できるよ……できる……)

小さく深呼吸し、いったん左腕から力を抜いた。
途中まではがした絆創膏を、意を決して一気に引っぺがす。要は、そんな感じ。


憂「ふぅ、ふぅ」

タイマーは残り09秒、いよいよもって時間がない。
再び左腕に力を込めて、わずかに引き上げる。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が幾筋にも頬を伝った。
歯を下唇ごと食いしばる。

憂(肩で押し込む、肩で……)

憂(……せーの)

憂「んぐっ!!!!!」

瞬間、脳天を下から打ち砕くような電撃的な痛み――。

…………

ドズッ

律「」

タイマーはゼロを迎え、格技場には試合終了を告げるブザーが鳴り響いていた。

憂(できなかった……)

憂「できなかったよ……お姉ちゃん……」

腕を突き進めたその刹那、鋭利な突起が薬指の爪の間に食い込むのを感じてしまった。
恐怖はその痛みを何十倍にも増幅させ、決意にストップをかけた。
いったん勢いを削がれた左腕には、ものの数秒で立ち直る力は、もはや残されていなかった。

憂「う……うくっ、うああ”あ”あ”」

いまは、あふれる涙を止めることができなかった。


3
最終更新:2010年02月27日 01:38