※>>26

澪「お、おい! 大丈夫か!?」

和「ううぅっ……」

和「……ぅだめだ……私、死ぬんだ……」

涎が糸を引く口をぬぐおうともせずに、和はこちらに顔を向けた。

和「助けてくれよ、澪、澪……私を」

澪「だから出口を……」

立ち上がるが、よろけて壁にもたれかかる和。そのそばに、なにやら見慣れない物があった。

和「……!?」

澪「金庫……?」

本棚の脇に、大小二つの金属の箱が置かれていた。
金庫のようではあるが、よくあるようなダイヤル式の物ではなく、単にノブがついているだけのただの箱だ。
ただし、どちらも鉄鎖が幾重にもまき付けられ、中央でそれぞれ南京錠に固められている。

和「鍵、鍵だっ!!!」

澪「えっ?」

和「きっと、このどっちかに、私の解毒剤が入ってるんだ!!」

澪「お、おい……」

突然気味が悪いほどの元気を出した和は、ひとしきり鎖を揺すると、すっと立ち上がった。

和「鍵……鍵を手に入れなくちゃな」

和は再び、ナイフに手を伸ばしていた。



※>>26

和「澪……鍵」

澪「和……」

和「鍵、くれないか、澪。みお」

澪「な、なんだよ鍵って! 私は知らないぞ!」

和の表情は、まさに病的だった。毒に冒されているからとかそういうんじゃない、もっとはっきりした狂気が見て取れた。

和「さっきビデオで言ってただろ……鍵は澪のなかにあるんだよ」

和の手にしたナイフが、緑の光を受けてギラリと輝いた。

澪「お、おい和……なに言ってんだよ、あんなこと信じるのかよ!」

和「信じちゃうんだな……だって……ホラ」

そう言って和は、いきなり大判の写真のような物を突き付けてきた。
黒の背景に、光るような白いラインやもやが写っている。

澪「レントゲン……?」

澪(……? なんだあれ……)

写真の中央に、なにか妙な物が写っていた。骨や内臓とは写り方が違う、やけに違和感のある物。

澪「う……」

その正体に気づき、思わず言葉を失った。鍵だ。
それに合わせるように、和が抑揚のない口調で語りかける。

和「このレントゲン、眠ってる澪のおなかの上に置いてあったんだよ」


澪「うあぁっ、嘘だっ!」

和の言葉を振り払うように叫んだ。

澪(嘘嘘嘘絶対嘘……)

頭のなかで、信じたくない思いと現実とがせめぎあう。毒。鍵。ナイフ。レントゲン写真。腹のマーキング。

和「澪……」

澪「おお、落ち着け! 落ち着けって!!」

まるで、自分に向けたようなセリフ。和の気迫を押しとどめるように、両手を前に向けた。

澪「これは罠だよ、ワナ! これを仕組んだ奴が、和に私を殺させようと、仕向けてるんだって!」

澪「の、和の毒だって、きっと嘘だろ! きっと具合が悪くなるだけで、死んだりしないって!」

澪「なっ、和、冷静になろう、冷静にっ」

和「……」

和は相変わらず生気のない顔で、こちらをじっと見ていた。
いま言ったことが届いているのかどうかすらわからない。

澪「そ、そうだっケータイ!! ケータイで助けを呼べばいいじゃないか!!」

澪(なんでいままで気づかなかったんだ、これで助かるっ)

和「ケータイなら、ない……私」

澪「えっ?」


和「カバンは、家に置いたから……そのあと襲われて……ケータイもカバンのなかで……」

澪「そ、そうかっ、じゃあ……私のカバン……」

澪「……カバン」

澪(嘘だろ……えっと……確か下校中路地で襲われて……そんときはカバン持ってたし……)

祈るような気持ちで、必死に部室中を見て回る。

澪「あっ!!」

カバンは部屋のすみに、押し付けるようにして置いてあった。

澪(助かる……これで)

カバンの前にかがみ込み、勢いよくジッパーを開く。

澪「な、なんだよこれ!」

カバンのなかには、丸めた新聞紙がぎっしり詰め込まれていた。

澪「なんだよっ……なんだよこれっ!!!」

それでもその奥底に携帯電話があることを信じて、新聞紙をかき出していく。
自分の周囲をスランプ中の作家みたいに紙くずだらけにして、カバンのなかに最後に残ったのは意外な物だった。

澪(っ!……包丁……!)

入っていたのは、カバンの横幅よりやや短いくらいの、柳葉包丁。

澪(ん……?)

柄に、紙が巻き付けられているようだった。透けて、なにやら黒い太字が見える。
すぐに取り外して、開いた。


「これで身を護るか?」


澪(……!)

和「あったか、ケータイ」

澪「いっ!」

突然声を掛けられ、内心震え上がった。よく考えれば、カバンを探っている間ずっと無防備に背中をさらしていた。
自分の無用心さに肝を冷やす。

澪「い、いやっ!」

とっさに、カバンを上から押しつぶして、包丁とメモを隠し苦笑いを浮かべる。ジッパーは、開けたままだ。

澪「なにもなかったよ、ほら、こんなゴミばかり詰まってた」



※>>36

憂「ふぅ、ふぅ」

タイマーは残り09秒、いよいよもって時間がない。
再び左腕に力を込めて、わずかに引き上げる。心臓が早鐘を打ち、冷や汗が幾筋にも頬を伝った。
歯を下唇ごと食いしばる。

憂(肩で押し込む、肩で……)

憂(……せーの)

憂「んぐっ!!!!!」

瞬間、脳天を下から打ち砕くような電撃的な痛み――。

…………

ドズッ

律「」

タイマーはゼロを迎え、格技場には試合終了を告げるブザーが鳴り響いていた。

憂(できなかった……)

憂「できなかったよ……お姉ちゃん……」

腕を突き進めたその刹那、鋭利な突起が薬指の爪の間に食い込むのを感じてしまった。
恐怖はその痛みを何十倍にも増幅させ、決意にストップをかけた。
いったん勢いを削がれた左腕には、ものの数秒で立ち直る力は、もはや残されていなかった。

憂「う……うくっ、うああ”あ”あ”」

いまは、あふれる涙を止めることができなかった。



※>>36

憂「ううっ……くぅ……」

左腕を引き抜くのには、三分以上かかった。
痛みから想像する以上に手の傷は凄惨で、まともに見ることもできなかった。
真っ赤に染まっている鍵の血をぬぐい、ポケットに戻す。

憂(そうだ……2個あったんだ……)

鍵は二個あった。あそこで仮に鍵穴に手が届いていたとしても、持っていた鍵が正しいかどうかはわからない。

憂(ひどいよ……どうしたって、助けられなかったんだ……)

田井中律は、死んだ。そうでなくても、死んだと思うことにした。
とても、生死の確認なんてできそうになかった。

憂(手、どうにかしなきゃ……)

上着を脱ぎ、件の鋸でブラウスの片袖を裂く。
それを手に巻き付けていると、あの茶色のクマが目に入った。

憂(これだけは持って帰って、直そう……。これは、お姉ちゃんの気持ちだから……)

まだ無傷のぬいぐるみが3,4体転がっていたが、それはここに置いておく。

憂(チャンスがあったら取りに来るから……待っててね、お姉ちゃん……)

デジタルタイマーは、38分57秒を示している。

憂(急がないと……)

上着を着て格技場を出ると、出口正面の白い壁に、鮮血を思わせる赤い文字が書き殴ってあった。


「美術室へ向かえ、憂」


憂(こんな落書き、さっきあったっけ……?)

憂(いや、なかったよ……こんな目立つの……)

よく見ると、小椅子の位置も入ったときと変わっているような気さえする。
ぞわりと、両腕に鳥肌が立った。

憂「……かっ……誰かいるんでしょっ!」

思わず、叫んだ。

憂「もうやめてよこんなこと!! 私はこんなこと望んで……なんか……」

声はむなしく、深夜の校舎に吸い込まれていった。
しかたなく、美術室に向け歩き出す。頭痛は、それが普通と思えるくらいに、ひどく気分にマッチしていた。

憂(このまま逃げちゃったらどうなるのかな……あと38分で病院までたどり着いて……)

憂(ダメ……なんだろうな)

憂(和さん……)

-------------------
唯の死後、両親はしばらく日本にとどまっていたが、唯の死のちょうど一ヶ月後に、再び海外へ発った。
姉も両親ももはやいない家のドアを開けた、あの金曜日のことはいまでも忘れられない。
テレビの音を聞きながら一人分の夕食をつくって、一人で食べた。簡単な肉野菜炒めと、味噌汁。
またテレビの音を聞きながら食器を洗っているとき、急に涙があふれてきて、止まらなくなった。
泡まみれの食器をそのままに、台所にへたり込んでしまった。
一人じゃ広すぎるこの家に、ちっぽけな自分が押し潰されてしまいそうだった。

気づいたときには、和に電話を掛けていた。
少し頼りない唯とは違う、頼もしくてカッコいいもう一人のお姉ちゃん。
きっと涙声で、自分の言ったことなんてなにもわからなかったと思う。それでもすぐに和は来てくれた。
玄関口に立つ和に、くしゃくしゃの顔を押し付けて大泣きに泣いた。
和がそっと抱きしめてくれたとき、気絶しそうなくらい安心した。気持ちよかった。
-------------------

憂(助けてよ……和さん)

とぼとぼと歩を進める。
渡り廊下から校舎に入り、保健室の前を過ぎた。美術室はちょうど真向かい、一階の西端にある。

憂(……)

「……れかー!! 助けてーー!!」

早いうちから、美術室のなかからの絶叫が聞こえてきた。そして、扉の前には小椅子。
近づくと、案の定椅子の上には木の小箱、そして紙切れがある。
ぬいぐるみを椅子の上に置き、それを見る。

憂(琴吹……紬)

田井中律とおなじく、姉を苦しめ続けた、悪魔の一人。
写真の裏を見ると、今度は先ほどより少し長いメッセージがあった。


「恐れずに立ち向かえ、憂。君自身のために」


美術室に入ると、先ほどとおなじように扉が自動的に閉まった。
同時に、こちらも先ほどとおなじように、真っ暗な部屋に照明が輝く。

憂(……!)

作業台や机がなくなり広々とした部屋の中央で、琴吹紬がただひとり椅子に座っていた。
すぐにこちらに気づいて、すがるような声を出す。


紬「う、憂ちゃんっ……助けて!!」

彼女を凝視する。光の当たり方がなにかおかしい。

憂(アクリル……?)

紬は、透明なアクリル板らしきものに四方を囲まれていた。
板の高さはそれぞれ身長の倍以上もあって、ちょうど巨大な水槽のようにも見える。
紬はそのなかで、背もたれと肘掛のついたしっかりとした椅子に拘束されており、その姿は電気椅子で処刑を待つ死刑囚を思わせた。
なかには、すでに水が彼女のすね程度までたまっている。

そして、アクリル板によりかかるように、あのテープレコーダー。

憂(……)


「君は二つ目のテストに直面している」

「この女は、君の姉を内側から苦しめ続けていた」


紬「えっ……!」


「頭痛、腹痛、高熱、吐き気、悪寒、動悸」

「姉のこれらの症状に、君にも覚えがあるはずだ」


------------------
紬「はいこれ、唯ちゃん専用特製ケーキよ」

唯「え、特製!? わーい、ありがとうムギちゃん。さっそくいただきます」

紬「ふふっ」

唯「ううぅうぅ……ちょっとトイレ」

律「なあムギ、今度はなに入れたんだよ」

紬「副作用が不安定だからって、製品化に待ったがかかった試薬品をちょっと♪」

律「ハハッ、こええなー」
------------------

憂「そんな……」

紬「……」


「君の姉をモルモット同然に扱っていたこの女」

「この女を赦し、救うことができるか?」

「拘束を解くための鍵は、この部屋のどこかにある」

「すぐに、再びケースに注水が始まるだろう」

「出口は、ちょうど7分後に、30秒だけ開かれる。」

「急ぎたまえ、憂」

テープの終了と同時に、注水が開始された。
そして再び、照らし出される二つのデジタルタイマー。
ひとつは6分59秒を、もうひとつは、35分02秒を示していた。

憂「わっ……」

水は、天井に短く突き出た五本の管から、水が白く見えるほどの勢いで落下している。
真ん中の管からの放水が、紬のひざに直撃した。

紬「……あぅっ!」

紬は逃れようとして激しくもがくが、両手両足椅子にがっちり固定されているために、ほとんど動くことができない。
おそらく、椅子自体床に固定されているのだ。

紬「助けて憂ちゃん!! お願いっ!!!」

みるみる、水位はひざ近くまで達した。

紬「お願い!! 助けて!!! 唯ちゃんのことは謝るわ!! 本当にごめんなさい!!」

----------------
律「なぁ、ムギってアレも手にいれられるんだろ、ほら、クスリ」

紬「あら、やりたいの?」

律「まっさかー、でも、どんな風になるのか興味はあるよなー」

紬「じゃあ、試してみる?」

律「え?」

紬「ほらぁ、いいのがいるじゃない♪」
----------------

憂「……今日まで」

紬「え……?」

憂「今日まで一言も謝らなかったくせに!!! 自分が助けてほしいからって……!!」

心からの怒りをぶつけながらも、目は自然と、紬の様子の確認をはじめていた。
絶対に赦せない女。だけど、目の前で死んでいくのを悠然と眺めていることなんてできそうにない。

憂(また、鍵……)

両腕を肘掛に固定している鉄輪は左右でつながり、中央に大きな錠前がかかっている。
足の方も、泡立つ水のせいでよく見えないが、おそらく似たようなことになっているはずだ。

紬「悪いと思ってる! 本当よ!! お願い……!」

虫唾が走った。

憂(よくもべらべらと口からでまかせを……)

紬を無視して、鍵を探すことにする。

憂(鍵……鍵はどこ)

視線を左右に走らせると、窓側隅の方にぽつんと、スポットライトを浴びるように照らされる机と椅子、そして見慣れない筒のような物があった。
筒は机よりも背が高く、胸のくらいはありそうだった。

駆け寄ると、謎の筒にはコンビニのおでん売り場を思わせるような木の蓋が乗っている。
ライトは、筒と木の蓋を真上から照らしていた。

憂(熱っ……?)

近寄っただけで、筒から確かな熱気を感じた。まさか本当におでんが入っているわけじゃあるまいに。
木のふたををつかみ、取り去る。視界をかき消すほどの真っ白な蒸気が、もうもうとたちこめた。

視界が晴れ、筒の中をのぞきこむ。

憂(あっ……)

立ち上る熱気は相変わらずで、長い時間のぞいてはいられなかったけど、たしかに鍵がこのなかにあるのが見えた。
ぐらぐらと沸騰するお湯の底に、目立つように塗られたらしい真っ赤な鍵が。



※>>40

澪(……!)

和「あったか、ケータイ」

澪「いっ!」

突然声を掛けられ、内心震え上がった。よく考えれば、カバンを探っている間ずっと無防備に背中をさらしていた。
自分の無用心さに肝を冷やす。

澪「い、いやっ!」

とっさに、カバンを上から押しつぶして、包丁とメモを隠し苦笑いを浮かべる。ジッパーは、開けたままだ。

澪「なにもなかったよ、ほら、こんなゴミばかり詰まってた」



※>>40

澪「け、ケータイはなかったけどさ! なんとか脱出する方法をさ……!」

和「……」

澪「私を殺すことなんてないって! な……?」

そう相手をなだめすかし、視線をちらりと上に向けた。タイマーは、96分を切ったところだ。

澪(あと96分……長い長すぎる)

ベースをいじってれば、ほんの一瞬のように過ぎていくはずの時間だが、これからの96分は永遠にも思えるほど長くなるだろう。

澪(いや……待てよ、確か和はあと36分くらいで……)

澪(仕方ない……こんなふうに考えちゃうのも仕方ない)

長すぎる待ち時間は、一気に3分の1近くに減った。

和「……時間が気になるよな、澪」


4
最終更新:2010年02月27日 01:46