不意に、和が口を開いた。
澪「えっ……」
和はしっかりとこちらの目を見ている。
毒を盛られて死にかけているくせに、その視線はやけに力強い。そして、怖い。
和「私も気になるよ、すごく気になる」
和「あと35分くらいで死ぬのかな、私。ってさ」
澪「和……」
和「口のなかはカラカラだし、胃がすごく痛い。視界もなんだか、ぼやけてるんだ」
和「ああ、これは涙のせいか」
無理やりに笑みを浮かべて、和は眼鏡をはずし、目をこすった。
和「死にたくないよ……死にたくない……澪」
澪「やっ、やめろっ、言うな!」
和を生かすためには、自分が死ななくてはならない。テープのいうことが本当なら、そういうことになる。
澪「わ、私だって死にたくないよっ!」
和「澪はいいよ……なにもしなけりゃドアが開いて、助かるんだから……」
澪「うっ……」
確かにそうなのだ。いまのところ体調の異変も感じない。それに、いざというときは武器もある。 この密室のなかで、立場は圧倒的に和よりも上だ。
和「澪……いいよね?」
一歩、和がこちらにじり寄った。ナイフももちろん持ったまま。
澪(本気で殺す気……!?)
ひざが震える。
澪「や、やめろ、来るな」
和「気づいたんだよ、私絶対にやらなくちゃいけないことがあるって」
澪「なっ……」
和「だからそれまで死ねない……たとえ人殺しになったって」
さらに一歩、近づく和。包丁の入ったカバンはすぐうしろだが、それを取るわずかな隙でさえ、見せれば刺されそうな気がした。
和の目から、視線がはずせない。
澪「やめてくれ……」
和「……いじめを」
和「唯のいじめを、見逃してたんだろ……? 止められたのに、止めなかったんだろ?」
澪「そ、それは……」
和「律に嫌われたくないからって……唯が死んだって構わなかったんだろ」
澪「っ、違う……!」
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澪「な、なあ律。最近ちょっと……やりすぎじゃないか? 唯のこと……」
律「あ? たいしたことねーって」
澪「で、でも……」
律「なんだよ、文句でもあんのか?」
澪「そ、そうじゃないけどさ……ほら……」
律「あー、うるさいなー。日曜買い物行くの、やめよっかなぁ」
澪「えっ、ご、ごめん、もう言わないから」
律「そ。それでいいんだよ、澪ちゃん」ナデナデ
澪「う、うん///」
-----------------
律「おい唯、ちょっとこのわっかに首掛けてみろって」
澪「お、おい律……!」
唯「え……やだよぉ」
律「いいからいいから、最近こうやって肩のコリをほぐすのがはやってんだよ」
唯「え……でも」
律「しょうがねーな、ムギ! 唯にアレ飲ませろよ、ほら 特 製 ジュ ー ス 」
紬「ええ、わかったわ♪」
澪「わ、私はもう知らないからな!」ガチャバタン
-----------------
澪「ちが……」
わない。少なくとも、胸を張って違うとは言い切れない。
和「違わないよね?」
表情を読み取られたのか、はじめからそう思っていたのか、和はあっさりと言い切った。
和「死んでよ、澪。それで、私が生き延びたら、律も、紬も、澪のもとに送って、私も死ぬ」
澪「やらなきゃいけないことって、それ……?」
和「違う……。違うけど、それも追加だね」
澪(狂ってる……なに言ってるの)
和「そうだよ……そうだ。みんな連帯責任だよ」
澪「……え」
和「唯は死んだ。それなのに、死に追いやった人間がのうのうと生きてるなんて、おかしいよ」
澪(殺す気だ……殺す気なんだ……本気で)
和がもう一歩踏み寄ってきたとき、体はほとんど無意識で動いていた。
すばやくカバンから包丁をつかみ取って、距離をとって和に向き直る。
澪「来ないで……私だって、死にたくない……!」
※>>49
近寄っただけで、筒から確かな熱気を感じた。まさか本当におでんが入っているわけじゃあるまいに。
木のふたををつかみ、取り去る。視界をかき消すほどの真っ白な蒸気が、もうもうとたちこめた。
視界が晴れ、筒の中をのぞきこむ。
憂(あっ……)
立ち上る熱気は相変わらずで、長い時間のぞいてはいられなかったけど、たしかに鍵がこのなかにあるのが見えた。
ぐらぐらと沸騰するお湯の底に、目立つように塗られたらしい真っ赤な鍵が。
※>>49
憂(……嘘……でしょ)
紬「憂ちゃんお願い!!! 早く助けて!!!」
憂(この鍵を引き上げて、水槽のなかに入って、鍵をはずす……)
憂(ムリだよ……)
紬「憂ちゃんっ……!」
憂「ムリッ!!! ムリだよっ!!」
憂「鍵が、沸騰したお湯のなかに入ってるッ……!」
紬「えっ!」
憂(どうして……どうしてこんなこと)
憂「うあああああああ!!」
となりにある椅子を持ち上げ、怒りに任せて筒に投げつけた。筒はびくともしない。
しかし、憂は何度も椅子を筒に叩き付けた。怒りの陰には打算もあった。
憂(あのなかには加熱装置も入ってるはず……せめてそれだけでも)
振動を与え続ければ、安全装置が働いて緊急停止するかもしれない。
憂「はあ……はあ……」
ひとしきり椅子を投げつけたところで、再び筒のなかをのぞきこむ。
湯はぼこぼこと、いまも盛大に煮立ち続けていた。
憂「ムリ……」
紬「憂ちゃん、無理じゃないわ!! お願いがんばって!」
憂「ムリだよ……」
紬「火傷したら、その治療費は全部ウチで持つわ! いいお医者様も紹介するし、絶対に痕なんて残らないようにさせるから!!」
紬「だからお願い! もう胸の下まで水が来てる……!!!」
憂「……」
紬「お願いっ! お礼も好きなだけっ……お金でもなんでもあげるから!!!」
憂「うあぁっ!!」
転がっている椅子を持ち上げ、思い切りアクリル水槽に叩きつけた。たぶん、いままでで一番力が出た。
紬「ひっ!?」
憂「じゃあ……お姉ちゃんをちょうだいよ……」
憂「お姉ちゃんを返してよっ!! 助けるから! 医者も治療費も要らないから! お姉ちゃんを返してっ……」
拳を何度も、アクリル板に打ちつける。
こんなことしても無駄なのはわかっていた。唯は絶対に返ってこないし、放水が止まるわけでもない。
紬「ごめんなさい! ごめんなさいッ!!!」
憂「うう……」
泣きながら筒のそばまで戻り、机を押して水槽にくっつけた。投げつけた椅子も拾って、机の上に置く。
憂(これで……足場にはなったよね……)
鍵を引き上げたら、今度は紬を救い出す作業が待っている。それに、火傷する手もすぐに水にさらしたい。
そのための、下準備だった。
左手に巻いたブラウスも、指が自由になる範囲で解く。どうせ火傷するのなら、傷だらけの左手と決めた。
再び、筒のなかをのぞきこむ。
憂(熱そう……)
憂(なんとか加熱だけでも、止められないの……)
残り時間は、4分20秒になっていた。水位は、もう紬のあごに達そうかというところだ。
憂(うんっ!!)
思い切り筒に体当たりするが、無駄だった。思いのほか頑丈に固定されているらしく、筒がぶれたような感触さえ得られなかった。
憂(痛ぁ……)
紬「憂ちゃんっ!! もうだめっ! はやっ……はぁっ!! はやくっ!!」
憂(やるしかない……)
憂(!……そうだ!)
上着を脱ぎ、両手で丸めながら先ほど組んだ足場をよじ登る。
水槽の縁から上着を突き出し、滝のような落水にぶつけた。最初は水をはじいていたブレザーが、徐々に重たくなっていく。
下を見ると、紬の長い髪が水面に海草のように広がっていた。
憂(もうこれくらいでいい!)
ずっしりと水を含んだ上着を片手に、足場から飛び降りた。水が抜けないうちに、筒へ駆け寄る。
憂「うわあああ!!」
ブレザーの袖を右手でつかみ、残りは左手で抱え込むようにして、筒のなかに押し込んだ。
袖以外がお湯に沈んだところで、すぐに右手でブレザーを引き上げて、間髪入れずに左手を湯に突っ込む。
憂「ぁっつ……!」
やっぱり、かなり熱かった。唯がうっかり炊いたマグマ風呂よりずっと熱い。
歯を食いしばりながら、鍋底を探る。すぐに、鍵が指先に触れた。
憂「はあっ……はあっ」
憂(またっ、二個……!)
出てきたのは、リングにつながれた二つの鍵。
しかし、息をついてる暇はない。そのまま足場を登り、アクリル壁を乗り越えて水槽に飛び込む。
紬はいまや、完全に頭まで水没していた。
水槽内に着地すると、大きく息を吸い込んで水にもぐった。
憂(まずは足から……!)
腕を先に開放すると、パニックになった紬が暴れて手が付けられなくなる可能性があった。
それに、水位がある程度上がったいま、底の方はそれほど泡立ってもいなくてやりやすそうだった。
憂(見えないっ)
水中で目を開けてみるが、度の強い眼鏡をかけたときのようにぼやけてよくわからない。
再び目を閉じ、外から見たときの記憶を頼りに鍵穴を探る。大体、両足の真ん中にあるはずだ。
両足を結ぶ鉄輪をなでながら辿っていくと、指先に出っ張りと穴のような感触があった。
そこに指を当てたまま、確認のため目を開く。確かに、なにか周りとは違うようだ。
憂(もう苦しい……)
口にためた空気を、ゴボゴボともらしてしまう。
憂(一発で外れて……!)
鍵を差し込んだ。力を込めるが、左右どちらにもまわらない。
憂(はずれ……苦しい……でも息継ぎしたら、また鍵穴を見つけるのに時間がかかっちゃう)
憂(苦しいっ……もう限界)
頭のなかがカァーッと熱くなって、鼻が顔のなかに引き込まれるようだ。
鍵を持ち替えて、差し込む。
憂(まわった……! まわったまわった!)
紬の両足首を固定する鉄輪が二つに割れ、蓋のようにぱっくりと開いた。
足が自由になったのを確認して、すぐに水面に顔を出す。
水位はさらに上がって、もうそこに足はつかない。
憂「はあっ!! はぁっ、はあっ……」
再び水中にもぐれるほど呼吸を落ち着かせ、息を大きく吸い込むには少し時間がかかった。
最初よりもすこし不十分な準備で、二回目はもぐった。
腕の鍵の位置は足よりもはっきりと覚えていた。すぐに鉄輪を捕まえ、指先が鍵穴を探り当てる。
足の鍵をはずしたその鍵を、そのまま差し込んだ。
憂(やったっ……)
鍵がまわり、両腕の鉄輪も割れる。しかし、紬の腕はそのまま浮力に従ってふわりと浮いただけで、まったく動こうとしない。
憂(気絶してる……!?)
あわてて、紬の両脇に腕を通す。
人を抱えて水中を浮き上がるという初めての体験だったが、浮力と紬の抵抗がまったくないのとで、案外すんなり行った。
足にぶつかった背もたれを思いっきり蹴ると、すぐに水面に顔がでた。
しかし、そこからが問題だった。
憂「はぁっ……はあっ……?」
水位は確かに上がっている。しかし、手を伸ばしても水槽の縁に手が届かない。
憂(水がたまるまで待たないといけないの……!?)
憂(そう……だよね)
縁に手が届いた時点で、自分ひとりなら脱出することができる。しかしいまは、意識を失っている紬がいる。
憂(……)
必死で立ち泳ぎをしながら、紬の顔を注視する。寝ているだけなわけないことはわかっていたけど、鼻先に耳を近づける。
憂(やっぱり息してない……!)
一刻も早く心肺蘇生をしなければいけない。しかし、こんな体勢ではどうしたらいいかわからない。
とりあえず、鍵を握ったままだった右手で紬の頬を何度かたたく。
憂(ダメか……)
そうこうしているうちに水位が上がり、右手が水槽の縁に届いた。これでずいぶんと、立ち泳ぎが楽になる。
体をひねり、水槽のなかからデジタルタイマーをなんとか視界に納めた。残り54秒。
憂(たぶん、ここが一杯になるのと一緒の時間なんだ……)
憂(それで、7分経ったら、30秒だけドアが開く……)
水槽はほとんど満杯に近づいた。
右脇でアクリル壁をはさんで大勢を安定させ、左手で、おなじように紬の両腕を水槽の外に出す。
紬の両脇が水槽にかかった瞬間、タイマーがゼロに鳴りブザーが鳴り響いた。
放水が止まり、同時にドアの開くきしむような音が聞こえる。
憂(30秒!!)
いったん右腕を壁から離して、紬を支えるためにブレザーの襟首をつかむ。
そして、左腕を尻にまわして一気に下から押し上げた。ある程度自信を感じると、右手を離して両腕で押し上げる。
紬は、腹を縁に引っ掛けて二つ折りの状態で安定した。
憂(急いで急いで!)
すぐに水槽から出て足場にした机の上に立つと、足を強打することになると承知で両腕を全力で引っ張った。
ずるずると引き出される紬の体。予想通り、両足が水槽の縁からはなれると同時に、下半身は机にしたたか打ちつけられた。
そのまま両腕を引きずって出口へ急ぐ。しかし、目前で扉が閉まり始めた。
憂(!! どういう仕掛けなの!)
左手を伸ばし、なんとかノブに手を掛ける。かなり強い力で引っ張られた。
憂(まずいよ……)
ノブからドアの縁に手を移し、体を挟み込んで抵抗する。そのまま、右腕一本で紬を手繰り寄せた。
スカートをつかんで完全に紬を美術室から引きずり出すと、全身の力が抜けて思わずひざを折った。
人生の使命をやり遂げたみたいに、大きなため息が出た。
憂(そうだ……! 人工呼吸……)
憂(……わかんない……)
人工呼吸の仕方なんて、まともに勉強したことは一度もない。
ドラマや映画でみるように、とりあえず鼻をつまんで額を下げ、あごを上げさせてみる。
口に耳を近づけてみるが、やっぱり呼吸していない。
憂(死んじゃう……!)
うろ覚えによれば、人は呼吸停止後何分か以内に回復させなければ生還率は何割か一気に減少するという。
その何分かは、もうとっくに過ぎているかもしれない。やるしかないのだ。
憂(ええいっ!)
大きく息を吸い込み、紬の口から息を送り込む。吸って、吐いて、吸って、吐いて――。
脈を確かめるとか、胸の伸縮とか、全然確かめていなかった。
ただ、いま自分のやっていることが紬を救うと、信じて人工呼吸を続けた。
そして続けること十数回……。
紬「ごぶっ……」
憂「!!」
紬が、息を吹き返した。
※>>54
澪「ちが……」
わない。少なくとも、胸を張って違うとは言い切れない。
和「違わないよね?」
表情を読み取られたのか、はじめからそう思っていたのか、和はあっさりと言い切った。
和「死んでよ、澪。それで、私が生き延びたら、律も、紬も、澪のもとに送って、私も死ぬ」
澪「やらなきゃいけないことって、それ……?」
和「違う……。違うけど、それも追加だね」
澪(狂ってる……なに言ってるの)
和「そうだよ……そうだ。みんな連帯責任だよ」
澪「……え」
和「唯は死んだ。それなのに、死に追いやった人間がのうのうと生きてるなんて、おかしいよ」
澪(殺す気だ……殺す気なんだ……本気で)
和がもう一歩踏み寄ってきたとき、体はほとんど無意識で動いていた。
すばやくカバンから包丁をつかみ取って、距離をとって和に向き直る。
澪「来ないで……私だって、死にたくない……!」
※>>54
和「澪っ……!」
澪に包丁を向けられ、内心かなりびっくりした。
しかし、体は動かなかった。毒による倦怠感か、それともさっき固めた決意のせいか。
刃物を向け合い、立ちすくむ二人。
和(まさか包丁を持ってるなんてね。やっぱり、ここで終わりか……)
さっき澪に言ったことは本気のつもりだった。少なくとも、いまは。
和(……そううまくはいかないか)
和(さすがにツケを払うとき、なのかな)
最終更新:2010年02月27日 01:49