※>>76
和「心配してるなんて、嘘だったよ……唯」
澪「え……?」
また、涙が溢れ出してきた。
刃物を向け合っているのに、相手を殺すと決めたのに、感情の波が抑えられない。
和「澪は……いなかったよな、あの日」
澪「あの日……?」
和「私が唯を……殺した日」
※>>76
澪「な、なに言ってるんだよ和……唯を殺したって……」
和「私が殺したんだ……私が殺したようなものなんだよ」
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その日は、12月のはじめのやけに寒い日だった。
あれ以来、また唯とはあまり口を利かなくなって、唯の方も相談に来たりはしなかった。
状況は全然変わっていないのに、なぜか肩の荷が降りたようになって、安心していた。
放課後、生徒会の仕事の途中たまたま音楽準備室の前を通りかかると、いきなり律と紬が飛び出してきた。
カバンを持って、脇目も振らずに走り去って行く。こちらのことなどまるで気づいてないようだった。
和「なに……!?」
和(なにかあったの?)
おそるおそる、音楽室をのぞいてみる。
和「ヒッ……」
言葉を失った。部屋の中央で、唯が首を吊っていた。
暴れる様子もなく、両足はぶらりと垂れ下がっている。
和「――――」
頭のなかが真っ白になって、しばらくその場で立ち尽くしていた。
ようやく混乱が去り、冷静さが指示を出しはじめる。
和(は、早く降ろさないと!!)
そのために一歩踏み出したとき、心のなかに二匹目の悪魔が降りた。一匹目とは比べ物にもならない、大悪魔だった。
「唯さえいなければ……」
足が止まった。
唯がいなければ、あの失態を気にすることなく、憂に近づくことができる。
唯を失い悲しむ憂の心の隙間に、入り込むことだって……。
和(……)
何分か、再びその場で腰を抜かしたフリをしていた。誰かが入ってきてもいいように。
そのあと、唯を降ろすことなく、たったいま知ったような慌てようで、職員室に緊急事態を伝えに行った。
唯は、助からなかった。
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憂は、葬儀のときこそ泣きじゃくっていたが、その後は意外に気丈に振舞っていた。
姉を失いはしたが、それだけで自分の心まで死んでしまうほどヤワじゃないと、両親や周りの人に教えたかったのかもしれない。
登校時に鉢合わせた憂が笑顔で挨拶して来たときには、逆にこっちの心がつぶされそうだった。
憂から電話がかかってきたのは、唯の死から、ちょうど一ヵ月後の夜だった。
跳ね回るように高鳴る心臓を抑え電話に出てみると、聞こえたのはほとんどなにを言っているのかわからない憂の泣き声だった。
もちろんそれでも貴重な憂からの電話だったが、「寂しい」という単語か聞き取れた瞬間に、部屋から飛び出していた。
平沢家の玄関先で、涙で顔をくしゃくしゃにした憂に抱きつかれたときは、天にも昇る思いだった。
その夜はそのまま平沢家で、泣きつかれた憂に膝枕をして朝を迎えた。
その後は、本当に浮かれてすごしていた。わが世の春だった。
憂はなにかと頼ってくれるようになったし、二人っきりで出かけるようなことも多くなった。
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和(今日の今日まで、後悔してなかった。私自身が、悪魔だったんだ)
涙をぬぐい、もう一度しっかりとナイフを握りなおした。
和「唯が死んだことで、こんなことになったんだから、ほとんど全部、責任は私にあるんだ……」
澪「なんで……」
和「さっきは責めるような言い方してごめん……」
澪「え……?」
和「澪は悪くないよな……でも、さっきも言った通り、どうしても私、やらなきゃいけないことができたんだ……!」
ナイフを突き出した。間違いなく、今度は自分の手で人殺しをするために。
澪「のわっ!」
突然突き出された和のナイフを、なんとか、いやらくらく避けた。
そのままバランスを崩し、倒れこむ和。再び、嘔吐の音と匂いが立ちこめる。
澪「和……」
タイマーに目をやる。残り79分21秒。和に残された時間は、もう20分もないことになる。
毒もかなり回っているのだろう、和にほとんど体力は残っていないようだった。
青白い顔にうつろな瞳は相変わらずで、ついには意味のわからないことまでしゃべり始める始末だ。
澪「和が唯を殺した……か」
苦しそうにうずくまる和を見下ろす。いまうしろから刺せば、いともたやすく殺せそうだった。
澪「見殺しにしたって意味なのか……? 和。幼馴染を助けられなかったって……」
和はなにも答えない。無力な背中からは、ただえずくような音だけが漏れ聞こえていた。
澪「それなら私だっておなじだよ……。律やムギを止められなかった……」
澪「和だけが責任背負うことじゃないんだよ……」
そのとき、和が絞り出すような声を上げた。
和「み……ぉ」
辛そうに立ち上がる和。もう、産まれたての子鹿ほどの力もなさそうに見えた。
和「澪……くるしいよ……死にたくない……」
助けを請うように伸ばす両手には、もうナイフさえ握られていなかった。
包丁を置き、和の両手を握ってやる。支えられたことがわかると、和はふっと安心したような笑みを浮かべて、そのまま体重を預けてきた。
澪「お、おい……」
受け止めるように、そのまま座り込む。ちょうど、和を膝枕するような格好になった。
澪「大丈夫か……?」
和「死にたくない……苦しいよ……ぜんぶ、灰色に見える……」
いよいよ最期のようだった。頭をなで、背中をさすってやる。
まだ少し時間はあるようだが、毒の回りが少し早かったのだろう。
和「澪がいてくれて……よかった……」
澪「お、おい! 死ぬな!」
和「……ぉ……」
澪「やりたいことってなんだったんだよ? わたしがきっと和の代わりにやるから、教えてくれよ」
和「…そ……れは」
澪「うん、なんだ……!?」
和のかすれた声を聞きとろうと上半身をかがめた瞬間、背中の方に鋭く熱が走った。
澪「ぐ!?」
もう一回。
和「それは……自分でやらなきゃ……意味がないんだ。ごめん、澪」
最期に見えたのは、仰向けに倒れる自分に向かい、両手でナイフを振りかぶる和の姿だった。
※>>84
さわ子「うううう、憂ちゃん! お願い助けて!! 唯ちゃんのことは、本当にごめんなさい」
憂「そう思うなら、どうしてお姉ちゃんを助けてくれなかったんですかっ!!」
さわ子「ホントにごめんなさい……御免なさい……」
さわ子「憂ちゃん……ここに……鍵穴があるわ……! だから鍵を早く」
さわ子は涙ながらに、唯一自由になるらしい右手のひじから先で正面を指差した。
こちらからは見えないが、どうやらそこに停止のための鍵穴があるようだ。
すぐに、鍵を探し始めた。
そしてほどなくして、その視線の先に飛び込んできたのは、一番大切な唯の形見だった。
憂「ギー太……!?」
すかさず駆け寄る。格技場での経験から、これが鍵に関わってくるんだろうというのは見当がついた。
憂(お願い……、そんなのはひどすぎるから……)
しかし見つけてしまった。ネックの先に、真っ白なポストカード。そして、これまでで一番残酷なメッセージ。
「ギター分解の知識はあるか、憂。なければ、助けを用意した」
ギー太のとなりには、それとおなじ長さほどもある大きなハンマーが置いてあった。
※>>84
憂(ギー太のなかに……鍵……)
憂(壊せない……お姉ちゃんが一番大切にしてた物だもん……)
さわ子「憂ちゃんお願い!! 早く助けて! もうのこぎりアアアアアアアアアアアアアアア」
憂「いやああああ!!」
ついに電ノコがさわ子の左手に到達し、金網が真っ赤に染まる。
細かい目をすり抜けた血飛沫は、憂の疲れ果てた体にもシャワーのように浴びせられた。
さわ子「ああああああああああああああああああああ」
このままだと、さわ子の左腕は上下真っ二つにされ、そのまま鋸は胸に進むだろう。
たまらず、ハンマーを持ち上げた。両手じゃないと扱えないほど、重いハンマーだ。
あの愛用したギターを見据える。
唯がはじめて聞かせてくれたただの雑音から、がんばって覚えたコードの数々。そして、軽音部で作ったというオリジナル曲。
死ぬ前の日だって、唯は練習を続けていた。うまく弾かれることはなかったかもしれないけど、世界一愛されたギターなのは、誰よりも知っている。
目を瞑って、両手に力を込めた。
憂「うああああああ」
せめて力いっぱい、ハンマーを振り下ろす。ギー太が苦しむことのないように。
破壊の感触だけは、確かに両手に伝わった。ギー太の悲鳴は、電ノコの駆動音にかき消され、耳には届かなかった。
憂「どこ、どこにあるの!!」
ボディーが砕けて、ブリッジから弦も外れたギー太を持ち上げ、書類を整えるときのように何度か床に打ちつける。
しかし、ぱらぱらとかけらが落ちてくるだけだった。ボディーのなかをのぞいてみるが、暗くてなにも見えない。
さわ子「ああああああああああああああああ……」
左手の切断は進み続ける。刃はいまや、手のひらを真っ二つにしようとしていた。
思わず、叫んだ。
憂「もうやめて!! 赦すから! 全部赦すから、もうやめてっ!!!」
ほとんど、鋸の音に飲み込まれる。当然、止まってはくれない。
憂「やめて……っ!」
ポロポロとあふれる涙を無視して、再びハンマーを構える。
レスポールの鮮やかなボディが原形をとどめなくなるまで、何度もハンマーを振り下ろした。
憂「お姉ちゃんっ……」
パズルのピースのようにばらばらになったギー太のボディーを、泣きながら一枚一枚確かめた。
やがて、ガムテープのような物が貼りついた大きな破片を見つける。
テープをはがすと、大きな鍵が一個、一緒にはがれてきた。
憂「あった……」
急いでガムテープから鍵を引き剥がし、金網の前に持っていった。
さわ子「ああア……ああ」
鋸は手首まで進んでおり、さわ子の顔は急激に青ざめていた。悲鳴もほとんど力がない。
そのとき気づいた。鋸が胸まで進まなくたって、ある程度腕を切られてしまえば出血多量かなにかで助からない。
憂「急がないと……」
さわ子の正面には、ちょうど20cm四方くらいの穴が設けられていた。鍵を渡すためのものだろう。
憂「さわ子先生!」
朦朧としているさわ子に大声で呼びかける。
高圧電流の看板を恐れ、金網に触れないように慎重に腕を差し込んでいく。
なにせ、体はびしょぬれのままだ。そこへ電気が流されれば、どうなるか。
憂「先生鍵ですっ! 早くっ……」
さわ子「届かなっ……」
憂「えっ……」
絶望的な宣告。
見ると確かに、右手の肘から先しか動かないさわ子に、自分の腕は全然届いていなかった。
憂「……」
まだ腕を伸ばす余地はある。でもそのためには、高圧電流の流れているらしい金網に体を押し付けなくてはならない。
さわ子「憂ちゃんっ……」
憂(やるしかないよね……)
いままで律や紬を救うのに、命に関わるような難題はなかった。怪我や痛みに耐えれば済むような試練ばかりだった。
だからこの電流も、そう強くはないに違いない。かなり辛い目に遭うかもしれないが、やるしかない。
鋸は、もう前腕の半分までも達そうとしていた。
根拠はないけど、もう失血死するかしないかの瀬戸際のように思えた。
憂「先生っ!!」
さわ子「……」
憂「先生、思いっきり腕を伸ばしてくださいっ! 先生!」
再び気絶したように頭をたれるさわ子に、全力で呼びかけた。
返事はなかったが、さわ子の右腕は再びこちらに伸びてきた。
憂(……いくよ)
最後のチャンス。思い切り歯を食いしばり、感電を体中に繰り返し予告しながら右腕を思い切り差し込んだ。
憂(ぐうっ……!!)
筋肉が内側から揺さぶられるような気持ち悪い感覚。これが、感電。
しかし、やっぱり死につながるような危険な電流ではないようだった。
肩、わき腹、腰と、濡れた体で金網に触れる。
憂「ははは、は」
言葉がうまく出せない。
憂(早くしてっ!)
手足が自分の体じゃないように、次々と感覚が麻痺していく。指先で鍵を持っているのも、もうわからなくなりそうだった。
さわ子も精一杯手を伸ばしている。
憂「……!」
鍵を持つ指に、明らかな外力を感じた。
手が届いたのだ。湧き上がるような安心感。指から、鍵の感触が失われる。
憂(渡したっ!)
すぐさま金網から体を離して、腕を引き抜こうとした。そのとき。
チリーン
お金の落ちる音に、人は敏感だという。
この電動鋸の騒音のなかでも、確かにそれに似た音は聞き取れた。
憂「そ……んな」
鍵は、床に落ちていた。
最終更新:2010年02月27日 01:57