「お待たせぇ、お姉ちゃん」
ハンバーグを盛ったお皿とお茶碗を持って声をかけた。
「お、おお、懐かしい匂いがするよぉー」目を輝かせるお姉ちゃん。
作っている最中にお姉ちゃんが消えてしまわないかと心配だったけど、どこにも行かずに待っていてくれたことに安心した。
わたしはテーブルの上に揃えてあるフォークとお箸の奥に、料理のハンバーグと白米の盛られたお茶碗を置く。
「あれ、憂は食べないのー?」
「わたしはさっき食べたから」
洗い物には昼食の食器も含まれていた。
今の時刻は大体二時、昼食には遅い時間。
「そっかー。じゃあ、食べちゃうよー!」
「どうぞ、召し上がれ」
「いっただきまーす!」
フォークを使って、デミグラスソースを割り、お肉を割る。
中からは肉汁がじゅわりと音をたてるように溢れ出る。
フォークに捕まえられたお肉はお姉ちゃんの口へ。
「うおほほっほー! 美味しいーーーーーーーーーーーー!!!」
本当に美味しそうな顔をするお姉ちゃん。
久しぶりに見れた。
幸せそうな、美味しそうな、そんな顔を見ると、こっちまで嬉しくなる。
「憂、美味しいよぉー!」
「ありがとう、お姉ちゃん」
お姉ちゃんがお肉を刺したフォークをこちらに向ける。
「あーん」
「え?」
「ほらほらー、あーん」
お姉ちゃんに言われるがままに口を開ける。
「あーん」と言いながら、自分も口を開けるお姉ちゃん。
お肉が口内に納まる。
「どおどお?」と、感想を求めてくる。
「えっと、美味しい?」疑問系になってしまった。
自分で料理の感想を言うのには抵抗がある。
「美味しいよねぇ、憂。さすが憂だよ! 流石わたしの妹!」
「あはは」
お姉ちゃんはあっという間に、ご飯を平らげてしまった。
「ごちそうさま」
そう言って、ポンッとお腹を叩く。
ふふ、本当にお姉ちゃんは可愛い。
再び洗い物をした後、わたしとお姉ちゃんはDVDを観ることにした。
学園祭のDVDだ。
このDVDを観るのは、今回が二回目。
澪さんに渡されて観たのが最後。
「よく撮ってたね」とお姉ちゃん。
「梓ちゃんが純ちゃんにお願いして撮って貰ったんだよ」
「あずにゃんは気が利くなー」
「ええと、これで」
ゲーム機にDVDをセットして、コントローラーを操作する。
「お、始まった!」
「まずは軽音部の皆さんの演奏だね」
「懐かしい曲だー」
お姉ちゃんが歌っていた曲。
お姉ちゃんの生きた証。
テレビの画面を通して、証を持った曲が、世界が、お姉ちゃんの存在を訴え掛けてくるみたいだ。
澪さん、律さん、紬さん、梓ちゃんの四人によって曲は奏でられる。
ライブはどんどん進み、遂に最後の曲だ。
わたしの出番。
画面に、わたしが舞台袖から出てくるのが映る。
お姉ちゃんに観られると思うと、なんだか恥ずかしい。
「あ、憂が若い」
「え?」
今のはちょっとショックだ。
「まだ若いよー、お姉ちゃん」
「冗談だよー」
ふざけあっているうちに、画面の中のわたしがマイクの前に立っていた。
律さんが曲の始動を指揮する。
曲が始まる。
お姉ちゃんは画面に集中していた。
わたしはお姉ちゃんの顔を眺めていた。
時折、眉や目、頬や口が動く。
お姉ちゃんはこれを観て、何を思うのだろうか。
自分のいない軽音部を見て、何を思うのだろうか。
わたしの歌声を聴いて、何を思うのだろうか。
そんなことを考えながら、お姉ちゃんの顔を眺めていたら、目が合った。
「終わっちゃったね」
わたしはそれを聞いて、画面に目を遣る。
画面は真っ黒だった。
お姉ちゃんの顔を見ているうちに終わってしまったみたいだ。
軽い溜息を吐いて、
「よかったー」と、お姉ちゃんが言う。
「なにが?」
「また、憂が歌う姿を見れて」
わたしもよかったよ。
お姉ちゃんが見てくれて。
でも、それ以上に。
お姉ちゃんに会えてよかった。
「憂?」
首を傾げて、わたしを見る。
「よかった」と、わたしは小さく言う。
「うんうん、よかったよー」
そう言って、笑い合う。
昔に戻ったみたいに。
夜。
わたしとお姉ちゃんは一緒にお風呂に入った。
わたしの胸を見て、拗ねた演技をしたお姉ちゃんは可愛かった。
二人でベッドに入る。
「あー、憂と寝るのも久しぶりだねー」
「うん。でも、布団をもっていかないでね」
「しないよー、そんなこと」
この日、この時、わたしは幸せだった。
幸せがわたしを包み込み、ふわふわして落ち着かない気持ちだ。
寝息が聞こえた。
お姉ちゃんの身体が呼吸をする度に上下する。
安らかで無垢な寝顔。
些細なことだけど、全てが懐かしく、愛おしい。
さあ、わたしも寝よう。
お姉ちゃんの隣で、お姉ちゃんと手を繋ぎながら。
この夜、布団の行方がどうなったかは言うまでも無い。
翌朝、わたしが起きた時、お姉ちゃんはまだ寝ていた。
さわやかな気分だった。
これもお姉ちゃんがいるからか。
寝顔をしばらく見たあと、起こさないようにベッドから降りて、部屋を出る。
顔を洗い、水を飲む。
パジャマのままだけど、朝食の準備をしよう。
今日はサンドウィッチだ。
具はツナと卵にトマト等の野菜の三種類。
いつもより一人分多いから、変な感じがする。
サンドウィッチを作り終え、テーブルにセッティングをしていたところ、お姉ちゃんが起きてきた。
「憂、おはよー」と、目を擦りながら言う。
「おはよう、お姉ちゃん。朝ご飯出来てるよ」
お姉ちゃんは「うーん」と返事をして、欠伸をしながら洗面所に行く。
さて、予定では今日アルバイト先に出かけなければいけない。
お姉ちゃんを家に残して行くことになる。
一人にして大丈夫だろうか。
毛先を少し濡らしたお姉ちゃんが食卓につく。
「あのね、お姉ちゃん。わたし、アルバイトに行かなくちゃいけないの」
「あー、うん。ファミレスのバイトだよね」
「え、なんで知ってるの?」
「憂のことなら、なんでも知ってるよ、わたしは」
そっか、ライブも観てたみたいだし、そのぐらい知っていてもおかしくはない。
「憂のウェイトレス姿、似合ってて可愛いよ」
「え、そうかな。そんなことないと思うけど」
駄目だ。
お姉ちゃんに褒められると、嬉しさより、照れくささが勝ってしまう。
顔が火照ってるのがわかる。
「あー、憂。顔赤いよー」
「お、お姉ちゃん。早く食べようよ」
「そうだねぇ」
ふう、話を変えないと畳みかけてきそうな雰囲気だった。
危ない危ない。
それにしても、再びこうやってお姉ちゃんと朝を迎えられるなんて、思ってみなかった。
それだけに、この幸福感がいつまで続くのか疑問であり不安だ。
諸行無常。万物流転。会者定離。
出会いもあれば、別れもある。
お姉ちゃんはいつ消えてもおかしくはない。
わたしがアルバイトから帰ってきたら、もう居ないということもありうるのだ。
そうなったら、わたしはまたもや言い知れぬ喪失感を味わうことになる。
別れが恐い。
「憂、どうかしたの? 顔色悪いよ」
わたしの顔を下から窺いながら、心配そうな声を出す。
「な、なんでもないよ」
「ほんとに?」
「うん」
無事をアピールする為に、サンドウィッチに手を伸ばして口に運ぶ。
その間もわたしを見ていたので、口に入れた分を飲み込んでから感想を尋ねる。
「味付けはどうかな、お姉ちゃん」
「なかなかのお手前だね」
「美味しい?」
「憂みたいにおいひいね」
「食べながら話しちゃ駄目だよ」
「えへへ」
わたしの心を納得させ落ち着きを与えるには、目の前であどけなく笑う、お姉ちゃんを信じるしかないのだろう。
信じても、実体のない不安はもやもやと身に宿ったままであることは明白だ。
けれど、選択肢はそれ以外にないのだから仕方がない。
わたしがアルバイトを終え帰宅し、玄関を上がった時だった。
二階からギターの音が聞こえてきた。
二階に上がり、音が聞こえてくるお姉ちゃんの部屋に足を踏み入れる。
「お姉ちゃん?」
「あ、憂。おかえりー」
お姉ちゃんは床に座りながらギターを抱えていた。
「ギー太を見つけたら遂弾きたくなっちゃってさ」
「弾けなくなったりしてないんだね」
「そういえば、そうだね。わたしが天才だからっ!?」
「自転車と一緒なのかも」
「えー、天才がいいよー」
「あはは。お姉ちゃん、お昼は食べたよね」
「いただきました」
わたしがそれを聞いて、一階へ戻ろうと部屋から出ようとした時、鞄の中で携帯電話が着信を告げるメロディを発していた。
鞄の中から携帯電話を取り出した時にはメロディは終わり、画面には新着メールのお知らせ文が表示されている。
メールの送り主は梓ちゃんだった。
返信の為の文章を考え、キーを押していく。
文章の作成途中で指が止まる。
忘れていた。
当たり前のことを忘れていた。
どうして今になって気付いたのだろう。
突然訪れた幸福に溺れていて、外に目がいかなかった。
どうかしている。
「お姉ちゃん!?」
後ろを振り返り、部屋でギターを弾くお姉ちゃんに呼びかける。
お姉ちゃんは手を止め、こちらを見る。
「軽音部の皆さんに会ってみない?」
そう、この世に姿を現したのなら、わたし以外の人、それもとりわけ大事な人達に会わない理由はない。
どうせなら、お姉ちゃんの為にも、皆さんの為にも会うべきだと思う。
お姉ちゃんの死に悲しみ悩んだ人は、わたしだけではないのだから。
ぽかんと口を開けて、固まるお姉ちゃん。
わたしと同じく忘れていたのか、もしくは考えがなかったのか、または触れられたくない話題だったのか。
表情を見た限りでは、最後のはなさそうだ。
お姉ちゃんは開口したまま、こくこくと二度三度頷いて答えた。
「そうだね。そうだそうだ。憂にも会えるんだから、みんなにも会えるよね。思いつかなかったよ」
「わたしもいま考えが浮かんだんだけどね」
「そっかぁ、みんなに会えるんだぁ」
そう言って、明後日の方向を見るお姉ちゃんは顎に手を当てながら、なにやらを思い出しているようだ。
きっと、昔のことでも思い出しているのだろう。
停止していた指を動かし、作成途中のメールを少し改変して送信する。
会うなら早い方が良いだろうと思って、梓ちゃんの予定を尋ねてみた。
返信は直ぐに届いた。
『いいよ。時間と場所はどこにする?』と書かれた文面。
よし、これで第一段階はクリアだ。
時間と場所を指定して送り返す。
『わかった。
今日ってバイトだったよね。もう終わったの?』
『うん、午前と午後の早い時間帯だったから。
明日は楽しみにしててね、プレゼントがあるから』
『なになに、なんかあったけ? なんのプレゼント???』
『まだ秘密だよ』
絵文字を省くと、大方こんな感じのやり取りだ。
ここまでメールをしたところで、名前を呼ばれた。
「憂、なんか嬉しそうだね。なんかあった」
「明日、梓ちゃんと会うんだけど、お姉ちゃんも一緒に来ない?」
「明日!? 行く行く! あずにゃんに会いたいもん」
「お姉ちゃんは梓ちゃんのこと好き?」
「うん、当たり前じゃん」
「そうだよね。当たり前……だよね」
こうもはっきりと言える辺り、本当に梓ちゃんのことが好きなのだろう。
僅かながら嫉妬をしてしまう自分がいる。
姉妹という家族の繋がりではなく、お姉ちゃんと友達関係になるという、不可能な繋がりに憧れを抱いているのかもしれない。
そんな醜い欲求を認めたくはない。
妹として生を享けただけでも感謝すべきなのだ。
血という実体で繋がっている、この身体に宿った意識で満足すべきなのだ。
頭の中で、独占欲の出現に抵抗する自分。
それでいい、そのまま頭の外へ追い出してしまおう。
「憂、なに着ていけばいいかなぁ?」この声に我に返る。
お姉ちゃんがこちらを見ていた。
「お姉ちゃんの服、残ってるから安心して。状態は見ないと分からないけど」
依然として、頭ではなく胸の奥にもやもやとしたものが残留していたが、努めて平静に返事をした。
「着れなかったら、憂の借りるから大丈夫だよ」
「貸してあげるなんて言ってないよー」ちょっと意地悪に言う。
「駄目ですか?」
「いいですよ」
わたしとお姉ちゃんは、くすくすと笑い合う。
最終更新:2010年03月03日 03:04