春。

始まりの季節であり終わりの季節でもある。

私にとって春とは、終わりの季節だ。

梓「変わらないな…」

高校の帰り道にある一本の大きな桜の木。
今は桜が満開で、花びらが雪のように舞い散っている。

私は桜の木の下へ行き、座った。
そして、ひたすら待ち続ける。
この季節になると私が欠かせず行ってきた、行事とも言うべき行為。

桜の花びらを手に取り、目を閉じてみる。
そうすれば、あの人……私の大事なあの人との記憶がよみがえる…。


……

梓「練習しましょうよ!」

律「もうちょっと…」

唯「休んでから…」

梓「はあ…」

私は軽音部に入った。
小さいころからギターをやっていたし、それに新歓ライブでとても感動したので入ることを決意したのだ。
だけど、入ってみれば練習はしないし、お茶会はするし、変な顧問の先生はいるし…でとても大変だった。


澪「ほら、梓もこう言ってるんだから…」

この人は澪先輩。
私と同じくまじめな性格で、ちゃんと練習させようとするとてもいい先輩だ。

律「そうは言っても、面倒くさいんだよ~」

この人は律先輩。
ガサツで大雑把な先輩だ。
部長なのに全く練習しようとしない…困った人である。

紬「まあまあ」

この人はムギ先輩。
おっとりしててとても優しい。
だけど、このティータイムを作った元凶である。

梓「そうやってダラダラしてるのがいけないんです!いいですか?そもそも部活と言うのは……」

律「まーた始まった。唯!」

唯「らじゃっ!」

唯「あずにゃん!」

梓「なんですか!?私は今……」

唯「ぎゅーっ」

梓「あうっ…」

この人は唯先輩。
あずにゃんというこの人にしか考え付かないようなあだ名をつけた張本人である。
しかも私にスキンシップと称して抱きついてくる困った人である。
……でも抱きつかれるとホワワーンとするので嫌いではない。


梓「熱くなってしまってすみませんでした…」

唯「いいのいいの!あずにゃんかわいいから!」

澪「ごめんな?先輩達がこんなだらしなくて」

梓「いえ…もう大丈夫です」

澪「そっか」

澪先輩はやさしくて大人って感じのする先輩だ。
私の憧れの先輩でもある。
こういう人がお姉ちゃんだったらいいのに…

律「なんだよ…梓は澪にべったりだな」

唯「!」

梓「そ、そういうわけじゃ…」

律「ははは、照れちゃって~」

澪「お前が変なこと言うからだろ!」



律「それじゃあ今日は…」

梓「練習ですね!」

律「帰るか!」

梓「なんで!?」

澪「今日は私、用事があって…」

梓「そうなんですか…それじゃあ仕方ないです」

律「何この私との違いは…」

紬「あらあら」

……

唯「ねえねえあずにゃん!」

梓「なんですか?」

唯「あずにゃんは好きな食べ物とかあるの?」

梓「私は…甘いものなら何でも…」

唯「とくに好きなのは?」

梓「タイ焼きです!!」フンスッ

唯「そ、即答だね…」

こうして二人で帰るのも、恒例になっている。
唯先輩という人は私が今まで出会ったことのない、不思議な人だ。
練習はあまりしてないし、すぐだらけてしまう。
同じギターの奏者としてそのふまじめな態度が許せない…
それでも、どこか憎めないところがあるのだ。
この人がいるだけで周りが柔らかくなってしまう…本当に不思議な人だ。


唯「じゃあ食べに行こうよ!」

梓「ダメですよ…今日だっていっぱい食べたじゃないですか」

唯「それとこれとは別なんです!」

梓「太っても知りませんよ?」

唯「私、いくら食べても体重増えないんだよ!」

梓「うらやましすぎる!」

唯「あれ?言ってなかったっけ」

梓「初耳です…」

私にとっては嫌がらせの何物でもないその言葉…
さらに屈託のない笑顔が嫌味さを増してくる…
それでもかわいいから許されてしまうのが唯先輩のいいところなのだ……多分。


梓「私はいいですから、唯先輩だけで食べてくださいね?」

唯「あれ?ダイエット中なの?」

梓「ぶ、部活にはいってからムギ先輩のお菓子食べるようになって…これじゃいけないと思って…」

唯「大丈夫だよ~。あずにゃんは十分痩せてるよ?」

梓「いいんです!」

しばらくしてタイ焼き屋さんを見つけて唯先輩と私は買いに行った。
ここのタイ焼きはあんこがちゃんとしっぽまで入っている素晴らしいタイ焼きだ。唯先輩はお目が高い。
しっぽまであんこが入ってないタイ焼きでは私は満足しない。
若い乙女は欲張りたい年頃なのだ。

唯「はい、あずにゃん」

私がタイ焼きに思いをはせていると、唯先輩がタイ焼きを差し出した。
まさか私の分まで買ってるなんて…あんなに言ったのに…


梓「うっ…い、いらないです」

唯「ほぉら!遠慮しないで!はい!」

そこまで言われると断るに断れない。
あ~んと差し出されたタイ焼きを私はパクンと咥えた。

梓「……」ホワーン

唯「おいしい?」

梓「……」コクン

唯「えへへっ、よかった!」


梓「あっすみません…お金は出します!」

唯「いいよ。これは私のおごり!」

梓「で、でも…」

唯「こういうときは先輩を立てなきゃだよ?あずにゃん」

梓「は、はい」

この人はやさしいだけじゃない…
その器の大きさが、人々を笑顔にさせるのだろう……多分。

唯「あーおいしかった!」

梓「おいしかったです」

唯「あっ!あずにゃん、口にあんこついてる」

梓「えっ?どこですか?」

唯「ほら、ふいてあげるよ」

そう言うとハンカチを取り出し拭いてくれた。
私は他人にやさしくされるなんてことに慣れていなかった。
人にやさしくされることにどこか恥ずかしさを覚えるからだ。
そんな私にやさしくしてくれる唯先輩に私は素直になれなかった。

梓「は、恥ずかしいです!」バッ

そう言って唯先輩の手を振り払ってしまった。

唯「あっ…ごめんね」

唯先輩は何も悪くない。
悪いのは私なのだ。

梓「す、すみません…」

唯「う、うん…」


梓「……」

唯「……」

気まずい…
ここは事の発端を作った私がどうにかしないとダメだ。
でもどう切り出したらいいかわからなかった。

唯「……あずにゃん!」

梓「へっ?」

そうこう悩んでるうちに唯先輩が小指を突き出してきた。

唯「はい!指きりげんまん!」

梓「えっ…」

唯「もうあずにゃんの嫌がることはしないって約束するから!」

梓「は、はい…」

指きりげんまん…なんとも唯先輩らしい解決策だった。
だけど…本当は私が切り出すべきだったのに…
それに、さっきのは別に嫌じゃなかったのに…
それが言いだせないのは私がまだ子供だということだ。

唯「はい!仲直り!」

梓「す、すみません…」

唯「もういいんだってば」

梓「でも…」

唯「…よし!」

私が反応に困っていると唯先輩は私の手を握りだした。
あたたかい…それが私の最初の印象だった。


梓「ゆ、唯先輩!?」

唯「今日は手をつないで帰ろうよ」

梓「は、恥ずかしいですよ…」

唯「大丈夫!手を握ればね、その人と仲良くなれる!って私は思うんだ!」

唯先輩の超絶理論で私たちは手をつないだ。
傍目からみたら仲良しな姉妹か友達に見えるだろう。
だけど私は…違う気持ちを抱いていた。

唯「へへへ~!あずにゃんと手をつないで帰れるよ~!」

梓「うぅ…///」

この人は億劫もなく恥ずかしい言葉をかけてくる。
それが唯先輩の特技なのだ。

結局、私と唯先輩は手をつないだまま家路についた。
思えば、これが始まりだったのかもしれない。

……


律「合宿するぞっ!」

夏真っ盛りでとても蒸し暑いときに律先輩が大声で宣言した。
正直うるさいのでもう少しボリュームを下げてほしい。

唯「今度もムギちゃんの別荘なの?」

律「そう…だよね?」

紬「ええ、大丈夫よ」

澪「ちゃんと聞いとけ!」ゴスン

律「あうっ!」

澪先輩のゲンコツが律先輩にクリティカルヒットした。
まあ、いつもの光景だ。

梓「合宿ですか…」

唯「楽しいよ!海で泳いだり、花火したり、いろいろするんだよ!」

梓「練習はしないんですか?」

唯「する…よ?」

何とも頼りない返事である。
合宿とは名ばかりで、実際はただ遊びに行くだけなんじゃないのか?
この軽音部にはありうる……

梓「ちゃんと練習しましょうね!」

唯律「うーい」

何ともやる気のない返事である。
この二人はもとから遊ぶつもりなのだろう。

澪「まあ、息抜きも必要じゃないか」

梓「そうですね…」

紬「あらあら」

こうして不安で胸いっぱいのまま合宿することになったのだ。


合宿当日、私たちはムギ先輩の別荘に着いた。

梓「……」

でけーー!
何?やっぱりムギ先輩はお嬢様なの?
私と住んでる世界が違いすぎるだろ!

紬「ごめんなさいね?前言ってた一番大きい別荘は今年も無理だったの…」

これより大きいって…私の家より大きいんじゃないのか?
ムギ先輩のお嬢様度は私の予想のはるか上だった。


まずは練習……ではなく、あの二人の提案により海で遊ぶことになった。
不本意な私をよそに、思いっきりはしゃぐ先輩達。
行く前からわかってたことだったけど、やっぱりこの部活は練習しない。
こんなんじゃダメだ…と、わかっていてもこのスタイルを受け入れた以上は私も慣れないといけない。

唯「あずにゃ~ん!」

律「いっしょに遊ぼうぜ!」

梓「結構です…」

律「あれれ~。梓ちゃんは運動が苦手なのかな~?」

梓「そ、そんなことないです!やってやるです!」

まんまと挑発に乗った私は、身体が真っ黒になるまで遊んでしまった。
……まあ、楽しかったからいいけど。

そのあと、バーベキューしたり、花火をしたり、肝試しをしたり……
思いっきり合宿を満喫してしまった。


夜、トイレに行った帰りに電気がついている部屋を見つけた。
みなさんは眠りについているので誰もいないはずである。
おそるおそる中をのぞいてみると……そこには唯先輩がいた。
どうやら一人で練習をしているようだった。

いつも練習しないでだらけてる先輩だったのに…
それでもちゃんと練習していたのだ。

唯「本当にいいの?私の練習に付き合って」

梓「いいんですよ。私も前から唯先輩とあわせてみたかったんです」

唯「えへへっ、そっか~」

私は唯先輩の練習に参加させてもらうことにした。
ギターの先輩として、教えられるところは教えたかったのだ。
でも……唯先輩と二人っきりで練習することがなんだか楽しみだったからという理由もある。


唯「ここが難しいんだよねぇ」

そう言ってジャカジャカと弾く唯先輩だったが途中でつまってしまった。

唯「あうー、ダメだ!」

梓「こうですよ」ジャカジャカ

唯「うーん……やっぱあずにゃんってすごいね」

梓「ほ、ほめても何も出ませんよ!///」

唯「ただほめただけだよー」

梓「ま、まずはゆっくり弾いてみたらいいんですよ」

唯「おぉ!わかった!」

もう一回やってみると今度は上手くいった。
やはり唯先輩は呑み込みが早い。
もとからギターの才能があったんじゃないだろうかと思うぐらいだ。

唯「できたっ!」

梓「よかったですね」

唯「うん!ここまで出来たのもあずにゃんのおかげだよ!」

梓「そ、そんな…」

唯「あずにゃ~ん!」

そう言うと唯先輩が私に飛び込んできた。
私はなにも抵抗できずそのまま唯先輩と一緒にバタリと倒れた。
これも唯先輩なりの感謝の方法なのだ。

唯「えへへへっ」

梓「ゆ、唯先輩……」

……でも、この体勢はまずいんじゃないのか。
女同士とはいえ、こんな抱き合って倒れるなんて……
いやでも想像してしまう。


梓「唯先輩、苦しいですよ…」

唯「……」

私が苦しいと訴えても唯先輩は放そうとはしない。
逆にきつく抱きしめられる。

唯「ねえ、あずにゃん」

梓「は、はい……」

唯「あずにゃんは……女同士の恋はどう思う?」

それは突然の質問だった。
女同士の恋……それは世間体的にみればいけないとみなされてしまう。
でも、それは個人の自由だから私は特に否定したりしない。
質問自体は別にむずかしくないけど…それよりも問題なのは、この状況で唯先輩が聞いてきたことである。
これはつまり……そういうことなんだろう。

梓「わ、私は……その……」

唯「……」

梓「別に……いいと思います…けど……」



唯「……そうかぁ」

このあと唯先輩は何も聞いてこず、そのまま放してしまった。
そして、今日はもう遅いからと解散した。
その時の唯先輩の顔は、いつもと変わらなかった。

寝床に着いても私は眠れなかった。
まだ胸の高鳴りがおさまらない。

今日の夜の出来事を思い返してみる。
唯先輩の質問の意味はどういうことだったんだろう…
考えなくてもわかってしまうのだが…どこか信じたくなかった。
唯先輩はただの先輩……今までそうだったのに……

考えていくうちに意識がなくなっていった。

合宿後、私たち軽音部の集大成である文化祭のライブが間近に迫っていた。
去年は澪先輩がおパンツをお披露目したりしていろいろ大変だったようだ。
そして今度のライブは私にとって初めてのライブとなる。

唯「楽しみだね、あずにゃん!」

梓「は、はい…」

あれ以来、唯先輩を見てしまうと意識してしまうようになった。
あれで意識しないのはよほどの鈍感野郎だけだ。
ただ、唯先輩との関係は変わらずにそのままだった。


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最終更新:2010年03月04日 00:19