夕暮れの音楽室。

 私達軽音楽部は、学園祭ライブに向けて珍しくまじめに練習をしていた。

 と言っても練習時間は恐らく他の軽音学部とくらべて大したものじゃない。

唯「疲れたー!」

 それでも普段、お茶を飲んでお菓子を食べてるだけの私にとっては大きな負担になる。

澪「疲れたって……まだ一時間しか練習してないぞ?」

律「一時間も、だろ?」

 澪ちゃんが呆れた目で私とりっちゃんを見る。

 それも、この部活ではよくあることだ。

梓「もうすぐ学園祭なんですよ?もうちょっと練習しましょうよ」

 そういって頬を膨らますこの子の名前は中野梓

 今年入った部員で、その性格は澪ちゃんに似たマジメな性格。

 ギターの腕も私より断然うまく、入部当時は自分の立場が危ういと感じた。

紬「あの……」

梓「はい?」

紬「私もちょっと……疲れちゃったかも」

 ムギちゃんが本当に申し訳なさそうな顔でそう言った。

澪「ムギがそう言うなら……」

 さすがの澪ちゃんもムギちゃんには敵わない。

 というより、軽音楽部全員が敵わない。 

 きっとムギちゃんには、そういう力があるんだろうと本気で思った。

律「やったー!終わりだ終わり!」

 りっちゃんがスティックを置き、うーんと背伸びをする。

梓「まったく……こんなんで文化祭のライブは大丈夫なんですかね」

 そんなりっちゃんを見てあずにゃんは、ため息まじりでそう言った。

 普通、年下にこんなことを言われれば生意気と思うだろう。

 でも私には、それさえ愛おしく感じた。

唯「大丈夫だよあずにゃーん!」

 いつものようにあずにゃんに抱きつく。

 いつもの感触。

 いつもの匂い。

 ああ、あずにゃんだ。

梓「何が大丈夫なんですか……」

 少し前までは抱きついたら顔を赤くして嫌がっていたけど最近は慣れたのか、嫌がる気配はない。

 嬉しいような、悲しいような。

唯「だって今年はあずにゃんがいるんだもーん」

 そう言って私は自分の頬をあずにゃんの頬にこすりつける。

梓「や、やめてください!」

 さすがにこれは駄目か。

唯「あう……あずにゃんのいけずー」

 ふと横を見るとムギちゃんが頬を赤くしてこちらをずっと見てる。

 なんでだろ?……まぁいいや。

律「はいはいお前らイチャイチャしてないで帰るぞー」

 りっちゃんはすでに鞄を手に持って帰る準備ができていた。

 あ、澪ちゃんもか。 

梓「いちゃいちゃなんてしてません!」

 顔を真っ赤にして首を必死に横へ振るあずにゃん。

 かわいいなぁ。

 また抱きたくなったけど、これ以上やったら嫌われそうだからやめとこう。

唯「ほーい。私の鞄は……あっ」

 ソファーにある私の鞄を見ると、あずにゃんの鞄と寄り添うような形で置いてった。

唯「見て見てー。あずにゃんのカバンと私のカバン、ラブラブだねー」

梓「そうですか。いいから帰りますよ。」

 とくに反応もしてくれず鞄を持ち上げるあずにゃん。

 少しショックを受ける。

唯「ちぇー、少しぐらい反応してくれたっていいのにー」

梓「子供じゃないんですから……」

 あずにゃんが子供という単語を使うと、何となく笑えてくる。

 けどそれを言ったらあずにゃんは頬を膨らませて怒るだろうから心の中にしまっておこう。

 でも、怒ったあずにゃんも見たいな。

音楽室から皆が出る。

りっちゃんは、鍵を閉めると職員室に向かった。

一応部長だからね。

紬「じゃありっちゃんが戻ってくるまで下駄箱で待っていましょう?」

澪「うん」

梓「私は靴に履き替えてきます」

 梓ちゃんは一年生だから下駄箱の場所が違う。

 ああロミオ、どうしてあなたはロミオなの。

 こんなセリフがふと頭に浮かんだ。

唯「じゃああずにゃん、後でねー」

梓「はいです」

 私が手をヒラヒラと振ると、あずにゃんが振り替えしてくれた。

 それだけで、私の心は暖かくなる。

りっちゃんを除いた私達四人は、二年生の下駄箱で待っていた。

律「お待たせー」

りっちゃんが小走りで四人の輪の中に入る。

律「じゃあ帰ろうか」

唯「うん!」

私とムギちゃん。

その前にりっちゃんと澪ちゃんとあずにゃんが並んで帰る。

あずにゃんが歩くたびにツインテールが振り子のように揺れる。

だけどその振り子は、突然止まった。

梓「私、音楽室に忘れ物しちゃいました!」

澪「え?」

梓「今から取ってきますので、皆さん先に帰っていいですよ」

律「いや、待ってるよ」

梓「ちゃんと追いつきますから」

唯「じゃあ私も一緒にいくー!」

 あずにゃんと二人きりになれる!

 それだけで胸がときめいた。

梓「いや、いいですよ」

 胸のときめき、終了。 


梓「じゃあすぐ取ってきますのでー」

 そう言ってツインテールをかわいく振りながら校舎へ向かっていくあずにゃん。

律「じゃあ、先いってようか」

紬「でも……」

律「大丈夫、ゆっくり歩くから」

 そう言ってりっちゃんは、優しくムギちゃんにほほえむ。

 こういう時のりっちゃんって……かっこいいなぁ。

澪「でも忘れ物って何だろうね」

律「さぁ?……あ、ネコミミだったりして」

 にしし、といたずら坊主のような笑顔になる。

 同じ笑顔でも、こんなにも違うんだな。

 りっちゃんの言うとおり、私達は話しながらゆっくり歩いた。

 けど、あずにゃんが帰ってくる気配がない。

唯「あずにゃん、まだかなぁ」

澪「忘れ物、見つからないのかな」

唯「私心配だから見てくるね!」


 そういって後ろに振り返り、校舎へ向かう。

 後ろからムギちゃんが何か言ってたけど、聞こえなかった。

 たぶん聞こえても、振り返らないだろうけど。


唯(あずにゃん、音楽室にいるんだよね)

 それなら一度、上履きに履き替えなきゃと思い、下駄箱に向かう。

 二年二組の下駄箱。

 一番端っこの下駄箱。

 そこにあずにゃんの姿があった。

 いつもと変わらないあずにゃんがそこにいた。


 その可愛らしいお鼻で、私の上履きの匂いを嗅いでいるということを除いて。


 口が開いたまま塞がらない。

 ぽかーんっていう擬音は、こういう時使うんだろうな。

 言葉を探す。

 今のあずにゃんにかける言葉を。

唯「あずにゃん……?」

 あ、普通に呼んじゃった。

梓「唯……先輩」

 あずにゃんがこっちを振り向く。

 いつもならその振り向く姿も私は可愛いと思うだろうな。

 でも今は違う。

 振り向いたあずにゃんの右手には、私の上履きがしっかり握られていた。

唯「それ……何かな?」

 私の馬鹿。

 わかってるくせに。

 それは私が一年生の時から履いてる上履きそのものだ。

梓「あ……と……」

 ほら、あずにゃんが困っちゃった。

唯「その手に持ってる物は何って聞いてるの」

 なんでそんなに冷たく言うの?

 笑って「あ、それ私の上履きじゃーん」って言えばいいんだよ。

 ほら、言ってよ私。


梓「これは……う……」

 あずにゃんが泣いちゃう。

 私の大好きなあずにゃんが泣いちゃうよ。

 今なら間に合うよ私。

 いつものように抱きしめてあげてよ。

唯「私の上履きをなんであずにゃんが持ってるのか聞いてるんだよ?」

 なんで。

 なんで私こんなことを言うの。


梓「ごめんな……さい」

 なんで謝るのあずにゃん。

 謝ったら、あずにゃんが悪いことをしたってことだよ。

 そうしたら私、あずにゃんを叱らなきゃいけないんだよ。

 だって私、あずにゃんの先輩だもん。

唯「私は理由を聞いてるの」

 もういいでしょ私。

 あずにゃん謝ったじゃん。

 ほら、泣いちゃった。

梓「唯先輩の上履きの匂いを……嗅いでました」

 かわいそうなあずにゃん。

 あんなに涙をポロポロ流しちゃって。

 いけないんだ、私。

 こんな可愛い子を泣かせて。

唯「なんで?」

梓「唯先輩のことが……好きだから」

 やった。

 あずにゃんに好きって言われちゃった。

 ほら、喜びなよ。

 私も好きだよって言いなよ。  

唯「そっか。私のことが好きなんだ」

 ありがとう。

 私もあずにゃんが好きだよ。

梓「……はい」

唯「女の子として?」

梓「……はい」

 本当?

 私もそうなんだよ。

 ごめんね変な先輩で。

 あ、でもあずにゃん同じかー。

 おそろいだね。

唯「そっか」

唯「ねぇ、あずにゃん……」

梓「は、はい」

 ねぇ、あずにゃん


唯「……変態」

 ……大好き。


 私が無機質な声でそういうと、あずにゃんの中が、不安と悲しみに満ちるのがわかった。

 それと同時に私の中が、快感と欲望に満ちるのがわかった。

梓「へ……」

唯「違うの?」

梓「ち、ちが……」

唯「好きな先輩の上履きの匂いを嗅いだんでしょ?」

梓「それは……」

唯「好きな人の上履きを嗅ぐことは変態のすることじゃないの?」

梓「あの……ごめんなさ……」

 あずにゃんが謝るからいけないんだよ。

 あずにゃんが頬を濡らしながら私を見るのがいけないんだよ。

唯「あずにゃんは変態さんなんだよね?」

梓「はい……変態です」

 そういって顔を伏せるあずにゃん。

 小さいあずにゃんが、もっと小さく見えた。

唯「そっか。やっぱりあずにゃんは変態さんなんだ」

 あずにゃんに「変態」と言う度に、何かがこみ上げてくる。

梓「そうです……だから、許してください」

唯「許すって?何を許すの?」

梓「唯先輩の……上履きの匂いを嗅いだことをです……」

唯「何いってるのあずにゃん。私、別に怒ってないよ?」

梓「へ?だって……」

唯「ただ私はあずにゃんが変態さんなのか知りたかっただけだよ」

 ぞくっ。

唯「でも悲しいよ。こんなに可愛いあずにゃんが変態さんだなんて」

 ぞくぞくっ。

梓「あの、もう変態って言わないで……」


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最終更新:2010年03月07日 01:21