――私は お人形だった

 誰かの思うままに生きて

 誰かの思うままに過ごして

 なにも 考えない

 なにも できない

 毎日が同じペースで進む

 時計の針は あんなにもしっかりと動いているのに

 私は なにも変わらなかった

 檻の中の鳥

 子供の遊び道具の お人形

 琴吹紬(わたし)という存在は 抵抗もせずに 生きていた


「あのさあのさ! たまにはお話しようよ!」

 冬という季節が深くなり、外では木枯らしが吹く。
 今日の気温は最高温度が4℃で最低温度はマイナスにもなるという日。平沢唯はとつぜん、
 そんなことを言い出した。

「いつもしてるじゃないですか」

「そうだな。してるな」

 確かにそうだ。
 会話なら毎日している。部活の時間と行っても殆どがティータイムなのだから、私たちが
 改まって話をするコトなんてない筈だ。

「ぶー! ちがうもん! 昔の話だよ。みんなはどんな中学生だったのかなあって」

「……そういえば、その話はしてなかったな。毎回律が大暴れして」


「中学の時の話はしたくないんだ! 私は――今に生きる女だからな」

 律はモミアゲをいじりながら遠い目をする。
 そういえば律は過去の話をしない。一度だけ澪の恥ずかしがりエピソードを聞いたことが
 あるが、自分のことは話さないのだ。

「ねえムギちゃん! いいよね?」

 唯が唐突に私に話の矛先を向ける。
 ――にこり、と笑って首を縦に振る。
 刹那、唯の顔が一気にほころぶ。それはまるで太陽のような笑顔だ。

「私の話、聞きたい?」

 椅子に座る4人は一様に私の目をみる。
 ……ああ、なるほど。私こそ、自分のことを話していない。
 必要がない。
 というよりも、厭なのだ。
 私がお人形だったころの話は――できれば誰にも話したくなんてないのだから。


「私の話なんてつまらないわよ?」

「そんなことありません! ムギ先輩の話って、聞いててほわほわします!」

「梓の表現は言い得て妙だな。確かにムギの話は面白いな」

「痛い話もしないからだろ? 澪ちゅあん」

 ガツン、と一撃が律の脳天に振るわれる。
 これを見る度に痛そうだとは思うが、それは違う。澪の鉄槌が痛いのではなくて、律の石頭
 が奏でる音が、痛そう、という感想を生むのだ。
 実際、私は暴力を振るわれたことなんて一度もない。
 振るわれる機会がなかったからだ。
 私の前には誰もいなかった。
 私に、本気で接してくれる人がいなかったのだ。


「ムギちゃん……。ごめんね」

「え? どうして?」

「なんか、話しにくそうだったから……。私、余計なこと言っちゃったね」

 ――違う。
 余計なのは、自分だ。
 つまらない理由で、壁を作る自分が悪いのだ。
 変わらない。あの時から――

「――いいえ。私、話すわ。みんなに、私の過去を」

 だから、変わるように。
 憧れていたあの形に――。


 私こと『琴吹紬』は、言ってしまえばお嬢様だった。
 国内でも有数の大財閥である琴吹グループ。その嫡子なのだから、子供のころから
 一般の家庭と自分の家庭が違うことには、なんとなく気が付いていた。
 幼稚園や小学校。それらの教育機関が、私を否応なしにそれを知らしめた。

「つむぎちゃんは、どうしてパパやママが来ないの?」

 幼稚園の頃。友達にそんなことを言われた。
 授業参観、合唱祭、運動会、送り迎え。
 決して父も母も来てはくれない。来るのは、私を警備する人たちだけ。大きな大人と
 一緒にではなく、それはただ単に力をはびらせているだけに過ぎない。
 ふつうの子(とは言っても彼女も一般の家庭よりも裕福な家庭の子供なのだが)とは
 まったくちがう、イレギュラーな存在が私だった。

 それは生まれた瞬間から決められていた、運命じみたモノだ。
 小さな私には、特異というモノは決して勲章ではなく――烙印だった。


「紬お嬢様、お疲れ様です。どうぞ、お車に」

 幼稚園を卒園した私に、変化が与えられることはなかった。
 G学園少等部。霊園じみた空間に押し込められ、落ち着いた雰囲気は私の息を止めた。回り
 にいるのは、私と同じでも違うこどもたち。
 G学園は、世間では由緒正しい家の子供が入園する学校と言われている。
 私もその一人では在るのだ。
 ということは。
 周りの子供たちも同じ、そう考えるのが普通だ。
 しかし、それは違う。
 周りの子供たちには、ゆとりがある。
 父にも母にもゆとりがあって、子供が主役のイベントには顔を出す。
 幼稚園のころと何も変わらない。
 また、私は一人ぼっちなのだ。

 ――そのころ、私は何年も家族で食事をしたことがなかったのである。


 ――校内で、たった一人で歩き回る。

 目的などない。
 ただの退屈しのぎ。
 退屈には慣れている。
 両親もおらず、遊ぶ友達もおらず、好きなものもない私は常に退屈していたからだ。
 4階建て校舎の最上階かグラウンドを見下ろす。昼休み故に、みんなはサッカーをしたり、
 鬼ごっこをしていたりと、実に楽しそうだ。表情がそれを雄弁に物語っている。
 ガラスに、自分の顔がうつる。

「――!」

 吐き気がした。
 まるで、まるで死んだ魚のようではないか。

 人の表情ではない。

 少なくとも、愛情を受けて育った子供の顔ではない。
 のっぺりとした表情には、なにも描かれていない絵のような不気味さがある。

「なんで……こんなに……」


「――であるからして――」

 授業の時間も、私の退屈な気持ちはおさまらない。
 家庭教師に、教えられた内容をまた聞いているのだから当然だ。両親のお金で買ったが、決
 して一緒には選べなかった鉛筆を眺めて過ごす。
 周りの子は、皆が可愛らしいイラストの描かれた鉛筆を使用している。
 私は、それらの絵を知ることはないのだが、きっとあれは流行りのアニメや漫画のキャラク
 ターなのだろう。
 ……緑色。
 私の目に映るのは、無機質な緑色の鉛筆だ。
 買ってきたのは、誰だっただろうか。
 思い出せない。というより、知らないのだと思う。

「この問題を――本田くん」

 教師は私を決して指名しない。
 彼らは、私の後ろにいる財閥を恐れているのだ。
 私に恥をかかせたら、自分がどうなるのかがわからない。そんな打算から、だれも私を見て
 などくれないのだ


 ――それでも、私は辛くはなかった。

 小学校で過ごした6年間で、私は空虚だったのだから。
 夏休みの宿題も、苦ではなかった。
 誰かの機嫌を取る必要もなかったので、部屋に籠ってひたすら眠っていた。
 思えば、夢の中ならば父が私を抱きしめてくれるのではないかと期待していたからだ。

 もっとも、私は父の顔を覚えてなどはいなかったのだけれど。

「紬お嬢様。食事でございます。どうか食堂に」

「わかったわ。今行く」

 12歳となった私は、もう自分がほかの子供たちとは決して違うことに、完全に気が付いて
 いた。
 でも、否。だからこそわがままを言わなかった。
 『琴吹紬』という名の本体は琴吹にある。紬、など私を表す記号でしかない。簡略化すれ
 ば、私のことをシリアルナンバーで呼んでしまうほうが楽だ。
 琴吹の名前は軽くない。
 琴吹という名前を持っているのだから、誰にも本心は見せてはならない。

 琴吹紬が、紬として人に必要とされることは決してないのだから。

 図画工作の時間は没頭できる。
 目の前のリンゴを描け、と言われたら何時間でもやっていられる。
 絵の勉強ならば、小さな頃から教え込まれているからだ。

 やりたくもない絵が、上手くなっていってもうれしくなんてなかった。

 誰も見てなどくれないのだから。
 見たところで、大人が見れば社交辞令の対象だ。琴吹の名前が書いてあるだけで、その絵は
 称賛に価するものとなってしまう。
 故に、私は絵がうまくなんてない。
 本当に人の心を動かすことなんて、出来はしないのだ。

「あれ? 琴吹さん。ここは赤ではなくて黄色を使った方がいいよ。君は才能がないねえ」

 声をかけてきたのは図画工作の専門教諭である『杉山』だ。
 彼は私が琴吹に関心がなく、また盾としないことを良いことに、私に辛くあたる。

 それでも構わない。

 だって、どうでもいいのだから。

「それでは! 今日の時間はここまで! 宿題として――」

 気がつけば、授業時間は終わりにさしかかっていた。
 クラスメートは画用紙を提出して杉山の話を聞いていた。
 顔を上げた時には、すでに宿題の話になっていたようだ。
 ……図画工作に、未だかつて宿題など出た覚えはない。
 夏休みの宿題で風景画を描いたことはあったが、杉山はそれを目の前で破り捨てて見
 せた。悪気100%の行為であったが、その作品にも行為にも興味がなかったため、なんと
 も思わなかった。
 擁護してくれる人もいなかったので、その事件は当事者以外は覚えていない。

 にやにやと、杉山は私を見る。
 その下卑た眼に鳥肌が立つ。

 ――怖気がした。

 杉山の表情は、私を区別する目だ。
 私と、他の子供の違いをはっきりさせるために――

「お父さんの似顔絵を描いてきてくださーい!!」

 ――そんな、ことを言った。

「お父さんの似顔絵かー。上手く描けるかな」

「リカって絵がうまいから大丈夫だよ。このあいだも賞貰ったじゃん」

「あ、あれは……」

「琴吹さん?」

「うん……。あの子が辞退したから貰えたみたい」

「あの子、暗いよね」

「うん。なに考えてるかわからないしね」

 教室の隅で給食のパンをかじっていると、そんな会話が聞こえた。
 下らない内容ではあるが、こそこそしているが気に入らない私は彼女たちの方を見る。

 ――浮かべているのは薄笑い。

 目立ったいじめこそないが、私は確実に孤立していた。
 目立つ行動をされないのも、私が琴吹だからだ。
 琴吹の子供になにかしたりして、それが明るみに出たらその家庭は間違いなく終わってしま
 う。
 故に、この学校では私は触らぬ神だ。
 関わらなければ、祟りはない。

 ――それでも構わない。
 一人でいいのだ。
 私は――

 家へと向かう車の中で、運転する執事に尋ねた。

「私、お父さんの顔を知らないのだけれど……」

 運転席に座る執事はバックミラーで私を見る。
 目を少しだけ伏せ、もうしわけありません、と一言だけ口にした。

「どうして謝るの? 学校の宿題がお父さんの似顔絵なの。でも、私は顔も覚えていない。
 それに関して、あなたには責任なんてないわ」

 外に流れるのは見慣れた風景。
 もう、見飽きてしまった風景だ。
 私が手の届かないセカイ。

「紬お嬢様は、ご主人さまに会いたいですか?」

「別に。なんの感情もないわ。ただ、顔を知らないと似顔絵が描けないから」

「……」

 執事は何も言わなかった。
 口を紡いで、運転に集中していた。
 外には黒髪ツインテールの女の子が、ランドセルを背負って走っていた。

 あの子と私は、決して相容れない存在なのだろう。

「――ふう」

 ベッドに寝転んで天井を見る。
 そうすると、天井に厭なコトが浮かび上がってくる。
 まるで映写機のようだ。

 杉山の嘲笑。
 クラスメートの冷笑。
 執事の淋しそうな顔。

 案の定、父の顔は思い浮かばない。 
 私と同じで、眉がふとい、ということは知っている。
 髪の色も、肌の色も、そんな声をしているのかもわからない。
 聞いたことがあったとしても、覚えてなどはいない。
 たとえ、今会ったとしても、誰だろう。という感情しか湧かないだろう。

 制服から普段着に着替える。

「そろそろ――だなあ」

 膨らみ始めた胸を見て、そんなことを思った。


 ――結局、私は似顔絵を提出できなかった。

 真っ白な画用紙を杉山に見せる。
 執事の顔を描こうともした。
 だが、それでは駄目だ。
 私の心の隙間を認めることになるからだ。

 さびしいから。
 くるしいから。
 埋めてほしいから。
 助かりたいから。

 影武者とは、そういった心の緊張から造られるものである。
 敗北してしまうのが分かっているからこそ。人は自分を隠すのだ。
 杉山も、それを理解している。
 もとより、この男は私の心の隙間につけこんでいたのだから。

「君……いや、もういい」

 俯き、先刻までの勢いを失くす杉山を見ると、なんだか惨めに思えた。

 それが私の6年間。
 親の愛情とは全くの無縁。
 人に付け込まれないために生きてきた。
 そうして、中学生になったのである。

 変わる筈のない日常。

 変わる事のない自分。

 変わる意味のなどない。

 琴吹の娘としての自分だけを守っていればいいのだ。
 そのこと以外は、なにも考えてはならない。
 それでも、時には思った。

 家族で、一緒に食事をしてみたい。

 否。それはむしろ『誰かと時間を共にしたい』という欲望が大きかったのだ。
 心を通わせることなどない。
 私を守るという命令を遵守する者。
 私を保護するという名目で行われる軟禁。

 自室にはテレビもない。
 あるのは勉強机とグランドピアノと天蓋付きのベッド。
 このピアノは、母が昔使っていたモノだという。
 コン、と鍵盤を叩くと高い音が鳴った。

 それと同時に、ドアをノックする音が聞こえた。

「紬お嬢様。お電話です」

「だれ?」

「……奥さまです」


 受話器を取ると、聞き慣れない声がした。

『紬? 久しぶり』

「お母さん?」

『ええ。少しだけ時間ができたの。
 ――学校はどう?』

 ……少し、間を開けた。
 母が中学校ではなくて学校と言ったのは他でもない。間違えないためだ。
 私が、今小学生なのか中学生なのかも覚えていないのだから、間を開けて考えた。どちら
 にも対応できる言い回しを。
 これがその答えだ。

「ええ、つつがなくやってます。それより――」

『え!? 今行くわ。それじゃあ紬。お母さん、用事ができちゃったからまた後でね』

 一方的な会話。否、会話にもなっていない。
 まずか30秒の干渉行為だ。
 他人といってもいい。
 あんな母親なら、私はいらない。

 またあとで。

 そんなモノ――もう二度と来ないのだろうから。


「琴吹さん。ちょっと来てくれない?」

 ある日。見知らぬ男子生徒に呼び出された。
 背丈は170センチ程度の長身から察するに、三年生だろう。
 中学生でいうところの1つの年の差は大きい。
 14分の1と、これから何十年後の35分の1では大きな人生経験に差があると考えるから
 だろう。
 それ故にクラスは静まり、私は教室に混乱を招くのが嫌だったので、大人しく男子生徒に
 ついていった。

「なんですか?」 

「なんでもないけど、なんでもあるね。
 君のことが好きなやつがいてさ」

 ――なんだ。
 そういうことか。


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最終更新:2010年03月08日 02:35