「そうですか。じゃあ伝えておいてください。
 もう、二度と関わらないでくれと」

 くるり、とスカートを翻してUターンをする。
 15歳の少年の、下らない恋愛ごっこに付き合っているほど、私は暇ではないし自由では
 ない。
 そも、中学生の恋愛なんて限りなくアクセサリーだ。

 誰かが好き。
 誰かと付き合っている。
 誰かと深い関係になった。

 それを他者に言いふらして優越感に浸る。
 その為の恋愛ならば、いらないし関わりたくもない。

 と。
 肩に男子生徒の手が乗る。

「……なあ、悪いことは言わないからやめとけよ。そういうのは」

「触らないで」

 手を払いのけて教室へと向かう。
 男子生徒は『知らないぞ』とうわ言のようにつぶやいていた。


 その次の日から、誰かに付きまとわれている気がする。

 具体的にはわからない。
 教室にいる時も、食堂にいる時も、なにをしていても視線を感じる。
 昔から琴吹の娘ということで視線を浴びてきたが、これは違う。今までの視線とは全く
 異質なもの。
 喩えるなら、爬虫類じみた何かだ。
 じっとりと、べたべたとした視線はどうしても気分が悪い。
 羨望の眼で見られるよりも、それは不快だ。
 後ろを振り返っても、それは変わらない。
 どこから見られているのかも、誰に見られているのかもわからない。

「……気持ちが悪い」

 トイレにいても、視線を感じる。

「……え?」

 この汚物入れ。

 ――二重になってる。


 手に取って見てみる。

「やっぱり――」

 二重底になっている。
 そのうえ下のスペースに穴が空けられており、そこからカメラのレンズが覗いている。
 たった2ミリ程度の穴。今までは気にも留めなかったであろう異変だ。
 最新のカメラらしく、ご丁寧に映像をリアルタイムで送信されている。

 ――感じたのは怒り、などではない。

 ひたすらの嫌悪だ。

 おそらくこれは私に向けられた嫌がらせであろう。
 それでなくては、他の生徒がこの学校にあるであろう無数のカメラに気がつかないわ
 けがない。
 私のみを盗撮するように、カメラは設定されてある。
 こういったことには詳しくない故、どのようにすればそんなことができるのかは知らない。
 だが、この所業を行ったのがだれかは見当がつく。

「……どうして、こんなことを――」

「あの、神崎さん」

「え? どうしたの? 琴吹さん。珍しいね」

「そうかしら。
 最近、妙な視線を感じたりしない?」

「そんなことはないかなぁ。もしかして、なにかあったの?」

「……」

 周りの様子をうかがう。
 幸い、誰もこちらを見ていないようだ。隣の席ではあったが、一度も話をしたことのない神
 崎に今回のことを話してしまおう。
 私だけが知っていても意味はない。
 相手は私の映像を見ることが趣味なのだから、他の子には決して知られるわけにはいかない
 筈だ。
 ポケットに入れておいた隠しカメラを取り出して見せる。
 神崎の目が大きく見開く。

「それって……」

「ええ、お手洗いで見つけたの」

「最悪……。それってまさか……」

 一人では分が悪い。
 こちらは全く悪くないのだが、便宜上の仲間は必要だ。

 ――それから、水面下でこの話題は広がっていた。

 教員たちは無関心だ。
 というよりも、関わりたくないというのが本音だろう。
 なにせ、このG学園には全国のお金持ちの子供が集まる学校だ。妙な動きをして、自分の
 立場を危うくするなんてことは愚の骨頂である、と教員たちは考えているのだ。
 本来なら。
 本来ならば最低だ。
 それではここは無法地帯になってしまう。
 否、すでに無法地帯となっている。
 なにせ盗撮用カメラが悠然と学校の至る所に仕掛けられているのだから。

「琴吹さん。もう、この学校のほとんどが『アノコト』は知ってるわ」

「そう」

「そう、って。琴吹さんは怒ってないの?」

「別に。ただ、愚かしいだけ」

 愚かしい。
 本当に、愚かしい。
 意味のないことに、道理のない行動に。
 腹が立つのではなく――嘆かわしい。
 だから――

「とにかく、そろそろ向こうも動くだろうから。証拠の方を集めておいて」

 ――慈悲の気持ちで、再起不能にしてやろう。

 家へと帰る車の中で、珍しいモノを目にした。

「あれって――」

 二人の女の子……年は私と同じくらいだろう。
 彼女たちが持っているモノはアイスクリームだ。
 アイスクリームが珍しいのではない。あの、コーンと呼ばれる菓子が珍しいのだ。
 デザートでアイスクリームを食べるのは、私にだって経験がある。ただ、その際には器に
 乗せられ、飾り付けをされた状態だ。
 つまり、私はああいった形でアイスクリームを食べたことがないのだ。

「和ちゃ~ん、それちょうだい!」

「駄目よ。あんたには自分のがあるじゃない」

 ……あんな風にアイスを食べるなんてことが、私にはあるのだろうか。
 きっと、二人は仲のいい友達なのだろう。私くらいの年ごろなら、当たり前のことだ。

 友達と買い物をして。
 友達とファストフードのお店で食事して。
 友達と部活をして。
 少し先の話だけど――バイトをしたりして。

 私には、なにもない。

 一人で買い物をして。
 一人で食事をして。
 一人で眠って。

 そんなことを考えると――なんとなく目がぼやけて、鼻のあたりがじんじんと熱くなっ
 た。


「友達――か」

 豪奢なテーブルで食事を採っている間、そんなことを考えていた。
 しん、と静まりかえった食卓には私以外誰もいない。
 椎名が私に言った。

『ご飯ってさ。家族とかと食べるより1人のがよくない?』

 そんなコトは知らない。
 比較なんてできない。
 比較対象がないのだから。
 経験のないことを、推し量ることなんてできないのだ。
 家族で食べる食事は、そんなにも煩わしいのだろうか。

 ――そうだろう。
 だって。
 私の頭の中では、家族という概念(モノ)はないのだから。
 一人が平常。
 誰かのために笑顔の仮面(ペルソナ)を被るなんてしたくない。
 味気ない。
 こんな料理を作ったシェフなんてクビにしてやる。

 ――と。
 それと同時に、携帯電話から無機質な電子音が聞こえた。

「……はい」

『もしもーし! 神崎だけど琴吹さん?』

「貴女は私の携帯電話に電話をしたんだから、そうでしょうね」

『だよねー。
 あのさ、今度一緒にご飯食べに行こうよ!』

「……え?」

『だから、レストラン予約したから。食べに行こうよ。有紀と香澄も行くからさ』

 ――そんなバカな。
 私が、大人数の食事について考えていたら。それについての電話がきた。
 こんな小説のような展開が、現実に存在するのだろうか。
 ……だが、事実存在して起こっているのだから仕方のない。
 日にちを尋ねると、神崎は能天気な声で『あした』と告げる。
 手帳を見る――予定はない。否、いつだって予定らしい予定なんてないのだ。

「いいわ。それじゃあ明日」

 ――明日は土曜日。
 私の、初めての楽しい食事になる。
 頬が、緩んだ。

 ――そう。緩んだのだ。
 あの時は。


 その日は、なかなか眠れなかった。
 心が躍っていたのをよく覚えている。
 だって、初めての友達だったのだから。
 私にも。
 私のような人間にも友達ができたのだ。
 それ以上にうれしいコトなんて、きっとない。

 どんな服を着ようか。
 どんな香水をつけていこうか。
 美人ではない私を、みんなは笑わないでくれるだろうか。

 不安と、期待。
 期待が、不安。

 胸がドキドキする。
 動悸とは違って、気持ちがいい。

「――ああ」

 こんな気持ちが、ずっと続けばいいのに。

 そう心の底から願った。


 ――待ち合わせ場所を見つけるのにも苦労した。

 こんなこと、今までは一度としてなかったのだから。
 制服ではないみんなを見つけるのにも、些かの時間を要した。

「琴吹さん。息切れてるけどどうしたの?」

「……そ、そんなことは、ない、わ……」

 時間に遅れないようにと走っていたため、肉体は酸素を欲している。
 故に呼吸が乱れる。汗で髪が貼りつくのが気持ち悪い。
 ――大きく深呼吸。
 神崎はにこりと笑って、私の手をとる。

「琴吹さんって、私たちを遥かに凌駕するまでのお嬢様でしょ? 私が、ナイト役を務めさせ
 ていただきます」

 ひざまついて、手のひらにキスをする。
 まるで子供のころに誰かに聞かされたおとぎ話みたいだ。

「じゃあ、私は琴吹さんの右手ね」

「私は琴吹さんの後ろ!」

 まるで、これじゃあSPだ。
 でも――嫌な気持ちにはならなかった。

 だって……。
 これが友達というモノだと思うから。

「ここ?」

 到着した場所は、レストランというよりも『バー』という雰囲気のお店だった。
 ……否否。看板には『魔の巣』と書いてある。どうやら、本当にバーのようだ。

「うん。ここ」

 神崎たちの口数が少なくなっている。
 彼女たちも緊張しているのだろうか。
 もしかして、行きつけではなくて初めての場所なのか。
 神崎が私の手を強く握る。
 ……それに対して、私も握りかえす。

 にこり、と笑う。
 誰かに向けて笑ったなんて、久しぶりだ。

「琴吹さんって……。すごい美人だったんだね」

 神崎がそんなつまらない冗談を飛ばす。
 知らなかったの? と神崎を茶化しながら、椎名と豊田がバーの重い扉を開けた。

「よお、遅かったじゃあないか」

「……ごめんなさい」

「まあいいわ。とにかくよ、琴吹に会いたかったんだから」

 ……中に入って数秒で、こんな会話が行われた。
 私の両手を、神崎と豊田が握っている。
 満身の力を込めている。
 だめだ、解けない。
 目の前にいるのは――あの時に邪険にした男子生徒と、知らない男が3人。二人は
 身長は190cmを超えていり大男だ。もう一人は線が細い。神経質そうな顔をした男。

「もしかして――」

「そうだよ。琴吹――いいや。つむぎちゃん」

「このお方が、てめえが邪険にした語学院さんだ!!」

 ……語学院といえば――最悪だ。
 彼が、G学園の理事長の孫である語学院光彦之介(ごがくいんみつひこのすけ)だとする
 と、生徒は彼には逆らえない。
 唯一、比肩することができるのが琴吹だが、こうなっては逃げられない――

「ご苦労だったなあ!」

「……はい」

 そんな声と同時に――椎名は私の背中を押した――

 ドン、という鈍い音が……勘違いの友情が壊れた音だった。


「うひひひひひひひいひひ!!!」

 まるで――飢えた豚に餌が投げ込まれるように。

 まるで――アリの巣にチョコレートを落とすように。

 まるで――力なきものに銃を渡すように。

 まるで――偽りの友情に区切りをつけるように。

 まるで――はじめから友達なんかじゃなかったように。

 私は――彼らに差し出された。

「この――この裏切り者おおおおおおおおお!!!!!!!!!」

「残念でした~。彼女たちはマスター映像を流出させるって言ったら、すぐに寝返って
くれました~」

 ……それからのことは、よく覚えていない。

 というよりも思い出したくも、ない。

 ――気がつくと、目の前に男が倒れていた。

 なにがあったのだろうか。

 服は――破れてもいない。

 ――血も、ついていない。

 あるのは、窓から差し込んだ朝日と――


「ご無事ですか。紬お嬢様」


 ――幼いころから、私の父親代わりであった斎藤の姿があった。

 鮮血に塗れたその顔は、滾る怒りを抑えて平静な表情で――

 体液に浸かったような腕で、足で、立っていた。

「斎……藤…………」 

「なにも、なにもなかったのです。
 どうか、彼女たちを恨まないでいただきたい」

 身体が汚れるのも厭わなかった。

 とにかく、私は私を守ってくれた人に抱かれて、泣いていた。

 ――それからだ。

 私が、強くなろうと決めたのは。

 精神が強い、というのは結局は肉体の強さが伴っているから言われるのであって、今回のよ
 うな事態に対して、まったく対策が取れない。

 戦略が戦術に負けてしまう状態がある。

 それは、戦力差がはっきりしてしまった場合である。
 たとえば、天才戦術家が落とし穴で敵を落としても、その敵が空を飛べたとするなら、その
 策に意味なんてない。
 そうなると結局は戦力の戦いになるのだから、やはり力という土台は重要だ。

「セイヤッセッ!!」

 暗殺拳を由来とする憲法を、斎藤はマスターしていた。
 かつては世界格闘大会にも出場していたという斎藤は、私にそれを伝授してくれるという
 のだ。

「そうではありません。紬お――」

「斎藤。稽古のときは私が下です。だから――」

「……わかりました。紬。
 波動の構えは腰を落とす必要があります」

「はい。師匠」

 私は――強くなろうと決めた。

 それから、私はまた一人になった。

 神崎と椎名、それに豊田はいなくなってしまった。
 全員が転校したからだ。
 修学旅行にも、私は行かなかった。
 イタリアには興味はなかったし、なにより楽しくないのだ。
 家で拳法の稽古をしているほうが有意義だ。

「――ああ。そうだ」

 2ヶ月後。ピアノのコンクールがある。
 幼いころから教え込まれたピアノだが、発表の場を持ったことは一度もなかった。
 絵と同じく、私の芸術の類はすべて社交辞令の道具になってしまうからだ。

 だから、今回も出場しない。
 ピアノなんて――本当の意味で聞いてもらえる人がいなくては意味がないのだから。


「……退屈」

 部屋のピアノを弾いていても、楽しくなんてない。

 確かに、母のピアノからは綺麗な音がする。
 このピアノで練習した私なら、きっとどんな人よりも上手に演奏できる。
 ……でも、つまらない。


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最終更新:2010年03月08日 02:40