私を見る人は、みんな先入観を持っている。

 ――琴吹の娘。

 ――金持ち。

 ――お嬢様。

 私という存在は、金という大前提からなりたっている。
 それがなくなってしまえば、根元のない木と同じで崩れてしまう。
 予定外のイレギュラー一つで、いとも簡単に。
 事実、そんなことが起こったじゃないか。
 力がないばかりに、人を信じたばかりに――。

 だめだ。
 考えないようにしよう。

 かぶりを振ってもう一度鍵盤をたたき出す。

 また、無機質な電子音が鳴り響いた。

「もしもし」

『……紬か』

「私にかけたつもりなら、そうですけど」

『私は、お前の父親だ』

 知らない声だ。
 聞いた事のない声。
 以前、同じようなコトがあったような気がする。
 ……失望に似た。あの――

「そうですか。それで用件はなんですか?」

『随分と淡白なんだな。
 要件を言うと、今度のピアノコンクールに、私たちも出席することにした』

「仕事でですか?」

『いや違う。プライベートでだ。父親として、母親としてな。
 そして、そのあとに大事な話がある』

 ……いったいなんなのだろうか。
 父と言われてもピンとこない上に、大事な話を一方的にされるらしい。
 どちらにせよ、私はコンクールに出場する義務ができたようだ。
 そうですか、と言って電話の切る。
 未練などない。
 あんな父親なら、あんな母親なら。いなくたって変わらないのだから。


「お嬢様。食事でございます」

「ありがとう」

「……お嬢様は、少し外向的になりましたね。以前は私に感謝の言葉なんて」

「そう? だったら今までの非礼を詫びなくてはならないわね」

「いえいえ。そのようなことは」

 今日の食事はビーフステーキのようだ。
 一人で食べる食事は味気ないけれど、斎藤が呼んできてくれるのなら、今のままでも
 良いと思う。
 少しだけ、充実した気持ちになるからだ。拳法を始めたからだろうか。


「そういえば、お嬢様」

「どうしたの?」

「なにか、嬉しいことでもあったのですか?」

「べ、べつに?」

「そうですか? ご主人と奥さまがコンクールにご出席なさると聞いて、喜んでいらっしゃる
 のではと思いまして――」

「――え?」

 そんなわけがない。
 今まで、一度もイベントに来てくれなかったのに――突然一方的に報告されたから驚いたん
 だ。
 嬉しくなんて、ない。
 でも――胸が温かくて、にやにやする。
 まるで、神崎に食事の誘いを受けた夜のような気持ちに、私はなっていた。 


 両親が、初めて私のためになにかをしてくれる。

 私が、初めて両親の前で晴れ姿を披露する。

 今まで、一度もなかったコト。
 どんなに願っても、どんなに頼んでも。
 どんなに夢見ても叶わなかった。

 私は、両親という概念がわからない。
 母や父が見に来るとは言っても、実際のところはよくわかっていない。
 だって。
 物心ついてから一度も会ったことがないんだから。
 記憶にない人物のために、私は演奏をする。

 ――それでも、いい。

 誰かの為に、私は努力をしてみた。

 部屋に響くのはピアノの旋律。

 コンクールの日は、翌日に迫っていた。

 そうして、コンクールの日はやってきた。

 携帯電話のアラームが鳴る。
 着信音と同じ無機質な音だ。
 周りの子たちは、流行りの曲を着信曲にしているが、私にはどうすればいいのかもわからな
 い。そのうえ流行りの歌も知らないのである。
 洗面室で顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
 ――これで、琴吹紬の完成だ。
 鞄に楽譜などを詰め込んで、斎藤を呼ぶ。
 ……今日、両親は来てくれるのだろうか。
 一抹の不安。
 結局は、私の独りよがりだったのではないのかという。
 そんな、不安定な感情が心を揺らす。

「準備は、整いましたか?」

「え、ええ! 行きましょう」

 斎藤の声で我に返ってかぶりを振る。
 頭はすっきりとした気持ちになって、重い自室の扉を開けた。

「私の出番は何時から?」

「はい。14時でございます」

「……それまで、コンビニってところに寄ってもらえないかしら」

 この道を見ると思いだす。
 同じ年頃の女の子が、友達と一緒に買い食いしたりして遊んでいるのを。
 それを見て――私は羨ましいと感じていたんだ。
 あんな友達が欲しいと、渇望していたのだ。
 でも。
 そんな友達はできなかった。
 誰もが打算と損得勘定で動いているのだ。
 だから平気で人を見捨てて切り捨てる。
 そんな人を、私は認めない。
 ただ、コンビニという所で。
 あそこのコンビニで、アイスクリームを食べてみたかっただけ。

「わかりました。私は車内で待機しておりますので、なにかありましたらご連絡ください」

 駐車場の少し広いコンビニ。
 きっとどこにでもあるコンビニでも、私にとっては初体験の場所だった。



 店内は、妙に明るい。
 24時間営業だというのに、どうしてここまで清潔を保っていられるのだろうか。
 自動ドアを通ると、私は自然に左側へと曲がっていた。
 なにも考えていない。
 とにかく、コンビニという場所を見たかったのだがなんとなく左側、本のコーナーへと
 足を運んでしまった。
 大きな窓からは外が見える。
 車道から見れば、ここにいる3人の客……立ち読みをしている彼らの姿は丸見えだ。
 そもそも、本を読みたいのであれば買えばいいのに、どうして彼らはこんなことをしている
 のだろうか。
 私も本を手に取って見る。
 客が読んでいるものと同じ漫画雑誌を眺める。

 ――なんだか、普通の女の子になったみたいだ。

 そんなことを、考えていた。


 本をもとの場所に戻して、飲み物コーナーへと足を運ぶ。
 大きな冷蔵庫にはたくさんの飲み物が置いてある。コーラやオレンジジュースなど、その種
 類は豊富だ。
 端の冷蔵庫にはお酒が入っている。
 冷蔵庫の扉には『18歳未満のお客様には販売できません』というシールも貼ってある。
 こんな形式上の警告に、意味はないことを知って貼っているのだから少し笑ってしまう。

 ……と。
 そうではない。
 私の目的はアイスクリームとお菓子だ。
 ふつうの女の子が食べるお菓子というのはどういうものなのだろう。
 迷ってしまった。
 お菓子のコーナーの前で、私は考え込む。
 なにが人気なのかも、なにが美味しいのかもわからない。

「みーおー! これこれ! これにしようぜ!」

「いいけど。ひとつだけだからな」

「う……。じゃあ、これ!」

 隣で騒がしくお菓子を選んでいる女の子を見て、同じものを手に取った。

 そうして、お菓子は手に入れた。
 次は本命のアイスクリームだ。


「アイスアイス……」

 クーラーボックスのようなものに入っている。
 斎藤からはそう聞いた。
 私には琴吹家直伝の索敵能力がある。
 それ故に、見つけられない筈がないのだが。

「ない……」

 どこを探してもない。
 お菓子のコーナー。
 チョコのコーナー。
 スナック菓子のコーナー。
 どこを探してもない。
 アイスは、もしかしたら売ってないのかも。
 そう思ったら――

「ねえねえ梓! これ美味しそうじゃない?」

「そうかな? こんな寒い日にアイスなんて……」


 アイス?
 そんな単語が聞こえた。
 急いで声のするところまで歩く。
 走るのは恥ずかしいから、あくまでも早歩きだ。

 入口の横に、それはあった。
 ツインテールの女の子。かつて見た、ランドセルを背負った子なのだろうか。その子が、短
 い髪を二つに分けた女の子と一緒にアイスを取り出している。

「それじゃあ私も雪見買うね。純は?」

「ガリガリくん」

 私は――ソフトクリームだ。

 コーンのついたアイスクリーム。
 それが、私のあこがれなのだから。


「おい……しい……」

 クリームの味も、ミルクの味も、なにもかもが安っぽい。
 チョコレートだって、カカオマスと砂糖のバランスが最良ではないためか味が洗練
 されてはいない。
 でも、どうしてだろうか。
 一瞬でも、ほんの一瞬でも私は普通の女の子になれたのだ。
 琴吹の跡取りとしての紬ではなくて、コンビニで買い物をする15歳の女の子である
 紬として在るコトができたのだ。

 そうして得たもの。
 そうして得た結果。
 そうして得た答え。

 それがこれだ。
 メルセデスのシートに寄りかかってソフトクリームを舐める。
 一緒にチョコレートを口に運び、コーラを飲んでみた。
 ふつうの女の子は、こういうものを食べながら、友達と話をするんだ。

「お嬢様。そろそろ到着でございます」

 総ての憧れを完食した途端。コンクール会場である桜文化会館に到着した。


 ――控室は苦手だ。

 それが共同だとなおさらだ。
 いらぬ緊張感が伝わってきてしまうからだ。
 そわそわしている者もいれば、リラックスしている子もいる。
 私は、どちらなのだろうか。
 楽譜を確認しようと、バックを開ける。

「……あれ?」

 楽譜のあいだから、一枚の便せんが落ちた。
 身に覚えのない手紙だ。
 手に取って、それを見てみる。

「……あら」

 そこには上品な字や少し雑な字で、それでも心のこもった字でいくつものエールの言葉が書
 いてあった。
 真ん中に円が描かれており、中心には『紬お嬢様へ』と書いてある。
 その円の端には『従者一同』と書かれている。

「――ああ。そっか」

 気持ちが切り替わった。
 誰かのために弾くという意識が出てくる。

 ――私の出番がやってきた。


 舞台の上に立つと、何も考えない。

 今までのこと。

 両親のこと。

 斎藤たちのこと。

 ふつうの女の子のこと。

 琴吹の名前のこと。

 誰のために弾くのか。

 なんのために弾くのか。

 なにも考えない。

 考えられない。

 余裕がない。

 余裕がない私。

 ――鍵盤をたたく。

 ピアノオリジナル曲『家族』



 家族の形。

 それはそれぞれだ。

 家族の意味。

 それもそれぞれだ。

 家族は家族。

 それは手錠のようなもの。

 生きていても死んでいても変わらない。

 私と両親は家族なのだ。

 悲しいかな。

 嬉しいかな。

 ただひとつだけ、家族はその悉くが綺麗というわけではない。

 私の曲は、そんな曲だった。

 見ている? お父さん。

 聞いてる? お母さん。

 これが――私の答え。


「よかったですね。お嬢様」

「ええ。納得のいく演奏だったわ」

「私は音楽に関しては素人ですが、今日のお嬢様は、他の誰よりも輝いていらっしゃいまし
 た。間違いなく、本日の大賞はお嬢様です」

 ――音楽に関して素人?
 なにを謙遜しているのだか。
 私は知っている。
 琴吹家のオーケストラ。それを指示しているのはなにを隠そう斎藤だ。
 斎藤自身、バイオリンの腕前は世界でも通用するであろう。
 その彼が音楽の素人などと誰が言えようか。

「早く帰って、お父さんに見てもらいましょう。この賞状とトロフィーを」

「お二人も、きっと待ち遠しく思っていることでしょう」

「そうだといいけれど、ね」

 口ではそう言っても、やはり期待してしまう。
 父に、褒めてもらいたい。
 母に、抱き締めてもらいたい。
 とっくに諦めた筈の願望が、溢れて来た。

 そうして、私は帰宅した。

 家には両親はいなかった。


 ――ああ。

 そうだ。

 そういう人たちだった。

 なにを、私は期待していたのだろう。

 駄目だ。

 こんなものに意味はない。

「斎藤。
 この賞状とトロフィー。捨てておいて」

 あの人たちは、私の両親なんかじゃあない。

「ごめんね……」

 どうして私は、報われないのだろう――。


 部屋に入ってすぐに、ベッドに体を放り投げた。
 くだらない。
 コンビニではしゃいで、普通の女の子になった気でいて。
 それでも、私は琴吹の娘なのだ。

 憎い。

 この血が憎い。

 でも、なにができる?

 なにもできないじゃないか。

 私は、結局は琴吹の人形でしか生きられない。
 琴吹グループがあるから、私は生きていられる。
 食事も、衣類も、住むところも、なにもかも与えられてきた。
 私は、なにも生みだしてなどいなかったのだ。
 それなのに私は――私は――!

「一番馬鹿だったのは、私だ――」

 その日、私は枕を濡らして眠った。

 15年生きてきてそれは初めてのことだった。

 一度でも、希望を持ってしまった報いなのだろう。


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最終更新:2010年03月08日 02:45