「よし! 告白をしよう!」

 2月11日。バレンタインデー3日前に、私はそんな決断をした。
 きっかけはテレビでやっていたドラマである。人が決断するときのきっかけは、大体がくだ
 らないことだ。
 私もその例に洩れず、ドラマで自分の恋が成就することを夢見て、告白をすることにしたの
 だ。
 バレンタインデーに、チョコレートをあげて告白をする。古典的で、古臭い方法ではある
 が、私にはそれしか思いつかなかったのだ。なんといっても、私の友達は皆が恋愛事に疎
 かったからだ。

「澪とチョコ作ろうっと」

 さっそく澪に電話をする。
 1のボタンを押せばすぐに澪につながるようになっているため、携帯を開いて5秒後には澪
 の声が聞こえた。
 ……ほとんど一方的に用件を伝える。
 そして、切る。
 澪は物事を決めるのが少し遅いため、これぐらい強引で丁度いいのだ。
 ベッドに横たわって雑誌を開く。
 いつもは読み飛ばしていたバレンタイン特集のページをじっくり読んで、その日は床につい
 た。


「どうしたんだ? 律がいきなりチョコを作りたいだなんて」

「ま、色々あったのさ。私にも」

 材料と道具を取り出しながら話をする。
 子供のころから変わらない。
 澪が家に来た時、料理をするときは決まってピンクのエプロンだ。もちろん子供のころのエ
 プロンではないけれど、ピンクのエプロンが澪で、オレンジのエプロンが私だ。
 チョコレートの甘い香りが鼻につく。
 どんな形にするかは、じっくり考えて決定した。
 あまりにも典型的すぎる形であると、私自身も思っているがあの形ほどわかりやすい形もな
 いだろう。

「聡はどうした?」

「まだ寝てる。たぶん腹空かして降りてくるだろうから、私がチャーハンでも作ってるわ」

「律のチャーハンは美味しいものな」


 ……私は料理は苦手だ。
 細かい分量だとか、包丁で食べやすいように、だとか。精密な仕事ができないからであ
 る。ただ、チャーハンは簡単だ。総てが目分量でも美味しく出来るからだ。初めてチャーハ
 ンを聡と澪に作ったとき、二人は目を丸くした。
 それぐらい、私のチャーハンは美味しいらしいのだ。

「じゃあ私はその間にチョコ溶かすためのお湯沸かすよ」

「……チョコ? 澪姉。バレンタインのチョコ作ってるの?
 それにしても、腹減った」

 案の定、聡が腹を空かして降りてきた。
 少し待ってろ、と聡を座らせてチャーハンを作り始めた。


 ――それから一時間ほどで、チョコの形は完成した。
 型に入ったそれは、冷蔵庫の中で固まることを待つだけとなった。

「みおー。ゆっくりだぞー。ゆっくりだからなー」

「わかってるよ。だからそう煽るな」

「私のチョコへ。美味しく固まってください」

「何言ってるんだか……」

 かなり本気なのである。 
 私にとって、あのチョコレートは勝負の道具だ。
 剣を研ぐ剣士のように細心でなくてはならない。
 恋愛という勝負に勝つために、こういったことに祈りをささげて何が悪い。
 ……と。
 彼の剣豪宮本武蔵は戦に向かう際、仏に祈ろうとした自らに怒ったらしいが。

「明日になれば固まるよな。
 それじゃあ澪ー。二階でスト2やろうぜー」

「サード持って来たけど」

「澪姉! 俺にもやらせてよ!」

 バレンタインまで、あと2日だ。
 私の恋の決戦まで、あと2日なのだ。


 次の日、チョコはしっかり固まっていた。
 その後は昨日と同じでサードの時間だ。
 楽しい時間がすぎるのは早いもので、日も沈む。

「じゃあな。また明日」

「今度こそ負けないからなー!」

「俺の疾風迅雷が火を噴くぜー!」

 靴を履いて、扉を開ける。すると、夕日が開いた扉から差し込んできた。
 ……思えば、澪との思い出はいつも夕暮れだった。

 泣き虫の澪を家に連れてきて。
 恥ずかしがり屋の澪と遊んで。
 へとへとになるまで一緒に――。


 笑顔が――頬が緩んだ。
 口元がだらしなくつりあがる。こんなに楽しい時期が、いつまで続くのかと思うと――

「は――はは――」

 涙が、出てきた。

 明日……私は傷つくかもしれない。
 だって、初恋だもの。
 怖いよ。
 フラれるのは――恐い。

「律……。ちょっと来てくれないか?」

「……え?」

 澪はそんなことを言ってきた。
 まるで、私の不安を知っているかのように。



「懐かしいな。この空地……」

「だな。私が聡を守るために井上をボコボコにしたんだよな」

「そうそう。りっちゃんたら、いきなり私にランドセル渡して走っちゃうんだもん。びっくりした」

「昔から、お前をびっくりさせるのは私だったからな」

「――」

 間が置かれる。
 澪は、そんな昔話をしにつれ出したわけではない。
 なにか話すことがなければ、澪は無駄な行動はとらない。
 私も少し、ほんの少しだけ大きく呼吸した。
 澪の顔は、夕日に照らされて綺麗に光っている。
 白い肌に反射して、幾分か眩しく感じる。

「あのさ――」

「うん?」

「……律は、りっちゃんはバレンタイン、誰にあげるつもり?」


「……だよな。
 ――よし。澪ちゃんにだけは言うよ。私、生徒会長の福山にあげるんだ」

「そっか。りっちゃんも男の子のことが好きになったんだね」

「そうだ。自分でもびっくりしてる。この私が、男の子を好きになるなんて、さ」

 恥ずかしい。
 てれ隠しに笑ってみせる。
 親友とはいえ、好きな人を暴露するのは恥ずかしい。
 澪は長い髪をかきわけて、私の眼を見た。

「りっちゃん、可愛いから。大丈夫。
 ――うん。私のりっちゃんだもん。絶対に大丈夫」

 そういって、澪は空地を後にした。
 長くのびた影と澪の言葉が、私の不安を少しだけ和らげてくれた。


 ――そうして、来てしまった。

 2月14日。
 バレンタインデーだ。
 朝は早く起きる。これは絶対だ。
 当日に努力しても無駄かもしれないが、少しでも可愛い自分でいるためにシャワーを浴び
 て、髪をきちんと乾かして整える。
 制服も、埃一つ見逃さない覚悟で綺麗にする。
 寝不足にならないために、澪が帰ってからすぐに眠った。
 ――鏡を見る。
 完璧だ。
 完璧な私。今日の私は最高に可愛い。
 カチューシャは……。つけていこう。流石に恥ずかしすぎる。
 冷蔵庫からチョコレートを忘れずにカバンに入れる。今日は教科書を全て忘れても、これば
 かりは忘れられない。
 さあ、開戦だ。

 私の恋が実るか。
 それとも儚く散るか。

 玄関から出ると――

「よう、律。チョコは忘れずに持ってきたんだろうな」

 親友の姿が、そこにはあった。

 ――通学路は、いつもとは違う雰囲気だった。

 挙動不審に周りを見渡している者。
 友人に話しかけられただけで大げさに反り返る者。
 女子生徒のチョコという単語に反応する者。
 挙句の果てには、チョコレート・ディスコを口ずさむ者もいる。

 ……修羅の国だ。
 今まで特別に意識しなかったからだろう。
 バレンタインデーという日が、ここまで思春期の男女を惑わすなんて。
 この光景をアメリカ人が見たらなんというだろうか。『クレージー』と言われてしまうのだ
 ろうか。
 だって、日本人は未来に生きてるんだもの。ゲームとキスする時が来てもおかしくなんて、
 ない。

「す、すごいな」

「学校についたらもっとすごいぞ。よく見てるんだぞ」

「アレ以上に凄いのかよ……」

 学校に着くと、もっと凄いものが見られる。

 それは――事実だった。


 パカパカパカパカパカ。

 この音は決して某リズムゲームの音ではない。
 下駄箱の開け閉めを繰り返している音だ。
 ……ぎろり、とこちらを睨んでくる。
 こちらというよりも澪の方を見ている。
 ――当然と言えば当然だが、澪は学年でも抜群の美人である。今まで言い寄ってきた男たち
 を『恐い』の一言で撫で斬りにしてきた彼女は、いわゆる高嶺の花だった。
 下駄箱の男子生徒も、澪に憧れを抱いている一人なのだろう。目が血走っている。

「うう……怖いよぉ……」

 当人の澪は私の背中で丸くなっている。
 こういうところは相変わらずで、澪のベクトルは基本的に怖いものを避けるという方向に向
 いている。
 つまり、このままだと彼氏なんて夢のまた夢なのである。

「もう、上履きとってやったから教室行くぞー!」

 教室も、これまた亜空間だった。


「……チョコの匂いがすごいな」

 嗅いでいるだけでお腹がいっぱいになりそうなくらいに、チョコの匂いが充満している。
 冬だから、誰も換気のために窓を開けない。どうして冬にバレンタインがあるのかと考えて
 しまうが、バレンタインは聖人が何やらかした日だそうなので、冬なのは固定だ。オースト
 ラリアならば夏にバレンタインがやってくる。ただ、夏ではチョコが溶けてしまう。

「ファック!」

 机をひっくり返してチェックするのは学級委員の丸山である。
 いつもはまじめキャラのくせに、どうしてこんな日にキャラを変えるのだろうか。眼鏡をコ
 ンタクトに変えて、七三の髪型はワックスで今風の髪型に固めてある。
 ……もちろん。これも無意味だ。
 女の子はチョコレートをあげる人は数日前には絞ってある。そうでないと、チョコが間に合
 わないからだ。故に、当日や前日に頑張ったところで意味はほとんどゼロなのである。
 これが男だと、無駄だと言い切れるのだが今日の私はそれも他人ごとではない。

「よお福山! お前はチョコ何個貰った?」

「よ、よせって。何個貰ったとかは関係ないだろ」

 彼が、来た。


 思わず緊張した。
 澪が私を優しい目で見つめる。
 ……手を握って、頑張ってと耳元で囁く。

「……ああ」

 向かうは福山の席。
 右手と右足が同時に出ている。これでは、緊張しているのがバレバレだ。

「福山。放課後、体育館裏に来い!」

 ――言えた。
 言えたことに興奮してしまっている。
 周りは『果たし合いだ!』だとか『血で血を洗うバレンタインだ』とか『競技はバトルドー
 ムか!?』とまで言われている。
 震える足を抑えつけて、自分の席に座った。

「頑張ったな、律。さあ、これからだぞ」

 澪は、優しく言ってくれた。


「あ、ああ――!」

 がくがくと身体が震える。
 誘った側なのだから、先に待ち合わせ場所に来ているのは当然だ。故に私は帰りのHRが
 終わったらすぐにここに来た。
 澪は、体育館の陰から私も見ていると言ったが断った。
 女子生徒が、告白する際に友達を引き連れていくことがある。
 あれはだめだ。好きな相手を安心させる対象になりたいのに、どうして集団の圧力をかけ
 ているのか。私にはまったく理解ができない。断ったら評判ががた落ちだとわかっている告
 白は、もはや告白ではない。脅迫だ。
 それ故に、私はそんな卑怯なコトはしない。
 もとより、澪では頼りにはならない。男を前にすると逃げ出してしまう彼女が、そういった
 係りとして機能するはずがないと考えたからだ。

 ……歯が震える。
 平静を保っているのが不思議なくらいに、心は動揺している。

「田井中。おまたせ」

 ――背後から声。
 振り向くと、そこには福山直樹(あこがれのひと)がいた。


「よ、よう。ごめんな。こんなところに呼び出して――」

「いいって。部活もまだ始らないしさ。
 もしかして、ホントに勝負でもするの?」

 首を振って否定する。
 のどが震えて、上手く声が出せない。
 見据えた先には彼がいるのに、どうしても目線が下に行く。
 ……アリがいる。
 こういうとき、どうしてどうでもいいところに目が行ってしまうのだろう。
 カバンから、生まれて初めて作ったチョコレートを取り出す。割れていないコトを確かめ、
 福山に向きなおす。

「こ、ここここここここここ――――これ!!!! やるよ!!!!」

 手が震える。
 握力が亡くなって、チョコも握れない。
 押しつけるように渡すと、言いたい言葉を――しっかりと口にした。



「好きです! 付き合ってください」



 ――沈黙。

 永遠にも思える、沈黙。

 聞こえるのは、部活動に勤しむ生徒たちの喧騒だけ。

 それすらも、私にとってはグワングワンという雪崩にしか聞こえない。

 顔を上げるのが怖い。

 顔をあげて、彼の顔を見るのが厭だ。

 私は、どんな顔をしているんだろう。

 きっと、不細工なんだろうな。

「あの――さ」

 声を聞いて、顔をあげる。

「――――――――――――――――」

 なにも、聞こえない。

 聞きたくない。

「だから――俺、秋山が好きなんだ。
 だから、ごめんな」

 そんな声、キキタクナイ――


それからの帰り道は、覚えていない。

 泣いていたのか。

 笑っていたのか。

 否、笑ってはいないだろうな。

 悲しいことが、あったんだから。

「律!」

 澪が走ってくる。
 どうやら、私の家の前で待ってくれていたみたいだ。
 ホントに、いい子だ。
 心配そうな顔で私を見る。察してくれたのか、澪は私を強く抱きしめた。
 澪は、泣いていた。
 どうしてだろ。恋敵なのに――

 どうして――私は振りほどかなかったのだろう。


 澪には話さなかった。
 澪も、訊かなかった。

 聡は部屋に戻った。
 きっと、アイツなりに気を使ったんだろう。
 母も心配そうに私たちを見ている。
 私たちはソファーに並んでいた。
 澪は、私を強く抱いて頭をなでて――
 私は、その行為にただただ甘えていた。

 思えば、澪の前で泣いたのはこれが初めてだった。

 こんなにもみっともなく。
 こんなにも格好悪く。
 こんなにも不細工に。

 声をあげて泣いたのは、初めてだったのかもしれない。


「よしよし。りっちゃんをフッたなんて、福山君ももったいないことしたよ」

「――う……うう……ああ……」

「大丈夫だよ。私がいる。りっちゃん、りっちゃん」

「澪……み……お」

「よしよし。今日はお母さんと私が美味しいご飯作ってあげるからね」

 澪は、ずっと声をかけてくれていた。
 私の名前を呼んで、私の頭を撫でて。
 私も、離れないようにと抱きしめた。
 柔らかい。
 お母さんみたいに。
 母も、私を抱きしめた。 
 小さなころと同じように、母のいい匂いがする。

「お母さん……。お母さん……」

「りっちゃんが大好きなキャベツチャーハンとキャベツロール。澪ちゃんと作ってあげるからね」

「うん……。うん……………」

 夕日差し込めるリビング。
 また、思い出は夕日の中だった。


「出来たわよ。ほら、りっちゃん」

 湯気が、温かい。
 こんなにも料理が温かいなんて――思わなかった。
 澪はいつものピンク色のエプロン。
 母も、いつもの笑顔と美味しいごはん。
 聡は黙って私にキャベツロールをくれた。
 父は、少し乱暴に頭をなでてくれた。

「りっちゃん、今日は私泊まるよ。だって――りっちゃんの傍にいたいもの」

「澪……。ありがと……」

 私はもう泣かない。

 後悔させてやるんだ。

 私をフッたことを――。


 澪といる間、私は澪が家から持ってきたDVDを見ていた。

「こういうときは音楽でも聞いて、見て、紛らわそうな」

 いつもなら、少し離れて見ていた。
 いつもなら、スナック菓子を食べて、コーラを飲んで。話しながらDVDを見ていた。
 でも。 
 今はいつもではない。
 澪は私をしっかり抱いて、私の小さな身体を温めてくれていた。
 上映しているのは『QUEEN』のエイズ撲滅キャンペーンのライブだ。伝説のライブと呼
 ばれていて、音楽に興味のなかった私が、目を奪われるほどだ。

 流れるのは『We are the champions』。ラストの曲らしい。

 ――僕らがチャンピオンだ。 
 ――友もチャンピオンだ。

 そうだ。
 これだ。

「これ――だ」

「え?」

「これだよ! これ! 澪! バンドやろう! バンド!!」

 それが、私たち。
 言ってしまえば『放課後ティータイム』の先駆けとなる言葉だ。


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最終更新:2010年03月08日 03:33