さて、どうしようか。
父のギターで、いつものように練習をしているが、今日のことに関して考えていなかった。
バンド活動をどうしようか。
やるのか。
やらないのか。
私としてみれば、やってもいいと思う。
ギターなら練習してきたから、間違いなく人よりは弾けると思う。
ただ、私は彼らを知らない。同級生であるということしか知らない私は、彼らがどういった
人間なのかをまったく知らないでいる。
これは非常によくない。
見ず知らずの人に告白されたとき、人はどう感じるだろうか。
嬉しい、だとか。緊張、だとか。そういったものよりも先に恐怖に似たものを感じると思
う。自分は相手を知らない。
でも、相手は自分を知っている。
気味が悪いと感じるのは、決して不思議ではない。
今の私はまさにそれだ。彼らは私の両親がミュージシャンであることを知っている。つま
り、私の才能をある程度は知っているということになる。
そこをいうと、私は彼らについてはなにも知らないのである。音楽の趣味から、何から何ま
で、無知である。
そんな人たちと、バンドをやって上手くいくのだろうか。
わからない。
それは、やってみなくてはわからない。
「……どうしよ」
まあ、いいか。
寝てしまおう。
今日は、たくさん考えたのだから。
朝目が覚めると、目の前には彼女がいた。
「なにしてるの?」
「通い妻かな」
私よりも少しだけ大きな身体が、私の上に乗っている。
重い。
布団を跳ね飛ばし、結ごと丸める。
抵抗しようとするが、そうはいかない。私の素早さはたとえ相手が二回こうそくいどうして
も逆転できないレベルだからだ。
「ちょ! やめ! 梓ちゃーん!」
やめるものか。
今日は土曜日。休日は昼まで寝てることを信条としている私を、まさか午前6時に起こす
なんて考えられないのだから。
「……さて、結はどうしてうちに来たの?」
「だってさー。今日もお母さんたちいなんでしょ? 退屈してるんじゃないかなーって」
「退屈を眠ることで解消するのが、私の過ごし方なの」
「ご飯は?」
「昼まで寝て、夜だけ――」
「そんなのダメだよ!! だから小さいんだよ! 梓ちゃんは!」
その通りだ。
私の身長は現在143センチ。どう考えても小さい。
昔から、私の体は小さい。それはわかっている。前へならえだって、腰に手を当てる
こと以外したことがない。
そんな私を作ったのは、間違いなく小食なところだろう。
甘いものなら好きなのだが、どうしてもお腹が減りにくい体質らしく。また、お腹が減ら
ないのであれば、食事も採らない。本来ならば母親が食べさせるのであるが、自分で
食事を作ってきた私にはそれがなかった。
故に、夜しか食べないという偏った食生活になってしまったのだ。
「よし! 私こと中野結が、梓ちゃんに朝食を作ってあげましょう!」
「いつ嫁に来た。あと、結は料理からっきしでしょう?」
家庭科の時間にゆでたまごを破裂させた事件は、出身小学校では語り草だ。
ベットから立ち上がり、本当に久しぶりな、土曜の朝食を作りに台所へと向かった。
「これはなに?」
黄身のない目玉焼き。目玉がないので、これはなんという料理になるのだろう。
確かに、私は確認した。
結がたまごをフライパンに落としたのを、焼ける音まできっちり。
それなのに、どうしてこうなったのだろうか。
「黄身は?」
「ライコネン」
「そうじゃなくって。どうして白身だけ?」
「Holy wars」
「パニッシュメントデューを知っててなぜ目玉焼きを焼けない」
結は笑ってごまかそうとするが、そうはいかない。
といいたいのだが、糾弾したところでわかりはしないことだ。とにかく、この白身だけの
目玉焼きを食べるしかない。
「ところで、私のチャージング棒は?」
「箸なら割り箸あるから使って」
「はいはい。私、絶対しゃぶらないから」
「やってみてよ」
現在、午前7時。
朝食を食べている間、私たちは今日の予定について話をしたのであった。
それからというもの。私たちは家から出ずに休日を過ごした。
他愛のない話をして、意味のないことをして、笑いあって。
それだけでよかった。
音のない、この家。
音楽に関するものが溢れていても、音はしなかったこの家に、笑い声があるのなら、
それでよかったのだ。
結がいて、私がいる。
なんだ、それだけでいいじゃないか。
「うん。そうだね」
「どしたの?」
「私、バンドやってみるよ。結に聞かせられるくらいに上手くなってみせる」
瑣末なことを考えていたことが、ばからしく思えてきた。
だって――私は音楽の才能があるんだから。
「……うん。
頑張って! 梓!!」
結も、こうして応援してくれる。
それでいい。
それだけで、いいよ。
こうして、私は初めてバンドを結成した。
素人の、中学生のお遊びバンドでも、それでもいいと思ったのだ。
それから、1年ほどの月日が過ぎた。
「ふう……。これで、3曲くらいはできるな」
「もしかして、俺たちって天才か?」
中学生には時間がある。
そのうえ、吸収力も大人の比じゃない。
故に彼らは、余った時間はすべて練習に使った。お金がないということで、スタジオ練習
はほとんどできないが、その分個人練習はみっちり行っていた。
確かに、楽器歴は短いのかもしれない。
でも、乏しい経験を努力でカバーしている彼らに対して、私は好感を持っていた。
好感こそ持っているが、彼らの顔を見ることはできずにいる。
信頼していないわけじゃない。
認めていないわけでもない。
でも、どうしてか彼らの顔を直視することができない。
――練習している彼らは、確かにすばらしいのに、どうしてなのだろうか。
「練習お疲れさん。汗、拭きなよ」
「うん。ありがと。
……っていうかこれ、ティッシュじゃん。張り付くよ」
スタジオの外では、結がいつも待ってくれている。
中には入ってこない。
その理由を聞いたとき、結は笑って答えた。
『――だって、初めて梓の演奏を見るときはライブで、最高にカッコいい梓がいいんだもの』
その言葉を聞いたから、私はこうして汗をかいてでもギターを弾いている。
両親からもらったムスタングは、私といつも一緒だ。
結も、私といつも一緒だ。
唯一、私を色眼鏡で見ない人。
それが、彼女なのだ。
「でもさ、結。寒くない?」
「寒さは若さでカバー。カバの歯には鳥がとまるんだぜ?」
わけがわからない。
「……風邪とかひいちゃ、嫌だからね」
「嬉しいよ~。梓が私を心配してくれる~」
結が私にもたれかかる。
スキンシップが大好きな彼女は、私が少しでもいいことを言うとこのようになる。
可愛いのだが、少し暑苦しかったりもする。
「ねえ、梓――」
「なに?」
雪が、降ってきた。
今年に入って、初めての雪だ。
中学二年生の冬。もうすぐ三年生になる冬だ。
「もし、私がいなくても――梓を見てくれる人は、たくさんいるんだからね――」
白い雪の中で、彼女はそんなことを言った。
私が知らないところで、綻んでいた。
私が知らないところで、進んでいた。
私が知らないところで、始っていた。
私が知らないところで、拱いていた。
私が知らないところで、決っていた。
私が知らないところで、終わっていた――
私は知らなかった。
男女が、バンドを組むという意味を。
男女が、バンドを組んだ結果というものを。
「中野、俺と付き合わない?」
始まりは、高山の言葉からだった。
恋愛、というものを私はよくわからない。
結と一緒にいると、気持ちが安らぐ。でも、これを恋だと断定するには、きっと至らないだ
ろう。だから、私はこの誘いを断った。
バンド仲間でしかなかった。
恋愛を知らなかった。
人が、怖かった。
理由なんてその3つだけ。
それで十分だ。
それからだ。
バンド内で、少しずつ不協和音がしていたのは。
「おい、リズムキープちゃんとしろよ。弾きずれえ」
「……うっせえな」
「は?」
スタジオ練習をしても、以前の雰囲気ではなくて、一触即発。
私はというと、男の圧力におろおろするほかない。
少しずつ、違っていくのがわかる。
私がやりたかった音楽とは、違う。
「でも……私がやりたい音楽って――なに?」
そうだ。
私が人に偉そうに言える立場ではないことは、承知している。
両親が与えた環境。
それに甘えて、音楽を始めて。
両親が与えた環境。
それに溺れて、勝手に人を嫌いになった。
――ああ。
なんだ、これ。
「私には、なにもないじゃないか」
無人の家に帰る途中、空を仰ぎ見て、そんなことをつぶやいた。
「高校、どうしよ……」
「梓、もしかして高校迷ってたりなんかする?」
「面と向かってどうしようって言ってるのに、どうしてもう一度尋ねる」
「いやー! 私も勉強ダメダメでさー! 目標の学校に行けるかどうかって!」
「目標の学校なんてあるんだ。意外」
「意外ってひどいねこりゃ。私にだって目標くらいあるさ」
ホントに意外だ。
結は、基本的には考えない。
考えるのだけれど、傍目から見ると明らかに考え足らずだ。
その結が目標を決めているなんて、このクラスの人間は一人残らず仰天するだろう。
「どこ行くの? あと、以降Beat it禁止」
「な! それ封じられたら何もしゃべれないでしょ! 私が行きたいのは桜高だぁ!」
「桜高っていうと、桜ヶ丘?」
桜ケ丘というと、この辺ではかなりのレベルだ。テストで5教科合計300点以上取っ
たことのない結では、そうとう厳しい。
私は割と優秀なほうなので、桜高ならすんなりなのだが。
「……へえ、なんで?」
「けいおん部!」
楽器のできない彼女は、私に言った。
桜高のけいおん部。そこに入りたい、と。
「それなら、私もそこに行こうかな。一緒に、さ」
だったら、断る理由はない。
私も、彼女と一緒にいようと決めた。
それは4月のこと。
まだ、私は何も感じなかった。
「あのさ、桜高のパンフ見た?」
「見てません!」
……考えが足りないどころじゃない。この子、まったく考えていない。
学校からもらった桜高のパンフレットの角を、結の頭にコツリと当てる。
ふぎゃ、と小さな悲鳴をあげながらも、結はそれをぺらぺらとめくる。
「けいおん部がない!」
「はい」
その通り、彼女はろくに調べもせずに、ないものを目標としていたのだ。
なんというアホの子。なんという可哀想な子。
「でも、制服可愛いねえ。よし、桜高の目標は制服だ」
方向転換。
彼女は常にまっすぐなのだが、その分直角カーブも鋭い。
つまり、彼女にとって初志というものは貫徹するものではなくて適宜修正していくものなの
である。
……というより、大幅に変えているのかもしれないが。
「梓もバンド頑張ってね! 今年は文化祭で発表するんでしょ?」
「う、うん……」
バンドが空中分解しかけていることを、彼女には言えなかった。
――そう、言えなかったのだ。
「文化祭、演るんだろ!? さっさと準備しろよ!!」
「チッ。うっせーな」
「――」
放課後、特別に音楽室を使わせてもらっているのに、このザマだ。
千住だけがやる気を出しているだけで、高山と荻久保はまったく練習をしようとしない。今
となっては、このバンドもバンドとは言えない。
唇を噛む。
どうして。
なにが悪かったの。
私が、なにかしてしまったのだろうか。
こんな、こんなことを、私は望んでいるんじゃない。
結に――見せてあげられない。
「ねえ、練習しようよ……」
「俺は本番に強いタイプなんだよ。それによ、文化祭は11月だぜ? まだ半年もあるじゃねえか」
下を向いて、蚊のような声で何度も何度もつぶやく。
「練習、しよう」
「練習しようよ」
それでも、彼らには届いてくれない。
だって――私は彼らの顔を一度も見ていないのだから。
最終更新:2010年03月08日 23:44