琴吹家系列の音楽店

梓「ムギ先輩、ホントにいいんですか?
  ここにある品が全部9割引きなんて?」

紬「お年玉セールっていうんでしょう?
  世間では年始によくあることって聞いたわよ。」

律「9割引でも手が出せねえ…」

澪「それはお前の無駄遣いの結果だ!」

唯「…」

律たちが騒ぐそば。
唯は店内をぐる、と見回す。


梓「なんか…すごく悪いような…」

紬「いいのよ、いいの。さあ、お買い物を楽しみましょう♪」

2010年が明けて数日後、
桜高軽音部員たちは琴吹グループ系列の音楽店にいる。

澪「ムギ、ほんとにいいのか?」

紬「ぜんぜん~!
  世間がまだまだ不景気なんだから、
  こんなことをしても問題ないわよ♪」

琴吹グループは今年度も黒字経営らしい。

律「っていってもよー、10万円のヤツも九割引きで一万ちょいだろ? 
  どうせだったらもっと安くしてくれよぉ…」

紬「そう?だったら…」

澪「ムギ、コイツの与太話は無視してくれ…」

梓「わ、わたしも今は特に足りないものはないんで…
  メンテナンスの用具を見せてもらいます。」

唯(うーむ…)


かくいう唯はギー太さえいれば満足という口だ。
とくに欲しいものはない。

紬「ぜんぜん気にしないで♪
  澪ちゃんも…二台目のベースとかどう??」

澪「え…え!?」

唯(私はギー太一筋だけどね~)

と、思いつつ、唯は店の方々へ視線を向ける。


唯「あ…!」

"モノ"との出会いというのは不思議なもの。

紬「唯ちゃん、どうしたの?」

唯「あれ…」

梓「"ピック特集"??ですか?」

唯の指すほうには、たくさんの光沢美しい、ピック達。


唯「あれ…いいなあ…」

そのうちの一つが唯の目に留まる。
はっきり言えば、若者向けとは言えぬ、鼈甲(べっこう)細工の。

梓「でもそれだけ値段書いてないですよ?
  かなり高いんじゃ…」

その中の一品。

律「ふむふむ…『ドイツの著名ギタリスト、ラウバウ氏所有の…』」

律が紹介文を読み上げる。

店員「あ…あの…」

横から店員の一声。


店員「紬お嬢様、
   その品はちょっとお売りできないんです…」

常日頃、桜高軽音部員達の我侭につき合わされている店員Aも
さすがの困り顔。

紬「いわゆる"展示品"かしら??」

店員「その通りです…」

澪「"A・ラウバル"。
  著名って言う割には聞いたことないなぁ…。」

店員「お嬢様のお父様、琴吹会長の御縁ある方の品らしいんです。」

紬「お父さんの??」

店員「はい…」


紬「ヨーロッパの洋楽関係で??聞いたことがないわね…」

紬が思案顔になる。

唯「…」

その間も、唯はひたすらそのピックに視線を向ける。
…というかぶつける。

澪「唯、そんなまじまじと見つめてもさ…」

唯「…」

澪「非売品なんだから…」

唯「…」

澪「唯…」

唯「…」

梓(梃子でも動かない感じですね…)

唯「…」

唯はまわりの声が聞こえていないようだ。

紬「唯ちゃん??」

唯「…」

梓「先輩!非売品ていうのは売ってもらえない品物なんですからね!?
  そんな物欲しそうにしたって…」

物欲しそう??
いや、唯の方が魅入られたような。

紬「…」

携帯電話を取り出し、どこぞへ電話をかける紬。

律「あ、もしかして…」

紬「もしもし…お父さん??今、大丈夫ですか…??」

律(こりゃムギの"スイッチ"が入っちゃったか…)

紬「実はね…」

紬「そう、そうなの…」

紬「私のお友達がね…」

気に入った品から離れぬ唯。
その横には彼女のために父親へ電話をかける、筋金入りのレズっ娘。

紬「うん…」

紬「…」

紬「え??いいの!?」

澪「?」


紬「店員さん、父が…」

そういうと、自分の携帯電話を店員Aに差し出す紬。

店員「え!?まじっすか!?」

そして…

律「よかったなぁー唯よぉ!」

唯「うん!!」

唯はこぼれんばかりの輝く視線を、小さなピックへと向ける。
額より上に両手で掲げ、大事そうに護持している。

梓「でも"レンタル"なんですよね??」

口を挟む梓。

梓「それも"無期限の"。」

澪「確かにおかしな話ではあるな…」

紬「私にもよくわからないわ。
  お父さんに詳しく事情を話したらね…」

律「ムギのお父さんに無理言えばさ、
  超有名どころのアーティストの品も貸してもらえるかも!?」

澪「確かにありえるな…」

澪が律に同調する。

唯「…」

梓「…?」

その一方、梓はピックに魅入られたままの唯を見、
なにかを、覚える。
何かを。


唯「あなたは…誰?」

「…」

そして、その日の夜。
これは唯の夢の中。

目前には"よくわからないもの"が一体。
縦に170センチほどの大きさ。

「…」

黒く煤け、大きな丸太のよう。
そして、唯の鼻に酷く臭う。
嗅いだことのない臭い。
強い吐き気がこみ上げるほどの…


唯「…」

しかし、唯の鼻へ通ずる臭いは
嫌悪感ではなく、強い悲哀を彼女に生む。

「きみは…しんめいか…」

"よくわからないもの"からの声。

「しんめいに愛さるる…おとめか…」


"よくわからないもの"を見ることが苦しい。
しかし、見ずにはいられぬ。

唯「しん…めい??」

「神明…」

「"あいんへると"…もしくは…"あるつぇんごっと"…」

「わたしは…」

「ついに…

「"ヴァルハル"に…来たるか…」

唯「よく、わかんない。」

唯の片手にはあのピック。

「ちがうのか??みえぬ…」

「わたしには、みえぬのだ…」

黒い、焦げた丸太、"よくわからないもの"が"目"を開く。
刹那のこと。
その"瞳"は海のような青。ひどく澄んだ、透明な青。
"よくわからないもの"は、唯を見ることができず、
その視線は唯の体躯を漂う。


「焦熱、そして、凍えより…」

「放たれたとおもえば…」

唯は思い出す。
床に就く前、さんざんにギー太を可愛がった。
ムギから借りたあのピックで。

「とはゆえ…」

「なつかしい香りがする。君から…」

「それは、"レオ"に与たゆたはずだが…」


唯「れお??」

「"はらから"の子だ…我が甥…」

唯「はらから??」

「わたしの姉…」

「いや…」

「君からも…きみの身体からも、懐かしい匂いがする…」

「若きころ…青いころ…」

そう言うと、液体のようなもの、を流す、"よくわからないもの"。
涙、だろうか?

唯「あなたは人間なの?」

「そうだ。」

「…」

「いや…」

「そうだった。」

「人間だったのだ…」

「そうだ!」

"よくわからないもの"は続ける。

「そうだった!」

「きみのこと、クビツェクとよくはなしたなぁ…」

唯「クビツェク…って??」

「少ない、友のひとりだ…」

「公園のベンチに座り…その少し先にいた、美しい君のことを…」

「雑然としていたが、あのころの"ヴィーン"も、」

「また美しく…」

「さらに君もまた美しかった…」

「きみのことは絵にできなかったが…」

「むしろきみを題として、歌劇を描きたかった…」

唯「よく、わかんないよ…」

唯「ヴィーンって何?クビツェクってだれ?」

唯「あなたは、」

唯「誰?」


「わたしの名??」

「…」

「そうだ。わたしはついぞ、」

「きみにわたしの名を名乗ることもしなかった…」

「そうだ、」

「そうだった…」

そういうと、"よくわからないもの"は、視線をはるか上に移す。

「そうだ…」

「そうだ!!」

「我らが国はどうなったのだ!?」

再び"よくわからないもの"は唯に視線を…
獲物狩るような目を向ける。

唯「っ!!」

先ほどまでの、恋焦がれる相手を思うような目と、なんと違った…
飢えた鷲のごと…


唯「わがくに!?」

唯「意味わかんないよ!?」

「ちがう!!」

「"我ら"が国だっ!!」

唯「うっ…ぅ…」

唯ははじめて恐怖を感じる。
そして、漏れ出る嗚咽。

「!?」

「す、まない…」

唯「くにって…」

唯「ここは、日本…だよ…」

「ヤパン…?」

「…」

「ことばの混濁がある…」

「…」

「どういうことだ…」

唯「ヒック…」

「これは…」

「きみの、ゆめ??」

唯「ヒック…」

「…」

「もしや…」

「…」

「いや…そうか…」

「そう…だったの…か…」

「…」

「Ihr antwortete drauf die kluge Penelopeia,
 Aus der süßen Betäubung im stillen Tore der Träume
(夢の間際、心地よくまどろむペネロペーは答ゆる…)」

"よくわからないもの"が何か唱えると、唯の意識に突然、白色が現れ―
そして、唯は目を覚ました。


眠りから覚めれば、自分の部屋だ。
そうだ、眠り、から醒めたのだ。

さきほどまでのあれ、は夢?
けれど…

唯のすぐ横、ベッドの脇に気配を感じ唯は顔を向ける。

唯の瞳と交差する、澄んだ青い瞳。
唯のそばには、一人の男性が佇んでいた。


青い目をもつ、彫の深い男だった。
20代前半の、痩せた男。白人だとわかる。
頭髪は左半分に偏った、短めのツーブロック、
背の丈は唯より小頭一つほど高く、ひょろり、としている。
その男の青い目が、唯を見下ろしている。

唯「え…」

「…」

「きみは、夢から醒めたのだ。」

「そして…」

「わたしも。」


上着は背広のような、しかしよれよれで、摩れている。
ズボンは、踝ほどまでで、いわゆる、『つんつるてん』
お世辞にも、いや正直に言ってもあまり綺麗な格好ではない。

唯「お兄さん…」

唯「なんで光ってるの??」

唯の次の一声はそれであった。
唯の側に立つ男は、薄く暗く、ほんのりと、青白く蛍光しているのだ。

「人の輝きは、魂に由来するから、」

「かもしれないね。」

男は答える。
優しく、答える。


唯「あはは、まだわたし寝てるんだね…」

「いや、君は間違いなく、覚醒しているよ。」

唯「…」

唯「夢じゃないの??」

「ああ。」

唯「…」

唯「…」

唯「も、ももも、もしか…して、お、おばけっ!?」

「おばけ??」

「確かにね。魂が肉体から離れれば…」

「その存在はすなわち人外だろうね。」

そういうと、その青年は微笑む。
はにかんだ微笑だが…
強く、惹きつけられる。


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最終更新:2010年03月22日 04:00