唯「えらいえらい」
梓「……あの、唯先輩」
唯「何?」
梓「代わりに……キスしてくれませんか?」
唯「うん……えっここで!?」
ここ都会の真ん中だよ!
梓「はい」
唯「流石にまずいよあずにゃん」
梓「昔は私が嫌がっても抱きついてきたじゃないですか」
それはそうだけど……。
周りに誰もいないならまだなんとかなるけどここはまずいよ。
私だって大学生になってちょっとは分別がつくようになった。
それに私達は……。
唯「あー……ま、また今度ね!」
梓「えっ」
唯「じゃーねーあずにゃん!頑張ってね!」
あずにゃんの返事も聞かずに帰ってしまった。
恥ずかしかったこともあるけど、少し怖かったから。
あんな場所でするのもそうだけど、私の所為であずにゃんが堕落しているように感じたから。
たまにそわそわしてたからもしかしたらサボった日があったのかもしれない。
そう思うと抱きつくことも出来なかった。
だから半ば逃げるようにその場を後にした。
後日連絡したら怒るそぶりをしながらも笑って許してくれた。
でも、それ以来私は習慣になりつつあった別れ際のキスを避けるようになった。
あずにゃんの残念そうな顔を見るたびに心が詰まってしまう。
それでも出来なくて、別れ際はいつも私が唐突に切り上げる。
今日も……
唯「そ、それじゃあまたね!」
そう言って踵を返したところであずにゃんの溜息が聞こえた。
なんだか最近のあずにゃんは積極的に思える。
前よりも私がドキッとする回数がかなり増えてるし。
どうしてだろうと考えるけどいつも途中でやめてしまう。
なんだか嫌な考えになるから。
でも――
私はあずにゃんのことを……怖がってる。
だって仕方ないよ。
いくら夜でもあんなところでキスしたら……どうなるんだろう。
地元から離れてるし私の知っている人はいないだろうけど。
それでも人目は気になる。
あ、そうだ、あずにゃんは見つかったら大変なことになっちゃうよ。
最悪今あずにゃんが目指しているものが台無しになっちゃうかも。
……違う。
どうしてもこの考えになっちゃうからいつも途中でやめてしまう。
私が怖がってるのはあずにゃんじゃなくて、もっと別のもの。
つまり、変わったのはあずにゃんじゃなくて――
唯「憂~私のスーツ知らない?」
憂「お姉ちゃんの部屋にあるはずだよ」
唯「わかった~」
憂「それじゃあ私先に行くからね」
唯「うん!頑張ってね!私も行くから」
憂「ありがと~。いってきまーす」
今日は桜校の卒業式。
憂やあずにゃんが卒業する日。
あずにゃんはこれから本格的に音楽活動に取り組んでいくことになる。
それから、あずにゃんと会う機会も今日を境に殆どなくなるだろう。
それでも……
私は卒業式が終わってから校門の前で憂達を待っていた。
今日はいい天気で3月にしては暖かい。
卒業式日和……っていうのかな。
唯「あ、憂~卒業おめでとう」
憂「ありがとうおねえちゃん!」
憂の目が少し赤い。
それでも元気に笑っている。
唯「あれ、あずにゃんは?」
憂「あ、梓ちゃんは部室に寄ってるよ」
唯「そっか」
憂「お姉ちゃんも行くんでしょ?」
唯「……いいのかな」
憂「大丈夫だよ」
唯「ごめんね憂、ちょっと行って来るよ」
憂「うん……いってらっしゃい」
久しぶりに桜校の校舎へ入った。
中は一年前と変わっていないように思える。
懐かしい亀のオブジェを眺めながら階段を上がる。
その先にあるのは私の高校生活そのものだった軽音部の部室。
ドアを開ける前に中を覗くと、あずにゃんが机に座って何かしているのが見えた。
…………よし。
唯「……あずにゃん」
梓「うわあっ!!」
唯「どしたの?」
梓「なっ何でもないです!」
唯「何かしてたの?」
梓「何もしてないです!!」
唯「そう?ならいいけど……」
唯「あずにゃん」
梓「はい……?」
唯「卒業おめでとう」
梓「ありがとうございます」
唯「あずにゃんは泣かなかったの?」
梓「ええ、憂を慰めるのが忙しくて」
唯「そっか、ありがとね」
梓「いえ」
唯「……」
唯「あずにゃんはこれからもっと忙しくなるんだよね」
梓「そうですね。でもちゃんと時間を作って会いに来ますから」
唯「ダメだよ無理しちゃ」
梓「無理じゃありませんよ。私が会いたいんです」
唯「……それでも駄目だよ」
梓「えっ?」
あずにゃんの負担になっちゃうよ。
今までだってあまり会えなかったのに。
それにこれからが一番大事な時期なんだよ。
私に構っている暇なんてきっとないよ。
それに私はあずにゃんに頑張ってほしいんだ。
あずにゃんは音楽がすっごく好きでギターもとっても上手い。
そんなあずにゃんと一緒に演奏していたかったけど、
それよりも私はあずにゃんに夢を叶えて欲しかった。
それでいろんな人に演奏を聴いてもらいたい。
……これは本当だけど、違う。
大学という高校よりもちょっとだけ大きい社会に出て解った事がある。
能天気に過ごしていた高校生の私では解らなかった。
私がおかしいということに。
大学には色んな人がいる。
私とは別の高校から来た人、遠くの地方から来た人、年上の人、お仕事をしている人もいる。
この一年はそんな人たちと知り合って仲良くなって生活してきた。
それから学校や飲み会なんかでたくさんお喋りもした。
その中にはアルバイトのお話とか趣味のお話、それから恋愛の話も出てくる。
直接誰かに言われたわけじゃない。
そうやって生活していくうちに私自身でようやく気付くことが出来たんだ。
女の子が女の子を好きなのはおかしいって。
これは高校の頃、ううん、もっと前からわかってはいたんだ。
でもそれがどういうことなのかちゃんと理解してなかった。
それがどれだけ大変なのか。
周りからどう思われるのか。
あずにゃんの悩んでいたことがようやく解った。
解ってから……人前であずにゃんに抱きついたり出来なくなった。
人前でキスなんてしたら……。
そして、そんなことがばれたら……
今の私の生活が無くなるかもしれない。
あずにゃんの夢が潰えてしまうかもしれない。
あずにゃんの邪魔になってしまう。
それが怖くてどうしようもなかった。
だから私は――
唯「ねえ、あずにゃん」
梓「なんですか?」
唯「………………別れよっか」
梓「…………え?」
唯「……」
梓「ど……どうして」
唯「……」
梓「私のこと、嫌いになっちゃったんですか?」
唯「そ……」
そんなことない。
でも、それは言えない。
梓「私が遠くに行くからですか?」
唯「そうじゃなくて……」
唯「あずにゃんの足を引っ張っちゃうから」
間違ってはいないはず。
はずだけど……卑怯だ。
梓「……なんですかそれ」
梓「そんなことありませんよ!」
唯「……」
梓「もうサボったりしませんから!」
梓「無理して会いに来たりしませんから!」
梓「私に悪いところがあったら直しますから!」
梓「私は……先輩のことが好きなんです!だから……!」
卒業式でも泣かなかったあずにゃんを泣かせて、
いつもは素直じゃないあずにゃんにここまで言わせて、
私は何をやってるんだろう。
最低だ。
あずにゃんに夢を叶えて欲しいなんて、私の気持ちの隠れ蓑に過ぎないのかもしれない。
だめだ、自分が嫌いになりそう。
私は思っていることをあずにゃんに全て伝えることにした。
梓「…………」
あずにゃんは私の気持ちを聞いてどう思ったんだろう。
愛想をつかされるかな。
それとも……。
でも、どちらにしても私の気持ちは決まっている。
梓「……ひとついいですか?」
唯「……何?」
梓「唯先輩は……私のことが好きですか?」
唯「…………うん」
嘘はつけなかった。
そしてこのことは間違いない。
心と想いが軋んでいるから。
梓「そうですか、よかったです」
そう言ってあずにゃんが笑った。
それを見て私は泣きたくなった。
こんなに情けない私のことを怒りもしないで、
よかったですって言って笑ってて……。
あずにゃんの笑顔が滲む。
私は涙が流れる前に後ろを向いた。
唯「ご……ごめんねあずにゃん。私帰るね」
部室の出口に向かう。
涙が流れてしまってもう顔を見せられない。
梓「唯先輩!」
梓「私はそれでも先輩のことが好きです」
梓「私も悩みましたから……気持ちは解ります……」
梓「それとごめんなさい……気付けなくて」
梓「でも、もし先輩の気持ちが――」
梓「それから……音楽も頑張りますから……見ててください!」
もう声も出せない。
私はそのまま振り返らずに部室を後にした。
その日は部屋でずっと泣いていた。
それから暫くは夜になると涙が溢れた。
私が臆病な所為でこうなったのに。
私が決めたことなのに。
あずにゃんも怒らなかったのに。
それでも涙が終わらなかった。
そうしている間にあずにゃんは自分の夢に向かって走り出していた。
私は大学2年生になってもあずにゃんの事を引きずって無気力に過ごす日々。
それでも少しずつあずにゃんのいない生活にも段々慣れてきた。
でも、もうひとつ大きな変化が訪れる。
ムギちゃんが1年間海外に行くことになったのだ。
これで放課後ティータイムは2人も欠けてしまうことに。
それにりっちゃんも澪ちゃんも2年生になっていろいろと忙しいみたい。
だから練習やお茶の時間も段々減っていった。
蒸し暑くなって。
夏休みが始まって。
また学校が始まって。
今年は学園祭でライブが出来なくて。
そうして……
毎日をなんとなく過ごす。
最近はいつもこんな感じ。
これじゃあ中学生までの私に逆戻りだよ。
さっきから授業のレポートも全然進まないし……
ちょっとインターネットでもしようかな。
大学に入ってパソコンを買ったけどレポートを書くくらいしか使ってないんだよね。
えっと……あ。
見覚えのあるバンド名が書かれてる。
これ、あずにゃんのバンドだ。
さっそくクリック。
公式サイトっていうのかな?
そこには活動の記録やライブの映像なんかがあって、
久しぶりにあずにゃんの姿を見ることが出来た。
日記や写真からはあずにゃんの夢に向かっている喜びや期待や不安が感じ取れた。
ライブ映像も見てみる。
あずにゃんはやっぱりちっちゃくて可愛かった。
それからすごく一生懸命で、ギターがとっても上手い。
そっか、あずにゃん頑張ってるんだ。
私は……私は何をしているんだろう。
最終更新:2010年03月25日 22:25