淡々と挨拶をし、淡々と式を進め、淡々と彼を見送った。
参列者から「ずいぶん気丈な人だねぇ」と声が漏れていたが、そんなことはない。
ただ彼を愛していなかっただけなんだ。
「カーチャン。俺、カーチャンが悲しむようなことはしないから」
火葬場の煙突から上る煙をボケーっと見上げていた時、息子がポツリとつぶやいた。
その言葉を聞いた瞬間、私は何がなんだかわからなくなって気が付いたら息子を抱きしめていた。
窒息してしまうのではないかというほど、強く。
小さな息子が私を気遣ってくれた喜びが涙となってあふれてきた。
息子に涙を見せたくなかった。
強いカーチャンでいたかったから。
このチビッコを一生守っていける強いカーチャンに。
私は声が震えないよう必死にこらえながら「そうか」とだけ答えた。
私に残されたものはこの小さなスナックと、愛する息子だけ。
もうこれ以上大切なものを失うわけにいかなかった。
息子は近所のババア共に自慢しても恥ずかしくないほど好青年に成長した。
高校に通いながらアルバイトをし、夜は店を手伝ってくれる孝行息子だ。
本当に私の子なのかと思うほど頭も良かったし、底抜けに明るい性格もあって生徒会長を務める人望もあった。
ただひとつ気がかりだったのは息子が軽音楽部に入っていたこと。
幼い頃からドラムに触れることができる環境だったにしても、音楽にのめり込んでいく息子を見ているのと胸が締め付けられる思いがした。
まさかこの子もプロを目指すなんて言い出すんじゃないだろうか。
かつて私が愛したあの人のように。
音楽の世界は一部の才能を持った奴しか成功しない。
私達のような凡人がおいそれと武道館に立てるようなものじゃない。
3者面談の日、息子の進路希望を聞いて愕然とした。
――プロになるために東京に行く。
バンド仲間と話し合って出した結論らしい。
成績優秀で生徒会長を務めたこともあって国立大学の推薦入学の話もあったのだが、それを蹴ってまでプロを目指すというのだ。
音楽音楽音楽。
音楽音楽音楽。
音楽音楽音楽。
一体どれほど私を苦しめれば気がすむというのだろうか。
楽しかった放課後ティータイムの思い出などとうの昔に忘れていた私にとって、音楽はもはやゲロ以下の価値しかなかった。
どう説得しても頑として聞き入れない息子との溝は深刻なものとなる。
事あるごとに「そんなに甘い世界じゃない」だの「成功するはずがない」と耳にタコができるほど言い聞かせてきた。
だが、息子の決意は六方晶ダイヤモンド以上に堅かったようだ。
「俺の人生だろ。カーチャンにとやかく言われたくない」
今まで反抗らしきものをしたことがなかった息子が私を睨みつける。
一瞬、何も考えられなくなった。
考えられなくなったのに、なぜか涙だけは自然とこぼれる。
夫だけでなく、息子にまで裏切られてしまうのか。
私は「カーチャン。俺、カーチャンが悲しむようなことはしないから」という言葉を忘れた日はなかったのに。
あの日のチビスケの言葉を、ずっとずっと心の中にしまっていたのに。
息子にとって、あの日の約束は寝て起きれば忘れてしまう程度のものだったのか。
その日以来、私達親子の会話は、ぱったりとなくなってしまった。
卒業式の余韻も冷めやらぬ3月のある日、わずかな着替えを持って玄関を出る息子は不安で一杯だったことだろう。
健気にもそんなそぶりを見せず、店の掃除をする私の背中に「カーチャン、ごめん」と声をかけきた。
私は息子の言葉を無視して掃除を続けた。
バタン、と扉の閉まる音がする。
急いで振り返ったがそこには息子の姿はなく、薄暗い店内にわけのわからんJ-POPが流れているだけだ。
私は一瞬躊躇したが、店内の掃除を再開した。
困ったことに拭いても拭いても水滴が落ちてしまう。
私は掃除を放棄し、モップを放り投げ、その場にうずくまった。
声を押し殺して泣くことを早々に諦め、近所に響くんじゃないかというほどの大声をあげて泣いた。
願わくば、この声が息子に届いていて欲しかった。
もう一度戻ってきて欲しかった。
しかしそれから数年間、息子からの音沙汰は一切ない。
私に残されたものはこの小さなスナックだけ。
私の手から大切なものが次々と零れ落ちていく。
律「…」ポロッ
澪「…」
澪「ごめん…律の気持ちも考えないで言いたいこと言って…ほら、ハンカチ」
律「え?」
律(…昔を思い出しながら泣いていたのか。まだ息子に未練があるのか?バカな)
律「あ、ああ…悪い。なんで泣いてんだろ。はは、歳取ると涙もろくなるよな」
澪「…」
澪「今日はもう帰るから」
律「え…ビール一口も飲んでないじゃん」
澪「おごるよ。車で来たしな。はい、お金」
律「お、おい!」
澪「じゃあね、またくるから」
カランコローン
律「…」
律「何しに来たんだよあいつ…」
律「…グビ。ぬる…」
律(息子も澪の娘のように好きなだけ楽器に触っていられる環境だったら、今頃は武道館に立っていたのかな。あいつが澪の息子に産まれて、何不自由なくドラムをしていられる環境だったら…)
ある日の夜
律「あ、このくそ!デスタムーアつええ!」ピッピ
カランコローン
律「すんませーん!今日はもう閉めまーす!うおおおおマダンテくらえやああああああ!」ピッピ
唯「閉めるってまだ8時じゃん!」
律「ん?ああ、唯か。テキトーに座って。うああ、全滅した…やっぱ無職縛りはきついな。無職よわいよ無職」
唯「も~、相変わらず商売っ気ないな~」
律「それがこの店の売りなもんで」
憂「こんばんは、律さん」
律「おおー!今日は憂ちゃんも一緒か!いらっしゃい」
唯「今日は久しぶりに憂がウチに顔出したからさ~。せっかくだし、りっちゃんとこ行こうかってことになったのだよ」
律「それはありがたいねぇ」
唯「ゲームするためにお店閉めようとしてたくせに…」
律「まあまあ、それとこれは別よ。ささ、注文は?」
唯「じゃあ今日はリンゴジュース」
憂「それじゃあ私は魔王のロックを」
律「お、おお…二人とも相変わらずだな…特に憂ちゃん」
唯「憂はいくら飲んでも酔わないからね!サルだよサル!」
律「いや、つまんねえから」
憂「ふふ、それを言うならザルでしょ、お姉ちゃん」
唯「そうとも言うよね!」
律「ぷっ、本当にかわらねえなあお前ら姉妹は」
憂「そんなことないですよ。お姉ちゃん、もう一人で料理や洗濯できるようになったもんね?」
唯「もちろんだよ~」
律(当然だろうが…歳考えろよ…)
律「でもさ~憂ちゃんはホントいい職に就いたよな。まさに天職だと思うよ」
憂「そうですか?自分ではあまりそう思いませんけど…辛いし…」
唯「介護職だもんね~。私も今の仕事、憂に合ってると思うよ!憂は誰にでも優しいもん」
律「それに憂ちゃんは産まれた日から介護の仕事をやってたようなもんだからな(チラッ」
唯「りっちゃんそれどういう意味かな~(ビキビキ」
律「へへへ。ほい、リンゴジュースに魔王のロックね」
唯「ありがと~」
憂「いただきます」
律「そうそう、今度澪の娘が武道館ライブ出るらしいな」
憂「そうなんですか!?」
唯「私も聞いたよ。澪ちゃん知り合いみんなに自慢しまくってるのね…」
律「ふふ、澪は意外と子煩悩だからな」
唯「それを言うなら親バカね、澪ちゃんの場合は」
憂「でも親なら普通のことじゃないですか?頑張ってる子供を見て応援しない親なんていないですよ」
唯「うん、確かに」
律「そう…だな…」
律「憂ちゃんの子供は?そろそろ反抗期だろ?」
唯「ふっふっふ、りっちゃん。憂んちの躾はすごいよ。子供達みんなビシッとしてるんだから。私が遊びに行くと玄関に並んで正座でお出迎えだよ。ビックリなんだよ!」
律「おォ~!さすが憂ちゃんだな!」
憂「そんな…普通に育てただけですよ」
唯「その普通が難しいんだよ。私の子供なんて野球やってるから毎日泥だらけになって帰って来るもん」
律「はは、それがガキのあるべき姿だろ。ガキがやりたいようにやらせるのが一番なのさ」
律「あ…」
憂「どうしました?」
律「い、いや…なんでもない…」
唯「そんなこと言ってもねェ。もっと勉強して欲しいもんだよまったく!」
律「…」
唯「お?りっちゃん大丈夫?」
律「あ、ああ…大丈夫だよ」
唯「…」
唯(りっちゃん、子供の話になるといつもこうだもんなぁ…今日は自分から話を振ってきたから大丈夫かと思ったんだけど…)
憂「子供がやりたいように…確かにそうかもしれませんね」
唯「憂?」
憂「最近よく思うんですよね。いくら躾をよくしたところで、本当にこんなこと子供達が望んでるのかって。 お姉ちゃんの子を見てると特にそう思っちゃう。お姉ちゃんの子、何も悩みがなさそうなんだもん」
唯「そ、そうかな」
憂「そうだよ。やっぱりやりたいことやってる子供が一番輝いてると思う。多分お姉ちゃんの子は世界一幸せな子供だと思うよ」
律「そうかもな」
唯「う~ん、私にはよくわからないけど」
憂「無理に塾に行かせるより、お姉ちゃんみたいに子供の意思を尊重してスポーツ少年団にでも入れた方がいいのかなって思うの」
唯「そうしたら?別に今のうちから勉強勉強言わなくてもなんとかなるもんだよ。私でさえ大学に入れたし」
律(子供がしたいことを…か。普通に考えれば当たり前のことだよな。それを私は自分の意見ばかり押し付けて…)
憂「そうだね。明日、一度子供達とじっくり話してみるよ」
唯「うんうん、そうしな~。きっと子供も待ってるはずだから」
律「…」
律(あいつも待ってたのかな。腹を割って話すときを…)
憂「うん!ありがとうお姉ちゃん!やっぱり私はまだまだだよ。子育てに関してはお姉ちゃんに勝てる気がしないよ」
唯「そ、そんなことないって!」
唯(面倒だから放っておいてるだけなんて言えない…)
―――――――――
――――――
―――
唯「そろそろ帰ろうか」
憂「そうだね。随分長居しちゃった」
律「…zzz」
憂「律さん、飲みすぎだよね…」
唯「うん、とは言っても憂の半分以下だけど。憂はお酒強すぎだよ!」
憂「これくらい普通だよ~。それより律さんを起こすのも悪いし毛布掛けてあげよ」
唯「そだね」
ばさぁ
唯「じゃあね、りっちゃん。また来るよ」
憂「今日はありがとうございました。お金はここに…」チャリンチャリン
律「…zzz」
唯「元気出してね、りっちゃん」
カランコローン
律「…zzz」
律「う、うぅん…」
ある日の夜
律「…」ピコピコ
律「さすがに全員勇者だと、どの敵も雑魚だな」
がんっ!
律「うおっ」ビク
「…」
律「…」
律「お客さんすみませーん、ウチは自動ドアじゃないっすよー」
カランコローン
紬「そうなの…」
律「お前かよ!」
律「うおーーーー!久しぶりだなムギ!」
紬「久しぶりっちゃん」
律「はは。いやー、ムギはまた綺麗になったな。いつ日本に帰ってきたのさ!」
紬「日本支部に用事があって今日帰ってきたの。明日にはここを発つけど」
律「はあ~多忙な奴は違うねえ。ま、何にせよここに顔出してくれるなんて嬉しいよ」
紬「誰かに会っておきたかったから。それにりっちゃんなら絶対ここにいるし」
律「ちげえねえ。何飲む?」
紬「そうね、久しぶりの日本だし日本酒にしようかな」
律「お、いいねえ。ちょうど浦霞が入ったところだよ」
紬「まあ!それってかなりいいお酒じゃない?」
律「ムギだから特別だぜ。再開を祝してってやつだよ」
紬「うふふ、ありがと」
律「しっかし日本支部ってずいぶん大仰だな。LCLだっけ?」
紬「NGOね」
律「ああ、それね。まあ違いはわからんけど。今までどこにいたんだ?」
紬「ここ数年はずっとソマリアにいたの」
律「あーソマリアね~。よくわからんけど」
紬「今はソマリアの小学校で子供達に勉強を教えているのよ」
律「教師か。唯よりはムギに教えてもらったほうが勉強がはかどるだろうな」
紬「そんなことないわ。唯ちゃんだって立派に働いてるじゃない?」
律「あーもうダメダメ。あいつここに来るといっつも仕事の愚痴ばっかりだもん」
紬「そうなの…今日はこないの?せっかくだから会いたいな」
律「おし、電話してみるか」
ピポパ、プ
カランコローン
唯「ちょりーっす」
律「うわ、きた」
紬「唯ちゃん!」
唯「ん?ムギちゃん!?」
紬「久しぶりね~。ふふ、唯ちゃんは相変わらずほわわ~んとしてて」
唯「いやいや~、ムギちゃんは一段と綺麗になってますなあ」
紬「そんなこと…///」
律「いや、ムギは全然シワもないし、マジで私らの中じゃ一番綺麗だぞ」
紬「そ、そうかな…」
唯律(当時は私が一番可愛かったけどね)
唯律「ん?」
唯「ムギちゃんは今ソマリアだよね。大丈夫なの?怖くない?」
紬「怖いよ。今も無政府状態だし」
唯「うわー。ムギちゃんはリアル北斗の拳の世界にいるのかぁ…」
律「ははは!モヒカンの奴が「ヒャッハー!ここは通さねえぜえ!」って言いながら襲い掛かってくるのか?」
紬「うん、そう」
律「え?」
紬「強盗、殺人、誘拐、人身売買、レイプ…ありとあらゆる犯罪がそこかしこで日常的に起きてるわ」
律「え?嘘、マジ?」
唯「マジだよりっちゃん。前にテレビで見たもん」
律「…」
律「な、なんでわざわざそんな危ないところで教師しなきゃいけないんだよ!日本でいいだろ!」
紬「りっちゃん、私はこう思うの。生まれがどこだろうと子供は平等でなければいけないって。 内戦国に産まれたからと言って、全うな教育を受けることができないなんて、そんな不幸なことはないわ。 それに、あんな国だからこそ子供達の学力の底上げが必要だと思う。だから私達はどこへだって行く。 一人でも多くの子供が幸せになれるならね」
最終更新:2010年03月27日 00:35