私は 私が――

 私が 私を――

 私を 私に――

 私に 私は――

 どうして こんなことをしてしまったんだろう

 たくさんのひとを きずつけて

 たくさんのひとを 悲しませて

 たくさんのひとを 泣かせてきて

 そうして 私はここにいる

 それに なんの意味があるというのか――

 音楽準備室には、いつものように5人の少女がいる。
 私の、平沢唯の大切な人たちだ。
 この人たちがいなかったら、私は今も……。

「唯ちゃん。お砂糖いくつ?」

「え? あ、2つでお願い」

 と。
 変なことを、考えていた。
 この人たちと出会わなかったら、なんて、そんな馬鹿な例え話は在り得ない。だという
 のに、私はそんなことを一瞬、考えてしまった。
 思わず、溜め息が漏れる。
 私は馬鹿だ、と。

「どうしたんですか? 唯先輩」

 梓が私を案じて声をかける。
 大丈夫、なんでもないよと答える。

 大丈夫なんかじゃないことは、私が一番よくわかっているのに。


 私の隣には、田井中律が座っている。
 2年も同じ部活動をしていると(梓は一年だが)こういった席というものにも決まりが
 生まれる。いつの間にか、律の席は私の隣になっていて、私の向かい側に座るのは紬
 になっているのだ。
 いつからだったか。
 ――それは、いいか。
 また今度の機会に考えよう。

「唯、疲れてないか?」

「……そう見える?」

 そう、見えるのだろうか。
 私が疲れているように。
 ……ああ。そうか。
 私は、少しはマトモになれたのかもしれない。
 だったら。
 だったら、私だって話さなくてはならない。
 みんなが話してくれたように。

「みんなが話してくれた昔話。私もするけど、いい?」


 みんなの視線が私に注がれる。
 何故か、心配したような顔をしている。
 どうしてかはわからない。
 でも、そんな顔をされると少し、昔を思い出して苦しくなる。

「……」

 誰も言葉を紡がない。
 口を閉ざして、私を見ている。
 ぼんやりと。

 私も、そんな顔をされるのは嫌いだった。
 だから。
 私も、下を向いた。
 そうして、話し出す。
 私が、なにも考えない子供だった頃の話を。


――平沢唯は普通な子供だった。
周りからどう思われているのかは別として、少なくとも、自分ではそう思っていた。

平凡で。
凡庸で。
中庸で。

そんな子供なんだと、私は幼稚園児の頃から考えていた。
周りからは、呆としている子供と思われていたのだろう。
だが、それは普通の許容範囲だ。
人は、行動に依って人格を決定付ける。故に行動していない私は周りから見ても、
決して変わった子供ではなくて、少し抜けた子ていどの評価だったのだ。
一般的に考えた場合、平沢唯という女の子はどこにでもいる子供だったのだ。

「ゆいちゃん。カスタネット上手だねー」

「うん! わたし、カスタネットだいすき! うんたん、うんたん」

 こうして、友達と話している時も。

「おねーちゃーん!」

「あ、ういー」

 妹と話している時も。

 ――私は、努めて呆とをしているようにしていた。

 どうしてそんなことをしているのか。
 私にもわからない。
 ただ、みんなに対しての違和感があった。


 ――どうして、みんなはこんなに簡単なことができないのだろう。

 そんなことを思い始めていた。
 無論、私だって初めてやることを完璧にはこなせない。
 それはどうにもならない。知らないことを知っている人間はいない。
 ただ、私の場合はほんの少し。一日だけそれに触れてしまえば、一定の水準まで達
 することができた。
 だから、私の友達たちが馬鹿に思えた。 
 なんて覚えが悪いのだろうと見下した。
 無意識の中で思っていた。
 そんなことを。
 幼稚園児の私は、自分と他人の差を知らなかった。
 自分ができることは他人にもできて、それが当り前なのだと思っていたのだ。
 それが間違っているということを知ったのは、いつだっただろうか。


 幼稚園の砂場で、女の子が暴れている。
 どうやら、男の子に砂のお城が壊されたようだった。
 女の子は拳を振り上げて、男の子に襲いかかる。

 ……それを、少し離れたところから眺めているのは私。
 隣には砂の山を作って遊んでいる、幼馴染の姿。
 幼馴染の和は、私を時折チラリと見ている。

「ゆいちゃん? どうしたの?」

「んーん。なんでもなーい」

「そっか」

 そうだ。
 私は、あの子のように怒ったり、感情をあらわにしたことがなかったと思う。
 つまり、私は人間的に欠落しているのだ。
 だからだろう。

 ――その、元気な女の子が妙に輝いて見えたのは。


 夕方になると、母が迎えに来てくれる。
 妹の憂は、いつだって母にくっついていて、私はお姉さんだからという理由で母に対
して甘えられずにいた。
 それでも、母は優しく言ってくれる。

「唯は、今日の晩御飯なにが食べたい?」

 憂は母に甘えているけれど、晩御飯の話をされるのはいつだって私だ。
 夕日に染まった道。
 それに照らされる、母と妹。
 何故か、幸せな気持ちになる。

「わたしは……アイス!」

「アイスはご飯食べてからね。それじゃあ、カレーにしようか?」

 そう言うと、母はその右手で私の左手を握る。
 憂も笑って私を見ている。
 なら、私も笑っていよう。

 そうでないと、二人は悲しい顔をすると思うから。


 家に帰ると、私は決まって居間で寝転がる。
 もちろん制服から普段着に着替えてからだが、このゴロゴロタイムが、私の一日の楽
 しみなのである。

「ういー。ういもゴロゴロしよーよー」

「ええ! わ、わたしはいいよぉ! おねえちゃん見てる!」

 憂はそう言って、ソファに座って私を眺めている。
 ならば仕方ない。
 見られているのなら、尚更ゴロゴロするほかない。
 まるでアザラシかセイウチのようにだらける。疲れるようなことなどしていないが、こう
 していると妙に安らぐ。
 きっと、私は元来、怠けることに特化していたのだろう。
 だから、なにかに真剣に取り組むことなんてなかったのだ。

 だから――誰も私を見てくれないのだ。


 頑張ること。
 それは、古来から美学とされてきた。
 努力することで、それを周りに見せつけることで、人は人を認める。
 結果は二の次なのだと。
 たとえ、結果がついてこなくとも、努力は裏切らないと。
 そういって、彼らは自分をごまかしてきた。
 自らの無力さを。

 つまるところ、それは『才能』への当てつけなのだ。
 努力をせずとも、これといった頑張りを見せずとも結果を出してしまうものへの、嫌悪
 に他ならなかった。
 なんて、理不尽な不等号。
 100の結果を出したものよりも、70の不完全な結果を残したものが認められる。そ
 んな、そんなおかしなことがあるか。
 だって、『私』にとってその結果というものは。
 それでも、私はその理屈を理解できない。

 ――ほんの少し、指を動かすだけで出てしまうのだから。


 私は、なんとなくわかっていた。
 憂は私よりもカスタネットが下手なのに、両親からは私以上に褒められていた。
 和は私よりもザリガニを獲るのが下手なのに、皆から私以上に褒められていた。
 それは、私がなんの努力もなしに結果を出してしまったからだ。
 カスタネットだって、殆ど練習なんてしなかった。
 ザリガニ捕りだって、なんとなく糸を垂らしていただけだ。
 だから、人は私を見てなどくれない。
 一生懸命がんばった二人ばかりに視線が行き、私はその視界には決して入らない。
入れてくれない。それが、なんとなく悲しいから、私は少しだけ頑張ってみようと思っ
た。
 頑張れば。認めてくれると。子供ながらに感じてしまったからだろうか。
 気がつけば、私は川に糸を垂らした。

「……いっぱいだ」

 バケツにザリガニが蠢く。

 ――なにか、厭だ。

 それでも、私はザリガニを釣る。
 バケツには、真っ赤なザリガニがたくさん。
 それでも、私はザリガニを釣る。
 それでも、私はザリガニを釣った――


 気がつくと、私の目の前には浴槽があった。
 真っ赤な、浴槽。
 うじゃ――うじゃ――うじゃ。
 ……気持ちが悪い。
 どうして、こうなっているのか。
 わからない。
 でも、きっと私の所為なのだろう。
 隣には和の姿。
 泣いているのか、怯えているのか。
 当然だ。自分の家の浴槽に、数え切れないほどに、夥しいまでのザリガニがひしめ
いているのだ。これは、一種のホラーだ。

 なのに――

 どうしてか。

 親友が隣で震えているのに。

 私の頬は――不気味に吊り上っていた。


 達成感があった。

 どうしてか。なにかをやりきったという、爽やかな感情があった。

 親友が肩を震わせて怯えていても、

 妹が信じられないという顔をしていても、

 母が和の母親に頭を下げていても、
 父に叱られていたとしても、

 私は――誰かに構ってもらえる嬉しさを感じていた。

 なんだ、簡単じゃないか。

 こうすれば、みんなは私を見てくれる。

 こうすれば、私はみんなを見てあげられる。

 止められるまで、やってみようじゃないか。

 なにもかもを。



 幼稚園を卒園する頃になると、私の世界は少しだけ、否。大きく広がっていた。

 なにかに熱中すること。
 というよりも、固執することにした私は周りからどういう目で見られていたのかはわか
 らない。わからないけれど、私にとってその行為はきっと間違いではなかったのである。

「唯ちゃん。砂のお城を作ってくれない?」

 そんなことを先生は言った。
 だから、私は他には何も考えなかった。
 否否、考える必要がなかったのである。
 私には、砂のお城を作るという固執するべき対象が与えられた。
 だったら、それを実行するまでだ。 
 自分が納得のいくまで?
 そんなブレーキ(もの)は存在せず。
 ただ、止められるまで。
 ただ、制止されるまで。
 常軌を逸していると言われても。
 私は、砂のお城を作り続けた。


 人は、私をこう言った。

「――平沢さんところのお姉ちゃん。少しヘンよ」

「そうよね。間違えても間違えても同じことしてるし、できるようになると、今度は見境な
く続けるのよ」

「まるで、ブレーキのないクルマみたいね」

 ブレーキのないクルマ。

 ――ああ。言い得て妙だ。実に的を射ている。
 ブレーキがない、ということはマトモに走らないということだ。
 それでも、マトモに近づけようと走り続けて、ある程度はマトモに走れるようになった
 ら、今度はスピードを出し始める。止まれないのだから、行きつく先は破滅か、どちらに
 せよ求めた結果(マトモ)には程遠くなる。
 それが私だ。
 小学校に上がっても、それは変わらず。
 呆としていても、やれと言われたことにはロボットのように固執した。

 そうでもしないと、私は私を保てないのだから。



 私の家は5人家族だ。
 私と、妹の憂と両親と祖母の5人。
 小学校に入る際に必要な『ランドセル』は、祖母から買ってもらったものだ。入学式
 の一日前、私はそのランドセルことラン子と一緒に寝た。それくらいに、大事なものだ
 ったのだ。
 ……思えば、私が名前を付けたモノは、それが初めてだった気がする。

「唯、ゆいー」

「なあに? おばあちゃん」

 私は、祖母が大好きだった。
 変な目で私を見ないし、私の頭を優しく撫でてくれる。
 その手は暖かくて、
 その手は優しくて、
 その手は私を包んでくれた――

「唯は小学校にあがったら、友達をたくさん作るんだよ」

「うん! 私、友達100人作る!」

 そうだ。
 私は――トモダチを100人作るんだ。


 それから、私は学校でたくさんの友達を作った。
 どうやら私は、人と話したりすることが得意な性格らしく、人見知りもしなかった。そう
なれば、周りの子供たちは私に寄ってくる。それが、なんとなくだけれど誇らしかった。
 私は好かれているのだ、と。
 存在を認められ、こうしてこの場にたくさんの人に囲まれて生きているのだ、と。
 そう考えると、胸が熱くなって、妙に嬉しかった。

 ――そう。

 私には、友達がいたのだ。

 たくさんの友達が。

 私の、そばに。

 確かにいたのだ。



「和ちゃーん」

 小学4年生になった。
 そんなある日のことだった。
 学校での昼休み、それは小学生にとってしてみれば友達との時間に他ならない。30
分ほどの時間を如何にして過ごせるのか、それを養い、友人とのコミュニケーションを
とる時間が、昼休みなのだ。私にとって、この昼休みは和との時間なのである。
 友達が何人できても、私は和との時間を大切にした。

 どうしてか。
 それを問われると、答えられない。
 ただ、私は昔からの友人を大切にしたかったのだと思う。
 和という、私にとって初めての友達との時間は、きっと特別だったのだ。

「図書室行こうよ!」

「唯が図書室なんて珍しいね。読みたい本でもあるの?」

「うーん。なんだろ。あるかな?」

「知らないわよ」

 和は、昔からかっこよかった。
 勉強もできるし、人当たりもいいし、運動もできるしと、私は彼女に一種の憧れを抱
いていた。
 というよりも、その感情は畏敬の念に近かった。
 彼女はまぶしくて、だから一緒にいたのかもしれない。
 光源に近ければ、その恩恵を受けやすいから。
 ……彼女は、私にとって最も『褒められる』人間だったからだ。


 私が通う小学校『桜ケ丘第一小学校』の図書館は、少し広めで設備もしっかりして
いるらしい。
 司書のような役割の先生もいるし、図書委員はこの学校でも最も大変な、ある意味
学級委員よりも仕事量が多いとされる委員会だった。
 私は、あまり本を読むことが得意ではなかったのであまりここには来ていなかった
が、和は、まるで自分の家のように歩き出し、本棚から本をとる。私もそれを真似て、
隣の本をとって見てみる。
 ……まったく、意味がわからない本。
 なにか偉い人の伝記のようだが、私にはその人がどれだけ偉い人なのかはわからな
い。ただ、和の真似をしているだけなのだから。

「和ちゃん。この人だれ?」

「……えと。野口英世ね。黄熱病の人って覚えておけばいいよ」

 なるほど。さっぱりわからない。
 勉強ができる上に、ものもよく知っている和は私の誇りだ。彼女の友人になって本当
によかった。
 それはそうと、この人がなにをしたかに関してはすでに忘れてしまった。というよりも、
割とどうでもいい。
 和は手に取った本を持って椅子に座る。もちろん、私も同じく隣に座って子供百科を
開く。

 ――気がつくと1時10分の予鈴が鳴っていた。
 子供百科には涎がついていた。




 ――授業の時間は退屈だ。
 国語の時間も算数の時間も、なにもかも。
 学校とは、友達を作るために来るものだ。だって、祖母は私にそう言ったのだから。
 目の前には黒板。一番前の席に座っている私は、先生からいつも見られている。見
られているのだ。

「――」

 今の時間は、なんだったか。
 ああ、そうだ。今は理科の時間だ。
 醤油の瓶に、どうして二つの穴があいているのか。それについて、先生は一生懸命
私たちに話してくれている。
 ……あまり、興味がなかった。

「ようするに、空気が入ることで穴から醤油が出るわけです。どうしたの? 平沢さん」

「……」

 みんなの視線が私に集まる。
 ……わからない。
 どうしてだろう。
 どうして、みんなは私を見ているのだろう。

「唯!」


2
最終更新:2010年03月30日 01:06