私は 努力の人間だ

 小さな頃 父の真似をしてギターを持ったあの日から

 私は 努力をしてきた

 毎日 毎日 自己を研鑽して

 幾度も 幾度も 自分の力を疑って

 そうして 私は 少しずつ自らの技術を高めていった

 それが 正しいのだと思っていたからだ

 努力をすれば報われる

 努力こそ 最も夢へと続く近道なのだと

 そう 思って15年

 私は 本当の 才能に 出会った


「梓、なあ、梓!」

 声がする。 
 凛とした声が、私の耳元で何かを言っている。声の主はなんとなく切羽詰まった感じで、そ
 の息がこれまたなんとなくくすぐったい。
 「――?」
 目を開ける。
 ――ああ。そうだ。私は、眠っていたんだ。確か、2学期の中間テストに向けて夜遅くまで
 勉強していたため、眠気があったのだ。
 視界を動かして、声の主を確認する。秋山澪は半泣きの表情と声で私に呼び掛けていた。そ
 の背後には顧問の山中さわ子。手にはメイド服一式。
 ……なるほど、私には瑣末な問題だ。とりあえず、睡眠をとりたい私に被害が及ばないので
 あれば、澪はメイド服でもなんでも着ればいい。反則なまでに似合っているのだから、着な
 いと損だろう。
 「はーなーしーてー」
 澪はさわ子の手に堕ち、ずるずると音楽室の影に引きずられていく。それを音だけで見送
 り、否、聞き送り、私は二度寝を敢行する。

「よし唯! ムギ! カバディしようぜ!」

 ……なにが『よし』なんだろう。
 そもそも、カバディのルールを知っているのだろうか、彼女たちは。
 そんなわけで、私の二度寝は、ルールを模索しながら行われる奇行によって阻まれたので
 あった。


 気がつけば、もう夕方になっていた。
 夏の気配はなくなり、日が落ちるのが早くなった。西から照りつける紅い太陽が私の眠気を
 消してくれた。
 ……季節は秋。文化祭を終え、文化部はしばしの休憩といった時期だ。茶道部も、書道部な
 ども今は活動がないところが多い。
 無論、我らが軽音部も多分に洩れず、活動という活動は一切行われず、音楽室備え付けのア
 ンプは若干埃が被っている。
 こうして集まっているのも、ひとえに琴吹紬が持ってくるお菓子、ケーキ類目当てだ。
 私自身、楽しみに思っているのだが軽音部の活動として、今の状態は如何なるものなのだろ
 うか。と疑問に思うことがある。放課後ティータイムというバンド名の由来だが、あまりに
 も比重が傾き過ぎていると日々感じる。
 ――だが、彼女たち。私も含めた軽音部は、これでいいのだと思っている。ギチギチの管理
 の元行われる練習に意味はない。音を楽しむと書いて音楽なのだから、奏でる私たちが楽し
 まなくては意味がないのだ。それに気がついたのが、今月行われた文化祭。

 ……あそこまで、仲間を意識したことなんて、一度としてなかった。
 唯が風邪をひき、文化祭に出られないかもしれないと言われた時、私は唯先輩抜きなら、出
 ない方がマシ。と言った。
 ――今となれば笑い話だが、あれは、私たちにとって恐ろしく重要なことだったのだ。たが
 が高校の文化祭。そう切り捨ててしまうのは簡単だ。だが、私はそれができなかった。
 3回しかないイベントを、たった1回でも取りこぼしてしまいたくないからだ。唯先輩がい
 ない文化祭なんて、そんなモノはないものと同義なのだ。

 だって――軽音部で本当に音楽が上手な人なんて、あの人しかいないのだから――


 ――秋山澪。彼女は歌も上手く、ベースの腕前も目を見張るものがある。
 だが、それだってたかが知れている。高校生が練習したところで、限界がある。

 ――田井中律。彼女のドラムははっきり言って上手ではない。楽器、バンドを趣味として楽
 しんでいる彼女には、これ以上の伸びしろなんてない。

 ――琴吹紬。彼女のキーボードは機械的だ。所詮はお嬢様が家の風習で習わされたピアノ。
 正確に弾くことができても、それは決して人の胸に届くものではない。

 ――中野梓。私のギターは父と母から教わったもの。毎日練習し、技術を磨いたところで、
 凡庸たる人間が到達できる場所なんて、結局は他人に褒められる程度だ。
 本物とは違う。贋作だ。

 ――平沢唯のギター。
 あの才能には、決して勝てないのが私たちだ。

 圧倒的な才能。それを意識しだしたのは夏休みのこと。夜、皆が寝ている時間に二人で練習
 した、あの数時間で、私の音楽は変わった。



『ねえ、あずにゃん。ここなんだけどさ――』
 唯が慣れない手つきで新曲の1フレーズを弾く。どうやら、チョーキングのタイミングがわ
 からないようだ。
『えっと、それはですね――』
 手をとって説明する。ついさっきまで、アイスを異様に欲していた姿とは打って変わり、真
 剣な眼差しで私の指を見つめる。
 ……本当に驚いた。この人だけは絶対に努力なんてしない人だと思っていたのに。
 新入生歓迎ライブから、この人のギター技術を見てきたけれど、私とは才能が違う。土台が
 違う。
 所謂、デキが違う。私のギターは10年近くにも及ぶ努力によって支えられてきたが、この
 人のギターはそういった努力という言葉を女々しいと感じさせるものだった。
 現に、今私が教えたところは、すでに完璧にこなしてしまっている。つまるところ、平沢唯
 という人間は、神が遣わした天使なのだ。私のような凡人になにかを見せるかのような、圧
 倒的なセンス。そして、紛らわしい理屈をすべて吹き飛ばすほどに音楽を楽しむ純粋さ。こ
 れらを教えるために、神は彼女を地に下ろしたのだ。

『できたー! あずにゃんはすごいね! ありがとうー!』

 擦り寄ってくることに関しては慣れた。
 しかし、彼女は――すでに私を凌駕していた。
 それなのに、彼女は私を凄いと言う。

 皮肉かと思ってしまう。
 天才の周りは、誹謗と羨望で満ちているのだから。


「あーずにゃん!」

 ふと我に返ると、私の体が重くなっていた。
 原因なんて知れたこと。唯がなにを理由かは知らないが抱きついているのだ。
「……どうしたんですか?」
「ううー。あずにゃんがぼーっとしてるから、危ないなーって思ったんだよ?」
「え? 私、ぼーっとしてました?」
「してたよー? もうみんなとは別れて、今は私たちだけだよ?」
 くるりと辺りを見渡すと、つい先刻までいた先輩たちはすでにおらず、今はアイスクリーム
 屋『ヴァニラアイスクリーム』の前にいた。
 なるほど、思索に耽っていて気付かなかった。今日はどうしてかわからないが、自分の世界
 に入ってしまう。
 唯は一瞬なにか思いついた表情を見せたあと、いつものとぼけた表情で財布を取り出す。
 どうやらアイスを買うらしい。
「いいんですか? 憂に怒られますよ?」
「……」
 5秒ほど硬直。家でよく出来た妹が温かい食事を用意していると考えているのだろうか。
「……あずにゃん。何味がいい?」
 ――なにも考えていなかったようだ。

「じゃあ、大納言あずきで」

 私も小腹が空いたし、仕方がないから一緒にアイスを食べようと思う。
 このアイスは口止め料。憂に告げ口しないという約束で、おごってもらうことにした。


 ――ここのアイスクリームはやたらと美味しい。
 価格はアイス一つ100円、ダブルで150円。トリプルでも200円という破格の値段だ
 というのに、人はなかなか来ない。穴場というやつだ。
 軽音部の面々や、憂や純と一緒に何度か来たことがあるが、私はこの店の裏メニューを知ら
 ない。在るというコトは先輩達から聞いたのだが、実際にどんなものかは知らないのだ。
 ……だが、今私は信じ難いものを目の前にしている。
 コーンの上に乗っている丸いアイスクリームが3つ。これはまだいい。チョコ、ストロベ
 リー、オレンジ味のトリプルアイスクリームは、私も好きな組み合わせの一つだ。
 問題はその上。今にも崩れそうな白いもの。アイスと同じ属性にあって、アイスとは相反す
 る存在が、その上に乗っている。

「アイスの上にソフトクリームなんて、ありえるんですか?」
「えへへー。凄いでしょー!」

 凄いを通り越して呆れている。
 ぐらぐらと揺れるアイスクリームは、ソフトクリームが乗ったコトでさらに頼りなく、今に
 も落ちてしまいそうだ。
 それでも、唯は落とさない。
 アイスの申し子と真鍋和に呼ばれている由縁がそこにある――!

「ふっふっふ。この店の裏メニューを見つけるとは、DIO様に報告する必要があるな」

 この店の店長はそう言って、ガオンという音を立ててどこかに消えた。
 ――無論、彼は本編には一切関係しない。


「美味しかったー!」
「もう、あんなに食べたらごはん食べられなくなるんじゃないのですか?」
「そんなことないよー。憂のごはん、美味しいもん」
 ……それに関しては同意。
 以前、一度だけ平沢宅にお邪魔し、憂の手料理を食べたが、その美味しさに驚きの色を隠し
 きれなかった。私なんて、料理といったらおにぎり程度しかできないのに、
 同い年でもここまで違うのかと思ったほどだ。
 はっきり言って、憂をお嫁に貰う人が羨ましい。あの料理を毎日食べられるのなら、
 どんな労働にも耐えられるだろう。
「あ、今日あずにゃん家に誰もいないって言ってたよね? だったらうちに来なよー」
「――え? いいんですか?」
 本日、中野家には私以外誰もいない。
 両親が仕事の関係で千葉に行っているため、今日はコンビニで食事を済まそうと思っていた
 ところである。
 コンビニの弁当は好きではない。やはり、人が作ったご飯が、私は好きだ。
 故に、断る理由はなかった。憂の料理をもう一度食べられるのであれば、コンビニの弁当な
 んて問題ではないのだ。


「ただいまー」
「お、お邪魔します……」
 一度家に帰り、荷物をまとめて来たので、些か時間が遅い。時計を見ると、すでに長針は7
 の字を指している。
 玄関からすでにいい匂い。これは――ハンバーグだろうか。憂手作りのデミグラスソースは
 お昼休み、弁当を狙う目がクラス中から降り注ぐくらいだ。それを、温かい状態で食べるこ
 とができる。クラスの連中がそれを知ったら嫉妬に燃えることだろう。
「あ、梓ちゃん。待ってたよ」
 居間から駆けてくる憂の姿は、なんとなく新妻っぽくて、私の脳内物質を分泌させた。
 シチュエーションとしては、
 会社帰りで疲れた旦那のスーツを受け取る新婚ほやほやの新妻。
「……いい」
「え?」
 ――しまった。
 思わず声に出てしまった。唯が訝しげに私を見るが、それも一瞬。
 あまりの鈍感っぷりに全米が泣いた。
「ういういー! ごはんごはんー!」
「もうできてるよ。お姉ちゃん。今日はハンバーグだよ」
「はんばーぐ! はんばーぐ! あずにゃん! ほら、はんばーぐ!」
 まるでマクラーレンピットにいるアメリカ人気歌手のように飛びはねながら居間に向かう唯
 の姿を見ると、なんとなく頬が緩む。
 そこにいるだけで、笑顔の花が咲く。平沢唯という人間は、そういう風に出来ているのだ。
 まさに、生まれ持ったエンターティナー。私にはない、彼女の才能の一つである。

 ――ちなみに余談だが、トリプルアイス+ソフトの匂いは明らかに隠しきれるものではな
 く、唯は憂に咎められたのであった。


「梓ちゃん」

 唯が入浴中。私は憂に連れられて憂の部屋に来ている。
 憂の神妙な表情は、否応にもこれから話す内容が決して軽いものではないコトを予感させ
 る。
 部屋は薄暗く、灯りは外から入ってくる街灯の光しかない。
「お姉ちゃん。変じゃない?」
「……え?」
 憂の口から発せられた言葉。それは愛する姉の異変を、私に尋ねる内容だった。

 ――憂曰く、最近、唯はおかしいそうだ。
 二週間前の段階で、唯よりも憂のほうがリズムキープができており、言ってしまえば、
 音としてのクオリティは、憂が演奏した方が上だった。
 しかし、たった1、2週間で、唯のギターは変わった。
 難しい曲もわずか5回聞いただけでコピーできるようになり、さらにはそれにアレンジを加
 え、原曲以上の出来にしてしまう、という話だ。

 ――そんなこと、できる筈がない。
 いくら天才といえど、そんなことができるのは人間じゃない。
 それが、ギターを始めて1年半の者なら尚更だ。


「あのね、梓ちゃん。
 ――お姉ちゃんって、なんなの?」

 恐怖に震えたような声で、憂は私に問うた。

 ――私は、それに答えることができなかった。



 ――憂が震えている。
 15年間一緒にいた姉が、まるでちがうモノになってしまうのが恐ろしいと、『平沢唯』を
 失うのが厭なのだと、私に訴えるかのように。
「唯先輩は、天才だよ……それも、凡人なんかじゃ分からない、とびっきりの」
「梓ちゃんだって、ギター上手でしょう? お姉ちゃんよりも――」
「そんなことない。もう、私なんかじゃあ、唯先輩には敵わない。あの人が演奏した後に、私が演っても、きっと歓声なんて起こらない」
「……」
 憂は口を紡ぐ。不安を体言化したような表情は、親友である私にも感染する。
「……お姉ちゃんは、一人じゃ何にもできないの……。私がいなくちゃいけない。
 ――でも! 時々怖くなるの。お姉ちゃんがギターを持つと、『この人はなんだってできる』って考えちゃ
って、まるで神様みたいに見えて……」
 平沢唯は神様に等しい。
 ギターを持てば、彼女は世界中のどんな兵器よりも強い。笑顔に勝る結果はなにもないのだ
 から、笑顔を生む彼女のギターはまさに最強だ。

「神様……なんだと思う。以前、澪先輩が、こんなことを言ってたんだよ。憂。
 ――音楽っていうものは、楽しんだモノが素晴らしいんだ、って。だから、世界の誰よりも
 音楽を楽しみ、楽しませることができる唯先輩は、神様なんだと思う」

 ――そう、あんな風に『音楽』が上手で、上手で、上手で、上手で、上手でどうしようもな
 い人が――

 世界の誰からも愛される音楽家になれるのだろう。



「――あのさ、梓ちゃん」

 憂は落ちつきを取り戻し、いつもの笑顔を見せる。
 きっと、彼女は認めてほしかったのだろう。共感したかったのだろう。

 自分の姉の、非凡と呼ぶにもはばかれる才能を。
 それに於ける、自らが抱いていた恐怖を。
 さらに、恐怖によって生まれる姉妹の溝。
 ――そして、大好きな姉の才能を嬉しく思うために。

 その対象に、私が選ばれたのなら嬉しい。
 これからも、唯の才能を見守りたいと思う。

 ――しかし、私たちは思い知る。

 神に等しき才能とはどういうものなのか。

 神に等しき才能を持つというコトの意味を。

 ――それを知るのは、それから暫く経ち、季節が一巡りした頃だった。



 ~第一部 END~


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最終更新:2010年04月07日 00:52