新入生は1人も入らなかったけれど、私は今のメンバーで放課後ティータイムだと思ってい
るので、これはこれでいいのだと思う。
八月の合宿も終わり、文化祭の練習をしているのが今日、10月10日のコト。
紬が持ってきたケーキでお茶をするのもそこそこに、私たちは新曲を含めた5曲を練習して
いる。
――そこで、私は違和感を感じていた。
「みんな、こんなにへたくそだったっけ?」
そんな、最低なコトを、考えていた。
考えてみれば、この違和感は去年からあった。
あの時は、歯牙にもかけないような小さな違和感、不安だったため、気にもとめなかったが
今はその違和感があまりにも大きくなってしまっている。
――澪のベースには、力強さが足りない。
――律の走り気味のドラムが、赦せなくなっている。
――紬の丁寧過ぎるキーボードが面白くない。
――梓のギターが、あまりにも稚拙すぎる。
そう、感じてしまう。
そんなコトはない。みんな上手だ。
思いこもうとしても、体は正直だ。平沢唯(わたし)という存在が、仲間の演奏を音楽とし
て認められない――。
「唯先輩……」
後輩の梓が、私を心配したような顔で見る。
心配なんてしてほしくないのに、私の表情は自然と曇る。
「あずにゃん……ごめん……」
「唯先輩は、なにもミスなんてしてませんよ?」
「そうだぞ。唯は完璧な演奏だったぞー」
律も一緒に私を心配する。
――堪えられない。
私を困らせているのは――貴女たちだというのに――
――家に帰っても、私の心は休まらなかった。
憂の顔が、明らかに私を心配している。
私は、妹にそんな風に見られたくないのに。たった1人の妹に心配されるなんて、
姉として失格だ。
「お姉ちゃん、ご飯……」
「……うん」
それでも、食事は採らなくてはならない。憂にこれ以上心配させたくないということもある
が、なによりも、今、私は空腹だ。
……そう、食欲はあるのだ。
故に、妹が作ったシチューを何杯もおかわりできたし、そのコトでほんの少しだけど元気に
なった気がする。やはり憂が作った料理は最高だ。
「そういえば、お父さんたち、いつ帰ってくるのかなあ」
食後のアイスを片手にテレビを見る。隣では洗い物を終えた憂もアイスを食べている。
「えっと――確か来週だったような――でも、すぐにまた1カ月イタリアだって」
――両親のことは大好きだ。小さな頃から、私たちを本当に可愛がってくれた。しかし、
仕事のこともあってか、両親は、私たちの運動会などの行事に決して来てくれなかった。
「……そう、だよね」
バンドを始めた高校の文化祭にも、両親は一度も来てくれていない。仕方がないコトだと分
かっていても、寂しいという気持ちは隠せない。
テレビには幼稚園の合唱大会のビデオが流れている。小さなハプニングが会場を沸かす、
どこにでもあるビデオの映像。
それを、羨ましく思う。憂も、きっと同じ気持ちなのだろう。運動会といえば真鍋家のお弁
当だった私たちにとって、もはやお袋の味というのは真鍋の家のご飯なのだ。
そんな私たちは、昔から授業参観が大嫌いだった。
……私はいい。私は優秀な方ではなかったので、両親が恥ずかしい思いをせずにすむ。
だが、憂はいつも寂しがっていた。大事な妹の泣き顔を、私は見たなんてない。
「今の曲、弾いてあげようか? 憂」
ギー太を持ち、先刻の曲『犬のおまわりさん』を演奏する。
憂は寂しげな顔で聞いていた。
――私は、そんなつもりで弾いたのではないのに。
「あの、さ。唯」
――音楽室。練習が始まる前のティータイムに、澪が私に話しかける。
手には楽譜のような紙。
「なに? 澪ちゃん」
「これなんだけどさ。どう思う?」
紙を私に渡す。どうやらこれは新曲の楽譜らしい。
「えと……いつもムギに作ってもらってるから、たまには私がーって思ったんだけど、唯の目
から見て、どうかな?」
「……」
そう言われてしまったのなら仕方がない。さらりと流し読みする。
――否、そんなコトもできない。読んだフリをして、よかったよー、
なんて言っておけばこの場は乗り切れるのに、私の五感がそれを是とせず、
頭の中ではこの楽譜通りの音が流れている。
拒否したいのに、それができない。
吐き気を抑えて、この地獄を堪える。
堪えた分だけ、私のコップにストレスという水が溜まっていく。
――あ、あ。
声が、漏れる。
それを抑える度に自分に嫌悪する。
「唯――!」
声が聞こえる。
「み、お――ちゃん――」
言葉が紡がれる。
もう、私の意志とは関係ない。
ヤメテ――やめて、やめてやめてま@おgj@あんbぴなwhんb:wらえんvばねあ。
「この曲、単調だよ。
恥ずかしがり屋さんっていうのに、ずいぶんベースが前に出る曲なんだね――」
それを最後に、私の世界は反転した。
――その日から、私の世界は音だけになった。
部屋に籠り、窓を閉め切り、カーテンも閉める。
それでも、外の音が不快だから、ガーゼを何重に合わせたモノを耳に貼りつけた。
無論、耳栓もつけている。
今や、憂の声ですら単なる音だ。これでは、私がやりたかった音楽なんてできはしない。
――ああ。今や物事を考える声ですらも喧しい。
それでも、人は考える。厭だと言っても、思考を停止するには死ぬしかないのだ。
「……」
だが、私は死ねない。
死にたくなんてない。
痛いのは厭だし、なにより自分が消えるのが嫌だ。
私は悪くない。
私についてこれない、みんなが悪いのだ。
私は、悪くない。
こんなことを考えるのも厭になる。
私は音楽家として最高の才能を持っていながら――
――人間として、最低の人格を持ってしまったのだ。
死にたくない、という意識と。
死んでしまいたい、という思考。
私が悪い、という結論と。
みんなが悪い、という嫌悪。
音楽が楽しいと感じる感情が。
音楽を憎いと思う愛憎へと変わっていく。
――コンコン。
なんの、音?
音なんて、なくなってしまえばいいのに――
「唯、先輩――」
ド、ファ、ミレソドド?
なんだ、貴女か。
~第二部 END~
唯がおかしくなった。
憂はそのコトで自らに罪を感じていた。
『――私が、お姉ちゃんになにもしてあげられなかったから――』
憂が私に、初めて涙を見せた。
どんなことがあっても泣かなかった憂が、まるで子供のように泣き崩れたのだ。
そんな姿を見てしまっては無視なんてできない。憂のために、私はここにいる。
「お姉ちゃん。ノックしても返事しないよ?」
「でも、無断で入るわけにもいかないよ」
コンコン。
乾いた音が鳴る。
それも、今の彼女には辛いのだろうが、我慢してほしい。
――ガチャリと扉が開く。かつて遊びにきた時とはちがう。あまりにも重い扉。
「――唯、先輩――」
そこに、私が知っている平沢唯の姿はなかった。
ベッドに横たわり、毛布に顔を埋め、全ての音を拒否する姿。
私が歩み寄る、その足音にも怯えている。
耳にはガーゼが貼ってあり、髪は手入れをしていないためかボサボサだ。
私が尊敬していた平沢唯はそこにはいない。
そこにいるのは、音に憑かれた落日の天才。
「――」
唯は何も言わない。
ただ、ぼんやりと私を眺めている。壊れる直前の人間は、普通の人間では決してできないこ
とができる。
今、彼女が行っているのは世界の俯瞰。
自分を含めた物事全てを客観的にみることができる。それ故に、自分の命も意味がないと思
えば簡単に捨ててしまうのだ。そこには、他人がどう思っているかなんて関係ない。
「だったら――」
だったら、簡単な話だ。
意味を、持たせてやればいい。
「来てください」
唯の手を取り、強引に部屋から連れて出す。
憂はにっこりと笑って一言――
「お姉ちゃんをお願いね。梓ちゃん」
それは、2週間ぶりに見た笑顔だった。
――今日は、文化祭の日だ。
私たち放課後ティータイムは、今年も講堂でライブをする。
そう、放課後ティータイムが、行動でライブをするのだ。
去年と同じように――唯が遅刻してしまうけれど、
私たちは5人で放課後ティータイムなのだ。
「憂……」
憂は、姉の為に文化祭を欠席した。
彼女は、姉の為に女の子らしいことなんてまったくできなかった。
私の右手にだらりと捕まっている、この人のために、自らを犠牲にしてきたのだ。
「だから――貴女は……無責任に笑ってあげなくちゃダメなんです! あの子が、捨ててきてよかったと思えるくらい、馬鹿みたいに笑ってなきゃ――ダメなんです!」
二人は、お互いがたった1人の姉妹なのだから――
講堂から漏れる、楽器の音。
ギターが一本しかない音。
走り気味のドラム。
無機質と揶揄していたキーボード。
控え目なベース。
歌のない、曲。
「……」
「行きますよ」
唯の手がガクガクと震えている。
音の世界へ入門することを恐れ、足が前へと進まない。
「唯先輩。貴女が辛いのは知っています。
でも、貴女よりも辛かった人物を、私は知っています。その人のために、私は貴女に無理をさせ
ます」
力強く、唯をひっぱる。
講堂の重い扉が開けば、そこにはピースが足りない演奏(パズル)があった。
「唯先輩。行きますよ」
「……」
唯は動かない。
顔は青くなり、今すぐにも抜け出したいのに、動かないからだがそれをさせない。
そのため、彼女は入口で呆と突っ立ったままだ。
見つめる先には、誰もその前には立っていないが、
ギターだけが置いてあるマイクスタンド。放課後ティータイムのボーカルは、
平沢唯なのだから、いないからといって誰かが代役を立てるべきではないのだ。
さわ子先生がフライングVで演奏している。無論、彼女が演奏しているのは私のパートだ。
「唯先輩。
私、貴女のコトを天才だと思ってます。いいえ、天才なんていう言葉にもカテゴライズされ
ない。神様みたいな存在にだってなれると信じています。これは私だけじゃない。
澪先輩も、律先輩もムギ先輩も、さわ子先生も――なによりも、憂もそう思ってます。
だから、もう自分の才能に逃げないで、屈しないで、負けないで、自分の手綱をしっかり
持って、世界中の人に、私たちの音楽を聞かせてあげましょう。そうすれば、きっと親御さ
んだって――」
そう、言い終わらない内に、唯は歩き出した。
向かうはステージ。
唯はにこりと笑い。一言だけ――
「なにしてるの? あずにゃん。行かないと澪ちゃんに怒られちゃうよ」
――ああ。それでいい。
私は、貴女をずっと見ていたい――
「いやー! なんにしても唯が来てくれてよかった!」
「本当だな……梓。ありがとうな」
「ありがとうございます。
でも、唯先輩がその気になってくれなきゃ、アウトでしたよ」
「あずにゃん……大好きー!」
抱きつくのは勘弁してほしい。
でも、今日はいいか。
――結局、文化祭のライブは大成功だった。
生徒会長の
真鍋和の計らいで、唯が到着してから20分という持ち時間が消費されるという
方法をとったため、野球部の演劇はなくなったが、そのお陰で私たちは放課後ティータイム
として最後の文化祭を最高の結果を出すことができた。
ふわふわ時間。カレーのちライス。ふでぺん~ボールペン~。私の恋はホッチキス。
の4曲を歌い終えた唯の表情は、かつて音楽を心の底から楽しんでいたころと同じ表情をし
ていた。
「ういーういーういー」
「なあに? お姉ちゃん」
「……えと、ありがとね? ダメなお姉ちゃんでごめんね」
唯の謝罪。それに憂は笑顔で――
「いいんだよ。私は、お姉ちゃんの笑顔が見たいんだから」
これが高校生としての放課後ティータイム最後のライブ打ち上げ。
先輩達は、もう卒業を待つだけとなった。
三月。先輩達にとっては旅立ちの日となった。
「卒業生代表! 真鍋和!」
「はい!」
――生徒会長、和先輩の答辞は彼女らしいしっかりとしたものだった。
でも、和先輩は卒業後。イギリスに留学するらしく、最も遠い存在となるので式後は最も涙
を流していたらしい。
――声が裏返った澪先輩。この三年間で恥ずかしがり屋はいくらか直ったそうだけれど、
私にはそうは見えない。卒業後は国立大学に合格が決まったらしい。
――いつだっておっとり。でも、私たちが脱線してしまう時の調整役だったムギ先輩は、
卒業後にはお嬢様大学に入り、これからは少し束縛される生活になるらしい。
――おおざっぱだけれど、誰よりも繊細だった律先輩。卒業後は、以前から勉強していたデ
ザインの専門学校に進むらしい。私に服をデザインしてくれると言っていた。
そして――
「平沢唯!」
「ふぁ、っふぁい!!」
眠っていたのか。唯先輩は気が抜けた声で立ち上がった。椅子が倒れ、
ちょっとしたハプニングだ。
唯先輩は、卒業後は芸能事務所に入って、CDを出すことが昨日決定した。
文化祭を見にきた人の中に、その手の専門家がいたそうだ。
そうして、私たちの放課後ティータイムは解散した。
明日からは、私は平沢唯のマネージャーとして、あの人を支えていく。
~第三部 END~
最終更新:2010年04月07日 00:51