最初にわたしたちがむかったのはすぐとなりにある荷物を置いた部屋だった。
この部屋が一番近いから、とわたしが提案した。

扉を開く。

律「なんかここ寒くない?」

雨音がさっきよりもはるかに大きく聞こえた。
もしかして窓を開けっぱなしにしていたのだろうか。気が動転していたのか、戸締りについては
よく覚えていない。

どっちでもいいや。

何かが劇的に変わるわけではない。気にしないことにした。

唯「電気つけるよ……って、電気つかない」

律「あっ……あああぁ」
梓「う……そっ」

しかし電気は必要はなかった。廊下からさした光によってそれは十分にうかがえた。


――和ちゃんの死体。


いささか広すぎる気もするその部屋の中央にあるテーブル。木製のテーブル。それにかぶさる白いテーブルクロス。
赤いものが飛び散っていた。そこに置かれた和ちゃん。和ちゃんの首。

りっちゃんもあずにゃんも悲鳴をあげて目をそむける。あずにゃんにいたっては床に座りこんでしまっている。
憂は声にならない声を漏らして、口許を押さえていた。

カチカチと音がする。何だろうこの音は。耳をすます。すぐにわかった。あずにゃんのものだった。
歯と歯が奏でる音。ああ、人間って恐怖にさらされると本当にこんなふうになってしまうのか。

わたしの少ないボキャブラリーでは語りたくても語れないものがそこにはあった。

ここまでした甲斐があった――感嘆のため息をつきかけたとき。


「いやああああああああああああ」

耳をつんざくような悲鳴が聞こえた。いつか手順を誤ってアンプからギターを抜いたときのことを思い出す。
悲鳴の主は澪ちゃんだ。振り返ってみると、澪ちゃんは廊下の角に消えようとしていた。

紬「澪ちゃん!?」

澪ちゃんはすでに見えなくなってしまっていた。なんて足が速いのだろう。
しかし、わたしはそれを無視した。混乱して気づかないという振りをした。

床にうずくまって和ちゃん和ちゃん和ちゃんと壊れたようにつぶやく。

わたしだけ冷静なんておかしいことこの上ないのでせいぜい演技する。

憂「お姉ちゃん!しっかりして!」

憂の声がした。そうだ。この妹は見かけ以上にずっとしたたかだ。ぎりぎりのところで、
恐怖に打ち勝ったのだろう。もっともそれは決して冷静という意味ではないと思う。

まあ、なにはともあれとりあえずは成功だろう。

ぴーす。



♪別荘の広間

あの後、わたしも含めみんなは部屋からすぐに出た。


ムギちゃんがみんなに出したのはミネラルウォーターだった。普段ならわたしたちの
テーブルに並ぶのは紅茶だけど、今この場においてはその水は一番ふさわしいように思えた。

みんなが口をつけたのを確認してわたしも飲んだ。


みんながみんな、わたしも含めてうつむいて会話を交わそうともしない。沈黙が痛い。
窓を叩く雨音がいやに耳についた。先ほどよりも雨音が強くなっている。

紬「そういえば、もうすぐ台風が来るそうね……」

返事はない。ノーリアクションだった。

こうなることくらい予想はできてはいた。無理もない。なにせ人がひとり死んだのだから。

水を飲み干して席を立つ。


紬「どこへ行くの?」

唯「澪ちゃんをさがしてくる」

あれから発狂した澪ちゃんは戻ってきていなかった。

律「まって!私も行く」

唯「りっちゃん……大丈夫?」

聞くまでもなくその表情は大丈夫からは程遠かった。顔色が悪い。

額の輝きが曇ってしまっている。

律「わたしは大丈夫だって。唯のほうこそ……」

みなまで言わなくても何を言いたいのかはわかった。そう。今のわたしは大切な幼なじみを
失ってしまった、カワイそうな少女だった。

いや、ホントにかわいそうなのは和ちゃんだけどね。

唯「それよりも澪ちゃんをさがしに行こう」

律「……そうだな」

和ちゃんの死を考えないようにしている。そういうふうに見えるように演技しておこう。


♪とある部屋の扉の前

澪『コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ
コワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイコワクナイ』



こわいよ!

扉が閉じられた部屋の中から女の子のつぶやく声が延々と続く。

唯「……」
律「……」

部屋を出て五分もかからないうちに澪ちゃんがいる場所はわかった。

この部屋のドアだけはほかの部屋のドアと少々違った。

造りが違うのだ。壁とドアにそれぞれに、穴のついた出っ張りがあって、そこに南京錠をするだけ
という非常に原始的なもの……うまく説明できないので、小学校にある飼育小屋のも
のを思い浮かべてほしい。

南京錠はドアのすぐそばの床に転がっていた。

りっちゃんはそれに気づいていないのだろう。ためらいもなくドアを開いた。

律「澪入るぞー……って真っ暗じゃん」

澪「だ、だれ!?」

律「落ち着けって、私だよ」


暗闇から現れた澪ちゃんの顔は恐怖のあまり引きつっていた。
澪ちゃんの形相も十分に怖いのだけれど。

律「ていうかなんでこんな暗いところにいるんだよ?」
澪「うるさいうるさいうるさい!」

耳をふさいでしゃがみこんで、こちらを見ようともしない。
取りつく島もないとはこのことだった。仕方がないのでわたしは部屋の明かりをつけた。
しかし、照明は切れかかっているのか、先ほどと大して差はない。

目が暗闇に慣れ始めて、改めて部屋の中を見渡す。

この部屋のドアがどうしてほかと造りが違うのかは、一度見ればわかることだった。

この部屋は物置だった。

窓すらない。完璧な密室空間だった。様々なものが置いてある。

ノコギリに斧。他にもトンカチや電動ドリルなどもあった。こんな別荘で何に使うのだろう。

律「なあ、澪……」
澪「うるさい!何度も言わせるな!」

相変わらず問答は続いていた。りっちゃんひとりでは気の毒なので、加勢することにした。


唯「みんなのいる部屋にもどろうよ、澪ちゃん」


澪「いやだいやだ!ここから私は絶対出ないからな」

律「何でだよ!?」

澪「うるさい!和は殺されたんだぞ!首を……切られて。こんな、こんな殺人鬼のいる別荘なんかにいられるか!
私はひとりでこの部屋に閉じこもっているからな!」

絶対出ないぞ、と澪ちゃんはりっちゃんとわたしを威嚇する。ふと、部屋の内側の扉をふり返る。
外側と造りはまったく一緒だった。ただし、こちらには南京錠はついていない。

つまり、中からはカギがかけられないということ。まあ、そうでなければわたしたちがこの部屋に入ることは
不可能だったから当然の話だけど。


りっちゃんは必死に澪ちゃんを連れ戻そうとうったえた。しかし、普段のりっちゃんなら腕力にまかせて
無理やり連れ戻すはずなのに、今日はそれをしようとはしない。


律「……もういい勝手にしろっ! どうなってもしらないからな!」


張り上げた声にも力が足りない。よく見れば足元がおぼつかないのか、ふらふらしている。

律「みんなの部屋にもどろう、唯」

唯「え?でも……」

律「いいから!ほっとけあんなヤツ」

普段のりっちゃんだったら意地でも澪ちゃんを連れて行っているところだろう。

しかし、今は――

唯「りっちゃん大丈夫!?」

律「ああ、大丈夫。ちょっとよろけただけだから」

まあ、どうせ明日には首だけになっている澪ちゃんよりも、今は目の前の友達を
気づかうことにしよう。



♪次の日・別荘・広間

わたしを含めてみんなが目覚めたのは、すでに十一時を回っていた(ムギちゃんだけは先に目を覚ましていた)。
早めに床についたにも関わらず、起きるのが遅くなってしまった。

みんなのあまりのリアクションに興奮していたせいでなかなか寝つけなかったからだ。
そしてそれが明日も見れるのかと思うと、胸が熱くなる。

もとから早く起きることなんてあんまりないけれど。

紬「おはよう唯ちゃん」

唯「おはよお、ムギちゃん。わたしも起きたからみんなも起こそっか?」

紬「もう少し寝かせてあげたほうがいいんじゃない?昨日のアレもあるし」

唯「本当はそうしたいけど、まだ終わってないし」

紬「たしかに」

唯「じゃあ、よろしく。わたし顔洗ってくるね」

とりあえず、洗面所へ行くことにした。



習慣にしている歯磨き、顔洗いをすませて広間に戻ったころにはみんなも起きていた。

しかし、りっちゃん、あずにゃん、そして早起きが習慣化している憂すらも寝覚めこそ悪かったが、
表情を見る限りよく眠れたみたいだった。

布団を片付け、みんなで朝ごはんをとる。会話はポツポツとしかなかった。和ちゃんについては誰も触れない。

梓「あの……澪先輩は?」

憂「そういえば……」

唯「ほんとだ!澪ちゃんの分のごはんもってかなきゃ」

紬「でも、澪ちゃんは……」

昨日の澪ちゃんについてはわたしからみんなに話した


律「何言っても聞いてくれないかもしれないけどな……」

紬「そんなに酷い状態なの澪ちゃん?」

律「まあ……見ればわかると思うよ」

唯「でもでも!みんなで説得すれば澪ちゃんも出てきてくれるかもしれないよ?」

りっちゃんの顔を見る。一番澪ちゃんを心配しているのは彼女であることは言うまでもない。

それは名案だ、とりっちゃんが立ち上がった。心なしか先ほどより表情は明るい。


律「……そうだな。よしっ!そうとなりゃ行くぞ!」

もちろん誰も異をとなえなかった。


♪別荘・物置部屋扉前

律「……何度呼びかけても澪からの返事はないし、扉も開かないし、どうなってんだ!?」

わたしたち全員が何度呼びかけても部屋から返事はなかった。業を煮やしたりっちゃんが
扉を開こうとしたものの、ほんのわずか動くだけで開く気配はない。

唯「りっちゃん、わたしがやってみるよ」

とは言ったものの、もちろんわたしにも無理だった。

その後にムギちゃんと憂とあずにゃんにもやってもらったけど、結果は変わらず。
みんなで扉を引っ張ろうにも、この部屋の扉のとってを引っ張れるのはひとりがせいぜいだった。

律「っだあ!! なんでここの扉だけこんな風になってんだよ!?」

梓「ムギ先輩。なんでここの扉だけこんなふうになっているんですか?」

紬「ここはね、物置だから普通の部屋とは違うの」

そうなんですか、とあずにゃんは納得したようだった。

憂「ところで、ここの部屋って中から鍵かけれるんですか?」

紬「かけることはできるわ。ただし、南京錠だけどね」

憂「それって……これですか?」


憂が手のひらを見せた。思わずお手をしてしまった。

憂「お姉ちゃん……犬みたい」

唯「あははは……うん?」

冷たくて硬い感触。金属のそれだ。
手をどけて見れば今ちょうど話に出た南京錠が憂の手のひらにあった。

唯「どうしたの?これ」

憂「扉の前に落ちてたよ」

紬「ってことは……」

梓「中から鍵をかけるのは無理、ってことですか?」

紬「ここの南京錠にはいちよう予備もあるけど、私もそれがどこにあるかはよく知らないの」

唯「現時点ではこれ一個ってこと?」

紬「そうなるわね」

律「おい、澪!返事しろ、澪!」

りっちゃんが必死に扉を叩いているが、返事はない。


あずにゃんはみなまで言わなかった。いや、言えなかったんだと思う。

律「そんなわけあるかっ!」

もちろん、りっちゃんだってあずにゃんが何を言いたいのか、そして言いたくないのか
わからないわけがなかった。

鈍い音がした。りっちゃんが思いっきり扉を蹴ったのだ。けれども女子高生の蹴りでは
鉄製の扉はどうにもならなかった。

律「くそっ……!」

梓「どうにかならないんですかムギ先輩!?」

紬「……」


そろそろ頃合かな、そう思ったときだった。


憂「……お姉ちゃん、なにか聞こえない?」

唯「今の音……なんかガラスが割れたような音だったよね!?」

みんなに聞こえるよう少々大げさにリアクションをした。みんなが注意がわたしにむかう。

梓「……そんな音聞こえました?」

律「そんなの、今はどうでもいいだろ」

紬「ねえ、みんなにひとつ聞きたいことがあるの」

ムギちゃんの顔は平生よりも白い。心なしか色のぬけた唇は震えているようにも見える。

紬「和さんは誰に殺されたと思う?」

今まで誰も触れなかったことだった。
誰かひとりくらい警察に連絡しようとしたりしたっていいはずなのに。まあ、おそらく
半分は人生で初めて見る死体に気が動転してしまったのだろう。そして“もう半分”は――

紬「ここには間違いなく私たちしかいない。それは多分間違いない。でも……」

律「和は殺された……」


梓「で、でもだったら……私たちしかいないなら誰が和先輩を……」

憂「私たち以外にこの孤島に人はいない。だとしたら私たちの誰かが犯人ってことになりますよね」

律「そんなわけあるかよ……私たちの中にそんなやつがいるわけ……」

りっちゃんの否定の言葉は最後まで続かなかった。

紬「唯ちゃん。さっき私もガラスが割れるような音が聞こえた」

唯「ホント?やっぱり音したよね?」

憂「…………」

梓「そんなこと今関係ないんじゃ……」

紬「そうかもしれない。でも、どちらにしようこのままじゃ進展も何も無いわ。それにもし私たち以外の誰かがここにいるとしたら……」

唯「誰かが窓ガラスを割って入ってきたのかもしれないよ」

憂「……でも私たち以外は誰もこの島にはいないんじゃないの?」

梓「そうですよ」

唯「でもわたしにはたしかに音聞こえたよ。ガラスが割れるような音」

憂「……お姉ちゃん。本当にそんな音だった?」


唯「うん!こんな場面でさすがにわたしも冗談言わないよ」

憂「わかってる」

このままではラチがあかない。強引にとりあえずりっちゃんとあずにゃんの手をつかむ。

唯「とりあえず確かめに行こっ!」

律「なっ……澪は!?」

梓「そうですよ!澪先輩の按配を確かめてませんよ!」

二人の言葉を無視して走り出す。

唯「ムギちゃんが言ったとおり。とりあえず何か行動しよっ」

ムギちゃんにひっぱられるようにしてついて来る憂を確認して、わたしは目的の場所へ行くことにした。


3
最終更新:2010年04月12日 07:43