律「それに、もう一つこの窓には奇妙な点がある」

梓「奇妙?」

律「犯人が外部の人間だと思わせるために割られた窓だ――でもこれは結果として、唯たちの首を更に絞めた。この窓にはすんごく奇妙な点がある。何が変かわかるか、梓?」

梓「わかりました。もし仮に私たち以外の誰かがいたとして、外から入ってきたとしたら、
窓の穴は真ん中ではなく、一番左側になければおかしいってことですよね。だって窓のガラスを割ったのはカギを開けるためなんだから、
真ん中よりもカギに近い左側の部分を割るのが普通のはずです」

律「そうなんだよ。普通なら外から入ろうとするならそうするんだよ。じゃあ、逆に窓の
真ん中に穴が開くというのは、どういう場合か。こうすりゃいい」

私は右側の引き違い窓を少し開けて身を乗り出す。そして体をひねって窓をコンコン、と叩く。

律「こうすれば、確かに窓ガラスは中に飛び散ることになる。あたかも外側から割った
みたいに。けれどその代わり、窓と窓が重なって結局真ん中あたりにしか穴は開けれないけどな。
和、どうして外から窓を割らなかったんだ?」


和「雨が降ってたでしょ?今でも降ってるけど。濡れたくなかったの」

律「ふうん。その結果、憂ちゃんに感づかれてしまった、と」

唯「和ちゃんとは思えないようなミスだよね」

律「まあ、お前のミスはもっと致命的だったけどな」

唯「ほえ?わたしなんかミスした?」

律「物置の部屋からこの部屋に来るまでの間に」

唯「どういうこと?教えて教えて~」

どうやらわかっていないらしい。

律「じゃあ、聞くけど澪の死体を発見する前、なんで私らはあの物置部屋からこの部屋に来たんだ?」

唯「それは……わたしが窓ガラスが割れる音を聞いて不安になって確かめに行こうって言ったからだよ」

律「それなんだよ。明らかにおかしいんだよ」

唯「そ、そうかな?」


律「この部屋からあの物置部屋から五十メートル以上は離れてるんだぜ」

五十メートルという距離が人の家の中に存在すること自体がある主の矛盾な気がする。いや、さすがは琴吹家の別荘ってことにしておこう。

律「その上、この部屋の扉は相当分厚いんだよ。分厚い。ちょっとやそっとじゃ音が漏れないくらいにな。
それこそ窓ガラスが割れるくらいの音じゃあな」

唯「おお!なるほど」

律「つまり、音が聞こえたっていうだけでもありえないのに、まるで唯は音を頼りに窓ガラスが割れたのがこの部屋であると、ここに私たちを連れて来た。
明らかにおかしいだろ?」

梓「ちょっと待ってください。音が聞こえたって言ったのは唯先輩だけじゃないです。
憂も音が聞こえたって言ったよね?」

憂「うん、音が聞こえたのは本当だよ。でもそれは窓ガラスが割れた音じゃなかったんだ」

律「そうなんだよ。あの場で憂ちゃんは一言も窓ガラスが割れた音がした、なんて言ってないんだよ。
言ったのはムギと唯の二人。憂ちゃんが聞いた音は――」


どこからか不意にブ ブっと音が鳴った。この時代の人間なら誰だって一度は聞いたことはあるだろう。


音の発信源は唯からだった。



律「この音だよ。ケータイのバイブ」

ポケットから取り出した自分のケータイを唯の目の前で見せてやる。表示されている画面は唯の顔を白く照らした。クリアボタンを押す。唯のケータイのバイブ音が止んだ。

唯「やっぱり憂にはバレバレだったんだ」

憂「うん。お姉ちゃんはちょっとケータイが鳴ってから消すのが遅すぎたよ」

律「それでも私と梓は気づけなかったけどな!」

澪「いばってどうする」

ケータイのバイブは合図だったのだろう。準備完了。そして、今からこっちに来い。
和はもうあの部屋から出た。それらを唯に教えるためのものだった。

律「今ので、少なくとも唯が犯人だっていうのはこれで濃厚だな」

梓「どういうことですか?」

律「私たちの荷物が荒らされた際に盗まれたのは何か?――ケータイだろ。唯も言ったはずだぜ。
私も含めてみんなのケータイが盗まれたってな。犯人に盗まれたはずのケータイを持っている、疑うには十分な材料だ。
ちなみに私のコレはさっき澪から返してもらったものだからな」

梓「でも、どのタイミングで盗まれたんですか?やっぱり、私たちが物置で扉と格闘していたときですか?」

律「さあ?わかんない」

梓「わかんないって何ですか。ずいぶんテキトーですね」


律「まあね。やっぱ完璧にはわからないよ。でも、ある程度、特定はできるぜ。

確実性っていう点から考えると私らが扉と格闘していた時よりもっと前だろうな。

ケータイをカバンに置いたのは一日目の風呂に入る直前。まずこのタイミング。

あるいは、みんなが演奏会をする前に仮眠をとった際に。最後に和の死体を見つけた次の日の早朝、つまり私らが寝ていた時。

まあ、ケータイを一番確実に盗める時間帯は、風呂に入る直前じゃないかな。確実にみんながケータイをカバンに入れたからな。

そういえば着替えを取りにこの部屋に入った時、唯が言ったんだよな。『打ち上げなんだからケータイなんていらないよ』って。それに、ちょっとみんなより後に部屋から出るなり、

早めに風呂から出て部屋に戻るなりすれば、ケータイを盗むのもそれほど難しくない。

しかも風呂に入るのも出るのもみんな一斉に入ったわけじゃないしな」

食事の直後で片付けをしていて後から風呂に入ったヤツもいたし(覚えてないけど)。
のぼせたと言って、早めにあがったヤツもいたし(こっちも私ははしゃぎまくっていたのでよく覚えてないや)。

律「まあ、今私が言ったとおり風呂の前後にケータイを盗んだとしたら、荷物を荒らしたタイミングはそれよりもずっと後になるけどな」


梓「そういえば、私たちが和先輩を発見したときはまだ荷物は荒らされていませんでしたもんね」

唯「りっちゃん名探偵みたいだねっ。カッコいいよ!」

律「ハハハっ、まあな」

実際に事件を解いたのはお前の妹だけどな。

梓「でも、何でケータイなんか盗む必要があったんですか?」

律「理由は大きくふたつある。ひとつは私ら以外にもこの別荘にいると、より思わせるため。荷物を大胆に荒らしたのもそう思わせるためだろ?」

和「そのとおりよ」

梓「じゃあ、もうひとつは?」


律「もし仮に私らが外部に犯人がいると思い込んだままだったとするぞ。唯たちの思惑どおりに。

それで私がこんなことを提案するんだ。『こうなったら澪や和を殺した犯人をとっ捕まえてやろう!』って。

そしたらどうする?確かにこの屋敷のサイズはでかい、いや、でかすぎるくらいなんだけど。

それでも犯人を探そうと思えば探せないこともない。この別荘の形は長方形型とシンプルだからな。

下の階から手分けして探していけば犯人――つまり、澪と和を見つけることも不可能じゃない。

犯人が別荘の外に逃げ出す可能性は、この場合は考慮する必要はない。だってそうだろ。こんな豪雨の中、外に出るなんて無謀も無謀だ。

危険すぎるし、無事だったとしても風邪を引くかもしれないしな。いや、百歩譲って勝手に出るのはいい。でもそんなことしたら、この大雨でまず、びしょ濡れになる。

別荘に戻っても、それこそ犬のマーキングみたいな感じに痕跡が残って、かえって自分たちの潜伏場所をさらすハメになる。


――と、まあこんな感じの不測の事態に対応するためにケータイ電話を盗んでおくわけだ。本当に必要なのは連絡する側とされる側だから、唯とムギの分。

あるいはどちらか一個。そして、澪と和の分。しかし、それでは怪しまれる可能性が出てくる。『なぜ、犯人は私たち全員のケータイを盗まなかったのか』って。


そこで全員分のケータイを盗んだわけだ。まあでも、ケータイを盗んでくれたおかげで事件の解決はより早くなったわけだけど」


唯「そういえば、どうやって憂は澪ちゃんと和ちゃんを見つけたの?わたしそこらへんまだ聞いてないよ」

律「もう答えは言ったようなもんだけど……まあ、いいや。今説明したとおりだよ。つまり、唯かムギ
の両方、あるいはどちらかがケータイを持っている。だったらケータイさえあればこっちから澪たちに
連絡することは可能だってわけだ」

唯「ああ、なるほどお。ってじゃあ………」

律「そう。唯はもっと警戒しておくべきだった。
最初はさ、ムギだけがケータイを持っているんじゃないかな、と思ったんだ。だって唯がケータイ持ってたら
どこでドジ踏むかもわかんないからな」

唯「りっちゃん本当のことだとしてもひどいよ~」

律「ワリイワリィ。でもそうだろ?実際、私と憂ちゃんで唯のパジャマのポッケをさがしたらあっさり
ケータイが出てきちゃうからさ」

唯「ううぅ~」

律「そんで、後は憂ちゃんが唯のふりして電話をかけた。『ちょっと困ったことが起きて相談したい。
できれば直接会って話し合いたい』って。まあ、そんなカンジの内容をな。姉妹の容姿は瓜二つ。
声質まで似ている上に電話越とキタもんだ。さすがに澪にも和にもその電話の主が憂ちゃんだとは気づけなかった」



もちろんコレを考えたのも憂ちゃんだった。私の考えたローラー作戦よりよっぽどスマートな案だった。


梓「あれ?そういえば、ケータイ以外にもなにか盗まれてませんでしたっけ?」

律「ああ、和と澪の着替えのこと?」

梓「そう、それですっ」

律「この時期ってまだまだ暑いじゃん? とくに台風が多い季節だし。蒸し暑い日はまだまだ続いている。
そんな日に風呂に入らないなんてうら若き乙女に耐えれると思うか?まして服を変えるな?
そんなことできるわけがないだろ?」

梓「ええと、じゃあもしかして着替えが盗まれたのは……」

律「そう。単純に同じ服をずっと着ているのが嫌だったんだ」

梓が澪と和を交互に見る。そうなんだ。二人を見れば一瞬でわかる。服装が一日目と変わっていることに。


律「ついでにコレにはきちんとした物的証拠もある。昨日の夜中、みんなが寝ている間に
憂ちゃんと一緒に風呂に入ったんだよ。ね、憂ちゃん」

憂「はい。それでついでにお風呂から出る前に私と律さんで掃除しておいたんです。“排水溝”も含めて全部ね」

梓「排水溝?」


律「和と澪の二人はどうしても風呂に入りたかった。でも、みんなに見つかったらもともこうもない。
だから必然的に私らが確実に寝ているときを見計らって風呂に入るしかなかったんだ。昨日も、二人は風呂に入った。
断言する。間違いなく入った」


私はポケットにツッコンでおいたチャック付きの透明のビニールを取り出す。梓に見せてやる。

梓「これは、髪の毛?」
律「そう。最後に入ったのが私と憂ちゃんだったら、当然こんなものが排水溝から発見されるわけがないんだよ」

ビニールの中には長い髪と短い髪。特に長い黒髪は特徴的で一目でもすぐわかる。

澪「だって私、髪長いし……洗わないと気持ち悪いし」


澪はきまり悪そうに後頭部をかいた。私にはわかる。
風呂にどうしても入りたいと言い出したのはコイツだ。


律「これもまだみんなには言ってなかったことだけど、私と憂ちゃんは昨日、風呂に入る以外にもうひとつしたことがあったんだ。いや、別にたいしたことじゃない。
現場検証、まあそんなかんじのことをしようと、あの物置部屋に入った。入ろうとした。でもな、
部屋に入る前に気づいた。部屋の中に誰かいる、ってな」

梓「誰か?誰かって誰ですか?」

律「窓ガラスを割ったナゾの人物――最初のナゾに人物。これは和、お前だな」

完璧にはわからない。さっきはそう言った。しかし、荷物を荒らすタイミングと窓ガラスを割るタイミング。
そして唯へ合図を送る適役は誰か。それらを考えれば、和が窓ガラスを割った犯人だと誰でもわかる。


何より、決め手は唯のケータイだった。唯からケータイを奪取した際に、唯のケータイを確認したら和からの着信履歴があった。

和「ええ、そうよ」

和はあっさり首肯した。


律「話を戻すぞ。私と憂ちゃんは咄嗟に廊下の角に隠れた。誰かわからなかったし、少なくとも私は例の犯人かも、と思ってたしな――そして、誰かが物置部屋から出てきた。暗くかった
からその誰かの顔は見えなかった。まあ、ソイツは何事もなく立ち去ろうとしたんだけど、ここで私がヘマした。
情けない話、澪じゃないけどビビっちゃってさ。懐中電灯を落としちゃったんだ。いやあ、マジであの時は殺されると思ったね。
りっちゃん隊員最大のピンチみたいな。でも、ソイツは不思議なことにさっさととんずらこいちまった。
安心したけど、正直奇妙だな、って思った。んで、憂ちゃんと一緒に結局物置部屋に入った。
そしたら、また同じことが起きた」


梓「同じこと?もしかして……」

律「そう。今度は澪の首がなくなっていた。残ったのは赤いシミの付いたテーブルクロスだけ……ぱっと見た限りはな。
ところがどっこい。テーブルクロスを引っぺがすと、面白いものが出てきた。真ん中に穴の開いたテーブルだ。これ――」


私は脇にあるテーブルを指差す。


律「と、まさに一緒。それだけじゃないぜ。部屋を探すともっと面白いものが見つかった。鏡だ。両方とも今回の事件の要になったものだ。
ちなみにそれもこの部屋にあるヤツとまったく一緒だ。ていうか、この部屋のテーブルも鏡もそのときに
見つけたのをそのままこの部屋まで持ってきたんだから当然なんだけどね。さて、ここからが問題。
なんで犯人はこんな一番大事な証拠品を残したまんまにしちゃったのか。いや、その前にこっちにも触れておこうか。
この部屋で起きた事件のテーブルについても後に調べたんだけど、こっちのテーブルには穴なんか開いてなかったし、
もちろん鏡もなかった。だけど、鏡を利用したテーブルのマジックが使われたのは私たち自身が見ている。
つまり、こっちは証拠品になるものはきちんと回収しているってことだ。じゃあ、なんで物置部屋のほうは証拠品を回収しなかったのか。
当然の話だけど回収しなかったんじゃない。回収できなかったんだ。私たちが部屋に来てしまったせいで」


梓「どういうことですか?」
律「あの夜、物置部屋から出てきたどっかの誰か。コイツの正体が澪だったら全部話がつく」
梓「澪先輩だったら……」
律「まず、なんで澪の死体が消えたのか――澪があの犯人だったら……」
梓「死体の役をすでにやめてるんだから、当然の話ですね」


律「うん。証拠品を持ち出せなかった理由ももう想像できるだろ。鏡にしろテーブルにしろ一人で運ぶには
ちょっち重い。だから、澪は和を呼びに行こうと部屋から出た。でも、ここでトラブルが発生したんだ。物音がした。
明らかに人がいる、って。澪は気づいたんだ。本来なら死体のフリをすれば誤魔化せたかもしれないが、
みんなも知ってのとおり、怖がりの澪は、きっとパニックになっちゃったんだろうな。一目散に逃げた。証拠品を残したまんまで」


そもそも冷静に考えれば、澪があの真っ暗な部屋で一人でいたり、死体のフリしていただけでも驚嘆に値することなんだけどな。


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最終更新:2010年04月12日 23:25