澪「さて、こんなもんかな」
夏の休日、私は買い漁ったバンドスコアを鞄につめ、街を歩いていた。
澪「にしても今日はあっついなー、どこか喫茶店にでも寄って一休みしたいところだ」
フラフラ…
澪「ん?」
路地にある一軒の店が目に留まる。
澪「入り口脇の…なんだこりゃ。トーテムポール?」
澪「反対側には赤電話。変なセンス」
澪(でもなんだかすごく懐かしい雰囲気が漂ってるなぁ…)
古い煉瓦造りの入り口にかけられた看板を見る。
澪「珈琲ってある。喫茶店なんだ。丁度いいや、ここにしよう」
店員「いらっしゃいませ。お一人様でございますか」
澪「あ、はい(わぁあ執事みたいなおじいちゃん。雰囲気あるなぁ)」
店員「席はどちらにいたしますか?」
澪(ん?あ…中で半地下と半二階になってるのか。面白いな)
澪「じゃあ下で」
店員「かしこまりました、ではこちらへどうぞ」
澪「ふぅ。えーっとじゃあ…アイスコーヒーください」
澪(しっかし随分と古そうなところだね。何年前からあるのかなぁ)
何の気無しに脇の煉瓦の壁を見てみる
澪「わぁ。なんだこりゃ、落書きだらけだ」
訪れた人達の“記念の落書き”のようだ。
店内が落ち着いた薄暗い照明のため遠くからは良く分からなかったが、
こうして見ると壁一面にびっしりと隙間なくある。
澪「もしかすると結構有名なところなのかもしれないなぁ。客もいっぱい入ってるし…」
澪(ネットで調べてみよう)ピッピッ
澪「あ、出た。やっぱり有名なんだ…わぁあナポリタン!これが名物だったのかぁ」
澪「そうだよ喫茶店と言えばナポリタン…何してんだ私はぁ~」ペチ
急にとても損した気分になる。考えてみればそろそろ昼時、小腹も空いている頃合だ。
澪「『飲み物は生ジュースが名物』。こっちもハズしてるじゃん!も~」
なんて後悔をしているとほどなく、アイスコーヒーが運ばれてきた。
店員「お待たせしました」
澪(ありゃ、普通のお姉さん。おじいちゃんは席案内だけなのか)
店員「以上でお揃いですか?」
澪(ん~、ナポリタンどうしよう……)
澪「あ、はい。大丈夫です」
澪(ま、ここはコーヒーで一息つくだけけにしとこうか)
実を言うとお昼はどこで食べるかもう決めていたのだ。
この街に来たらここ!という店が私にはあった。
澪「ナポリタンも興味あるけど、もう決めてきちゃったからね~」
澪「…ん、ついてきたのミルクだけ?ガムシロップ無いのかな」
澪「どうしよう、店員さん呼ぼうかなぁ…声出すの恥ずかしいなぁ」
澪(ええい、飲んでみてブラックでも飲めそうならいっちゃえ)チュー
澪「! 甘い。最初から甘いんだ。そういえば昔の喫茶店ってこうなんだよね」
澪「うーん外暑かったから生き返る!」
澪「コーヒー自体は普通だけど…雰囲気のお陰でおいしさ3割り増しだね」チュチュー
澪「…………あっ」
コーヒーだけだとなんとなく暇なので、改めて壁の落書きを観察していると
その中の一つに見慣れた名前を発見した。
『軽音さいこー!ゆい☆』
澪「ぶはっ! ……ん?あれ、こっちのはまさか…」
『唯さいこー!律』
その脇には更に唯と律の名前が記してある相合傘が描かれている。
澪「なんだあいつら二人でここ来てたのか……」
澪(たく、こんな店知ってるなら教えてくれたっていいのに)
と同時に、ぼっちで二人の落書きを見ているこの状況に切なくなる。
澪「……はぁ~…和とか誘ってみれば良かった……」チュー
澪「おいしかった。ごちそうさま」
カラカラン♪
モワッ
澪「わぁあ暑っ!ずっと冷房の中に居たから余計に暑く感じるよ」
澪「さーてご飯食べにいくぞぉー♪」
喫茶店を出て大通りをぶらぶらと歩く。
通称“やさしさ通り”(澪が勝手に呼んでるだけ)
澪「この辺りにはチェーンじゃない洋食屋とか多いんだよね」
澪「昔懐かしの定食屋って感じでオシャレ過ぎてもない、ぼっちにはすっごく優しいんだ」テクテク
ほどなくして目的の店が見えてきた。
澪「あっ、やっぱり少し並んでるなぁ~」
―ラーメンさ○ちゃん―
ここが私の目指していた店だ。
澪「この界隈に来たらここで半チャンラーメン食べてかないと落ち着かないよ」
澪「さて並ぼう……ん?張り紙だ。何々」
―原料高騰の折、ラーメンのお値段を値上げさせていただきました
澪「ありゃ、そうなんだ。でも仕方ないね。いくらになったんだろ」ヒョイ
澪「40円値上げかぁ。それでも半チャンセット690円、安い安い」
…
澪「お、席空いた」
店主「どうぞー」
人柄の良さそうな親父さん。いや、もうおじいちゃんだね。
店名の○ぶちゃんその人である。
澪「へへへ、どうも」ガタッ
調理場とカウンター数席だけの狭い店内。一番奥に腰掛ける。
澪「半チャンください」
店主「はい半チャンねー」
澪(親父さんなんだか前に来たときより元気が無いなぁ…大丈夫かな)
煙草で一息つきながら黙々とラーメンを作っていく親父さん。
調理場で煙草を吸うなんて、という人は多そうだけれど
こういう店ではアリな光景だな、と私は思っている。
煙草の灰がうまみの素!なんちゃって。
澪(しかしサラリーマンだらけだね、女子高生は私だけか)
なんて事を考えているとラーメンが出来上がった。
店主「お待たせしましたぁー」ゴト
澪「いただきまーす」パチン
ズズルー
澪「うまい!」
刻みネギとメンマ、チャーシューだけのシンプルな醤油ラーメン。
このシンプルさが日々の気苦労に疲れた体を癒してくれるのだ。
澪(ぼっちは色々悩み多き生き物なのです……ってね)
澪「モグモグ…この甘い味付けのメンマがいいんだなぁ」
澪「チャーシューは底に沈めておいてスープを染み渡らせてから食べるぞぉ」ギュウー
澪「ズズー」
澪「ぷぅ。この体全体に染み渡っていくような感覚!シンプルな醤油スープじゃないと味わえないよね」
店主「お客さん久しぶりだねぇ」
澪「あっ、へへ…あんまりこっちに用事がなかったものですからー」
店主「そうかい、たっぷり食べていってよ」
澪「はーい」
澪「さて、チャーハンも食べちゃおう」
ところどころ白い部分が残っているチャーハン。
どちらかと言えば家庭のチャーハンって感じ。
澪「ところがどっこいそこが良い~っと」
澪「もぐもぐ」
澪「おいしー!この濃い味付け!ここはいつも変わらない味だね」
店員「すいませんお待たせです、卵買ってきましたー」
店主「あいお疲れ、ちょっとラーメン見ててくれるか…三つね」
店員「はい」
店主「ふぅーっ…」
澪「……」チラッ
店の外に出て椅子に座って一服する親父さん。
疲れてそうだなぁ…
澪(私が大人になる頃には、もうこの店もやっていなかったりするんだろうか…)
ふとそんな事を考えてしまい、急に寂しくなって箸が止まる。
澪(もうあと何度来れるんだろう……)
澪(しっかりとこの味を覚えておこう)
私は箸を取り直し、残りのラーメンをじっくりと噛み締めるように食べるのであった。
……
唯「やったね!おっす!」ガチャ
律「おっす唯!何がやったねなんだ?」
唯「別にー、言ってみただけだよ~」
律「やったね!」
唯「あっ、りっちゃんまねっこ?」
律「唯が部活に来た!やったね!!」
唯「何それ~あはは」
律「唯ぃい~!」ガバァ
唯「ちょちょ、やめ…」
律「」
紬「今日はチーズケーキよ唯ちゃん」
唯「ホンマ!?やったね!」
律「やったな唯ぃいい唯が嬉しいと私も嬉しいよぉお」
紬「あらあら……//」
唯「おいひい!おいひいよおお」モグモグ
澪「……」モグモグ
梓「そういえば澪先輩、土曜日さ○ちゃん行ってませんでした?」
澪「え?」
梓「並んでるの見ましたよ」
澪「あ、梓居たのか」
梓「えぇまぁ。ちょっと近くに用があったので」
澪(……あ、そういえば近くに二郎あったな…)
澪「っていうか見かけたんなら声ぐらいかけてよ……」
梓「えっ!…スイマセン何か忙しそうだったので~」
澪(嘘つけ)
梓「あっ、唯先輩口のまわりべったべたですよ~」
唯「ほんと?やったぁ口のまわり味わうぞぉ~♪」ペロペロ
澪(唯とかだったら話しかけたんだろうなぁ……ハァ…)モグモグ
澪「……」
律「唯ぃいあーんしてよあーん」
唯「いいよりっちゃん自分で食べるから」
律「そんなこと言うなよぉお」
澪「そ、そういえばさ~」
唯「どうしたの澪ちゃん?」
澪「私こないだ面白い喫茶店見つけてさ。入り口にトーテムポールなんか立ってるとこで」
唯「あっ、それ知ってるよぉ~!赤デンワもあったでしょ」
律「あぁ、あそこかぁ。唯、一緒に行ったよなー♪」
紬「もしかしてこないだりっちゃんに教えてもらったとこ?」
律「そうそう!梓も行ったんだろ?ムギと」
梓「良かったですよ」
律「へぇーそうかぁ、澪も見つけたんだ!いいよなあそこ」
澪「……うん……」
澪「……」モグモグ
また休日。
いつものように誰からも遊びに誘われなかった私はふらふらとあてもなく街を彷徨っていた。
めし屋を探して。
澪「はぁ…お腹が減った……」
澪「それにしてもここいらは本当に洒落たイタリアンやらばかりだなぁ」
澪「あんなとこぼっちが入ったら一瞬で白骨化してしまうぞ……」
めし屋だ。ぼっちが入れるめし屋は無いのか。
澪(あぁ…私の座れる場所がどこにも無い街)
澪「……」ピタリ
気が付けば私の足は桜水産の前で止まっていた。
澪「うぅ……結局こういう選択になるのか」
澪「本日のランチ…マグロ刺身定食ってやつでいいか」ピッ
澪「ふぅ。なんだ昼間から飲んでる人多いなぁ…する事ないのかな」
澪(と、ぼっちの私が言えたことじゃないけど…はは、案外あれが未来の私だったりして)
店員「お待たせしゃっしたー」
澪「どうも」
澪「さて、食べるぞぉー」
澪(……うわ、刺身4切れだけ。相変わらずしょぼいな。まぁワンコインだし仕方ないか)
刺身の他はご飯、味噌汁のみ。
澪「まぁいいや、ここのメインはおかずじゃないもんね」
卓に備えつけられたのりに柴漬け、のりに生卵。
いわゆる“フリーおかず(勝手に呼んでるだけ)”だ。
加えてご飯に味噌汁もおかわり自由なので定食についてくるおかずはオマケのようなものなのだ。
澪「まずは漬物とのりで一杯目を食べるぞ~」
澪「最初に卵かけご飯やると茶碗が汚れて美しくないからね!」
もぐもぐ…
澪「はぁ。なんとも普通なご飯だ。空腹が調味料だね」モグモグ
食べながら、窓から外の通りを眺める。
腕を組んで歩くカップル、友達同士じゃれあいながら走っていく子供達―
澪「……お、おいしいな~この柴漬け!はははうまいぞぉー」モグモグ
澪「あっ、味噌汁全部飲んじゃった。おかわりしてこよ」スッ
カパ
澪「ん?もうほとんど残って無いぞ…」
澪「どうしよう、言うの恥ずかしいなぁ……」
鍋を傾け、わずかに残った味噌汁を集める
澪「情けない……うぅ……」チャカチャカ
澪「……くずみたいなワカメしか入ってない……」
澪「……どうしよう、味噌汁これで最後かぁ」
澪「ラストはねこまんまで締めるつもりだったのになぁ…」
澪「卵かけご飯中は手をつけないでおいておくという手もあるけど、それじゃあねこまんまやる頃にはぬるくなっちゃうぞ…」
澪「卵かけご飯を取るべきか捨てるべきか…それが問題だよ」
客「スイマセーンっ!ちょっとぉー!」
澪「?」
店員「ハイなんでしょう」
客「これ、味噌汁無くなってるんでェ」
店員「あ、はいすぐ新しい物をお持ちします」
澪(やったー!ナイス!これで悩みが吹き飛んだぞぉー、ははは)
澪「じゃあ卵かけご飯し~ようっと♪へへ」
澪「醤油はちょっと少なめが好きなんだよね」ツツー
澪「ほいほいほい」カチャカチャカチャ
澪「よいしょっと。食べるぞぉー」ザフザフ
澪「ングむ……ご飯ぬるっ!」
澪「卵かけご飯はあっつあつ炊きたてにやると卵固まって嫌だって人いるけど、私はあっつあつ派だなぁ……」
澪「この保温されすぎて微妙な温度と水気の無くなったご飯!」
澪「卵かけて更にしまりがなくなった感じだよ」
澪「はぁ、まるでぼっちの私のような卵かけご飯だ……」モグモグ
客1「なァ、さっきからあの子一人で何言うとるの」ヒソヒソ
客2「さぁ…こんなとこに一人で来る女子高生なんてよくわからんね」ヒソッ
澪「…………」モグモグ
最終更新:2010年01月24日 00:29