唯「楽しかったねー、ういー」

憂「うん! 次も一緒に乗ろうね、お姉ちゃん」

梓「……」

 あー。

 あー。

 なんだろう、この気持ち。
 どす黒い何かが、私の心の中に――。

 そういえば今日って、まだ一回も唯先輩に抱きつかれてないよね。

紬「……」

律「さて、お次は……アレとかどうだ?」

 律先輩が指差したのは、回転する巨大なトレイの上でくるくる回るコーヒーカップ。
 ハンドルを回すとその分、カップの回転速度が上昇するというファンキーな乗り物だ。

唯「おぉ、いいねー」

澪「そうだな、アレならあんまり人も並んでないし」

律「そんじゃ決定ー!いくぞぉ、みんなー」

唯・憂「おーう!」

 よし、次こそは唯先輩と――、言いたいところではあるのだけれど。
 唯先輩の腕は、憂ががっしりと掴んでいる。
 これじゃあ、私の入る隙が無いじゃないか……。

 ううん。
 ……皆楽しんでいるんだから。
 考えるな、考えなくていいんだ、私。

梓「……」 

 頭ではそう思っているつもりなのに、
 言い聞かせても言い聞かせても、心のもやもやは消えてはくれなかった。
 いつから、こうなったのかな、私――。

澪「これも二人ずつだけど、どう分かれるんだ?」

律「うーん、そうだなぁ」

紬「憂ちゃん」

憂「なんですか?」

紬「今回は、私と一緒に乗ってくれるかしら?」

 ムギ先輩……?

憂「え、でも」

紬「お願いっ」

憂「……まぁ、紬さんがそう仰るなら、私は構いませんよ」

紬「ありがとう!」

 ムギ先輩は、憂の腕を掴んで歩き出す。
 そして、私の方へと振り返り、ウインクをぱちり。

 ――頑張ってね。 

 そんな声が聞こえた気がしたから、

 ――ありがとうございます。

 心の中で、そう呟いた。

 ムギ先輩の心意気を、無駄にするわけにはいかない。
 だから、私も勇気を出して。 

梓「あの、唯せんぱ――」

律「んじゃ、唯。私と組むかー」

唯「え、うん。いいよ、りっちゃん!」

 うおぉぉぉぉい!!
 律先輩うおぉぉぉぉい!!

澪「じゃあ、梓は私とだな……って」

梓「……」

澪「ご、ごめん梓。私とじゃそんなに不満だったか……?」

 ぷぅー、っと頬を膨らませる私と、それが自分のせいだと思い込んであたふたする澪先輩。
 困った。 私は唯先輩のことが好きだが、澪先輩のことも好きなのだ。
 なんというか、付き合うなら唯先輩、姉にするなら澪先輩、みたいな。
 だから、あらぬ誤解を招いて好感度を落とすわけにはいかない。
 二股とかじゃねーです。
 そこのけそこのけです。

梓「あ、ち、違います。ごめんなさい澪先輩!誤解です!」

澪「そ、そう? それならいいんだけど……」

梓「……はぁ」

 前途は多難らしかった。

 物凄い勢いで超速回転する律先輩と唯先輩のカップ。

律「ひゃっほおおおおっ!」

唯「り、りっちゃん、目が!目がまわる!!」

律「うおお、そういえば私も目がまわってきた気がする!」

唯「ほわあああああ!!」

律「だが、まだだ。まだ終わらんよ!」

唯「り、りっちゃん隊員、これ以上は……!」

律「大丈夫だ、唯! 私が守ってやるっ!」

唯「り、りっちゃんっ!!」

律「唯っ!」

律・唯「イエス」

律・唯「フォーリン・ラヴ」


梓「……」

澪「あいつら、何やってるんだ……」

 一方で、穏やかに回転するムギ先輩と憂のカップ。
 ムギ先輩と憂の声は、ここからでは聞き取れなかったけれど、
 なにやら楽しそうに談笑していた。
 案外あの二人、気があったりするのかもしれない。

 そして、優雅に回転する私と澪先輩のカップ。
 澪先輩は私の隣で、超速回転するカップを呆れた様子で見つめている。

梓「あの、澪先輩」

澪「うん?」

梓「澪先輩は、好きな人っていますか?」

澪「……」

梓「澪先輩?」

澪「いや、梓にそんなこと聞かれるとは思わなくて」

梓「……意外ですか?」

澪「少し、ね」

 そう言って澪先輩は優しく微笑む。

澪「そうだな……。正直に言えば、気になるやつはいる。
  ただ、それが本当に好きっていう感情なのかと聞かれれば、かなり曖昧なものだけど」

 その視線は、相変わらず一つのカップに固定されていた。

梓「例えば、……その、例えばですよ。 その気になる人が自分の目の前で、他の人と仲良くしてたら、どう思いますか?」

澪「……? 梓、もしかして」

梓「例えば、と言っています」

澪「……ふふ、それはアレだ。嫉妬するんじゃないかな?」

梓「……」

 澪先輩の気になる相手は、きっと律先輩なのだろうと思っているのだけど。
 唯先輩と楽しそうにしている律先輩を目の当たりにしても、
 澪先輩に凡そ嫉妬という感情は見て取れない。
 やっぱり、私が子供なんだろうか。
 或いは、律先輩のことを指しているのでは無いのかもしれないが。

澪「なるほど、それでさっきむくれてたんだな」

梓「いや、あれは」

澪「自分の気持ちに正直になればいいんだよ。
   口にしなくちゃ伝わらないことだってある。相手が鈍感な場合は尚更、ね」

梓「……それ、澪先輩には言われたくないです」

澪「ぐ……。 い、いや、今は梓の話をだな」

 まぁ、澪先輩の場合、相手が鈍感ってわけでもないからな……って、あれ?
 おかしいな。オブラートに包んだつもりなんだけど。
 何故『相手が鈍感な場合』とか仰ったんですかね、このお方は。
 いやいやいや、待て、落ち着け私。
 鈍感と唯先輩が等号というわけではないだろう。
 ほら、思い返してみよう。
 この前の等身大高杉ポスターの時だって――。

梓「……」


 やっぱいいや。


澪「どうした?」

梓「いえ、ただちょっと贔屓目に記憶を改ざんしようとしたけど、
  どう頑張ってもそれは唯先輩じゃヌエー!と」

澪「ああ、やっぱり唯か」

梓「……え?」

澪「気になる相手」

梓「……」

澪「……」

梓「なんで分かったんですか?」

澪「今自分でバラしたじゃないか」

梓「……」

澪「……」

梓「ほぎゃああああ!!」

澪「う、うわ、梓落ち着けっ!」

 おもっきりハンドルをまわしてやった。

唯「楽しかったねー、りっちゃん」

律「……ちょっと、まわしすぎたけどな」

 ベンチの背もたれに手を置いて、ぐったりの律先輩。
 ハンドル持ってたの律先輩なのに。なにやってんだか。

紬「そろそろおなかが空いたわね」

憂「時間もお昼過ぎてますし、ご飯にしましょうか」

 そう言って、憂は作ってきたお弁当を取り出した。
 人数分ともなると、作るのも持ち運ぶのも大変だろうに。
 献身的な子だと思う。

唯「賛成っ!」

梓「向こうに公園がありますね」

 私は地図を見ながら、その方向を指差した。

唯「ほえー、どこどこ?」

梓「あ……」

 不意に、唯先輩の顔が真横に現れた。
 それは、抱きつかれるのとはまた違う感覚で、体温がぐん、と上がったような錯覚に陥る。
 勿論抱きつかれる方が個人的には好きなんですけど。
 ……いや、何を考えているんだ私は。いくらなんでも動揺しすぎだ。

唯「?」

梓「落ち着け私、落ち着け私……」

唯「あずにゃん?」

梓「い、いえ。えーと、ほら、ここに」

唯「おおうっ! 本当だ! みんな、急ごう!!」

 唯先輩はそう叫ぶと同時に私から離れ、律先輩と一緒になって走り出す。

梓「あっ……」

 ほんの一瞬だった。
 もう少し、もう少しだけでいいから、近くに居て欲しかったのに。

紬「ふふ、元気ね、二人とも」

澪「全く。食べ物の事となるとこれだよ……。
  あの熱意を少しでも練習にまわしてくれればなぁ」

憂「梓ちゃん、ほら、私たちも行こ?」

梓「……あ、うん。そうだね」

憂「はい、お姉ちゃん。あーん」

唯「あーん」

 もぐもぐ。

唯「それじゃ、ういも。あーんして」

憂「あーん」

 もぐもぐ。

梓「……」

澪「……」

紬「……」

 この三点リーダを解説しておくと、上から順に
 『嫉妬』『呆然』『至福』となる。
 表情の方は各自でご想像願いたい。

律「お、お前ら……本当仲良いよな」

唯「そうかなぁ? これくらいなら普通にやると思うけど」

憂「冬場は特にねー。コタツから顔だけだしてミカンをねだるお姉ちゃん……
  もう、ほっっっんとに可愛いんですよ!」

 いや、強調しすぎだよ。
 実際可愛いけど強調しすぎだよ。
 ちくしょう。

 ちくしょう。

憂「それにほら、今日はお姉ちゃんの罰ゲームも兼ねてますから、ムギ先輩が喜びそうなことをしないと」

 絶対それ建て前だよね?

 ……。
 いやいやいや、そろそろ落ち着こうか私。
 親友に敵意を向けるとかありえないから。ありえないですから。
 ていうか、姉妹でしょ。仲は良いけど姉妹でしょ。
 こういう時は手のひらに人という字を書いて、その横に憂をつれてくれば、ほら。

 人に優しく!!

 私は手のひらに書いた字を意味もなく飲み込んだ。

澪「まぁ、確かにムギは大喜びみたいだけど……」

紬「……」

 律先輩的に言うなら『ちょーウットリしてるぅ!?』だ。 

律「それはそうと、梓」

梓「あ?」

律「ご、ゴメンナサイ!?」

梓「あ、すいません、考え事してました」

律「なんか露骨に不機嫌になってないか?」

梓「いえ、そんなことないですけど。人に優しくです」

律「人に優しく?」

梓「人に優しく」

律「あ、ああ……」

 何故だか、珍しく律先輩が動揺していた。

唯「あずにゃん」 

梓「……なんですか?」

唯「食べる?」

 嬉しそうに、私の目の前にたいやきをちらつかせる唯先輩。

梓「……」

 今更だ。
 そんな、そんなものに私は釣られない。
 釣られるわけがないのに。

律「物凄い目で追ってるな、たいやき」

唯「……」

梓「あっ……」

 遠ざかるたいやき。

律「……」

憂「遊ぶお姉ちゃんと、遊ばれる梓ちゃん……」

紬「これはこれで、来るものがあるわね」

憂「わかります」

 ああ、唯先輩。

 食べさせてくれないんですか。

 おあずけですか。

唯「あずにゃん」

梓「な、なんですか」

唯「あーん」

梓「……」

唯「あーん」

梓「あ、あーん……」

 ぱく。
 もぐもぐ。

梓「……おいしい」

唯「うっふっふ」

 勝ち誇ったかのように不敵に笑う唯先輩。
 せいぜい今のうちに勝利の美酒に酔いしれてると良いです。
 ……次はこっちのターンなんですから。

梓「唯先輩」

唯「なぁに?」

梓「あ、あー、あー……」

唯「……うん?」

 そのキラキラの眼差しをやめていただきたい。
 無理だ。ちくしょう。
 私には無理なんだっ!!
 「あーん」なんていいながら食べさせるなんて私には無理なんですよぉぉ!!

梓「……あー、いえ、なんでもないです」

唯「えー、食べさせてくれないの?」

 それは、人差し指を自分の唇に当てて、小首を傾げるという行為だった。
 何の変哲も無い、ただそれだけのポーズだ。艶っぽさも色気もあったものではない。
 強いて言うなら、子供が欲しいものをおねだりするときにこんなポーズをとることがある。
 たとえ友達や近所の子供達からこのポーズをされたところで、
 私は大した感慨を持たないだろう。
 それどころか、『甘えるな』と叱責するかもしれない。
 だがどういうことか。
 この瞬間、確かに私は一度死んだ。
 そして、憂がミサイルの如く公園の端まですっ飛んでいき、
 ベンチでポップコーンを食べながら小さな女の子を眺めて恍惚の表情を浮かべていた
 二十台くらいの青年の手から、
 ポップコーンを叩き落して「ブラボー!おお……ブラボー! 」と叫んだ。

梓「……」

唯「あずにゃん」

梓「……なんでございますでしょうか」

唯「もしかして照れてる?」

梓「て、て、照れてる!? 私がっ!? な、なにを根拠に――」

唯「ああん、もう! あずにゃんかわいいよぅ!」

 ぎゅっ。

 『あーん』に続いてハグ→頬擦りのコンボを叩き込まれた。
 今日始めてのハグ。
 どうしてこうも落ち着くんだろう。
 ああ、唯先輩。できることならばしばらくこのままで――。

律「なんつーか、皆幸せそうだな……」

澪「察してやれ」

律「ていうか、憂ちゃんのアレはどう収拾つけるんだ」

澪「あの男の人も幸せそうだから、いいんじゃないか?」

律「いいのかよ」

唯「午後の部!」

澪「午前中以上にテンション高いな」

唯「お昼食べたからねっ!」

 ふんす!と鼻息荒く、そんなことを言ってのける唯先輩。

梓「律先輩、何から乗るんですか!?」

律「えーと……、って、梓もテンション上がってないか?」

梓「秘密です!」

 ふんす!と鼻息荒く、私は答えた。

律「じゃあアレ」 澪「嫌だ」

律「……」

澪「……」

律「即答だな……」

 律先輩が指差したのは遊園地の定番の一つ、お化け屋敷だった。

律「大丈夫だよ、所詮アトラクションなんだし、そんなに怖く」 澪「嫌だ」

紬「まあまあまあまあまあまあ。澪ちゃんも嫌がってるんだし、無理にいかなくても……」

 六回がデフォなんだろうか、この人。

律「ちぇー、仕方ないなー」

憂「律さん、それならアレとかどうですか?」

 落胆する律先輩に声をかける憂。
 その視線の先には『脱出!巨大迷路!』と書かれた、
 かなりの規模のアトラクションが佇んでいた。

梓「なんの捻りもない名前ですね」

紬「1の力量が知れるわね」

律「ぼろくそだなお前ら」

唯「でも、楽しそうだよ。行ってみない?」

律「……そうだな、澪もあれなら大丈夫だろ」

澪「あ、……うん」

紬「行きましょ、澪ちゃん」

澪「ムギ、その……」

紬「?」

澪「ありがと……」

紬「ふふ、どういたしまして!」


唯・律「か、かわええっ……!」

 きゅるるるりーん。再び。
 でも、私から言わせてもらえるなら、唯先輩だって十分可愛いんですよ?
 ……なんて、言いたくても言えませんけどね。


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最終更新:2010年01月05日 01:21