憂「お姉ちゃん”の方が”、かわいいと思うな」

唯「な、なんとっ!?」

 悶々としている私を尻目に、憂がさらりと言ってのけた。
 わざとではないのかと思えるほど、今日の憂は積極的だ。
 それはまるで、私へのあてつけのようにも思えて――

梓「……」

 違う。

 己の思考を断ち切るように、ぶんぶんと首を振った。
 このままだと、自己嫌悪に陥りそうだったから。

 友達に嫉妬なんてしたくない。

唯「いやいやいや」

 唯先輩は必死に右手を振りながら、のどを絞めたような声で否定しつつ、

唯「そんなことないですからッ!!」

 なぜか妹に敬語でキレた。

憂「かわいいってば」

 しかし、微塵も気圧されることなく憂は攻める。


 うー、と小さく呟きながら俯く唯先輩。
 もしかして。
 いや、もしかしなくても――、照れてたりしますか?

 そこまで考えてから、やっぱり――、と思い直す。
 だって、ありえないもの。
 唯先輩は、かわいいと言われたくらいで照れる人ではないのだ。

唯「りっちゃん」

律「なんだね?」

唯「そんなことないよね? 」

律「いえいえ。 十分かわいいと思いますことよ?」

唯「ほあぁぁっ!!」

 今度は、律先輩に跳ね飛ばされたかのような動きで、私にしがみついて来た。
 予め断っておきますけど、棚ボタとか思ってないですから。

梓「どうしたんですか? いつもならそのくらいで照れたりしないのに」

唯「いや。いやいやいや。ダメ、ダメなのあずにゃん……」

 ちょっと涙目になっているせいか、ドキリとする。
 直後に、憂が「ベリィィィキュゥゥトォォォ!!」と奇声を上げながら、
 申し分の無いクラウチングスタートを決めてすっ飛んでいったかと思えば、
 隣のサッカーグラウンドで爽やかな汗を流す男達の隙間を巧みに掻い潜り、
 選手の一人がフリーキックを蹴ろうかというタイミングで、
 サッカーボールを13ポンドのボウリング球と挿げ替える。
 そして、テニスのボールボーイの如くしなやかな動きでグラウンドを離脱すると、
 今度はスリーステップで大木を駆け上り、
 枝に引っかかっていた風船を掴んで、バク宙を決めながら華麗に着地。
 大木の下で泣いていた幼女に、無言でさっと差し出すイケメンっぷりで、
 彼女のハートをガッチリ鷲掴みにしていた。

 私は、憂を目で追うのをやめて唯先輩に視線を戻した。

唯「私が澪ちゃんより……か、かわいいだなんて、そんなことあっちゃダメ。
  ダメなんだよぅ!!」

 え?

梓「……」

律「……」

 律先輩と思わず顔を見合わせる。
 えーと、ああ?

 可愛いと言われることにはまるで抵抗はないけれど、
 誰かよりも可愛いと言われることには抵抗があるということですか?

 いや、その対象が澪先輩だったから、か。
 なるほど、そういう線引きなのか。
 感覚が独特すぎて、理解するのに二分弱かかった。
 相変わらず良く分からないお人だ。

 けれど、こういう唯先輩を見るのは初めてだったから。

 ふふ、このネタを使っていじめてあげるのも悪くない。

 雑談と唯先輩弄りに花が咲きすぎて、
 なかなかアトラクションにたどり着けなかった私達は、
 その後、憂が連れてきた外国人に謝ったり、唯先輩に謝ったり、
 先行して待ちぼうけを食らっていた澪先輩とムギ先輩に謝ったりして、
 ようやく目的のアトラクションへと到着した。

唯「ねえ、これ……」

律「見事にガラガラだな」

梓「人っ子一人見当たりませんね」

澪「みんな、これ見て」

 澪先輩の指差した先には、『本日貸切』の看板。
 それはつまり、どこぞの団体さんがこのアトラクションを一日丸々使うということだ。
 アトラクションだけ見てもかなり大きい施設だし、これだけ客が来ているのだ。
 一日とはいえ、これを貸切るなんて、相当のブルジョワジーに違いない。

律「貸切かよ!」

唯「えー、じゃあ入れないの? 残念……」

澪「まぁ、仕方ないだろ。他のアトラクションに……」

?「も、申し訳ございません!
  貸切ではございませんので、こちら今すぐご利用になれます」

 澪先輩の台詞を遮るように、アトラクションの係員らしき人物が慌てた様子で出てきた。
 なんか、どっかで聞いた事のある声だったけど、
 思い出せないということは、さほど重要な人物ではないのだろう。

憂「それじゃあ入ってもいいんですか?」

?「はい、そのように仰せつかっております」

律「なんか、馬鹿丁寧な口調だな……」

唯「私、この人に会ったことある気がする……」

梓「あ、唯先輩もですか? 実は私も、どこかで聞いたことのある声だなって……」

紬「とにかく入りましょう? グズグズしてると他のお客さんの迷惑になっちゃうわ」

 私達が今日最初の入場者ということらしく、室内は静まり返っていた。
 全体的に白みがかった壁と、異様に高い天井。
 前方に何かを映すであろう巨大なスクリーン。
 無骨だった外観からは想像もできない作りだ。
 そのだだっ広い部屋の床には、正方形のタイルが敷き詰められていた。
 このタイルは大理石だろうか?
 いや、たかだか遊園地のアトラクションにそんなものが……
 物思いに耽りながら床を見ていた私は、視線の先に、
 この空間に恐ろしく不釣合いな文字を発見した。

梓「『スタート』って書いてありますね」

澪「本当だ。ここがスタート地点ってことなのかな?」

律「スタートだけじゃないぜ。皆、向こうの床を見るんだ!!」

 律先輩に言われるがまま、スタートパネルの奥を見る。
 そこには、縁を三原色で彩ったパネルの数々。
 スタート以外のパネルは、全て赤い紙が覆いかぶさっていて、
 そこに書かれているであろう文字を確認することはできなかった。

憂「……ええと、このアトラクションって『脱出!巨大迷路!』だったと思うんですけど」

 憂の言っていることは正しい。
 私も外のでっかいアーチを確認しているのだ。
 ここは間違いなく、迷路であるはず。

唯「全然、迷路って感じしないね」

律「ああ。それどころか、これはまるで――」

「すごろく――」

律「じゃないか」
唯「だよね」
澪「だよな」
梓「ですよね」

 綺麗にハモったところで。
 ムギ先輩が衝撃の事実を口にする。

紬「そこに、大きな文字で『巨大!ファンタジーすごろく』って書いてあるわよ?」




 統一しとけよ。

 支配人らしき人から、一通りの説明を受けたあと、順番を決める番号札を引かされた。
 せっかく来たんだし、という意見と、意外と楽しそう、という意見から、
 (ちなみに前者が澪先輩、後者が唯先輩だ。どうにも嫌な予感がするので、
 私としては遠慮しておきたかったのだが、この二人にそう言われたら、黙って従う他無い)
 結局、遊んでいくことになった。

 支配人からの説明を要約するとこうなる。
 このアトラクションは、コマは私達自身。サイコロを振ってゴールを目指すという部分では
 普通のすごろくとなんら変わりは無い。
 しかし、止まったマス目に書いてあることは、『当人に対して絶対に起きる』らしい。

 あからさまに胡散臭い。

 さらに。

 一番最初にゴールにたどり着いた人は、他の全員にそれぞれ一つだけ、
 どんな命令でもすることができる。 そして、敗者はそれに従わなければならない。

 とのこと。

 ……いやいやいや。
 デジャヴとかそういう次元じゃないですから。

律「どんな……」

澪「命令でも……」

唯「だと……?」

梓「ちょっと、皆さん落ち着いてくださいよ」

律「え?なんだって?」

澪「勝つしかない、私が助かる術は勝つしかない」

憂「お姉ちゃんとベロチュウお姉ちゃんとベロチュウお姉ちゃんとベロチュウ」

唯「あれ、なんかこんな感じのこと、前にもあったような……」

梓「そうですよ唯先輩! 律先輩も澪先輩もしっかりしてください! ……憂も、帰ってきて」

 先月の笑ってはいけない勉強会に引き続き、今度は巨大なすごろくゲーム。
 しかも、不自然な貸切のせいでお客さんは私たちだけ。
 聞き覚えのあった係りの人の声と、その馬鹿丁寧な執事口調。
 そう、こんなことができるのはただ一人しかいない――。

梓「ムギ先輩、説明してくださいッ!!」

紬「え?」

 ほら見たことか。
 ふふん。私の完璧な推理、見ていただけましたでしょうか、唯せんぱ――

梓「きょとんとしてるうぅぅ!?」

紬「どうしたの、梓ちゃん」

梓「……あ、いえ。これ仕組んだのって、ムギ先輩じゃないんですか?」

紬「そうよ?」

梓「どうしてそんなに意外そうな顔をしてらっしゃるんですか」 

紬「いえ、もう皆とっくに気付いているものだと思っていたから」

梓「ああ、そうですか……」

紬「でも安心して? 今回は私も参加させていただくわ♪」

梓「わあ、すっごく安心……するもんかーー!!」

紬「……」

梓「……」

紬「唯ちゃん」

唯「え?」

紬「梓ちゃんを抱きしめてあげて」

唯「あ、うん」

梓「ちょ、何を言い出し――」


 ぎゅっ。

梓「っ!!」

 お、おのれムギ先輩。
 こんなことで私は騙されない、騙されませんから―!!
 このまますごろくゲームなんてやったら、きっと前回みたいにとんでもない目に、
 とんでもない目に、飛んで、……。

梓「にゃ……」

 私の憤りはどこかへ遠くへ飛んでいった。 


紬「それじゃあそろそろ始めましょ?」

憂「順番って、さっきのくじで決めるんですよね」

紬「そうよ」

律「えーと、私は三番、か」

唯「私二番だよー」

澪「私は五番」

梓「……」

憂「私六番です」

紬「私が四だから……」

 みんなの視線が集まる。
 ……まぁ、黙ってたところでバレますよねー。

梓「すっごい嫌なんですけど……」

憂「梓ちゃん、がんばって!」

 そんな激励されたところで、がんばりようがないんですけどね。
 支配人に巨大なサイコロを渡され、私は仕方なくそれを振った。

 お昼の看板番組を思わせるような挙動でサイコロは転がり、やがて静止する。
 上を向いていた目は『4』
 ゴールまではそこそこ長いようだし、
 『5』『6』では無いにしても上々の滑り出しと言える。

梓「えーと……、タイル四つ分進めばいいんですよね?」

 支配人が静かに頷いたのを確認してから、私はゆっくりと歩みを進める。
 いち、に、さん、し――。
 タイル自体がそこそこ大きいため、私の場合、一歩では次のタイルへは届かない。
 ので、普通に歩いて、四マス目で停止した。
 すると、タイルに張られていた赤い紙がすうっと剥がれ、そこに文字が現れる。

  『ツインテールの片方がとれる』

梓「と、と、取れるッ!?」

 取れるってどういうことですか!?
 パニックになって、咄嗟に私は自分の髪を押さえた。
 しかし――

 『ぷちっ』

 何かが切れる音と共に、テイルの右側が――。

梓「ヘアゴムが切れた……」

律「……当人に対して絶対に起きるって、こういうことなのか?」

澪「まさか……、偶然だろ」

 サイドポニーなのはともかく、
 右側だけだらしなく下ろしているというのが、どうにも格好がつかない。
 ていうか、恥ずかしい。

梓「……」

 逡巡した後、私は左側のゴムも一度外して、改めて一本にくくり直した。
 予備のヘアゴムなんて持ってきてないし、仕方ない。
 似合ってなさそうで、なんとも落ち着かないけれど。

憂「梓ちゃんのポニーテール……」

唯「あぁん、あずにゃんかわいいよあずにゃん!」

紬「ウットリね……」

澪「興奮してないで。唯の番だぞ?」

唯「え? あ。そっか」

 唯先輩の手にサイコロが渡る。
 ふと気付いたけれど、これで唯先輩が四を出したらどうなるんだろう?
 今更だけどツインテールの片方が取れるって、私にしか効果ないじゃん!
 ピンポイントで私狙いじゃん!!どういうことだよ!?
 いや。そんなことより!!
 ここでもし、唯先輩が四を出してみろ!
 次の私の番が来るまで、そこそこ大きいとはいえ、一つのタイルの上に二人きり!

 密・着・状・態!!

 密着状態ということは即ち、あんなことやこんな 「あ、5だ」 ですよねー。

唯「いっち、にぃ、さん、しー……ごっ! お隣だねっ、あずにゃん!」

梓「そうですねー」

唯「なんでそんなにガッカリしてるの?」

梓「いえ。ただちょっと、現実は甘くないなーと思ってたりする次第で」

唯「?」

 唯先輩の足元のパネルがオープンする。


  『サイコロの目*5回腹筋する』


 同時に唯先輩の顔が青くなった。

唯「ど、どうしよう」

梓「どうしたんですか、そんなに慌てて」

唯「『3』以上出したら、多分私死ぬ」

梓「腹筋くらいで死なないでください」

 唯先輩の手に再度サイコロがわたり、改めて振るう。
 両手を合わせて、あからさまな神頼みポーズの唯先輩。
 そんなに腹筋したくないんですか。

 やがてサイコロは止まり、出た目は『1』

梓「良かったですね、『3』以上じゃなくて」

唯「五回もできない……」

梓「どんだけ体力ないんですか」

 ドタン―!

律「!?」

澪「な、なに?」

 突如として部屋の奥の扉が開き、そこからスーツを纏ったサングラスの男達が数人現れた。
 所謂エージェントというやつで、いやこれ先月と同じですからー!!

唯「ま、また!?」

 エージェント達はこちらにマットを運ぶと、両手を後ろに組んで直立する。

唯「え、ええと……、腹筋しろってことですか?」

 唯先輩の問いかけに、エージェント達はコクりと頷いた。
 黒尽くめのエージェントに囲まれて腹筋をする女子高生。

 シュールだ。

紬「梓ちゃん」

梓「はい?」

紬「足、押さえてあげて?」

梓「わ、私がですか?」

紬「私達は、まだ順番まわってきてないもの」

 む。もっともな理由な気がする。
 少なくとも私の順番がまわってくるのは、現時点では唯先輩の次に後ろなのだから。
 惜しむらくは、本日の唯先輩の服装がスカートでは無いことだ。
 だってほら、腹筋する人がスカートだと、足押さえる側の人からすると、ほら。ね?

梓「ね? じゃねえよ……」

 危ない。
 ナチュラルに『憂ムギさわやか変態同盟』に仲間入りするところだった。

唯「あずにゃん、なにぶつぶつ言ってるの?」

梓「……」

 なんでもありません、と上擦った声で答えてから、私は唯先輩の足を押さえた。

梓「……さあ、どうぞ」

唯「よーし……」

梓「……」

唯「……っ!!」

梓「唯先輩」

唯「……」

梓「早く腹筋してください」

唯「わ、わかってるよぅ」

梓「……」

唯「……っ!!」

梓「……あの、先輩?」

唯「できない……」

梓「……」

 え?

 まじで?


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最終更新:2010年07月27日 21:03