紬「えっ……な、なんでそれを……」

唯「風の噂で聞いたんだー」

澪「へえ、そうなのか? ムギ」

紬「え……ま、まあ……そうね……」

唯「最近早く帰ると思ったらバイトしてたんだね~」

梓「なんのバイトしてるんですか?」

紬「えーっと……ファ、ファーストフードのお店で」

律「へー、どこのお店? 行くから教えてよ」

紬「え、そ、それはちょっと……」

律「何だよ、教えてくれたっていいじゃん」

紬「えーっとそのー……まだ慣れてないから、恥ずかしいっていうか……」

律「ふうん……?」

紬「実は今日も、これからバイトなの」

澪「あ、そうなん?」

紬「だから、今日はもう帰るわね……」

律「おう、また明日な」

唯「バイトか~、いいなー。楽しそう」

澪「おいおい、遊びじゃないぞバイトは」

唯「それは分かってるよ。
  働く楽しさってのもあるじゃん」

梓「まさか唯先輩の口からそんな言葉を聞くとは」

唯「ねー、バイトって楽しいんでしょ、ムギちゃん」

紬「ええ……そうね、とても楽しいわ。
  じゃあね」
ガチャバタン


紬「はあ……」

バイトの前はいつも気分が重くなる。
楽しいだなんてのは大嘘だ。
私だって始める前は楽しいと思っていた。
でも。

バイト先への道をとぼとぼと歩く。
行きたくなんてないのだが
足は私を勝手に目的地へと運んで行ってしまう。
やがて私の勤務先、
マックスバーガーが見えてくる。



店の裏側に周り、
スタッフ用の勝手口から中に入ろうとすると
ゴミ出しをしている店員と出会った。

紬「こんにちは」

店員「…………」

紬「……」

挨拶は返ってこない。
わかりきっていたことだが
だからと言って挨拶をしないわけにもいかない。



更衣室。

店員「でさー」

店員「あはははは」

紬「こ……こんにちは」

店員「ちょーうけるー」

店員「マヂ爆笑ー」

紬「……」

店員「……あれ?
    なんであんた今日来てんの?
    シフトはいってた?」

紬「え、あ……
  豊崎さんに今日のバイト代わって、って頼まれて……」

店員「マジかよ。断れよな、ったく……」

店員「あーこいつと一緒かー。ついてねー」

紬「……」


店員たちの悪態を聞きながら制服に着替える。
初めてこの制服に袖を通したときは、
違う自分になれた気がして嬉しかったものだが……
それは違う自分なんかじゃなくて
ただの自分を違う角度から見ただけだったってことに
気付いたのは最近になってからだった。

着替えを終え、店に出る。
前のシフトに入っていたレジの人に交代を告げる。

紬「あの、もう交代です」

店員「……ああ」

紬「……」

レジに立つ。
これからが本当の地獄なのだ。



時は夕飯前。
客が少ないのが唯一の救いか。

紬「い、いらっしゃいませー」

客が3人入ってくる。
近所の中学校の制服を着ていた。
3人は私のいるレジへと一直線に向かってくる。
彼らが近づくにつれ、
私の心臓は妙に高鳴ってくる。
もう何度も何度も経験してきたはずのシチュエーションなのに
何時まで経っても慣れないのはなぜだろう。



中学生「あー、ポテトのXLとー、
     マックスシェイク3つとー、
     あとチキンナゲット」

紬「かしこまりました、
  ご注文繰り返させていただきます……」

ああ、何時間も店に居座ってモンハンする気だな、と直感で悟った。
それを注意する役目は私に回ってくる。
かんべんして欲しい。



紬「お待たせいたしました、
  ポテトXLとマックスシェイク3つ、チキンナゲットになります」

中学生「あれ?
     マックスシェイク、バニラ頼んだんすけど」

紬「えっ? あ、申し訳ございません……
  少々お待ち下さい……」

店員「……」

店員「……」

超初歩的なミス。
またやってしまった。
他の店員はもう私に対して何も言わない。
ただ冷ややかな視線をチラリと投げてくるだけだ。


紬「お待たせいたしました……
  マックスシェイクのバニラでございます。
  大変失礼をして申し訳ございませんでした」

中学生「はァ」

中学生「早く食おうぜ」

中学生「おう」

3人が開いた席へ向かう。
その背中を見送っていると
隣の店員が私に話しかけてきた。

店員「謝るのだけは一人前だね」

紬「……すみません」

店員「また謝った。謝んの趣味なの? ねえ。
    正社員になって本社でクレーム対応係でもやれば?
    きっと似合うよ~」

紬「……」

みんなが私を空気のように扱う中、
この人だけはいつも私に嫌味を飛ばしてくる。


ちなみにこの人は私の教育係だった人だ。
初めの頃は親身になって教えてくれていたのだが、
研修期間が終わっても私が仕事を覚えられず失敗ばかりしていたため
だんだんと愛想をつかされ、完全に嫌われてしまった。
私はその時、人が人を嫌いになっていく過程を初めて目の当たりにした。

また私が一人前にならなかったのは教育係の責任だと
店長に怒られていた……というのを他の店員から聞いた。
おそらく嘘、というか嘘であって欲しい。
私だけが叱られるならいいが、
他人にまで被害が及ぶのは心苦しい。

また別の客がやってきた。

紬「い、いらっしゃいませー」

客「ネギバーガーのセット下さい」

紬「はい、かしこまりました……」

私はもう研修期間を終えて、
形の上では一人前のアルバイトということになっているのだ。
もはや初心者だからという免罪符は通用しない。
失敗をしないように、
失敗をしないように、
それだけを頭において仕事をする。


その後数時間は、特に失敗は起こさなかった。
まあ失敗しないのが当たり前なのだろうが。

店員「ねえ、あそこの中学生注意してきて」

紬「えっ……はい」

私の予想は当たっていた。
さっきの3人の中学生は
注文した商品を全て食べ終えたにも関わらず
いまだ店内に居座ってモンハンに興じている。

店員「ホラ早く」

紬「わ、分かりました……」



中学生「おいお前ーひとりで逃げんなよー」

中学生「いーじゃねーかよこれぜってーかてねーべ」

紬「あのー」

中学生「まじありえねー」

中学生「あやうくPSP叩き割るとこだったわー」

紬「お客様……大変申し訳ございませんが……」

中学生「ん? なんすか?」

紬「他のお客様のご迷惑になりますので……」

中学生「あー、サーセン。お前が騒ぐから怒られちまったじゃねーか」

中学生「サーセン、しずかにしやーす」

紬「あーいや、そうじゃなく……」

3人はまたモンハンに戻ってしまった。
どうにもできずレジのほうに振り向くと、
店員たちがニヤニヤ笑いながらこっちを見ていた……ように見えた。



ニヤニヤしていたとしてもおかしくはない。
困り果てる私の姿を見て楽しんでいるのは確かなのだから。
このバイトで他の店員たちに色々な嫌がらせを受けたが、
これがもっとも精神的にきつい。
客に対して「帰れ」なんて言えるわけがない。
しかしこのままレジに戻るわけにも行かない。

紬「あの……お客様」

中学生「まだなにか?」

紬「いえ、あの……
  お食事がもうお済みなのでしたら……
  その……」

中学生「?」

紬「ご退席……いただけると……」

中学生「え、帰れってことすか?」

紬「大変申し訳ございませんが……
  そうしていただけると」

中学生「いいじゃないすか、空いてんだから」

紬「それはそうなんですけども……」

レジで店員たちが笑いを必死にこらえているのが目に浮かぶ。


私は諦めてレジに戻った。

店員「ちょっと、何やってんの?
    帰らせてきてって言ったよね?」

紬「す……すみません」

店員「はぁ、もういいよ。
    時間だからとっとと上がっていいよ」

紬「あ、はい……お疲れ様です」

店員「はいはい」

店員「あ、琴吹さん、ちょっといい?」

紬「……なんですか?」

こうやって優しい声をかけられるのは
なにか面倒なことを言われる時だ。
しかしそれに応じないわけにはいかない。
仕事をする場において仕事のできない人間は
ヒエラルキーの最下層に位置するのだから。



店員「実はさー、明日ちょっと予定はいっちゃってー。
    バイト代わって欲しいんだよねー。いいかな。いいよね」

紬「……はい、いいですよ」

店員「やったー、ありがとー。
    琴吹さんってやっさしーよね」

紬「いやそんなことないですよ……」

また明日もバイトになってしまった。
これでもう78連勤だ。
そろそろ休みを欲しい。

更衣室に戻ると無人だった。
誰も来ないうちに、さっさと着替えて
私は逃げるように店から出た。



翌日、放課後。

澪「さて、学園祭も近いし下校時刻までみっちり練習するぞ」

紬「ごめんなさい、今日私バイトなの」

律「あれ、そうなんだ」

澪「じゃあ明日は空いてるか?」

紬「明日も多分バイトかも」

澪「多分ってなんだよ」

律「シフトが不安定なんじゃない?」

紬「あ、うん、そうなのよ……
  最近ちょっとね、なんか新しくサービス始まって、うん、
  それで忙しいから」

澪「ふーん」


梓「確かにファーストフードっていっつも忙しそうですよね」

律「そうか?」

唯「すごいねムギちゃん、働く女って感じ!」

澪「そうか?」

唯「ムギちゃんが働いてるとこ見たいなー」

紬「……それはちょっと」

唯「そうだ、ムギちゃんをこっそり尾行して、
  アルバイトしてるとこ突き止めようよ」

澪「本人の前で尾行するとかいうなよ」

紬「あ、あはは……」

恐らく冗談で言ってるのだろうが、
この人たちなら本当にやってしまいそうだから怖い。

私はみんなとの会話を切り上げて、
後ろに注意しながらバイト先へ向かった。



マックスバーガー。
更衣室では3人のアルバイターが喋っていた。
私が入った瞬間、会話がやみ、
3人は私に視線を投げかけてくる。

紬「……こんにちは」

豊崎「あ、琴吹さん。
    昨日ごめんねー、急にバイト変わってもらっちゃってー」

紬「いえ……いいんです、気にしないでください」

豊崎「いやーでもー気にするよー、
    もう何回も代わってもらってんだもーん」

佐藤「いやいや、こいつまだ仕事全然出来ないんだから、
    一日でも多く出勤したほうがいいんだよ」

日笠「そうそう。代わってもらってるっていうか、
    琴吹さんのために代わってあげてるって感じ?」

豊崎「あーそれもそうだねー。
    じゃあこれからもガンガン代わってあげたほうがいいね。
    ね、琴吹さん?」

紬「はい……ありがとうございます」


日笠「そうだ、みんなにも言っとこうよ。
    なるべく琴吹さんにバイト代わってあげるようにして、って」

佐藤「それいいねー、良かったね琴吹さん」

紬「はい……」

豊崎「あっ、そういえば私、
    先月分のバイト代まだもらってないんだけど」

紬「あ、はい……
  2万4000円でしたっけ」

豊崎「そうそう、早くよこしなよ」

交代してあげた……いや、交代させてもらった分のバイト代は
こうやって本人に渡さねばならないことになっている。
だからいくら出勤したところで
私は私のシフト分しか稼ぐことは出来ない。

紬「はい、どうぞ」

豊崎「サンキュー」

現金を見てニヤニヤしている3人を横目に更衣室を出て
憂鬱な気分で仕事に入る。



今日も客は少なかった。
レジでただ立っているだけの
手持ち無沙汰な時間は居心地が悪いから嫌だ。
かと言って客に来られるのが良いかといえばそうでもないのだが。

一人で脳内しりとりをしていると
店長が話しかけてきた。

店長「ちょっといいかな、琴吹さん」

紬「なんですか?」

店長「いや……ちょっとこっち来て」

その手招きに従うまま店長についていった。
行き着いた先は事務室だった。



店長が椅子に腰掛けた。
私は立ったまま、店長の言葉を待つ。
わざわざ事務所で二人きりになるということは
なにか重大な話をするつもりなのだろう。
思い当たるフシは山のようにあった。

10秒ほどの沈黙ののち、
店長は大きなため息をついて
言葉を発した。

店長「えっとねえ、琴吹さん。
    他の店員から聞いたんだけども」

紬「な、なんでしょうか」

店長「君さあ、昨日、お客様に向かって
    『帰ってくれ』って言ったそうじゃない?」

紬「えっ……そ、それはその」

これか。
もっとも弁解がしにくく、
謝っても許してもらえそうにないネタだ。
冷や汗が頬を伝う。


店長「何?」

紬「えっと……お客様が、お食事をお済ませになっても
  何時間も店内におられたので……それで……」

店長「まあそういうのが鬱陶しいのは分かるけどさあ、
    こっちは客商売なんだよ。わかる?
    どこの世界に客に面と向かって『帰れ』なんていう
    店が存在するんだよ。ええ?」

紬「はい……」

店長「まったくもう……なんで君はこう、
    いっつも言われるまで仕事しないクセに、
    こういう無駄なことだけは積極的にやるかなあ?」

紬「いえ、その……
  これは頼まれてやったことで……」

店員「はあ? 君が来る前に他の店員に聞いたけど、
    みんな琴吹さんが勝手にやったことだって言ってたよ?
    なんでそういうくだらない嘘つくの?」

紬「……」

店長「素直に自分の非を認めなよ。
    ていうか君、まだ一回も謝ってないよね」

紬「……申し訳ございません」

店長「今さら謝っても遅いよ。
    だいたい謝るべきは僕じゃなくてお客様相手にでしょ」

紬「……すみません」

店長「あー、もういいよ。
    なんていうか君さあ、この仕事向いてないんじゃないの?
    そろそろ自分にあった仕事探せば?」

紬「……」


店長「はーあ、だんまりか。
    もういいからとっとと店に戻りなよ」

紬「はい……」

店長「あ、今度こういうことがあったら首も覚悟しといてね」

紬「……はい」



今度やったら首。
もういっそ首になってしまった方が楽かもしれない。
こんなつらいバイトから開放されるのなら……
と考えながら、
私はレジに戻った。


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最終更新:2010年05月01日 21:58