唯「りっちゃん、ようやく退院だねぇ」
梓「一時はどうなることかと思いましたけど、大事に至らなくてよかったです」
あの廃工場での出来事の後。律は近くの病院へと運び込まれ、緊急手術の末、一命を取り留
めた。 傷跡は残るそうだが、後遺症などの心配はないらしい。
梓「でも案外元気そうでよかったです。お見舞いの時もいつもの律先輩のノリでしたし」
唯「ムギちゃんもお見舞いに来ればよかったのに~」
紬「うん……でもやっぱり合わせる顔がないし……」
律が入院して以来、ムギは一度も病室には顔を見せていない。
澪「じゃあ律を迎えにいこうか、唯、梓。花束は持ったか?」
唯「ばっちりだよ~」
梓「……ムギ先輩、今日も会いにいかないんですか?」
紬「うん……私はいいの。りっちゃんによろしく言っておいて」
澪「……行こう、唯、梓。私は他に持ってくものがあるから、先に向かっててくれ」
唯「……りょ~かい。じゃあ行こう、あずにゃん」
梓「え、えぇ……」
唯と梓が出ていき、静寂が音楽室を支配する。
澪「……ムギ」
ムギが気まずそうに顔を伏せる。
澪「私、今日もう一度、律に告白する」
紬「……っ!」
ムギは肩をびくりと震わせただけで、顔を上げることはなかった。
澪「私は律が好きだから。……ムギはどうなの?」
紬「わたし、は……」
少しの間、答えを待ったが、返ってくることはなかった。
唯「あれぇ、りっちゃん、いないよぉ?」
昨日まで律が寝ていたベッドはもぬけの殻だった。
梓「どこへ行ったんでしょう?」
澪「まったく……じっとしてるってことを知らないのか、あいつは。
とにかく手分けして探そう。唯と梓は看護士さんに心当たりあるか訊いてきて」
唯「うん~」
梓「分かりました」
唯と梓がナースステーションへと向かう。
二人にはああ言ったが、律のいそうな場所なら大体見当がついている。
階段を上へ上へと上り、屋上へと続く扉を潜り、青空の下へと出る。
澪「律」
律「……澪」
悪戯が見つかった子供のようにばつの悪い笑みを浮かべる律。
澪「何してんだよ、こんなとこで。さ、早く家へ帰るぞ。退院だろ、今日」
律「いや、そうなんだけど、さぁ」
澪「……ムギなら今日も来ないぞ」
律「……そ、か……。そうだよなぁ、私、ムギに嫌われてるもんなぁ」
無理矢理笑顔を作り、おどけたように言葉を紡ぐ律。
あまりにも痛々しくてとても見ていられない。
律「いや~、入院中も一度も顔、合わせなかったし、こりゃ本格的に愛想尽かされたかな、
っはは」
澪「……あいつが会いに来ないんなら、そっちから会いにいけばいいだろ」
律「………………」
澪「好きなんだろ、ムギのことが。だったら会いにいけばいいじゃないか」
律「だけど、私はムギに嫌われて……」
澪「ムギがお前を嫌ってるわけないだろう!?」
律「だけど……」
澪「お前のムギに対する想いはそんなもんなのか?」
律「……怖いんだ」
澪「なに……?」
律「怖いんだよ! またあの時みたいに拒絶されるかと思うと、怖いんだ。
どうしようもなく怖いんだよ……!」
澪「あの時、ムギを守るために、鉄砲の前に立ち塞がった時の勢いはどうしたんだよ!?」
律「それ、は……」
澪「守るって約束したんだろ? 守りたいって思ったんだろ!?」
律「………………」
澪「だったらこんなところでうじうじ悩んでないで、会いに行きなよ」
律「澪……」
澪「らしくないよ、バカ律」
律「……はは、なんだよバカって。ひっでーなぁ」
澪「ここまで言われなきゃ気付かないんだ。バカって言われても仕方ないだろ」
律「澪……ありがとう!」
澪「礼なんていいから、さっさと行く」
律が駆け出す。
足音が遠ざかるのを確かめてから、手摺りにもたれかかり、空を仰ぐ。
空はどこまでも蒼かった。
澪「こんな天気のいい日に失恋、か……」
ひどく泣きたい気分だ。
だけど今ここで泣いたら、律は私を守るために飛んでくるだろう。
小さい頃からそうだった。
気休めにお気に入りの歌なんかを口ずさんでみる。
澪「二人がすれ違い、離れるとき、涙は溢れてとまらないだろう。
神様お願い。僕にピストルをくれよ。胸の中、奥の方、ブルーを撃ち抜くから。」
だからもう泣けない。あいつには他に守るべき大切なものが出来たから。
だからもう泣かない。あいつを守るって誓ったから。
だからあいつの心を守るために、もう泣かないと決めた。
澪「どれだけ近くに寄り添えたら、『ふたつ』で『ひとつ』になれるのかなあ?
神様お願い。手錠をかけてくれよ。何時迄も、僕等が繋がっていられるように。」
私達は『ひとつ』になれなかった。
神様は微笑まなかった。
手錠で繋がれた先にいるのは私じゃなかった。
澪「どれだけ欠落を埋めあっても、二人は別のcreatureのままだろう。
神様お願い。僕にピストルをくれよ。胸の中、奥の方、ブルーを撃ち抜くから。」
今、この手にピストルがあっても私は胸の中のブルー(切なさ)を撃ち抜くことはないだろ
う。
この傷も。
この切なさも。
この思い出も。
全てあいつを愛した証なのだから。
澪「二人が求め合い、同じ星で出会ったことすら奇跡なんだろう
神様お願い。手錠をかけてくれよ。何時迄も、僕等が繋がっていられるように。」
だからこの奇跡に感謝する。
あいつが求め合う誰かを見つけられたこの奇跡に。
唯「みおちゃん」
梓「澪先輩」
澪「……ん、唯に梓か。律ならもう行ってしまったよ」
唯「うん、だからね……」
唯が私のすぐ傍まで歩み寄ってきた。
唯「泣いて、いいんだよ」
梓「律先輩はもう行ってしまったから、今なら泣き声は聞こえません」
澪「な、にを……」
唯「みおちゃんは泣いていいんだよ。また明日からいっぱい笑えるように、今日はいっぱい泣
こう?」
澪「でも……」
もう泣かないって決めた。私の涙を受け止めてくれる人はいなくなってしまったから。
唯「みおちゃん。わたしね、みおちゃんにはほんとーに感謝してるんだぁ」
澪「………………」
唯「いつもバカばっかりやってるわたし達を叱ってくれて、引っ張ってってくれて。
だからね?」
柔らかな笑みを浮かべて、唯が大きく両腕を広げた。
唯「こんな時ぐらい頼ってほしいな。……友達なんだから」
澪「ゆ、い……。う……ぅ……」
唯の胸の中に飛び込む。
震える私の肩を唯と梓が優しく抱きとめてくれた。
澪「う、うわああぁぁぁあぁん……り、つ……りつぅ……!
うっ、うぅ……りつぅぅ!」
さようなら、私の初恋。
……
桜高へと続く道を走る。
病み上がりの身体ではちときついけど、そんなものはお構いなしにひた走る。
「はっ、はっ、ぁ、はぁっ……!」
心に降り続けていた雨はいつしか止んで、目に映る風景全てが輝いていた。
「はぁ、はぁ、っはぁ……!」
校門を潜り、もどかしい気持ちを抑えて上履きに履き替え、音楽室を目指す。
ムギが何処にいるかなんて分からなかった。
だけどあいつは部室にいる。
そんな妙な確信が私の中にあった。
走る。
走る。
走る───。
迷路の出口はもう目の前だ。
「はっ、あぁ、はあぁ、はぁっ……!」
呼吸を整えるのももどかしく、勢いよく音楽室に飛び込む。
「っ!? りっちゃん!?」
「はは……やっぱり、ここに、いた……」
「………………!」
「待ってよ、ムギ!」
逃げようとするムギの前に立ちはだかる。
「あの時……」
呼吸を整える。
だけどどれだけ息を吸っても胸の鼓動は収まってくれなかった。
「伝えたいことがあるって言ったよな」
「だめ! それ以上、言っちゃあ……」
「ムギ、私は……」
「嫌い!」
「私は……」
「嫌い、嫌い……! りっちゃんなんか大っ嫌い!」
心とは裏腹な言葉が口を衝いて出る。
「どう、してぇ……? だめって言ったのに……。
なんであんな危ないめにあってまで、わたしなんかを、守ろうとするの……!?」
嬉しかった。守ってくれて。
だけど私といる限り、この人は自分の身を省みず、私を守ろうとするだろう。
怖かった。彼女が傷付くのが。
だから遠ざける。自分の気持ちに嘘を吐いてでも。きっとそれがお互いのためなのだ。
「きらい……きらいよ……りっちゃん、なんか……」
「私は大好きだから」
「りっちゃんなんか……き……」
「私はムギが大好きだから。……だから、守るよ。
守りたい。ムギを傷付けるものから。ムギを傷付ける嘘から」
「…………なんか……だ……き……」
「だから教えて? ムギの、正直な気持ち」
「………………」
「ムギ?」
りっちゃんの両手が私の頬に差し伸べられる。
溢れ出す涙を全て拭い去るように。
「………………」
「ムギ」
りっちゃんが私の額に口付ける。
大切な宝物に触れるように。
「……き……」
「ムギ?」
「好、き……! りっちゃんなんか……そうやって、そんな言葉で……
私の心、を、守ってくれるりっちゃんが……大好きぃ……!!」
「うわ……っ!」
勢い余ってりっちゃんを押し倒す。
溢れる気持ちが止められない。
りっちゃんへの好きが止まらなかった。
求め合うように唇を重ねる。
一つになれた気がした。
強がりとか建前とかそういった余分が溶けてなくなっていくのを感じる。
「……ムギ、激しすぎ……むぐ……」
ただこの一瞬を永遠にしたくて、心に刻み込むように何度も何度も口付けをする。
未来のことなんて分からない。
だけどこの想いがあれば。
大切な人さえ隣にいてくれれば。
私達は永遠にだってなれる気がした。
あの時振り払ってしまった手を今はしっかりとつなぐ。
「もう、離さないでね、りっちゃん」
fin.
最終更新:2010年05月02日 18:14