最初にきっかけを作ったのは律のこの一言だった。
律「はぁ~……最近飽きてきたなぁ」
澪「また唐突だな。一応聞いてやるが、飽きてきた……って何にだよ?」
律「何って……私たちのやってる音楽に?」
澪「なっ!!」
梓「り、律先輩の口からそんな言葉が出るなんて……」
紬「た、退部フラグ!?」
唯「早まっちゃだめだよ! りっちゃん!」
律の突然の言葉に一同が驚くのは無理もなかった。
しかし、律にとって最近のHTTの音楽性にマンネリがあるような気がするのもまた事実だった。
律「思うんだけどさぁ、『ふわふわ時間』も『カレーのちライス』も……私たちの曲はみんな爽やかな感じばっかりじゃないか?
だからもっと違う感じのもやりたいと思ってさぁ」
澪「それはつまり……私の書いた歌詞に不満があるのか!?」
律「いや……(不満というか……恥ずかしい?)」
紬「それとも私の作曲に不満が……?」
律「そういうわけじゃないんだ」
律「ただ私たち、HTTでこれからも長く一緒にやっていくならたまには刺激になるような曲を演奏してマンネリを打破するのも必要かなーと」
梓「具体的にはどんな音楽がやりたいんですか?」
律「うーん……激しいパンクとかメタルとか?」
唯「パンクならよくするよ。うちの自転車!」
律「(無視)なぁ、澪にムギはどう思う?」
澪「パンクはともかく……さわ子先生がやってたみたいな怖いメタルは嫌だぞ!!」
紬「でもりっちゃんの言うことにも一理あるわね。たまにはちょっと違った曲を演奏するのもいいかも」
さわ子「そういう話なら任せて!!」
律「また、どっから沸いて出たんだこの人は」
さわ子「みんなの新しい音楽性に参考になるようなCD一杯持ってきたわ!」
澪「いや、別に音楽性を変えると決まったわけじゃ……」
さわ子「ほーら! こんなにどっさり!」
紬「これまた……たくさんありますね……」
梓「しかも全部ヘヴィメタルのCDですね」
唯「どれもジャケットに怖い絵が描いてあるね~」
澪「ヒ、ヒイッ!! だから私は嫌だって……」
律「相変わらず澪はビビりだなぁ」
さわ子「そうよ澪ちゃん、いつまでもそんなこと言ってていいの?」
澪「だって……」
さわ子「このまま新しい世界を知らずにいたら、貴方はきっと一生夢見がちの背筋凍りまくりメルヘンリリックしか書けないダメ作家志望みたいになっちゃうわよ?」
澪「そ、そんな言い方は……」
律「まぁまぁ、せっかくさわちゃんが珍しく顧問らしく私たちに協力してくれるっていうんだから、
今日は皆でこの中から数枚持って帰って家で聴いてみようよ」
さわ子「珍しくとは失礼な」
梓「別にヘビメタをやれっていうんじゃなくて……
この中からHTTの曲にいかせそうな要素を少しでも見つけられれば、ってことですよね?」
律「そうそう、梓は理解が早くて助かるなー」
紬「それなら私はこの『ドリーム・シアター』さんのCDを持っていくわ♪」
梓「じゃあ私は『アイアン・メイデン』にします。聴いたことなかったんですよね今まで」
律「私はやっぱりドラムが凄そうなのがいいなぁ……。この『ドラゴンフォース』っていうの聴いてみるか」
澪「わ、私は別にいいからな!」
唯「それなら私は……この『まいはむ』っていうのと『ぶるずむ』っていうのと『えむぺれ』っていうの、借りてみよーっと」
梓「唯先輩……多分それ、読み方間違ってますよ。『まいはむ』じゃなくてメイヘ……」
唯「いいんだよ、あずにゃん。そんなのどっちでも」
さわ子「うーん、唯ちゃんに英語のバンド名は難しかったかしらねー」
律「じゃあ明日までに最低一枚は聴いて各自感想を要素を報告ってことで」
澪「私は持って帰らない! 断固メタルなんか聴かないぞ!!」
そんなこんなで澪以外の4人は各自がさわ子から借りたメタルのCDを持って帰った。
そして、翌日――。
紬「ドリーム・シアター、キーボードの演奏が凄く素晴らしかったわ~。私もさすがにあんな演奏は無理ね~」
梓「アイアン・メイデン、ギター演奏の参考になりましたよ。ツイン・リードがいい感じでした!」
律「ドラゴンフォースみたいに速くツーバス叩けたら、カッコイイだろうな~」
澪「わ、私は絶対メタルなんて聴かないぞっ!!」
律「まだ言ってんのかよ澪は……。それにしても唯のやつ、遅いな~」
すると、部室のドアが空き、最後の一人が入ってきた。
その一人の姿を視界に入れた瞬間、澪の顔色が急変した。
澪「ギャーーーーーーーーーッ!!」
律「ど、どうした澪!! って、うわッ!!」
梓「ヒ、ヒイッ……!」
紬「あら、唯ちゃん」
唯「みんな~やっほ~」
入ってきたのは唯だったが、明らかに様子がおかしい。
なぜか唯は顔面を白く塗りたぐり、目元にはパンダのような真っ黒いアイラインを引いていた。
澪「…………」
律「(澪のやつ……気絶してら)どうしたんだ唯、その顔?」
唯「えー? なんか変?」
梓「変に決まってます!! なんですかそのメイク!!」
紬「パンダみたいになっているわよ?」
唯「うーんと、これはねー。昨日借りたCDの歌詞カードに載ってたバンドの人の写真を見よう見まねで」
律「はぁ?」
聞けば、何と唯は昨日さわ子に借りたCDに影響されてこのような珍妙なメイクを試してみたという。
律「ったく。影響されやすいやつだな」
梓「確かに形から入るのは上達の近道ではありますけどね」
紬「それにしても唯ちゃん、いったい何を聴いてそんなに影響されたの?」
唯「うーんとね、さわちゃん先生に借りたCD……ブラックメタルっていうジャンルのやつ」
梓「ブラックメタルですか……初めて聞くジャンル名ですね」
律「で、そのなんちゃらメタルとそのパンダメイクの、いったい何が関係あるんだよ」
唯「んっとね、これは『こーぷすぺいんと』って言って……あれ、なんだっけ?」
律「わかんないのかよ!」
紬「自分でもよくわからないまま、影響されちゃったのね」
唯「とにかくすっごくいいんだよ~? みんなも聴いてみてよ~」
律「聴くのはいいけど、そのメイクはないよな。動物園じゃあるまいし」
唯「これを聴けば、キリスト教なんていかに愚かでクソッタレな存在かよくわかるよ~」
律梓紬「は?」
唯「とりあえず今日はりっちゃんに貸すよ~」
律「あー、わかったわかった。今日持って帰って聴くから。そんなに押し付けるなって」
そんなこんなで唯に押しつけられたブラックメタルのCDを持って帰った律であった。
しかし、そんな唯の様子を訝しむ人間が二人。
梓「(でも唯先輩、キリスト教がなんとかって、どうしていきなりあんなことを……)」
紬「(この前までは仏教とキリスト教の区別もついていなかったのに……)」
梓紬「(不安……)」
梓と紬の不安は正しかった。
さわ子が唯に貸した3枚のCD、これがまったりとしたピースフルな場であった軽音部の、
奈落の底への崩壊へのきっかけとなったことを、この時の5人はまだ知らなかった。
澪「(っていうか私、気絶したまま放置かよ……)」
軽音部の崩壊はいかにして始まったか?
後年、期せずして彼女たちHTTの運命を左右するきっかけを作ることとなった恩師、
山中さわ子はこう語った。
さわ子「若い頃は誰だって影響は受けやすいもの。そしてやたらと世の中の権威へ反抗をしたくなる……。
そう言う意味では私もそんな若者の一人で、メイクしておどおどろしい格好をして激しい音楽をやっていたわ。
でも……彼女達はちょっと『本気』になりすぎたのかもしれないわね」
唯にCDを借りた翌日、あろうことか律までもが顔面を白く塗りたぐって音楽室に現れた。
顔全体を白く、目の周りだけを白く塗りたぐるコープスペイント――。
体温を失った死者の顔を摸したブラックメタル特有のメイクであった。
澪「ギョヘーーーーーッ!!」
梓「ああっ! また澪先輩が気絶した!」
紬「り、りっちゃんまで影響されてしまったのね……」
律「おい、唯。お前に借りたこのCD最高だったぜ!!」
唯「さすがりっちゃん隊員はよくわかってるね~」
律「今日から私たち、立派なアンチクライストだぜ!!」
唯「あんちくらいすと~」
そして、唯と律に押しつけられたCDによって、紬と梓もまた同様にブラックメタルに感化されるのには、さほどの時間はかからなかった。
律「とにかく何でもいいから刺激がほしかったんだ。
勿論、毎日皆とお茶を飲んで楽しくやってる毎日に不満があったわけじゃないさ。
ほんのちょっとの刺激で良かった。それが、唯のせいでまさかここまで影響されるだなんてなぁ」
紬「あの頃の私たちはあらかじめ決められたルールと敷かれたレールの上で生きていた。
特に私は、生まれた家柄もあってそれが顕著だったの。
だからこそ、あまりに社会の規範や常識から『逸脱した』あの音は私にとって魅力的だったのかもしれないわ」
そして、この頃から5人中4人がコープスペイントを施した放課後ティータイムの音楽性には明確な変化が生まれた。
梓「(ギャギャギャギャギャギャ……ッ!!)」
ギターはソロを弾くことを放棄し、ただひたすらに重くノイジーで陰鬱なリフを刻むことに終始した。
律「(ドドドドドドドドドドドドドドドド……)」
ドラムはツーバス連打に開眼して工事現場のような重低音を刻み、手数もそれに比例するように増え、まるでドラムマシーンの様相を呈した。
紬「(ボワーーーーーーーーーーン)」
キーボードは音数の多いメロディを奏でることを捨て、静謐かつ陰鬱かつ神秘的な、聴いているだけで自殺したくなるような旋律を奏で始めた。
唯「ボワアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!」」
ボーカルは金切声と絶叫に終始し、歌にならない歌をマイクにがなりまくっていた。
そして、そんな悪魔の音楽を演奏し始めたHTTで浮いている存在が一人。
澪「ヒ、ヒイッ! みんな……どうしたっていうんだよぅ……」
元来の怖がり屋であった澪は、ブラックメタルなどという恐ろしい音楽に到底適合できることなどなく、
楽器を持てば悪魔の叫びのような演奏を繰り広げ、
それ以外の時間でもひたすらに常軌を逸した行動に終始するメンバーについていくことなどできなかった。
ある日、澪が大事そうに小さな猫を抱いている後輩に声をかけてみれば、
澪「梓……またクラスメートの子に猫を預かったのか?」
梓「ええ。もっとも、もう死んじゃってるんですけどね」
澪「えっ……」
梓「あははっ。正確に言えば死んじゃってるんじゃなくて……私が殺したんです」
澪「ど、どうしてそんなことを……」
梓「澪先輩、私はね、『死』という概念に魅せられて仕方ないんです。だから常に自分の傍に『死』を置いておきたくて仕方がない」
澪「あ、梓……」
ネコミミの似合う少女だったはずの梓は、いつの間にかネコの死体収集家になっていた。
ある日、喉が渇いたと感じ、澪がいつもの『彼女』に声をかけると、
澪「ムギ、お茶を淹れてくれないか?」
紬「はい、どうぞ」
澪「ん、なんか今日の紅茶は随分と色が濃いな(ゴクゴク)」
紬「ええ、蝙蝠の生き血をたっぷり混ぜましたから♪」
澪「オゲェーーーーーーーーーッ!!」
紬はとにかく動物の生き血を飲むことに執心していた。
また、ある日、幼馴染にドラムセットを新調したから見に来てほしいと頼まれて行ってみれば、
澪「な、なんでバスドラムの中に豚の生首が入ってるんだよ……!!」
律「あぁーん? イカスだろー。朝、市場に行って安値で譲ってもらえたんだ」
澪「オゲェーーーーーーーーーッ!!」
律は音楽室に『オブジェ』の名目で常に豚の生首を飾るようになった。
唯に至っては、
唯「サタン……悪魔の復興……キリスト……殺す殺す殺す……白人至上主義……ナチスの復権……ユダヤ人には無条件の死を……」
もはや、会話すら通じなかった。
澪「ダメだ……。こんな部活に……私はいられない……」
思い余った澪は退部すら考えた。
しかし、元々人付き合いの上手くない自分が今この軽音部を飛び出したら、自分は本当にぼっちになってしまうのではないかとの思いが頭をよぎる。
澪「…………」
澪「ダメだ……軽音部にいれなくなったら……私の存在価値は……」
澪「所詮タダの音楽だ。ちょっとだけ聴いて、感想なんか言って話を合わせれば4人も喰いついてくれるはず……」
そして、数日後――。
澪「りつー。教会放火しに行こうぜー」
コープスペイントを施した澪が灯油片手に音楽室へやってきた。
律「おおっ!! 澪もやっとわかってくれたか!!」
梓「さすが澪先輩です!」
紬「今日は蝙蝠の生き血ティーで乾杯ね♪」
唯「サタンの申し子が今日もここにまた一人……。だが我々の闘争はまだ終わらない……」
この澪の突然の心境の変化について、後年、彼女の幼馴染であった律はこう語った。
律「結局、あいつは唯に影響されたのさ。ブラックメタルの音楽性や悪魔主義に感銘を受けたわけじゃないよ。
ああ見えて澪は実はものすごく自己顕示欲の強いヤツなんだ。つまり、『唯に負けてはいられない』って思ったんだろうね。
唯と澪、あの二人のフロントマンが張り合い、互いを鼓舞し合うことが私たちの魅力のひとつではあったんだけどね」
こうして全員が悪魔主義者のブラックメタラーとなった軽音部。
その影響か、可愛い響きと内外で好評だった『放課後ティータイム』というバンド名も変更を余儀なくされた。
唯「『放課後インナーサークル』って名前はどうかな?」
律「インナーサークル?」
唯「うん。インナーサークルっていうのは、悪魔の旗のもとに思想を一にして、ブラックメタルを手段にして悪魔の教えを広めていく集団――つまり私たちのこと」
紬「いい名前だと思うわ~♪」
梓「バンドのロゴももっとグロテスクなものに変えましょう!」
唯「十字架を逆さまにしてその上でまったり悪魔がティータイムしてる感じのがいいね!」
澪「衣装も変えよう。さわ子先生に頼んで、棘とか山羊の頭とかをあしらったおどろおどろしいものにしてもらおう」
そして、過去に作った楽曲達もその装いを新たにする。
『ルシファー時間』
『カレーのち教会放火』
『私の恋は自殺願望』
『ふでペン肛門挿入』
エトセトラエトセトラ。
ともかく、こうして歴史に残るガールズ・ブラックメタル・バンド、放課後インナーサークルの活動が本格的にスタートであった。
最終更新:2010年05月03日 02:18