唯「澪ちゃんも、ムギちゃんも来ないね……」

律「そうだな……」

梓「わたし、ひどいことを言いました」

律「いや、私もなんであんなこと言い始めちゃったんだろ」

次の日、澪先輩が部室に来ました。
けど、先輩たちの話では、今日はムギ先輩は学校にも来なかったということでした。
そして、私は1週間ムギ先輩と顔を合わせることができませんでした。

律「ムギはさ、ほら、なんていうか。私たちのすることにいちいちビックリというか。嬉しそうというか。
  今までこんなことしたことなかったみたいな感じでさ。その私たちに、否定されちゃったら……」

澪「……私もどうかしてた」



それからまた1週間後、ムギ先輩は突然イギリスに留学してしまいました。

さわ子「もうすぐ受験もあるのに。みんなは何か聞いてない?」

誰も答えませんでした。その日は練習もせずに、みんな静かに帰りました。
家に帰り、私は涙を流しました。涙を流す自分が嫌でした。
ムギ先輩が出ていく原因を作ったのは自分なのに、どうして悲しむ資格があるのでしょう。
私は、頭がこんがらがって、一晩中悶えていました。

そうして、月日が過ぎ、先輩たちは進学。
私も大学生になっていました。


その後も、軽音部のみんなとは連絡を取り続け、クラブに遊びに行ったり、音を合わせたりしていました。
私たちは、10代の頃にはなかった遊び(お酒、夜通しのパーティ、ちょっとした恋愛etc)に夢中になりました。
でも、そこにはいつもムギ先輩の姿がありませんでした。
そのぽっかり空いたスキマを、私たちは興奮のるつぼの中に身を置くことで忘れようとしていたのかもしれません。
たとえ、一時限りでも。

唯「あずにゃん! 踊ろうよ~」

梓「はい!」


ある日、インディペンデントのレーベルから、私たちのバンドの音源を出さないかとオファーがありました。
もちろん、私たちは承諾しました。バンドをやる人間にとって、レコードが作れることは一つのゴールです。
私たちはそれまでに作り上げたいくらかの曲を選び、録音しました。

どうやらある人たちには快く受け入れられたらしく、私たちの音源はちょっとした話題になりました。
もちろん、ミリオンセールスを記録したとか、そういうレベルではなく、あくまでごく一部の評価でした。
けれど、インターネットを通じ、国内に限らず、世界からもレスポンスを得ることができました。

私たちは目を丸くしたあと、お互いに成功を喜びあい、また興奮しました。
同時に気がかりもありましたが。


澪先輩は高校時代に比べ、憂鬱な表情を浮かべることが多くなっていました。
唯先輩と比べると、影のある人でしたが、これほど内向的ではありませんでした。
楽曲のメインライターは澪先輩でしたが、その作風はかつてのように甘い、夢見がちなものではなく
孤独で、どこか冷たい印象を残すものになっていました。

梓「やっぱり、ムギ先輩のことがあったからでしょうか」

律「まぁ、そうなんだろうね。口には出さないけど、きっと私よりもずっと悔いてるはずだから」

唯先輩は相変わらず天真爛漫に見えましたが、きっと常にムギ先輩のことを考えていたと思います。
私たちのように。

唯先輩はギタリストというポジションでしたが、その音楽的嗜好は節操がありませんでした。
高校生のころは音楽よりも、ギターを弾くということに夢中になっていたようでしたが
今では、誰よりも音というものに敏感になり、バンドの中で一番レコードを持っていました。
そのコレクションはロックから、テクノ、レゲエ、現代音楽……などなど。

唯「ねえねえ、あずにゃん。コレ知ってる?」
これが最近の唯先輩の口癖でした。


梓「はいはい。今度はなんですか?」

唯「これね~こないだのクラブイベントで教えてもらったんだ~。なんかイギリスで流行ってるんだって~」

梓「へ~」

それはディジリドゥという民族楽器を使ったもので、第一印象はとにかく凶暴でした。
ぐわ~んぐわ~んとかビシバシとかドッカンドッカンとか、まるで怪獣の戦いのような音楽でした。

唯「ふん~ふふ~ん♪」

梓「なんか、こんな音を、昔よく部室で聞きましたね」

唯「そうだね~♪」


ある時、私たちのバンドが雑誌のインタビューを受けることになりました。
フロントマン(ウーマン?)の澪先輩、そして私の2人が答えました。
唯先輩はやりたがったのですが、レーベルからおしゃべりになるだけだと却下されました。

唯「うぅ。私だってしゃべりたいっ」

質問は大体、澪先輩のソングライティングについて、それからバンドの結成、バンドの目指すところとか。
結成の話は、ムギ先輩のことに触れないようにしました。

―それじゃあ、最近のバンドで気になるのはいる?

澪「えーーっと……私は古いものが好きなので……」

梓「あ、私、アレですね。なんか最近イギリスで流行ってるっていうテクノの」

―あぁ、タクアン・ツイン?


―今度アルバム出るらしいですよ。

梓「そうなんですか」

澪「知らないな」

梓「えっとですね、なんかこう……ゴワッゴワッ! みたいな?(笑)」

澪「ゴワッゴワッ?(笑)」

―そうそう(笑)。でも、今度のは全然違うらしいですよ。アンビエント志向とか。

梓「じゃあ、聞かなきゃまずいですね(笑)」

澪「あとで教えてね」

梓「はい」

―今日はありがとうございました。


その後、私たちは通算2枚目のアルバムを発表。以前よりも多くの人に聴かれ
いわゆる評論家の人たちにもまずまずの評価をいただきました。

律「別にそんなのはどうでもいいじゃん」

律先輩はそう言っていましたが、実はこっそりセールスをチェックしてる姿を度々目撃する
と広報担当の人から聞きました。

そして、ある日唯先輩が

「ねえねえ、あずにゃん、コレ知ってる~?」

とお決まりの文句を言って、あるアルバムを聴かせてくれました。

Takuan Twin『Selected Teatime Works』

ジャケットに大きなたくあんがプリントされていました。


それはどこまでも優しくて、人懐っこくて、そして寂しい音でした。
まるで突然この世に自分ひとりしかいなくなってしまった風景を想起するかと思えば
ウザくて、人に嫌がらせをすることしか考えてないのでは、という音もありました。

私たちはみんなで夢中になってこのアルバムを聴き、みんなでファンになっていました。
特に澪先輩は全員で初めて聴いたときは、涙さえ流していました。

それから、このタクアン・ツインという謎のアーティストの噂が少しずつ伝わってきました。


タクアン・ツインのタクアンは出鱈目なスペルである、とか。
両眉毛がたくあんだからタクアン・ツイン、とか。
イギリスはコールウォール出身のひきこもり、とか。
16歳まで自分の曲しか聴いたことがない、とか。
自家用車が戦車である、とか。
重度の神経症だ、とか。

どこまでが本当でどこまでが嘘かわからないものばかりでした。
また、ライブを見たことがある人がいても
「パンダの顔だった」
「9歳の幼女だった」
とか支離滅裂でした。


それからまた数年のあいだ、私たちはいくらかのアルバム製作と成功と中傷を経験しました。
一方、タクアン・ツインも『I Wear Because You Do』、『Bukimi.K.Oouutts Album』を発表。
またここで物議を醸し、前者のタイトルの意味は『普段は服を着ていないのだろう』と解釈されたり
後者は『間の“K”はドラッグの意味で、アシッドについてのアルバムである』とか。

ある時、私たちは大きな音楽フェスで、タクアン・ツインと同じ日のタイムテーブルで出演しました。
私たちはみんな興奮し、自分たちよりもはやく彼(?)のステージが見たくて仕方ありませんでした。

唯「はやく見たいよ~う」



―お疲れ様です。ステージ最高でした。

律「うん。あんがとっ。はい、じゃあ解散!」

―それはないでしょう(笑)。

律「なぁ~んだよ。はやく解放しろー!」

唯「そうだそうだー!」

―急いでしゃべるから(笑)。いつもとライブの雰囲気は違いましたか?

澪「えっと……蜂が」

―はち?

澪「野外だから……蜂が飛んでて……それがちょっと」

律「澪そんなこと考えてたの!?(笑)」

澪「なんだよう……」


この頃は澪先輩も段々以前の元気を取り戻していました。
それは曲にも反映されたようで、そのことをファンや評論家には
「大人になった」とか「優しくなった」とか言われるようです。
けれど、私たちは今でも高校生のときの、ムギ先輩にしてしまったことを抱えていました。
そのことが、私たちを結束し、また原動力になっていたのかもしれません。

―ところで、今日は噂のタクアン・ツインがこの後出ますね。

とインタビュアーが言いました。
私は以前から「タクアン・ツインとは誰なのか」と考えていました。
どうしてたくあんなのか。ときたまタイトルに現れる日本語はなぜなのか。
どうして、あそこまで過激なのか。あそこまで穏やかなのか。
どうして、ムギ先輩を思い出してしまうのか。

―今日は初めて顔出しかといわれますが。


唯「はやく見たいから、インタビューおしまいっ」

―で(笑)、タクアン・ツインみたいな音楽は放課後ティータイムには影響はありますか?

梓「え~っと……」

律「あー……」

澪「影響っていうか……なんだか、昔を思い出しちゃうんですよね」

唯「アレ? なんだっけ? なんだっけ? ジップロックみたいの」

―ノスタルジック?

唯「あ! それそれ! ノスタルジックですっ」


―タクアン・ツインの音楽には今言ったノスタルジー、子供時代への郷愁があります。
 “Children Chatting”という曲もあります。こうしたノスタルジーには共感しますか?

澪「……します。私たちも、高校生のころ部室でお茶してた感じというか……
  それを今も続けてる感じですかね」

―だから放課後ティータイム?

澪「……そうですねぇ」

唯「ってことはわたしたちって、まだ放課後の途中なんだねっ」

梓「まだ高校生ってことですか?」

―じゃあ、これで終了です。タクアン・ツイン観に行きましょう。


梓「まだ準備中ですね」

唯「よかった~間に合って~」

律「時間押してるみたいだな」

澪「うん」

唯「あっ! ライト点いた! 始まるよ!」


まず、聴こえてきたのはおしゃべりでした。

『今日は~放課後ティータイム見に来ました―』『暑いですっ。夏暑いですっ』
『えー今日はずっとヘヴンで酒飲んでます。酔っ払ってます』
『今日は家族で来ました。ねー。あ、この子3歳です』『……』『最高ー!』


ライトが灯り、ステージ全体の中央にあったのはノートPC。それと、たぶんサンプラーでした。
次に、ぞろぞろと恐らく10代の少女たちが登場。20人くらい。
そして、タクアン・ツインが現れました。
猫の着ぐるみ姿で。

「にゃー」

その第一声に観客たちは歓喜につつまれました。
それから猫は手に持っていたもの掲げ、見せつけます。ティーポットでした。

『コポコポコポコポコポコポ……』

タクアン・ツインはまずお茶いれました。
すぐさま今の音を取り込んで、ループさせます。

『コポッ コポポポポッ コポポポポポポポポポポ』

続けて地鳴りのようなブレイクビーツが重なり、観客は歓声をあげました。
ふわふわとした、ファニーでかわいらしい上モノが流れ、みんな踊りだしました。
お客さんも、ステージの女の子たちも、私たちも。


演奏中、タクアン・ツインは着ぐるみを決して取りませんでした。
ただひたすら、たぶん手元のPCのに映る波形を見つめ、時々サンプラーを叩きました。

「あれ、本物かなぁ」「本人はステージ裏にいたりしてなwww」
「あの猫wwwwwwなにwwwww」

お客さんは今まで通り正体不明のタクアン・ツインのステージに
それぞれが疑惑と期待と興奮を抱きながら、踊り続けました。


『うげえええええええええええええええええええええええええええ』

何曲目だったでしょうか。誰かの嘔吐でその曲は始まりました。

『飲み過ぎたっ『のみ『のみすぎっ『うげえええええ『飲み過ぎたっ』

ドラムのかわりに「ピチャッ ピチャッ」という音。
ひたすら繰り返される恐らく今日どこかで録音された誰かの嘔吐。
これには誰もが生理的嫌悪を抱いたはずでした。
しかし、私たちは興奮し、麻痺していました。
この最悪なダンストラックに合わせ、なおも私たちは踊りました。


30分以上遅れて始まったこのステージも1時間が経った頃
それまでに女の子、紅茶、猫、ガバ、ドリルンベース、嘔吐、ハードコアが
ない交ぜにされ、吐き出され続けた音楽が突然止まりました。

そして、始まったのはピアノの音でした。

いえ、ステージにピアノは見当たらないので、既に準備してあったものでしょう。

「あ、これなんか聴いたことあるねー」

そう漏らすお客さんがいました。
私たちの曲のメロディーだったのです。“ふわふわ時間”の歌メロでした。


「タクアン・ツインってさーリミックス頼まれてもやらないらしいよ」
「嫌いな曲だけ、リミックスするんだろ? 世の中からクソな曲を減らすためにwwww」
「タクアン、放課後ティータイム嫌いなんじゃねwwwwww」
「そうかなー」

ああ、ムギ先輩。今でも私たちを怨んでいるのですか。
これは私たちへの復讐なのですか。
私たちへのヘイト・コールなのですか。

タクアン・ツインがムギ先輩だと決まったわけではありません。
けれど、私は、そしてたぶん先輩たちも、タクアン・ツインをムギ先輩とみていました。

時々、猫の姿をしたタクアン・ツインは観客席側に手をふりました。


数分前までの曲が悪夢で、そこから目を覚ましたかのような安堵感のあるアンビエントに包まれ
この日のタクアン・ツインはステージを終えました。最後に

「にゃー」

と、開演と同じく鳴き声をあげ、スキップしながらバックへ消えて行きました。

終演後、お客さんたちは次のお目当てのステージへ移動を始め、人の数もまばらになっていきました。
私と先輩たちは数十分経っても、その場に立ち尽くしていました。


ステージでタクアン・ツインが放課後ティータイムを使用したためか
世間ではなにかと、この二つが比較されるようになりました。
ライバル意識はあるか、交流はあるのか、相互の影響は。
私たちは、今まで休みなしで続けたバンド活動に疲れ、お休みを取ることにしました。

一方、タクアン・ツインはいっそうペースをあげ、作品を発表しました。


まず、『Come to Yuri』
これは曲そのもの以上にPVが注目されました。
フェス出演時と同じ猫の顔をした少女たち20人が、OLに一斉に群がり
OLが恍惚の表情を浮かべる、という内容の映像でした。
ジャケットには猫顔の少女たちが勢ぞろい。
このPVは公共の場ではふさわしくないとみなされ、世界各国で放送禁止になりました。

音楽について話すと、そのグロテスクさ、美しさはそれまで以上のものでした。


同時に、タクアン・ツインの所属する<ニャーン>レコーズは続けざまに先鋭的なアーティストを輩出していきました。
タクアン・ツインがライナーノーツを描いたトライアングルプッシャー。
ランダムなドラムビートが印象的なゲルテカ。
メロディアスでサイケデリックなケーキ・オブ・カナダ。

それでも、やはり最も評価が高いのはタクアン・ツインでした。
そして、再び猫顔の女性をあしらったジャケットに包まれ
新しいシングルが発表されます。


猫顔の女性がビキニ姿でポーズをとっているジャケがとても話題になりました。

タイトルは『Teacuplicker』

日本のファンは恐らく、文字通りティーカップを舐める人のことなのだろうと解釈しました。
緻密に計算されたリズムパターン、隙のない音響、謎の喘ぎ声と不快な声が繰り返される上モノ。
ここにきてタクアン・ツインは絶頂期を迎えたとされ、さらなる喝采と期待が持たれました。

その頃、私たちはというとそれぞれがソロ活動をしたり、プライベートを重視したりしていました。
けれど、電話、メールの際には必ずタクアン・ツイン、というよりムギ先輩の話題になりました。

そう、私たちは活躍を続けるムギ先輩に罪悪感と引け目を感じていました。


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最終更新:2010年05月06日 00:22