唯「みんな~! こんな暑いのに私たち放課後ティータイムのために集まってくれて本当にありがとう!」

観客「ワーーーーーーーーッ!!」

唯「それじゃあ行きます! 最後の曲で……ふわふわタイム!!」



とある大物ロックバンドのギタリストは、そのバンドについて、手放しに賞賛し、こう語った。

大物「放課後ティータイムは最高だったな。俺が中学生の時、ライヴを見たんだ。
   まだHTTのメンバーがみんなデビュー前で高校生だった頃の学園祭さ。
   あの時はまだセカンドギターのアズサがいなくて4人だったかな。
   それまで聴いたことのないようなサウンドで、本当に最高のライヴだったね。
   ベースのミオのシマパンまで見れて、ラッキーだったよ(笑)」


人気ガールズバンド、ラブ・クライシスのマキは同じく、そのバンドについてこう語った。

マキ「HTTのドラマーとベーシストは私の中学の同級生だったの。
   そのよしみで、私たちのバンドが出ているライヴハウスでのイベントに出演依頼をしたのが、HTTのライヴを見た最初だったわ。
   リハーサルでは緊張していたみたいでね。ギターボーカルの平沢さんがマイクに顔をぶつけて鼻血を垂らしたりで、
   酷い出来だったけど、本番の演奏は本当にすごかった。
   友人ながら、とんでもないバンドが出てきたものだと思ったものよ」

大物「俺がレスポールを手にしたのは、間違いなく平沢唯の影響さ。
   俺の周りにもHTTに影響されてバンドを始めたヤツが大勢いる」



20××年、突如日本の音楽シーンに巻き起ったガールズバンドブームに乗り、とある一組のロックバンドがデビューした。

衝撃的な1stシングル『ふわふわ時間』とともにデビューを飾ったそのバンドは、
かねてから旧知であった他のガールズバンド数組とともに全国ツアーに乗り出し、
各地で多くのロックファンを熱狂の渦に巻き込んだ。

マキ「その後もHTTとは何回か対バンして……互いのバンドがメジャーデビューしてからも一緒に全国ツアーを回ったりしたわ。
   他にも何組かのガールズバンドと一緒にね。あの時の何組かのバンドで企画して、真夏の野外フェスをやったこともあるわ。
   観客にはダントツでHTTがウケていたわね」


そして、そのツアーの最終地は、某プロ野球チームの本拠地であった球場における野外フェスティバル。

ラブ・クライシス、デスバンバンジー、ナマハ・ゲ、ブラックフリル等、
数々のバンドがデビュー直後の若く衝動的なサウンドで、真夏の野外を更にヒートアップさせた。

そして、この野外フェスに出演したバンドは皆、
その後も第一線で活躍。商業的な成功も手に入れ、現在でも音楽シーンを沸かせている。


ただし、とあるただ一組のバンドを除いて――であるが。


大物「HTTは最高のバンドさ。でも、そんな最高のバンドでもビッグになれなかったなんて、世の中つくづく難しいと思うよ」

マキ「HTT……今は何をしているのかしら……。解散したって噂は聞かないんだけれど……」




所かわって……とある普通の街で。

律「今日はまだあと10件以上も配達があるんだ」

田井中律は学校給食の配達ドライバーである。

毎日早朝からトラックを駆り、数十か所の中学校や小学校を回っている。

律「車の免許を取ったのは、昔バンドでツアーをやってた頃だよ。
  機材もたくさんあるし、移動にはバンが欠かせなかったからね。
  澪はビビりで運転には向いてないし、梓もムギもまたしかり。
  唯に至っては論外だし、私しか適任がいなかったんだよね」

律はこの数年間、事故らしい事故も起こしたことがなく、社内でも有数の優秀なドライバーだという。


律「よっと」

何件目かの小学校に着くと、律は慣れた手つきでコンテナから荷物を下ろす。

律「え? 結構力があるんですね、だって? そりゃ私はドラマーだもん。腕っ節には自信があるさ。
  でも、こんなに力持ちの女なんて、きっと男は誰も振り向いてくれないんだろうなー……なんてね」

律には何歳か離れた弟がいる。

名門大学を出て、一流商社に入社、現在は妻と子供1人の幸せな家庭を築いているという。

律「弟のような人生をうらやましいと思ったことはないと言えばうそになる。
  でも私は別に後悔しちゃいない。
  確かに今はどん底だけど……言いかえれば、これ以上の底なんてないだろうし、
  よくなる可能性はあってもこれ以上悪くなる可能性はないってね。
  何事も前向きに、だよ」

全ての配達を終え、律が家に戻る頃は既に夜の10時を回っている。

律「今日は早く寝なきゃなー。
  明日は久々の休みだし、何といってもバンドのリハーサルだ!」



……

梓「子供は好きですよ。何といっても純粋ですから」

中野梓は地元の音楽教室で子供にアコースティックギターの演奏を教え、生計を立てている。

優しく丁寧に教える梓のレッスンは、子供たちにも人気だ。

梓「子供たちによく言われるんです。
  『あずさ先生、そんなにギターが上手いならプロになればいいのに』って」

そう言って、梓は自嘲気味に笑った。


梓「私が今も一応はプロのミュージシャンで……
  あのバンドのメンバーであることを覚えている人なんて、どれくらいいるんでしょうかね」

レッスン用のアコースティックギターを仕舞うと、
梓はおもむろにハードケースからエレクトリックギターを取り出した。

子供たちの知らない、ロックな『あずさ先生』だ。

梓「小さい頃ギターを始めた時から使っているフェンダー・ムスタング……明日久しぶりに弾くんですよ」

明日は梓が所属しているバンドのリハーサルだという。


……

斉藤「紬お嬢様――本日は19時より○○株式会社の専務との会食の予定となっております」

紬「『お嬢様』はやめて頂戴――。
  過去の栄光に縋る没落寸前の企業の一人娘にそんな代名詞、いまさら恥ずかしいでしょう」

恭しい執事の言葉に、琴吹紬は憂鬱そうにそう答えた。

紬「世界的な不景気のあおりですよ。
  昔は琴吹グループもそれなりに名の知れた財閥でしたが、
  今ではグループ会社の社員をリストラし、屋敷を売り払い、勤めていた執事やメイドの殆どを解雇して……
  やっと回転しているような状況です」

ある時期まで、有力財閥として名の知れていた琴吹家はここ最近急激に下降線を辿り始めたという。

紬は経営者である父の片腕として、毎日グループを潰さぬために、東奔西走している。



紬「斉藤、わかっていると思うけど……明日は……」

斉藤「それがですね、お嬢様……
   ○○銀行の営業部長がどうしてもお嬢様とお話をされたいとおっしゃっておられまして……」

紬「なんとか違う日にできないかしら。明日はとても大切な日なの」

斉藤「バンドのリハーサル……でございますか」

執事の目に、自分への疑念が籠っていることに気付かない紬ではなかった。

昔はバンドの合宿先に所有の別荘を使ったり、機材購入の援助をしたりと、
紬のネームバリューは様々なところで役に立った。

しかし、今は金銭的に家からのそのような援助は期待するべくもなく、
そもそもそんないつまで経っても独り立ちできない子供のような扱いを、紬が我慢できるわけもない。

紬「身勝手だと言われればそうだと返さざるを得ないですし、無自覚という批判ももっともでしょう。
  それでも私にとってはあのバンドが全てなんです」


……

澪「あの……正社員の募集をしているって聞いて……。
  え、応募資格は25歳まで? そうですか……わかりました。はい……すいません……」

求人雑誌を片手に、暗い表情で受話器を置いた秋山澪は、現在のところ無職だ。

澪「やっぱり……若い頃はずっとバンド一筋でやってて……そのせいで大学もロクに行かず中退しちゃったし……」

職歴がないわけではないが、元来の性格から澪は仕事が長続きしなかった。

今は親からの仕送りと過去の僅かな貯蓄で、何とか生活を送っている。



澪「ええ、親からはよく言われます。『イイ人紹介してあげるから、身を固めなさい』って。
  今まで何度お見合いの誘いを断ったことか――」

幸いにも澪は容姿がよく、少々内気な気質にさえ目をつむれば、相手など引く手あまたであると思われた。

澪「でも……まだそんなことは考えられないです。やるべきことがまだあるから……。
  ええ、今はつらいですけれど、一種のセラピーみたいなものだと思えば……」

そう言うと澪はテーブルに向かい、一目散に大学ノートへペンを走らせ始めた。

明日のリハーサルに間に合わせるため、新曲の作詞をこれから行うという。

澪「詞を書きためた大学ノートもこれで48冊目になります。
  でもその内の46冊ほどは、世間的には陽の目を見ていないんですけどね……」


……

主任「平沢さん、ちょっといいかな」

ある日、派遣先の工場の主任に呼ばれた平沢唯は、「はぁ」と返事をして事務室へと向かった。

主任「キミ、最近遅刻が多すぎじゃないかな」

唯「す、すいません……。夜までギターの練習してたら、朝起きられなくて……」

主任「ギターの練習って、キミは軽音楽部の高校生か?
   派遣とはいえ、社会人としての自覚が足りないんじゃないかな」

唯「ご、ごめんなさい……」

主任「大体キミは今いくつだい?
   周りの同い年の友達は、結婚して子供がいたっておかしくない年齢だろう。
   いつまでもバンドとか音楽とか、夢みたいなことを言って恥ずかしくないのかい?」


主任「もしかして、刺身の上にタンポポ乗せる仕事だからって舐めているのかな」

唯「そ、そんなことは決して……」


主任「とにかく、キミの代わりなんていくらでもいる。
   いい加減にしないと、派遣契約を途中で打ちきることもあると、肝に銘じておきなさい」

唯「はい……」

唯は工場の派遣作業員として生計を立てていた。

頼りになった妹の憂は既に結婚し、実家を出ている。

唯「ギー太……」

唯は狭い自室で、愛機のレスポールに静かに語りかけた。

唯「今日も仕事場で怒られちゃった。やっぱりわたしってダメだね……えへへ……」


唯は思い出した。

高校生の頃の活き活きとした毎日を。
時にはお茶を囲みながら、時には悪ふざけをしながら、友人達と絆を深めあい、楽しく演奏した毎日を。

さらに唯は思い出した。

あの華々しかった全国ツアーを。
千秋楽――あの野外フェスでの観客の熱狂を。

唯『こんにちは! 放課後ティータイムです!!』

観客『ウワーーーッ!!』

スタジアムを埋め尽くした、2万とも3万とも知れぬ人々。

そんな想像しないようなたくさんの人間が、
自分達の演奏に、歌に酔いしれ、手を叩き、頭を振り、拳を振り上げる。

唯「ギー太だって……もう一回でいいから……あんな大きな舞台で音を出してみたいよね」

愛機のレスポールを優しく撫でる。購入当初は新品だったこのギターとも、長い付き合いになる。
そのせいか、ボディの所々には傷も見える。

唯「……ロックスターになりたいなぁ。もう一度あんな大きな場所で演奏してみたいなぁ」

それがどん底にいる彼女たち『放課後ティータイム』の、ただ一つだけの願いだった。


20××年、野外フェスの勢いをかってリリースされた放課後ティータイム期待のファーストアルバムはそこそこに売れた。

オリコンチャートにもランクインしたし、テレビの音楽番組にも出演した。

何ヵ所かのライヴハウスで、ワンマンライブも開催できた。

しかし、その後が繋がらなかった。

冒頭、HTTへの熱き思いを語った大物ギタリストはこう語る。

大物「セカンドアルバムが全く売れなかったのさ。
   新曲の制作とレコーディングに凝り過ぎて、アルバムの制作に時間がかかったせいで、
   リリースされる頃には世間に彼女たちは飽きられていたんだ。
   それにしたって、そのアルバムもいい出来だったし、
   俺としてはあれを認めない世間の耳の方がファッキンイカレてると思ったけどな」

同じくラブ・クライシスのマキは語る。

マキ「私たちは運よく、ファーストもセカンドも売れてくれた。そのおかげで今の地位がある。
   でもHTTと私たち、なぜこうまで道が分かれたか、正確な理由が私にはわからないわ。
   本当に運としか言いようがない」


日曜日――。

放課後ティータイムの5人が集まったリハーサルスタジオは狭い上に汚らしく、
アンプ等の機材もお世辞にもよいものとはいえない状態だった。

これなら、高校時代の音楽室の方が機材は揃っていたと言えるほどだ。

澪「それじゃあ『ふわふわ時間』から、通しでやってみようか」

律「そうだな。唯、コードは覚えてるか?」

唯「もう何年演奏してると思ってるの? バカにしないでよ、りっちゃん」

梓「そんなこと言って、一番最近やったライヴの時に見事に曲の構成を忘れたのは誰でしたっけね」

紬「ふふふ、梓ちゃんも言うようになったわね」



律「そうしてたまのライヴを行えるのは、殆どが地元のライヴハウスさ」

澪「ライヴハウスって言っても、半分バーみたいなところが殆どだけどな」

梓「でも、地元には昔から私たちを応援してくれているファンがいるんです」

ファン1「HTTは最高だよ。彼女たちの高校生の頃から、ライヴに通ってる。もう150回は、彼女たちのライヴを見たよ」

ファン2「『ふわふわ時間』は最高の名曲さ。HTTは地元の誇りだよ」

紬「バンドを演奏している時、それはまさしく私たちにとって魔法のような最高の時間なんです」

唯「でも、夜が明ければ私たちは皆、日常のクソ生活に逆戻り。
  仕方ないことだと、わかってはいるけど……」

そんな時、唯のもとに懐かしき旧友からの1本の電話が入る。

和『久しぶりね、唯。私、真鍋和、覚えてる?』

唯「の、和ちゃん!? 覚えてるよ! 当然! 久しぶり!」

和『貴方達、まだHTTを続けてるんだってね?』

唯「うん……なかなか芽は出ないんだけど……」

和『そこで相談なんだけど、実は私、今度新しくマネージメントの仕事を始めようと思っているの。
  そこで、すぐに思い浮かんだのがHTTよ。
  HTTほど、ロックに情熱を傾けているバンドを、私は他に知らないわ。
  よかったら私と一緒に仕事しない?』



和からの提案が5人にとって魅力的だったのは、高校時代の友人だったということだけが理由ではない。

なんと和は全国30個所のライヴツアーの仕事を、HTTのためにとってきたのである。

澪「凄い!! 今まででも最高のツアーになるぞ!!」

律「さっそく、仕事の休暇の申請をしなきゃな!」

梓「それに……全国でライヴをすれば必ずレコード会社の人が見てくれる……」

紬「新しいアルバムの発売も、夢じゃないわ」

唯「とうとう、私たちの活動が報われる時が来たんだね!」

全国ツアー初日は、野外でのロックフェスティバルであった。

澪「野外フェスなんて……出演するの何年振りだろう……」

さすがの大規模フェスだけあって、バックステージには有名ミュージシャンが数多く行きかっている。

律「おい! あそこにいるの、デスバンバンジーの人じゃないか!」

梓「懐かしいですね……高校生の頃、最初にライヴハウスに出た時に共演した……」

紬「一緒に野外球場でライヴもやったわよね」

唯「わたし、ちょっと声かけてくる!」


唯「あのー……デスバンバンジーの○○さんですよね?」

○○「はい?」

唯「わたし、放課後ティータイムの平沢唯です!
  ほら、覚えています? 昔、ライヴハウスでマイクに顔をぶつけて鼻血を出した……」

○○「えーっと……(誰だっけ)」

律「あっちにいるのは……ラブ・クライシスのマキちゃんじゃないか……! おーい!」

マキ「……りっちゃん? りっちゃんじゃない!! 久しぶり! 元気にしてた?」

律「ああ! 私たちもこのフェスに出演してるんだ!」

マキ「そうなんだ……。放課後ティータイムまだ続いているのね。いいバンドだもんね」

律「ラブ・クライシスはいつが出番なんだ?」

マキ「私たちのバンドの出番は、最終日の最後、大トリよ」

律「えっ……」

マキ「HTTはいつ出るの?」

律「あ、あははは……(言えない……一番小さいステージの、それも昼間の一番目だなんて……)」


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最終更新:2010年05月07日 01:18