業界における自分達の立ち位置を痛感せずにはいられない5人であったが、
それでもステージは精いっぱいこなし、集まった観客を大いに熱狂させた。
和「みんな! 今日のライブ、よかったわ。やっぱり私の目に狂いはなかったのね」
唯「この調子で残り29箇所、頑張ろう!」
澪律紬梓「おー!!!!」
しかし、ツアー日程が進むにつれ、様相は変わっていった。
――ツアー12日目。
律「おい! ギャラが支払われないってどういうことだ!!」
澪「何でも私たちが出演時間に遅れてやってきたからって、このライヴハウスのオーナーが言ってたらしい……」
梓「ひどいです! 私たちが遅れたのはどうしようもない渋滞のせいだったのに!」
紬「それに遅れてきてもちゃんとステージはこなしたのに……」
唯「わたし、ライヴハウスのオーナーに抗議してくる!!」
律「私も行くぞ!!」
和「ちょ、ちょっと二人とも……」
オーナー「だから、君達に払うギャラはないと、何度言ったらわかる!?」
唯「そんな! 私たちはちゃんと仕事をこなしたんだよ!?」
オーナー「遅れてきただろうが!!」
梓「それは仕方ない事情があったからで……!」
オーナー「知ったことか!」
律「テメエ、まさか最初からギャラを払う気がなかったんじゃないだろうな!?」
オーナー「とにかく! ないものはないんだ!!
それに見ただろ? 今日の観客はたったの42人だ!
それだけの客しか呼べなかった自分達のことは棚に上げて、ふざけたことを言うもんじゃない!!」
唯「そ、そんな……」
――ツアー20日目。
澪「どうなってるんだ? 次のライヴをやる街に行くには、このバスで良かったんじゃないのか?」
紬「さっきから延々と同じところを回っているような気がするわ」
和「ちょっと待って……。事前に交通ルートは確認したはずなんだけど……」
――ツアー22日目。
律「おい! 私たちが乗るはずの新幹線、行っちゃったぞ!」
和「誤算だったわ……。まさか駅までの道路があんなに渋滞しているだなんて……」
梓「次の列車の時間まで待っていたら、出番に間に合わないですよ?」
和「ちょっと待って……。今、向こうのプロモーターに連絡を取って、出演時間を何とか遅らせてもらうから……」
澪「そんなことをしたら、またギャラがもらえなくなるんじゃないか?」
和「わかってるわ……! でも他にどうしようもないでしょう!」
澪「……そうだな」
――ツアー24日目。
梓「今日のライヴ……なんで町内会のお祭りの余興コーナーなんですか?」
澪「あのステージなんか……5人乗ったら壊れそうだぞ……」
唯「どうなってるの和ちゃん?」
和「おかしいわね……。地域最大のフェスティバルだ、っていう話だったのに……」
紬「フェスティバルというか……これはただの盆踊り大会……」
律「地域最大じゃなくて、町内会最大の間違いだろう……」
――ツアー25日目。
唯「こんにちは! 放課後ティータイムです!」
客「(シーン)」
澪「(うっ)」
紬「(これは……酷い)」
梓「(500人は入る会場だって聞いてきたのに……)」
律「(観客が……6人しかいない……)」
ライヴ後、6人の観客のうちのただひとり、
HTTの熱狂的なファンがHTTの楽屋にやってきて、こうまくしたてた。
ファン「HTTはマネージャーを変えるべきだ!!
HTTのような素晴らしいバンドは、1000人以上の観客を前に演奏をするべきだし、
こんなクソみたいな6人の観客を相手にするなんて、間違っている!!
悪いのはブッキングが下手なマネージャーで、HTTの音楽ではない!!」
澪「(それは私たちもわかっているところなんだけど……)」
律「一体どうなってるんだ!?
ギャラは殆ど支払われない!! バスは乗り間違える!!
電車には乗り遅れて駅のベンチで寝る羽目になる!! 盆踊り会場で演奏させられる!!
これがプロのバンドのツアーって言えるのか!!??」
紬「りっちゃん、落ち着いて……」
和「私が悪いのはわかっているわ……。
でも、私だって、一生懸命やっているのよ……ううっ……」
唯「(の、和ちゃん……)」
梓「(泣いてる……)」
結局、このツアーで放課後ティータイムの5人が得たギャラはほぼゼロであった。
当然、レコード会社からの声も、かかるわけがない。
律「と、こうしてクソな日常に逆戻り……か」
ツアーでは毎日にようにドラムを叩いていた律も、日常に戻ればしがない配達ドライバー。
今日も小学校へ給食を届ける車中で、その複雑な胸の内を語った。
律「ロクに金も稼げなかったし、名前も売れなかったけど、ツアーに出れただけで幸せだったと思うんだ」
あんなに酷いツアーだったのに?
律「ああ、そうさ。演奏できたしね。
それに……こうして金を稼ぐ仕事があるだけでも私は幸せなんだ」
律「梓はギター講師の仕事だけじゃ食えなくって、夜はパートに出てるって聞いた。
ムギの会社はもう倒産寸前だそうだよ。
唯は派遣社員だし、澪に至っては無職だ」
いっそのこと、日々の仕事に専念するのはどうか?
律「いや……それでも私たちはまだ諦めていないんだ」
その頃、次の動きを起こしたのは唯であった。
唯「こうして何もしないで待っているだけじゃ、いつまで経ってもチャンスはやってこない……。こっちから動かないと!」
唯は最近スタジオで録音したHTTの新曲がたっぷり詰まったデモテープを、とある人間のもとへと送った。
5人にとっての自信作となるであろう、新たなアルバムのデモテープだ。
唯「あの人なら……HTTの素晴らしさを理解してくれるはず」
その人とは、彼女たち5人が桜高軽音部に所属していた頃の恩師にして、
HTTの1stアルバムのプロデューサー、
山中さわ子であった。
教師であったさわ子は、顧問であり音楽にも造詣があったという理由だけで行った
HTTの1stアルバムプロデュースをきっかけに、業界の売れっ子プロデューサーへと転身。
現在では数々の有名バンドのアルバムのプロデュースを手掛けるまでになっていた。
律「さわちゃんがプロデュースした1stアルバムは最高のサウンドだった。
その後も何枚かアルバムを出したけど、ことごとく売れなかったのは、
結局1stのあのサウンドを超えるものがどうしても作れなかったからだ」
澪「その点じゃ、唯の選択は賭けだったと思う」
唯「これでダメなら……いいや、それは考えちゃいけない……」
数瞬間後、唯のもとに一本の留守番電話が入る。
さわ子『唯ちゃん? 久しぶりね。HTTのデモテープ聴かせて貰ったわ。
それで、一度みんなと会って話がしたいと思っているわ。場所は……』
HTTの未来に、一筋の光明が見えた瞬間だった。
都内某所、5人全員(無職1名を除く)が仕事を休み、
大御所プロデューサー山中さわ子の事務所に、緊張した面持ちで集まった。
さわ子「デモテープ、聴かせて貰ったわ。よくここまで素晴らしい曲を書き溜めたわね。
それもこれも全て貴方達がここまで諦めずに活動を継続してきたからこそね」
澪「そ、それじゃあ……」
紬「アルバムをプロデュースしてくれるんですか!?」
さわ子「ええ。これだけの曲があれば、必ず最高のアルバムが出来ると確信しているわ」
律「マ、マジかよ……」
梓「夢じゃないんですね……」
さわ子「でも、それには条件があるわ」
唯「条件……ですか?」
さわ子「アルバムの制作には、最低でも300万円の費用が必要なの――」
5人「!!!!!」
律「正直言って困ったよ……。
300万なんて大金、そう簡単に用意できるわけがない」
澪「昔ならムギ辺りがポンと出してくれる額なんだろうけど、
明日の社員の給料も払えるか怪しいムギの家に、そんなことを頼むのは無理だってわかってる」
梓「こうなったら、パートの時間を増やすしかないですね」
唯「私も……頑張って働く!!」
紬「私もバイトを始めます!」
澪「私もとりあえずハロワ行ってみる!」
しかし、律の言うとおり、それだけの大金が容易に溜まるわけがないし、
そもそも自分達の生活で手いっぱいだった5人に、貯蓄も殆ど無かった。
5人が諦めかけたその時、手を差し伸べた人物がいた。
唯の実妹、
平沢憂が、バンドに対し、アルバムレコーディング資金の出資を申し出たのだ。
憂「バンドで演奏している時のお姉ちゃんは、私にとってずっとあこがれの存在でした。
ギターを弾いている時のお姉ちゃんが大好きだし、歌っている時のお姉ちゃんが大好きなんです。
現実が厳しいことは理解しているけど、それでもお姉ちゃんが大好きな音楽を今後も続けていけるのだったら、
私は助けてあげたいと思うんです。それが妹である私にできる、ただ一つのことです」
唯「憂、わたしは本当に最高の妹を持ったと思うよ……」
こうしてHTTの5人は、山中さわ子所有のスタジオで怒涛のレコーディングへと突入した。
書き溜めた自身の楽曲たち、最高のプロデューサーであるさわ子の手腕、そして気合いの入る5人のメンバー、
その化学反応は予想以上にすばらしく、レコーディングは順調に進んだ――かのように思われた。
しかし、事件は起こる。
『このレコーディングが失敗すれば――バンドに未来はない』
そんなプレッシャーに最も苛まされたのは、軽音部時代からの部長であり、リーダーの律であった。
そして、律の溜まりに溜まるストレス――その爆発の被害を受けるのは決まってただ一人。
律「ふざけんなよ!! お前、どういうつもりだ!!」
夜のスタジオに、ドラマーの怒号が響く。
律が怒りの形相で掴みかかる相手は、澪だった。
律「唯がボーカルのレコーディングを一生懸命やっている最中だっていうのに、ボーっと座ってやがるのはどこのどいつだ!!」
澪「……やめろよ」
律「せっかく掴んだチャンスで、全員が一丸で頑張らなきゃいけない時にジメジメと暗い負のオーラを出しやがって!!
それはいったいどういうつもりなんだって聞いてるんだよッ!!」
澪「なんでいつも私なんだ……」
律「お前がいけないからだろ!?
一人だけ職にもつかず、バンドに金も落とさない!
かと思えばレコーディングもやる気がない!!
おまけに歌詞もベースプレイも中途半端!!
そんなお前がいけないからだろ!?」
梓「(オロオロ……)」
紬「りっちゃん! 暴力はだめよ!」
唯「そうだよ! 二人とも落ち着いて!!」
さわ子「ムギちゃんと唯ちゃんの言うとおりよ。二人とも、とりあえず座りなさい」
さわ子に促され、何とかソファーに腰を下ろす二人だったが、律の怒りは収まらない。
ひたすらにやる気のないベーシストの態度を糾弾すると、今度は澪が反論する。
澪「いっつもそうだ……。律はストレスがたまるとすぐ私に八つ当たり……」
律「お前なら……付き合いの長いお前なら……
私がいつ爆発するか、そのタイミングが手に取るようにわかるはずだろ!?」
澪「わかるよ。わかるけど、どうしていつも私なんだ?
律は一度でも私の話を聞いてくれたことがあったか?
私のことばかり言うけど、自分のドラムプレイが中途半端だって思ったことはないのか?
どうしてHTTがここまで成功することができなかったか、考えたことはあるのか?」
律「なんだとッ……!!」
澪「私はもう……疲れたよ……」
律「わかったよ!!
澪、お前はクビだ!!
明日からはスタジオに顔を見せるんじゃない!!」
澪「それは……本気で言っているのか?」
律「!!」
澪「私は……律が本気で私のことをHTTから必要ないと思うのであれば、
自分がHTTを辞めてもいいと思ってる」
律「………クソッ!!」
梓「律先輩が……」
紬「泣いている……?」
最終更新:2010年05月07日 01:22