――観客席――
壬生「中西よ」
球道「どうした」
壬生「里中から迷いを感じる」
球道「偶然だな。俺もだ。里中は今迷ってやがる」
壬生「うむ。初回からみていて、里中は彼女たちを舐めていた。しかし、現状
としては明訓は苦戦している。素人当然の彼女たちにな」
球道「なにかに、似ているな」
近藤「今年の甲子園、決勝戦にな」
壬生「局長か。いたのか」
近藤「いたのかとはずいぶんだな。中西は、すでに気が付いていると見たが」
球道「さすがは新撰組だ。察しが良い。その通りだ。この状況は紫義塾、
つまりお前たちとの決勝戦に状況が似ている」
壬生「確かに、俺たちは野球に関しては素人だったものな」
近藤「しかし、結果は狂四朗が打たれるまで……つまり山田によって助け
られた」
球道「そうだ。この試合、もしかするともしかするかもしれん」
憂「……」キン
審判「ファール!」
憂「……………」キン
審判「ファール」
山田「……どういうことなんだ?」
憂「………………」キン
審判「ファール」
里中「う……うぷ……」
唯「もしかして、憂……」
純「仕返しかな?」
さわ子「澪ちゃんがやられたファール攻めの?」
純「かもしれないです。憂って、昔からやられたことはやり返すから」
梓「……いや、違うよ純」
澪「……」
梓「憂は少しでも澪先輩に休んでもらおうと粘ってるんだよ!」
審判「ファール!」
里中(いい加減にしてくれよ……)
憂(疲れてきたな……いくら左のほうが当てやすいからって……)
山田(殿馬が敵だとすると、こういう気持ちなのだろうな……。いつか、敵
として戦うことがあるのだろうか)
殿馬(女のくせにやっかいな打法づら。守ってるほうも疲れるづらよ)
憂「!」カキン!
実況「24球を投げさせて、なおかつライト前に運んだ!」
解説「ヒットを打たれてもいいという、緩い球を見逃しませんでしたね」
憂「やった!」
唯「よくやったよ憂!」
紬「……」
ウグイス「4番、ファースト。琴吹さん」
実況「4番の琴吹さんは今日はすでに3安打を打っていますね」
解説「初回のツーベースで、チーム唯一の打点もあげています」
実況「確かに女性とは思えないパワーを持ってますよね」
解説「はい。間違いなく。高校生球児以上の打力を持っていますね」
紬(4番バッターは主砲なの。私が打たなきゃ!)
さわ子「ホームランよ!」クイ!
律「そんなサインがあったのか!」
山田(ランナー二塁一塁で4番か。困ったな)
里中「ハァハァ……」
山田(里中は暑さに弱い。もともと身体が強くなかった里中は、夏は誰より
も苦労した。それでも、里中は誰よりも頑張って、甲子園20勝投手になった
んだ)
実況「里中くんの球、球威が落ちてきてますね」
解説「当然でしょう。この暑さは誰だって参りますよ」
紬「!」カキン!
実況「さあ甘えた球は許さない! 琴吹さんがレフト前に打ち返した!」
ウグイス「5番、ピッチャー。秋山さん」
さわ子「澪ちゃん……」
澪「私、打ちます。みんなが頑張ってるのに、私だけ休むなんて!」
律「澪……」
澪「いいよな。律」
律「……ああ。思う存分振って来い!」
澪「ああ!」
唯(主人公は私なのに……)ぶー
梓「なにしてるんですか? 唯先輩」
実況「秋山さんは投手として十分すぎる活躍を見せてくれましたね」
解説「はい。ここは見逃し三振が仕事ともいえます」
実況「後ろに控えるのは立花さん。鈴木さん。
平沢唯さんです」
解説「6番以降の打撃には少し不安がありますが、秋山さんは信じて我慢
することが大事ですよ」
山田(秋山さんは打つべきじゃない。それは誰もがわかってることだ。ここは
里中の気を落ち着かせなければ)
山田(ど真ん中になってもいい。思い切りまっすぐを投げて来い!)
里中(山田も人が悪いぜ。へろへろの投手打者相手に全力なんて。だが――
俺は山田に受けてもらいたいから明訓に来たんだ。高い学費を、お袋に無理
させてまで……。お袋のために、俺は……!)ビシュ
澪(え? 嘘。ど真ん中!)カキン!!
実況「なんとフルスイング! 疲れた身体に鞭打つように、秋山さんがバッ
トを渾身の力で振り抜いた!」
解説「これは三塁ラインギリギリですよ!」
審判「しかしこれはフェアでしょう! 岩鬼くんの横を抜けて――」
岩鬼「ぬああああああああああ!!!!!!!」バシィ!
実況「なんてところを守っていたんだ! 岩鬼くんはラインぎりぎりという、
普通なら守らない場所にいた!」
解説「満塁ですから、これはまずいですよ!」
実況「まずは岩鬼くん。三塁にタッチでワンナウト、そのまま二塁でツーアウ
ト! 殿馬くんは、なんと一塁に送球! 秋山さん走れない!」
審判「アウト! チェンジ!」
実況「なんとなんと! トリプルプレー! 桜ケ丘、チャンスが一瞬で消えて
しまったー!!」
澪「うそ……だろ?」
律「そんな……三重殺なんて」
さわ子(まずい。この子たち完全に萎えちゃってる! なんとかしないと!)
実況「さあ! とうとうこの試合も最終回となりました! 1対1の同点の
まま延長か。それともどちらかが点を入れてしまうのか!」
解説「バッターは岩鬼くんからですね。これは桜ケ丘は相当なピンチです
よ。なんといっても、トリプルプレーの直後ですからね。気持ちが切れてな
ければいいのですが……」
岩鬼「このワイが止めさしたる! さあ来いや!」
律「……」パシ
審判「バッターアウト」
岩鬼「勝負せんかい!」
律「なにいってるんだ? ど真ん中は立派な勝負だろ」
岩鬼「なに言っとんねん! 審判! あんたもおかしいで!」
審判「ど真ん中だからな」
殿馬「いい加減ひっこむづら。てめえがいるとリズム狂っていけねえづら」
岩鬼「黙れだんごっ鼻!」
殿馬(そろそろイメージ固まってきたづら)
律(ワンアウトとっても、正直こいつはいやだな。というか……)
律「澪! おい! 澪!!」
澪「……」
解説「まずいですね……」
実況「秋山さんですか?」
解説「ちょっともう投球できる状態にありませんね。意識、ほとんどないん
じゃないでしょうか」
審判「タイム!」
実況「おっと、ここは主審の村田さんがタイムをかけます」
解説「当然ですね。まだ高校生の子供なんですから」
審判「きみ、大丈夫かね」
澪「は、はい」
審判「先生、いいですか?」
さわ子「はい」
審判「彼女は投球できる状態では……」
さわ子「いいえ。彼女はまだやれます。私の生徒を、過小評価しないでください」
審判「……しかしですね」
澪「大丈夫です。投げます……。投げられますから」
さわ子「本人がこう言ってるのですから、投げさせてあげます。いいです
か?」
審判「本人が言うのであれば仕方ないですが、次に危なくなったら、代えて
もらいますよ」
さわ子「ええ。……澪ちゃん、りっちゃん。いい? もう、無得点なんかにし
なくてもいいわ」
律「どうして!?」
さわ子「澪ちゃんはもう限界よ。今欲しいのは0点という表示じゃない。澪
ちゃんが楽になれる環境よ」
澪「……いいえ。私、絶対に点は獲らせません」
さわ子「澪ちゃん……! わかったわ。行ってきなさい。悔いを残しちゃダメよ」
審判「プレイ!」
澪(律! いくぞ!)
律(姫子、いいか?)
姫子(ええ)
実況「秋山さんが振りかぶって――おっと立花さん! ダッシュ! これは
ナックルボールだ!」
殿馬「!?」
解説「いや、違いますよ! これは――」
実況「カーブ! 速めのカーブだ! これは殿馬くん、完全にタイミングを
外された!」
殿馬「づら」ヅラキン
実況「ふらふらっと上がりました! これはショートフライです」
憂「オーライ! って、え!」
実況「打球が流される! 三塁側へと流される!」
姫子「しまった!」
実況「無人に近いサード守備位置にぽとりと落ちた! 秘打です! 殿馬
くんお得意の秘打が飛び出しました!」
解説「タイミングを外されながらも、バットで強烈にボールをこすってドライブ
回転を掛けたんですね。そのため、ボールは空気抵抗で不自然な落ち方
をするわけです。いやあ、見事な秘打ですよ」
殿馬「秘打・アイーダ!」
里中「さすが殿馬だぜ!」
ウグイス「三番、ピッチャー。里中くん」
里中「よし来い!」
実況「殿馬くんの秘打で、里中くんに元気が戻って来たような気がしますね」
解説「里中くんは明訓の打者の中でもかなりミートが上手い選手です。投手
打者といえど、油断はできませんよ」
律(たとえ、どんな相手でも構わない。私たちの野球をするだけだ)
里中「!」コン
澪「!?」
実況「初球バント! しかもピッチャー前だ!」
澪「うわ!」
紬「澪ちゃん!」
審判「セーフ!」
実況「秋山さんは走れない! 足がもつれて転んでしまいました」
解説「いくらなんでも、これは処理できませんよ」
澪「……ごめんな。律」
律「いいって」
ウグイス「4番、キャッチャー。山田くん」
実況「ものすごい歓声ですね」
解説「今日の山田くんは、桜ケ丘の守備の前にあまり目立ってませんから
ね。それだけ、お客さんも彼に期待してますよ」
実況「そうでしょう。……と。秋山さんがベンチに戻りましたね。転んだ際に
怪我をしたんでしょうか」
審判「先生。もう……」
さわ子「はい。投手を交代します」
律「おいおいさわちゃん! もうピッチャーどころか控え選手だって――」
さわ子「いるわよ。控えはいないけど、ピッチャーなら」
ウグイス「桜ケ丘高校、守備位置の交代をお知らせします。ピッチャーの秋
山さんがライト――」
唯「私のところに澪ちゃん? じゃあ私は?」
ウグイス「ライトの平沢唯さんがピッチャーに入ります」
唯「ええ!?」
律「はあ!?」
唯「私がピッチャー? なんで?」
さわ子「まず一つ。貴女が一番疲労していないから」
唯「ノーヒットな上に外野だもんね」
さわ子「でも、それだけじゃないのよ」
唯「?」
さわ子「唯ちゃんは、このチームで一番肩が強いの。自分でもわかってる
でしょ?」
唯「うん。一番遠くまでボール投げられるよ」
さわ子「だからよ。がんばりなさい」
唯「うう……」
律「唯、一応聞くが変化球は?」
唯「ないよ……。だってピッチャーなんてやったことないもん」
律「だったら私が構えた所に向かって思いっきり投げろ。遠慮はいらないからな」
唯「う、うん」
律「じゃあ、頼むからな」
山田(彼女はライトの子だったな。どんな投球なんだろうか)
審判「練習球8球!」
律「あ、いりません」
審判「しかし……」
律「いいんです」
律(一球でも見せたくない。唯が投手素人だってバレたら最後だ)
唯「……」
実況「いやー。まさかライトの平沢唯さんがピッチャーとは。驚きました」
解説「本職は投手なのかもしれませんね」
唯「よいしょっと!」ビシュ!
山田「――」
審判「ストライク!」
律(あの馬鹿、外角に構えたのに思いっきり内角じゃねえか!)
実況「ちょっと待ってください! 今の球、145キロ出てますよ!」
解説「そんなことあるんですか!? 女の子ですよ!?」
姫子「え?」
憂「うそ?」
紬「すごいわ唯ちゃん!」
唯「えへへー」
山田(速球派なのか……。しかし、これなら中西や不知火、土門さんの球
のほうが速い)
律「……」
唯「えい!」
山田「――」キン
審判「ファール!」
唯「とう!」
山田「――」バシ!
審判「ボール!」
実況「145キロを連発です! ものすごい球だ! すごい投手がまだまだいました!」
実況「……平沢唯さんの快速球ですが、山田くんは打ち取られませんね」
解説「速い球なら、山田くんは空振りませんからね」
実況「さすがは百戦錬磨の山田くんです」
律「……」
唯「ふぅ……」
山田(この子……もしかして……)
憂「……お姉ちゃん」
和「……唯ったら」
律「タイムだ! タイム!!」
実況「おっと、田井中さんがタイムをかけてマウンドに駆け寄ります」
解説「サインが合わなかったんですかね?」
律「唯ぃ……」
唯「ふぇ?」
律「――どうして、全力で投げてくれないんだ?」
姫子「え? 嘘!」
紬「全力じゃないのに145キロ?」
憂「……お姉ちゃん。律さんの言うとおりだよ。どうして?」
唯「だって、りっちゃんの手……」
律「!?」
唯「さっき見たもん。りっちゃんは、回が終わるたびに手にスプレーして、
痛そうにしてた。ずっと左手に手袋してたのも、痛いの隠すためでしょ?」
和「律、ホントなの?」
律「……ああ。でもな、お前が投げなきゃ、きっと打たれちまう。だから――」
唯「駄目だよ。りっちゃんのおててを傷つけるなんてできない」
律「!? ……くそっ!」
和「……ねえ、唯、律」
唯「?」
和「私が受けるわ。だったら、問題ないでしょう?」
律「和……お前……」
和「唯も、いい?」
唯「和ちゃん、ホントにいいの?」
和「いいのよ。私は唯の幼馴染なのよ? 律が澪の球を受けたように、私が
唯の球を受ける」
律「……頼むぞ。和」
和「ええ。任せて」
最終更新:2010年05月15日 03:03