中野梓の所属する軽音部には 所謂「憧れの先輩」がいる
小さくて 顔立ちも幼い梓にとって彼女の存在は
まさに希望
といっても 全てが大人びているわけでもなく
非常に臆病な面もあるのだが
そこがまた一つの愛嬌であり
梓は ただただ
秋山澪のような女性になりたいと思い焦がれていた
本日の部活動もいつもと同じ
唯と律が怠け
紬が甘やかし
澪が喝を入れて活動を開始する
自分の声には動いてくれない唯達も 澪の掛け声には従って動くのだ
尤も
菓子の値段に比例して唯達の怠けも強力になるため
最近では必ずしも成功するわけではないのだが・・・
「澪先輩みたいになりたいけど・・私には・・」
足りないものが多過ぎる
努力でどうこうなるものではない
いっそのこと
今の自分と交換して欲しい
そんな夢物語を思い浮かべていた彼女は ある日怪しくも厳かな老紳士に出会う
それは帰路の途中 突然現れた
まるで魔法でも使ったかのように、全く気付かぬ間に
目の前にいた
白い口髭を僅かに揺らしながら
その老紳士は口を開く
「あなたは誰かと入れ換わりたい そう思っておられますね?」
「は?」
梓は眉をひそめて 質問を質問で返した
「・・いや、あなた誰ですか?」
「おやおやこれは申し訳ない。この私 毎回話の順序というものを見失いがちでありまして・・」
老紳士は笑いながら自己紹介を始めた
未来から来たという 道具を売ることで人々の不満を解消する便利屋
特別な代金は不要
ただし 受け取った道具は責任を持って管理・使用すること・・
「なんだか嘘臭い・・・」
「・・・」
にわかに信じがたい話だが
梓が澪のようになりたいと思ったことを当ててみせたこの老紳士は
確かにただの不審者というわけでもなさそうだ
結局
彼女は「誰かと入れ換わることができるカメラ」を貰った
「そのカメラでまずあなたを撮影し、その後 入れ換わりたい人を撮影します」
「それだけ・・?」
「はい。あなたとその人間は入れ換わります」
澪の高い身長や淡麗な容姿を思い浮かべる
それが 手に入る
「戻りたい時はもう一度 自分と相手の写真を撮り直してください」
「・・・・ありがとうございます」
入れ換わる
その手段では根本的に自分を変えるとこはできない
わかっていながらも 彼女は
素直に礼を言って
素直に喜ぶことにした
帰宅し カメラをよく見てみる
見た目だけなら今時のデジタルカメラと大して変わらないが
底に横長い穴が空いている
恐らく ここから写真が排出されるのだろう
それ以外のシャッター フラッシュ ズーム諸々
大抵の機能は揃っているし、それもかなり高性能なようだ
「どうせ入れ換わる為のカメラなんだから、こんなにいらないと思うんだけど・・」
ともかく善は急げ と
彼女は母親に頼んで自分を撮影してもらう
「どうせなら、楽しく撮った方がいいよね」
女子高生らしく
満面の笑みとピースサインでポーズを決めてみた
一応記念として 財布に写真をしまっておく
翌日
鞄にカメラを忍ばせて放課後のティータイムを待つ
授業も耳に入らず 緊張に胸を高鳴らせていたが
1つ気になることがあった
「でもこれって 澪先輩が私になるんだよね・・?」
梓は澪に憧れる
しかし
「澪先輩は私になりたいわけじゃないんだ・・・勝手に入れ換わるとやっぱまずいかも・・」
逆の立場の澪からしてみると
ただの嫌がらせになってしまうかもしれない
結局梓は 澪とよく相談して合意を求めることにした
「少しだけなら きっと変わってくれるよね」
授業が終わり 音楽室へ続く廊下で澪を見付ける
「澪先輩、お願いがあるんです!」
「ん、梓か。どうしたんだ?」
「あの、ちょっとの間でいいから 私と入れ換わってください!」
「・・へ?」
梓はカメラの説明を始めた
いかにも眉唾物な話だが 梓は真面目で素直な一年生
普段から信用を置かれていたこともあり
澪は信じてくれたようだ
「じゃあそれで私を撮るんだな?」
「はい。いきますよ」
「あ、待ってまだ心の準備が・・・」
「はい チーズ」
パシャリ とフラッシュが光り
カメラの底から 戸惑い顔の澪の写真が出てきた
「・・・・・・あれ?」
「・・・・・・え?」
老紳士に説明された通り 二人分の写真を撮った
手順に何の問題も無い
しかし 違う
梓は梓のまま 澪は澪のまま
変わらない
何の症状も無い
「やっぱり・・その人の話 嘘だったのかもな・・・」
「え、私、騙されたってことですか!?」
あれだけ思わせぶりなことをしておいて
随分性質の悪いイタズラだ
騙されたなら自分にも非があり それの鬱憤を晴らせぬまま
憤りながら梓は音楽室の扉を開けた
「あずにゃーん!」
先輩の平沢唯の声を聞き 梓は身構える
唯はといえばいつも梓を猫のように可愛がり
嫌といっても抱きついてくるのだ
今日はとてもそんな遊びに付き合ってられないと
一つ厳しく言ってやろうとしたその時
「ゆ、唯?」
どさりと 唯は澪に抱きついた
一瞬
時間が止まったような衝撃に襲われる
唯が澪に抱きつくなんて そうそうあったものではない
そもそも、梓の名を叫びながら澪に抱きつくなどおかしい
「部活前にはあずにゃん分が必要なんだよねぇ」
唯はそんな事を言いながら胸に顔を埋めていた
わざと名前を間違える そんなイタズラを思いついたのだろうか
「唯先輩、なにしてるんですか・・?」
「へ、澪ちゃんどしたの? 同学年で先輩なんておかしいよ~」
どうやら今日の唯は梓を澪として扱うらしい
なんともわかりにくい遊びをするものだと思いながら席に着くと
部長の田井中律が声をかけてきた
「おい澪」
「・・・え、私ですか?」
「お前以外に澪がいるかっ! そこ梓の席だろー」
軽音部のお茶では席順が決まっている
梓が座ったのはいつも通り 間違いなく自分の席だ
律もふざけているのだろうか
いや それにしては反応がおかしいように思える
困惑しているところで
澪が律に言う
「なぁ律、昨日送った歌詞の話だけど・・・」
「梓~ いつから先輩を呼び捨てにできる程偉くなったんだ~?」
律は目を光らせ澪にチョークスリーパーをかけようとするが
澪の拳骨の前にあえなく撃沈した
梓は澪に耳打ちする
「何かおかしくないですか・・? というか おかしいです絶対」
「うん。唯は私のこと梓って呼んで抱きつくし・・」
「律先輩は澪先輩には絶対手をあげません。私ならともかく・・」
「じゃあこれは・・」
「そうですね・・肉体じゃなくて、立場というか 人間が入れ換わってるんですよ」
カメラを使用しての入れ換わりは
梓に部に喝を与える権限こそ与えたが
見た目には 高い身長も豊満なボディも澪本人から動かさなかったのか
「どうします・・?これ やっぱり元に戻しましょうか・・」
「いや 梓の気分は味わえるし、これはこれで楽しいよ。もうしばらくこれでやってみようよ」
二人は試しに数日間
この状態でいることに決めた
―――――――――――――
「梓、肩を揉め!」
「は?」
律が澪に言う 今の澪は、周りの人間から見れば梓だ
しかしそれにしても
「なんで私が律・・先輩 の肩を揉まなきゃならないんだ・・ですか」
「昨日ジャンケンで決めたじゃんか」
「げ・・何時の間に・・・」
何だか申し訳ないが 助かってしまった
不満気に肩を揉む澪を見ながら梓がそう思っていると
律は梓を見てニヤニヤ笑いだす
「澪ー この前貸してくれたDVD返すぞー」
「・・・・あ、私か ありがと」
渡されたDVDの箱を開けてみると いかにもなホラー映画のディスクが入っていた
目の前を見ると律が今か今かと反応を待ちかまえている
正直こんなものてんで怖くないが
とりあえず・・
「ば、バカ律っ・・センパイっ」
殴ってみた
コチン と拳骨
自分の手が痛むくらい少し強めにやってみたのだが
律は目をキョトンとさせている
「・・ありゃ? 今日は随分手加減してるんだな」
自分が非力なのか
澪が強いのか
それとも律が丈夫なのか
どれともわからないが 澪は何か気まずそうな顔をしていた
梓がふと時計を見ると あと1時間で下校時刻だ
少し声を強めて言う
「さぁ練習です・・だぞ!」
それを聞いた部員はティーセットを片付け
各々楽器を用意し始める
先輩達が 自分の言うことに耳を傾けてくれた
ただそれだけのことに
「す、凄い・・流石澪先輩・・・!!」
梓は猛烈に感動していた
しかし
「なぁ梓・・不味くないか・・?」
「はい?」
「楽器・・・」
「た、確かに・・お互いの楽器のこと、すっかり忘れてました・・」
「とりあえず、元に戻ろう!」
「バレちゃ入れ換える意味も無いですしね」
結局二人はトイレに行くと抜け出し
互いに写真を撮って元通りになった
「そういえば授業もバラバラ・・」
「そうですね、学年違いますし・・頭の中身は変わってませんもんね」
正直 手間だし
正直 忙しないが
二人共この貴重な体験をしばらく手放したくなかったし
しかし 授業や練習を台無しにするわけにもいかないので
とりあえずは入れ換わりを続け
朝 約束した時刻と練習時だけは元に戻ることに決めた
帰り道
梓は再び澪と入れ換わる
道を歩いていると すれ違う男性が皆こちらを振り向いた
いままでに無い感覚
遠くの女性達が梓を見て スタイルがどうこうと騒いでいる
かつて無い快感
どうやら思っていたものと少し違い
入れ換わった対象 ―この場合は秋山澪だが― の姿さえもが
梓を包んでおり
周りの人間からは彼女がスラリとした美女として映っているようだ
これは彼女の想像以上に 彼女の期待以上に
心に悦楽をもたらした
最終更新:2010年05月15日 22:58