とある街の図書館で、資料整理のアルバイトの仕事をしている女性がいる。
彼女はとても物静かで、職場では目立たない存在だ。

同僚A「最初は感じ悪いと思ったけど、親切な人ですよ。無口だから誤解されやすいかも」
同僚B「あんまり印象に残らない人ではありますね」

しかし、この無口で目立たない女性が実は、かつて何万人という観衆の前で
コンサートを行うバンドのギタリストであったという過去を持つことは、周囲の人は誰も知らない。

彼女の名前は、中野梓
彼女は伝説のバンド、放課後ティータイムのギタリストであった。

これは彼女の辿った栄光と挫折、悲劇と奇跡の記録である。



彼女は既に引退して久しい。ときどき、施設や病院に行き、
ボランティアでギターを弾いて歌う以外、活動らしい活動はしていない。

職員A「入所されているお年寄りは、
彼女の演奏をとても楽しみにしていますね」

職員B「元々、彼女はお年寄りの話し相手のボランティアだったんです。
彼女がくるようになって一年くらいして、ギターが弾けることがわかったんです。
もっと早く言ってくれればよかったのに。とても奥ゆかしい人ですね」

入所者A「とっても優しい人ね。歌もギターも上手だし。
うちの娘だったらよかったのに」



放課後ティータイムとは高校の軽音部で活動していた4人の女性によって
結成されたバンドである。
ボーカル/ギターの平沢唯、ボーカル/ベースの秋山澪、ドラムの田井中律
キーボードの琴吹紬によって結成され、翌年にギターとして中野梓が加入した。

多くのミュージシャンが、放課後ティータイムに影響を受けていることを話し、
既に解散から何十年とたっているが、今でもなお忘れ去られることなく聴かれ続けている。

梓「どの辺から話そうか、というかどこから聞きたい?
    • OK、じゃあ4人の卒業後のことから話そうか」



梓「4人の先輩たちが卒業した後、すぐに軽音部は廃部になったの。
私が新入生とバンドを組むよりも、放課後ティータイムを選んだ結果ね」

梓「私が所属していたのは軽音部ではなく、放課後ティータイムというバンドだった。
あのメンバー以外と一緒にやることは出来ないと考えた末の決断だった」

梓「4人の先輩は就職も進学もしなかった。バンドに就職するっていってね。
それぞれの親を説得しに、メンバー全員で家に行って土下座したこともあったね。
それで2年間猶予を、つまり2年はバンド中心の生活をすることを、
家族から許してもらったということ。バンドの必要経費を稼ぐ程度バイトすればよかったの」



梓「卒業してからの先輩たちは変わった、そう、本気になっていった。
紬先輩の家のガレージを使わせてもらって、一日8時間は練習をしていた。
曲作り、練習、ライブ、練習・・・、
放課後ティータイムに就職するといったけど、その通りの生活をしていた」

梓「わたしも、その生活に合わせていたので、
落第ギリギリのところをお情けで卒業させてもらったの」

梓「そして、発表した自主制作のCDをきっかけに、契約をとることができた」



ファーストシングルは大きな反響を呼び、初登場にしてチャート1位を獲得した。
そして待望の1stアルバムはミリオンセラーの売り上げになり、
ツアーも全てソールドアウト。
また、アルバムは日本市場のみならず、
アジアの市場でも好調なセールスを記録した。

梓 「だけど、私たちが望んだ形で成功したわけではなかった。
わたしたちは、楽器ができるアイドルと売り出された。
自分たちで曲を作っていることすら、
信じてもらえなかったこともあったくらいなんだから」



梓「わたしたちが、もっと曲を作る時間を欲しい、もっとリハーサルをする時間を
欲しいといっても聞き入れてもらえなかった。ちゃんと演奏をするよりも、
恥ずかしい衣装をきてバカっぽく愛想を振りまくことを期待された」

梓「唯先輩や紬先輩は、アイドル的なことにそんなに抵抗はなかったみたい。
けど、澪先輩、律先輩、それに私はそういうことはしたくなかった。
単純に、人前で水着になったり、露出の多い衣装を着るのが嫌だったの。
曲を作って、演奏して、そういうことを中心にやりたかった」

梓「マネジメント側としては、水着になれる人のほうを優遇するよね。
その辺から、メンバーの間に距離ができてきたのかもしれない。」



梓「撮影現場で律先輩がブチ切れて帰ったことがあった。
水着か露出の多い衣装かどっちか忘れたけど、それを着ることを
澪先輩が嫌がったので、周りのスタッフが怒ってた。
そうしたら、律先輩が『私らはアイドルでもモデルでもないんだ!
いい加減にしてくれ』って怒鳴って、澪先輩を連れて帰ったことがあった」

 梓「この時期、私たちの自主制作版の音源を聞いた、
アメリカの大物バンドがツアーの前座に私たちを
起用するという話があった。当然、わたしたちは、
全ての予定をキャンセルしてでも、このツアーに参加するべきだ思っていたの。
でも、マネジメント側は、そのバンドがパンクバンドで私たちの売り出しイメージと
合わないこととを理由に、この話を断った。
私たちがどう思われていたか、端的に表してるよね。」



続くセカンドアルバムは1枚目以上のセールスを記録し、
ドーム公演を含むツアーは全てソールドアウト、
さらに国内最大のロックフェスでトリに大抜擢された。
さらに、アジア各国を回るツアーも大成功を収めた。
商業的な成功の絶頂に彼女たちは立っていた。 

梓「成功の絶頂にいたけど、わたしたちはやる気を失いつつあった」

梓「アルバムの曲は、曲作りの段階から色々と介入を受けていた。
  私たちが作った曲とは言えないくらいにね。
  確実に売れるものを作るためよ」

梓「レコーディング中、みんなで話しをしているときに、
  紬先輩が泣きだしたことがあった。
  それはそうよね、だってバンドのメインの作曲者が、
  自分の意見を全く相手にしてもらえないんだから」

梓「そう、さっき、私たちをツアーに誘ってくれた大物バンドの話をしたでしょ。
  彼らが私たちの2枚目をボロカスに言っていたのをインタビューで読んだの
  『最悪だ、彼女たちがツアーに参加しなくてよかった』って。
  ため息しか出なかったよ」



加えて急激な環境の変化と成功に伴うプレッシャー、
過酷なハードスケジュールはメンバーの心身を蝕んでいった。

梓「澪先輩、律先輩、それに私は三度の食事の代わりに
お酒を飲むような生活を送るようになっていたし、
違法な薬物に手を出すようになった」

梓「その頃にはバンドの人間関係が、いい状態にはなくなってきていた。
お互いに話しをする事をしなくなってきた。
話をしたとしても、愚痴や不平不満ばかりだった」


成功の絶頂とバンドの状態の悪化の中で、
澪は観客の顔面をベースで殴り、その件で取材に来たマスコミに
ツバを吐きかけるという事件を起こす。

梓「あれは狭いイベント会場で演奏したときのことだった。
  前の客が、唯先輩のスカートの中を撮ろうとしたので、
  澪先輩が怒ってベースで殴ったの。」

梓「あのあと、ステージを降りたときに、唯先輩が澪先輩に注意したの。
  やりすぎって。そうしたら、澪先輩が唯先輩を怒鳴りつけて、
  一方的に唯先輩を罵倒しだした。唯先輩は泣いていたわ。
  紬先輩が必死になって澪先輩を止めてたけど、
  紬先輩も同じように罵倒された。
  私と律先輩は、黙ってみてただけだった」


さらに、律と梓は生放送中に泥酔してスタジオに現れ放送禁止用語を
連発した挙句、梓は吐いてしまった。
出演したのはラジオだったので映像が残ることだけは免れたのが、
不幸中の幸いだった。

梓「やりたくないことばかりさせられて、
  投げやりになっているところに、
  酒と薬で歯止めがきかなくなっている状態だった。
  だからあんな事件が起こったの」


梓「こういう事件を起こして、わたしたちはますます、
唯先輩や紬先輩に比べて冷遇されることになった。
本当は、クビになってもおかしくないところを、
二人が必死になってかばってくれていたんだけれど」

梓「けれども、律先輩と澪先輩は、唯先輩と紬先輩は
マネージメント側の人間だと思い込んでしまっていた。
放課後ティータイムが、アイドルのように扱われて、
意に沿わないことばかりさせられるのは、
彼女たちのせいだと思ってしまっていた。
そして、わたしもそう思ってしまっていた」


梓「おかげでメンバーの仲は、完全に悪化してしまった。
お互いにきちんと話しをする事ができず、お互いが何を考えているのか、
わからなくなってしまったの。本当はこういうときこそ、
一致団結しなきゃいけなかったのに」


アイドルとしてのイメージを大幅にダウンさせるような
先のような事件のほとぼりが冷めることを待って、
3枚目のアルバムを出すが、セールスは苦戦した。

アルバム発売直後に、澪と律はバンドを脱退。
ラブクライシスのリズム隊をサポートメンバーとしてツアーを行ったが、
ツアー終了直後にバンドは梓が脱退したことを発表。

唯と紬はサポートメンバーとともにシングルを発表したが
何の話題にもならず、ひっそりとバンドは解散することとなった。


梓「わたしたちが、あんな事件を起こしたりしたので、
アイドルという方向性は、一定修正されるようになった、というよりも
バンドが見放されつつあったといった方が正しいかもしれないね。
おかげで、2枚目ほど干渉はされず、前よりも自由がきくようになって、
  バンドの中の雰囲気も多少は良くなった」

梓「けれども、澪先輩、律先輩、それに私は、
  酒と薬で人間がデタラメになっていた。唯先輩も紬先輩も、
  それを注意することができなくなっていた。腫れ物に触るように、私たちに接していた。
  それが、バンドの寿命を縮めることになった」


梓「澪先輩、律先輩がバンドを抜けたのは、方向性の違いとか、
そんな大層なものではなかった。ここは強調しておくね。
単に、酒と薬で放課後ティータイムの立て直しに貢献できる状態ではないと判断して、
自分から辞めていったの。誰も辞めることを望んでなかったのに」

梓「澪先輩も、律先輩もどんなに関係が悪いときでも紬先輩の曲を頭ごなしに否定したことは
無かった。それは、意見交換する上で批判することもあるけれど、
みんな紬先輩の書く曲が大好きだったから」


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最終更新:2010年05月16日 00:29