狭い天井。
日はだんだんと陰り、部屋の中も気付かない内に闇が立ちこめて来ていた。
しかし、今の桑田には起き上がる気力も、電気をつける気力もなかった。
辺りからは響くカラスの鳴き声が聞こえてくる。
時々風が窓を叩き、どこから入って来たのか、小虫が室内を飛びまわっている。

放課後のこと。

他に何か言い方がなかったのかと、桑田は頭を悩ませていた。
ここに来てまだたった一週間。
それなのに、HTTのメンバーは、彼の心の中の大部分を掌握してしまっていた。


明日から、きっと彼女達は自分によそよそしく接するようになるだろう。
そう考えると、憂鬱な何かが桑田の胃の辺りをグッと握り締める。

桑田「・・・そういえば、いつここから帰れるんだろうな・・・」

逃げの考えから、つい桑田はポロッと呟いてしまった。
自分でその言葉を聞き、案外自分は弱く出来ている事を、
思い出したかのように気がついた。

(まだ帰るには早い。)

桑田「・・・!」

どこからか声が聞こえた気がした。桑田は起き上がり、室内を眺める。


桑田(前も聞こえなかったっけな・・・)

室内に何の異常も見られない事を確認すると、桑田は再び布団に転がった。

桑田(・・疲れてるのかもな。)

そう思い、少し眠ろうと瞼を閉じたその時、桑田の携帯が鳴った。

桑田「・・・わ!」

桑田(・・・)

桑田「そういえばこっちに来て始めて携帯が鳴ったな・・・」

桑田「知らない番号だ・・誰だろう。」

疑問に思いながらも、桑田は通話ボタンを押した。


桑田「・・・もしもし。」

さわ子「あ、もしもし、山中ですが・・桑田先生でしょうか。」

桑田(山中先生・・・部活の事か?)

さわ子「桑田先生、今少しお時間ありますか?」

桑田「ええ、大丈夫ですか・・軽音部の子達の事ですか?」

さわ子「うふ、そうです。あの子達がご迷惑お掛けしたみたいで・・では、駅前の〇〇でお待ちしていますね。」

桑田「・・はい、わかりました。」

何言われるんだろうなぁ・・と半ば不安になりながら、桑田は重い足を奮い立たせ指定された店へ向かった。


さわ子「あ、桑田先生、お待ちしていました。」

桑田「どうも、遅くなっちゃって。」

さわ子「いえいえ、大丈夫ですよ。あ、どうぞ座って下さい。」

桑田「はい。」

さわ子「・・・話は田井中さんから聞きました。」

桑田「・・そうですか。」

さわ子「桑田先生・・やっぱり、あなたは普通の人じゃないように思えます・・」

桑田「・・はい。詳しくは言えないですが、俺はミュージシャンとしてメジャーで活動していました。」

さわ子「・・・やっぱり・・・。」

桑田「なんか隠してたみたいで、すみません。」

さわ子「いえ、良いんですよ。気にしないで下さい。」

桑田「・・・」

さわ子「あの子達ね・・?」

桑田「え?」

さわ子「凄く桑田先生の事庇うんですよ?私は別に何かするつもりはないのに、‘桑田先生をクビにしないで下さい!’って。」

桑田「・・・」

さわ子「くわっちょは私達の為に、自分を犠牲にして憎まれ役を買って出てくれたんだって・・だから、何も悪くないって。くわっちょに謝りたいって。・・・田井中さんが。」

桑田「・・・!律が・・・?」

さわ子「はい。目を真っ赤にしながら。」

桑田「・・・嫌われたと思ってたな。」

さわ子「ふふ、いつも言ってますけど、あの子達本当にいい子なんですよ?」

桑田「・・・」

さわ子「そんな簡単に、桑田先生を嫌いになる訳がないじゃないですか・・・」


桑田「・・・そうか・・・・。」

桑田は、安易に‘元の世界に戻りたい’と思った事を悔やんだ。
自分がそんな逃げの体勢に入っていたのに、彼女達のなんと強い事か。
多少の安堵と罪悪感が、溜め息となって桑田の口から出た。

さわ子「・・・ねぇ、桑田先生。」

桑田「はい。」

さわ子「メジャーって、一体何なんでしょうね・・・」

桑田「・・・」

さわ子「夢や希望を持って・・目指している人はたくさんいるのに、その先にいる人達は、‘来ないほうが言い’って言う・・・。」

桑田「・・・」

さわ子「きっと、私には想像も尽かないような酷いこと、大変なこと・・たくさんあるんでしょうね?」

桑田「・・まぁ、はい。。」

さわ子「・・・けど、どうしてでしょうか・・あの子達ならもしかしたらって思えるんです。・・ふふ、教え子だからでしょうかね?不思議なんですけど・・・。」

桑田「・・・それは・・実は俺も少し感じています。彼女達には暗い影が全く見当たらないし、明らかに他とは違う何かがある。」

さわ子「・・はい。」

桑田「・・・でも・・」

さわ子「・・えぇ、わかってます。あの子達の力だけではどうにもならない事もあるんですよね・・・?」

さわ子「・・どの世界もそうなんでしょうね・・・強い力に、小さな主張は通らない・・それが例え、どんなに正しくてどんなに理想的な事でも・・。」

桑田「・・・」

さわ子「・・・でも。」

さわ子「強い力を持っている人も、そんな不条理な中を生き抜いて来た筈なんですよね。」

桑田「・・・」

さわ子「あの子達だけの力で何とかならなくても、同じ事を思ってる人があつまれば・・強い力を持ってる人達の中に、それに賛同してくれる人がいれば・・・・
若い力が変化を促していけば、きっと世界も変わって行くんじゃないでしょうか・・」

桑田(・・・!)

さわ子「・・なんて都合良すぎでしょうかね?ふふ。」

桑田(他の人達の理解・・・特に上の人間の・・・考えた事もなかった・・・。)

さわ子「・・・なんかおかしなお話をしてしまいましたね。とにかく、あの子達と早く仲直りをして欲しいと思ってお呼びしたんです。」

桑田「・・・」

さわ子「あの子達にとって・・・桑田先生はもう仲間であり、恩師なんですよ。」

桑田「恩師・・・。」

さわ子「うふふ、赴任一週間で、凄いですね。先生。・・・では、私はそろそろ失礼します。また明日、学校でお会いしましょうね。」スタスタスタ



桑田「・・・」

桑田(若い力・・世界を変えて行く力。)

桑田(力を持つ上の人間がそれに力を貸せば・・もしかすると・・)

桑田(・・いや、それでも、そんなに簡単な問題じゃない。そんな簡単に変わるんなら、もうとっくに変わっている筈だ。)

桑田「でも・・・」

音楽を音楽として心から楽しめる世界。仲間で、みんなで笑いながら楽しめる世界。金や力関係に気兼ねすることなく、純粋に音楽に向き合える世界・・・
そんな音楽業界がそんな世界になれば、どんなに素晴らしいだろう。

    • そう。

桜高軽音楽部のようになれば。


忘れかけていた音楽の楽しさ。
心から音楽を楽しむなんて、そんな当たり前の事をどうして忘れていたんだろう。
    • 思い出させてくれたのは、紛れも無くHTTのメンバー達だ。

彼女達が、純粋な、本当の気持ちに呼び覚ましてくれた。
当たり前で、一番大事な事を・・・。

桑田(・・・俺は。)

一瞬とは言え、彼女達の笑顔を奪ってしまった。
彼女達は何も悪くないのに、ただ純粋に音楽の道を進みたがっているだけなのに・・・。


自分は、彼女達に礼を、・・そしてお詫びをしなければならない。大きすぎる礼、大きすぎる詫びを・・・。

桑田「・・・」

桑田は何をすべきか思考を巡らしつつ、店を出て自宅へ向かった。




次の日、昼休みの職員室

ガラガラガラ

律「・・・」キョロキョロ・・・

さわ子「あら、田井中さん。」

律「あ、さわちゃん・・・えっと・・その、くわっちょは・・」

さわ子「・・あぁ・・・桑田先生ね、・・・今日、学校休んでるのよ。」

律「・・え!?」

さわ子「私も後で連絡してみるけど・・・」

律「どうしよう・・私が酷いこと言ったから・・くわっちょそれで学校来れないんじゃ・・グスッ」

さわ子(・・・うふ、ほんとに、この子ったら・・)

さわ子「大丈夫よ、田井中さん。桑田先生、多分本当に体調崩してるのよ。だから心配しないの。」

律「・・・でも・・でも・・・」ウルウル

さわ子「田井中さん。」

律「ん・・・何?」

さわ子「桑田先生を信じましょう?きっと来てくれるって。ね?」

律「くわっちょを・・・」

さわ子「それとも、桑田先生の事は信用できない?嫌いになっちゃった・・?」

律「・・・!そんな事ない!」

さわ子「それじゃあ・・」

律「・・・」

さわ子「待ってあげましょう?」

律「・・・ぐすっ」

さわ子「ね?」

律「・・うん・・・」

さわ子「・・・よし♪・・じゃあ、教室戻りなさい?授業始まるわよ?」

律「うん・・・わかった。・・・さわちゃん。」

さわ子「なぁに?」

律「ありがとう。」タッツタッツタッ・・・

さわ子(・・・ふふ、素直になっちゃって・・・。)

キーンコーンカーンコーン・・・

さわ子「・・あ!授業授業!」

さわ子「えーん、もう、桑田先生の穴埋めが私になるなんてぇ!
      • 何か奢って貰いますからね!もう!・・・」タッツタッツタッ・・・



放課後

ガチャッ

梓「・・あ、先輩達・・」

律「おお梓、おはよう。」

唯「あずにゃん、おはよう。」

梓「おはようございます・・あの、桑田先生は・・」

澪「・・あぁ、今日学校休んでるんだそうだ。」

梓「・・・え?」

唯「・・・」

律「・・・大丈夫だ、みんな!」

澪「律・・」

律「明日になればまた来るって!あのくわっちょだぜ?謝りに行けば笑って許してくれるし、大丈夫だよ!な!みんな!」

紬「りっちゃん・・」

律「大丈夫、大丈夫だよ、くわっちょは・・・!」

唯「うん・・うん、そうだよね!くわっちょだもんね!」

律「そう。そうだよ唯!」

梓「そうですね・・桑田先生、優しいから・・・」

澪「もう、仲間だもんな。」

唯「うん!くわっちょがいなきゃもう軽音部は成り立たないよ!」

律「よっしゃ!じゃあみんな!コンテストへ向けて練習するぞー!」

皆「おー!」


しかし、次の日も、その次の日も。

桑田は学校には来なかった。



(準備室)

唯「くわっちょ、今日も来ないのかなぁ・・・」

梓「先生・・」

澪「・・なぁ、律、先生一人暮らしって言ってたよな?もしかして、本当に体調崩して動けなくなってるんじゃ・・」

律「そ・・そんなまさか、学校には休みの連絡入れてるだろうし・・」

紬「そ・・そうよね、ふふ・・」

さわ子「それがね?みんな。」

律「わぁ!さわちゃん!?」

梓「先生、どうしたんですか?」


律「わぁ!さわちゃん!?」

梓「先生、どうしたんですか?」

さわ子「今日は、学校に連絡が来てないの・・携帯にも連絡をしてるんだけど、出てくれなくて・・」

澪「そんな・・まさか本当に・・」

唯「くわっちょ・・」

律「・・みんなでくわっちょの家に行こう!」

梓「で、でもいきなり行ったら・・」

律「こんな時に迷惑も何もないだろ!もし、くわっちょが本当に病気で苦しんでたら・・・・くわっちょを見捨てておけるか!」

澪「律・・うん。そうだな。」

唯「みんなで行こう!くわっちょを助けなきゃ!」

さわ子「・・・本当に、あなた達は・・・。ちょっと待ってなさい。職員室で桑田先生の住所聞いて来てあげるわ。」

唯「ありがとう!さわちゃん!」

さわ子「いいのよ。それじゃあ、行ってくるわね。」スタスタスタ


紬「それじゃあ、支度しましょう?」

梓「そうですね。さわ子先生が来たらすぐに出発できるように!」

律「よし!行くぜみんな!」

唯「ギー太の音聞いたらくわっちょ元気になるかなー?」

律「おぉ!演奏聞かせたら元気になるかもな!」

澪「いや、それは迷惑だろ・・・」

ガチャッ

律「おお、さわちゃん!早かったなって・・えぇ!?」


梓「・・・先生・・・!」

唯「くわっちょ!?」

澪「桑田先生!!」

紬「先生・・・!」

桑田「おー。みんな相変わらず校則に逆らったスカート丈だなぁ。もっと逆らっていいぞ。」

澪「・・・」カァァ

唯「くわっちょ!身体、大丈夫なの!?」

梓「先生!頭、大丈夫なんですか!?」

桑田「ん?身体?どうして?」

桑田「澪ちゃん相変わらずエロい髪してるねぇコレ」

澪「ななななな!見、見ないで下さい!」

紬「あらあらまあまあ。」
梓「それで、先生、一体どうしたんですか・・・?学校にも連絡入れずにお休みしてたなんて・・」

桑田「・・あぁ、ちょっとスタジオ借りて篭っててね。」

唯「スタジオに!?」

澪「ど・・どうしてそんな・・」

桑田「・・いや、少し集中したくてな。」

唯「集中?」

桑田「・・・ああ。実は・・・」

律「・・・ふ、ふざけんなよっ・・・!」

澪「り、律・・・」


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最終更新:2010年05月17日 23:13