紬「桑田先生?」
桑田「・・・あ、あぁ、うん驚いた。
まさかこんなに早い段階でこれだけ弾けるようになるとは。」
唯「へへー!」
律「当然だぜ!」
梓「桑田先生のご指導のお陰ですよ!」
澪「そうです。私達だけだったら、絶対にここまで出来てません。」
桑田(もちろんそれはあるが・・飽くまで俺はきっかけを与えてるだけだからなぁ・・
元々、この子達にはこれくらい出来る力があったって事だ。)
桑田(わからないもんだよなぁ・・こうやって見えない所に才能ってのは埋もれてんだから・・)
桑田(・・・!)
桑田(埋もれるような世界を作ったのは、俺達なんじゃないのか・・・?)
不意に、そんなニュアンスの考えが頭の何処からとも無く桑田の感情を揺らす。)
何があっても、何が起きても、それが降りかかるミュージシャンの一人一人を、
自分も含めて桑田は‘被害者である’と考えていた。
しかし音楽の世界に足を踏み入れて30年。そんな長い期間、
俺はずっと被害者面をしてなにをやっていたんだ・・・
‘おかしい’‘不条理だ’と思いつつも、その世界の中で上手く生きていく事だけを考え、
結果偏った形に思想は歪められ、自分の保守保身を第一に置くようになった・・・。
30年間も。
桑田(俺は・・何か出来たんじゃないか・・音楽業界を変えていく何かが・・
それなのに俺は、言い訳ばかりして、‘変えていく’んじゃなくて‘変わっていく’事を選んで・・)
桑田(結果・・・この子達のような存在が埋もれる世界を作ってしまったんだ・・
この子達は・・俺達が表舞台で活動する為の影に埋められていたんだ・・)
桑田(・・・だから、彼女達は光を求めるんだ、表舞台を・・昔の俺と同じように・・。)
桑田(30年間、それは何も変わっていないのか・・。)
桑田(・・でも。)
桑田(今の俺の立場なら・・‘サザンの桑田佳祐’の力なら、
それをどうにか出来るきっかけを作り出す事が出来るんじゃないか・・?)
桑田(影を作らない世界を・・・。)
桑田(ここに来た理由、か。)
一体誰が、どんな不思議な力が俺をこの世界に呼び出したのか。
そんな事はわからない。
しかし、この世界を・・
この音楽業界を憂う誰かが、何かが俺をここに連れてきたのではないか。
まず一つ、俺に音楽の楽しさを思い出させる為に、・・・そして、音楽が楽しかった頃、
その頃の自分と同じように活動している若者が、今もまだいるんだという事にも気付かせる為に・・
桑田(そして・・・)
桑田(そして・・・・・・)
この先を、桑田は考えたくなかった。
この世界では、桑田はただの高校教師。何の力もない。
- しかし、元の世界、‘サザンの’桑田佳祐であれば、力も人脈も、
30年間培ってきた物がある。
桑田はこの世界に来て、音楽の楽しさを思い出し取り戻した桑田は、
今も自分の若い頃と同じように夢を追っている若者がいる事を、
‘教師’という近い場所で目の当たりにした。
- 桑田がこの世界に来させられた最後にして最大の理由。
それは若き日の自分を取り戻し、
しがらみで満ちた世界に改めて向かい合った桑田が、
その世界を変えていくきっかけを作り出す事。
桑田(・・・違う。)
桑田(俺にはこの世界全体を変えていく事なんてできない・・・!)
桑田(しかし、しかしこの子達だけだったら・・)
桑田(この子達だけなら、俺は守っていける。・・・守ってやりたい。)
桑田(でも、俺はこの世界では何の力もない・・)
桑田(俺の力では・・・見守る事しかできない・・・)
桑田はこの世界に来て初めて、‘一般人’となった自分を呪った。
サザンの名前さえ取り戻す事が出来たなら・・・彼女達をこの先も守っていけるのに・・
(・・・そろそろ戻ろうか。)
またあの声が聞こえる。
嫌になる程、はっきりと頭に響く。
桑田は薄く目を閉じた。
車のエンジン音が聞こえる。
自分は車の後部座席で眠っている。
これから青山へ行って、アルバム制作の作業・・
それもそうだよな。俺が高校の教師で、女子高生に囲まれて・・
エロい事ばっか考えてるからこんな事になるんだ。
あと10分程で到着だ。
そろそろ起きて、新曲の構想を・・
(・・い!)
(・・・くわ・・せんせい!)
どこからか声が聞こえる。
俺はまだ夢の続きを見ているのか。
そう思いながら何となしに伸びをし・・・
桑田(・・違う!)
桑田(俺にはまだ、やり残したことがあるんだよ!)
桑田(頼む・・・!頼む!まだ・・まだ向こうにいさせてくれ!)
桑田(せめて・・せめてあいつらのコンテストまで・・・)
(くわっちょ!くわっちょったらぁ!)
(先生!どうしたんですか!?)
桑田「ん・・・」
律「起きてよ・・くわっちょぉー・・・!」
桑田「・・・ここは・・」
戻ってこれたのか、見知った音楽準備室。
周りでは女子高生が5人、自分を取り囲んでいる。
唯「くわっちょ!」
紬「桑田先生!」
意識が戻った自分を見て、不安そうな面持ちだった生徒達の顔に笑顔が広まり出す。
- そうか、俺は練習中、急に意識がおかしくなって・・・
律「うぅ・・うぅ・・くわっちょぉ・・・」
生徒の一人・・そう
田井中律が目を真っ赤にして、
今にも流れそうな涙をいっぱいに溜めてこちらを見ている。
- 最初は、俺がただ居眠りをしているだけだと思ったんだろう。
手にはイタズラに使ったと思われる猫じゃらしが握られていた。
桑田「律・・・」
律「あ・・あんまり心配させんなよ・・バカァ、心配・・したんだぞ・・」
桑田「・・・すまんな・・。」
律「この・・バカエロ教師・・・ぐすっ・・・」
桑田「ごめんな・・・」
どうやら自分は戻って来れたらしい。・・・いや、再び来させられたと言った方が正しいのか・・
桑田(・・・はは、どっちが俺の本当の世界なんだかわかんないな。)
少なくとも、自分にとっては掛け替えのない物となってしまったこちらの世界。
再びHTTのメンバーと会話が出来る安堵。
その中で、桑田は一つの事を確信した。
桑田(俺がここにいられるのはコンテストの日まで・・・そう、あと三週間だ・・・三週間しかない・・・。)
桑田(自分が与えられる物・・教えられる事・・・この三週間で、出来る限り彼女達に託そう・・)
桑田(今の俺には、もうそれくらいしか・・)
桑田「・・・よし!練習するか!練習!」
唯「・・・え?でもくわっちょ、休んでた方が・・」
梓「そ、そうですよ!」
桑田「大丈夫大丈夫。ビンビンよ。」
唯「びんびん?」
いつもの律の激しい突っ込みが来ない。
あれ、おかしいな・・・そう思って律の方に顔を向けた瞬間。
時間差でやって来た律の後ろ回し蹴りに、桑田は悶絶するのだった。
律「このエロ魔神が!」
梓「女の敵・・・」
唯「びんびんー?憂に何のことか聞いてみようかなぁ・・」
桑田(ははは・・・やっぱ良いな、ここは・・・)
痛みに堪えながら、桑田は笑みを浮かべる。
その姿は、女子高生に蹴られて喜ぶドMのそれだった。
それからの三週間。
練習のスタンスは変わらず、集中して練習し、その前後はティータイム。
ただ違う事は、
自分が持っている技術や考えを各メンバーに少しづつ伝授するようになった事だ。
例えば、唯と梓にはスライドギター。澪には詩の世界観と自分なりの理論。紬には作曲法。
律にはリーダーとしての心構えや考え方。
彼女達は自発的にそれを家で復習し、着実に自分の技術として取り込んでいく。
今出来る事。伝えられる事。
それを余すことなく彼女達に・・・
今、自分に出来る事はそれしかないのだから。
とあるパーティー会場。
コンテストを三日後に控えたHTTのメンバー達に、
桑田は労いの意味も込めてパーティーを用意していた。
桑田(俺は多分、打ち上げにも参加は出来ないだろうからな・・・)
今日で未練は全て断ち切ってしまおう。
そんな意味も込められた、桑田からメンバーへの贈り物だった。
律「こ・・・こりゃあすげぇな・・・」
唯「う、うん・・広いし豪華だし・・・」
紬「あらあらまあまあ♪」
澪「ムギは普通だな・・」
梓「ムギ先輩ですから・・」
さわ子(桑田先生、どこにこんなお金が・・)
憂「ね・・ねぇ、おねえちゃん。」
唯「何?憂―。」
憂「わ、私達も来て良かったのかな?こんな凄い所・・・」
和「そうよ、唯、ファミレスとかかと思ったら・・」
桑田「大丈夫大丈夫。」
憂「あ、先生!」
和「招待して頂いてありがとうございます」ペコリ
桑田「いいよ、そんなにかしこまらなくても。それに招待したのは唯や律だしな。」
憂「でも、すっごく豪華・・・」
最後になるのだ。
いくら豪華にしてもやり過ぎという事はない。これでも物足りないくらいだと桑田は感じていた。
聡「・・・ほえー・・・」
澪「中学生には刺激が強すぎたみたいだな。」
律「私達にも強いって!・・全くくわっちょ何者なんだよ本当に・・・」
純「私もいるよー。」
桑田「よし、律!パーティーの音頭任せた!」
律「え?」
桑田「頼みますよ、バンマス!」
唯「いけいけりっちゃん!」
紬「りっちゃーん♪」
律「・・・よーし!みんな今日までお疲れ!そして三日後のコンテスト、絶対に優勝するぞー!」
全員「おおー!!」
パーティーが始まった。
周りでは笑顔、笑顔、笑顔。
音楽業界全体をこの笑顔で埋め尽くすには、一体どれだけの会場が必要なんだろう・・
と桑田は久しぶりの酒を飲みつつ思いを巡らせる。
唯がエアギターをしている。こんな時までバカな奴だ。
紬は慣れた感じだ。この子には謎が多い。
梓は唯や律に振り回されて目を回している。この子はこのバンドのマスコット的存在だな。
澪はメンバーを気遣いつつパーティーを楽しんでいる。
大人びた良い子だ。主観的に見ると、この子が一番バンマス向きなのではと思える。
律。
やはりこの子が引っ張ってきたから、このバンドは成立しているのだ。
破天荒で非常識なのに、何故か周りはついて行ってしまう不思議な求心力。
自分も、それに惹き込まれた一人だ。30年間、
常に音楽業界の第一線を走り続けてきた自分が・・・。
何となく、大学時代の自分と律の姿が重なる。
リーダーとしての振る舞い、気遣い。
そんな律だから、俺はここでこんなに楽しく笑っていられるのだろう。
そんな律だったから、自分は・・・こんなにこの世界に未練を残しているのだろう。
最終更新:2010年05月17日 23:16