深夜の半蔵門スタジオ。やさしい夜遊びの収録を終え、
桑田は楽屋で身支度をしながらの短い休憩に身を委ねていた。
スタッフ「桑田さん、お疲れさまでしたー!」
桑田「お疲れ、ありがとね。」
労いの言葉に一瞬の安堵を感じるが、桑田の仕事はまだ終わっていない。
この後は自らがプロデューサーを勤める、新しく始めた音楽番組の企画会議。
それに伴い、
朝からは地方へ出向き直々に地方アマチュアバンドの開拓・PR活動為の調査へ行かなければならない。
今日は、どんな若手と会えるのだろう。
桑田は用意されていたコーヒーを飲まずに手に持ったまま、
スタッフ達に「お疲れ!」と声を掛け、まだ撤収作業で騒がしいスタジオを後にした。
桑田は、ある日を境に突然、
音楽業界の行く末を憂い、それをなんとかするべく活動するようになった。
自らが先頭に立つ事はもちろん、30年間培ってきた人脈・権力もフルに活用する。
驚いたのは、自分と同じような事を思っていた音楽人・業界人が案外多くいたことだ。
ありがたい事に、そのそれぞれが利益云々関係無しに、好意的に桑田に協力してくれた。
特に事務所の後輩であるマサジなんかはとても熱心にしてくれて、本当に頭が下がる思いだ。
その甲斐もあり、
数年経った今音楽界は‘若手最盛期’とマスコミや一般に呼ばれるようになっていた。
メジャー以外でも、巷ではメディアでは捉え切れない程のミュージシャンがひしめき合い、
互いに刺激し合いながら音楽に取り組んでいる。
桑田は、全国的に‘音楽’いわゆる‘バンド’の活動をもっとし易くする為国に働きかけたのだ。
最初は煙たがられたものの、桑田の諦めない姿勢に政治家達はとうとう折れ、
桑田は自らの活動に協力させる事に成功した。
結果、今はライブハウスや劇場の数も増え、更に使用料金は格段に安くなり、
若手ミュージシャン達は表現の場に何も苦労しないようになっている。
もちろん、良いことばかりではない。
業界の‘陰’はしぶとくまだまだ拭いきれてはいないし、
桑田の活動を快く思わない
その他の大御所は多くいる。
とある番組司会者は「金儲けや」と自らの番組で吐き捨てていたらしい。
こんな事金にならねぇよ・・・
フッと笑いながら桑田は車に乗り込む。
車に揺られながら、桑田はボーッと窓の外を眺める。
桑田には、一つ疑問に思う事があった。
- 自分は何故、突然こんな活動をするようになったのか?
桑田は、それまで無意識の内に自らの保守・保身を第一に考えていた。
そんな自分が、どうして今更、こんな革命的な危ない橋を渡るのか。
桑田(…まぁいいか。考えるのはよそう)
いくら考えても、答えが出る事はない。
桑田は何故かそう確信があった。
伸びをして、頭をポリポリと掻く。
桑田は移動中の車の中で目を閉じると、次のスタジオに着くまでの時間を仮眠に使い、
少しでも疲れた身体を癒す事にした。
数日後
(・・わっちょ!)
(・・・くわっちょ!)
妙に親しみを感じる自らの呼び名が聞こえる。
いつだったっけな。自分の事をこうして呼ぶ奴らがいたような気がする。
お転婆な奴らで・・・
バカばっかやって教師を困らせて・・
頭がゴチャゴチャになってきた。
どうせ答えなんて出ない・・・どうせあいつらとは、もう・・
「くわっちょ!」
桑田(・・・!)
桑田「・・・律・・・!?」
突然頭の中に浮かび上がってきた名前。
桑田は反射的に起き上がり、声の主を凝視する。
ユースケ「わぁ!なんだよくわっちょ!いきなりそんな勢いよく起き上がるなって!」
桑田「・・・?ユースケ・・」
ユースケ「もうすぐ収録だからさ、そろそろ起きなよ!」
桑田「・・・」
そうか、今から音楽寅さんの収録が・・
ユースケ「ところでくわっちょぉ律って誰なのよ?律ってぇ。」
桑田「え?」
ユースケ「どっかの店の女の子?(笑)全く忙しい中でヤル事はヤってんだからぁ。」
桑田「・・・」
誰だろう。
律・・・‘くわっちょ’と呼ばれて、反射的に出てきた名前。
自分の娘かのように親しみを覚える、その名前は・・・
ユースケ「くわっちょ!くわっちょ!」
思い出せない。・・律・・律とは誰なのか。何なのか・・・
ユースケ「くわっちょ!くわっちょ!」
ユースケ「くわっちょ!くわ・・・いて!」
桑田「気持ち悪い呼び方するな!」
理由はわからないが・・
今は、誰にも「くわっちょ」とは呼ばれたくなかった。
マネージャー「桑田さん、お疲れ様です!次回のMステ、出演決定しました。」
桑田「お、ありがと。」
桑田「ん。」
リストを受け取り、出演者を確認する。
こうして見ると、やはり若手も多くなったものだ。
Mステで半分以上が若手なんて、昔じゃなかなか・・・
桑田「・・ん?」
マネージャー「どうしましたか?」
桑田「いや・・この、‘HTT’って何?ヒットチンチン?」
マネージャー「なに言ってるんですか(笑)放課後ティータイムですよ。」
桑田「放課後ティータイム・・・」
懐かしい名前だ。
桑田は瞬間、そう思い、すぐ別の所から来た疑問に思考を奪われた。
桑田(・・懐かしい?何でだ・・・?)
まただ。
またこのおかしな、気持ちの悪い感覚。
放課後ティータイム。
確か、今若手で最も注目されているガールズバンドだ。
多分、テレビか何かで見たんだろう。
それで、懐かしいように思えて・・・
マネージャー「・・桑田さん?」
桑田「・・あ、あぁ、はいはい。」
マネージャー「今日は久しぶりに、夜がオフです。たまには家に帰って、ゆっくり疲れを癒したらどうですか?」
桑田「・・・あぁ、そうだな。・・そうする。」
そうだ、きっと疲れているんだ。
桑田はそう思い立ち上がると、マネージャーの車で自宅へ向かうのだった。
次の日。
自宅で身支度を整えた桑田は、ふと何かが気になって自室クローゼットの扉を開けた。
桑田(・・・?)
見慣れないギターケースがある。
このクローゼットは随分開けていないというのに、何故か何も埃を被っていない。
桑田(・・・)
桑田は中身が気になり、ケースを開けてみる。
- そこに入っていたのは、ゴチャゴチャに寄せ書きがされた真っ白なギター・・
何故こんな物があるのかはわからないが、少なくともその寄せ書きは自分に宛てられた物だという事だけはわかった。
桑田(くわっちょ・・先生?なんだ、なんで‘先生’なんて・・
いや、そもそも俺はこんな物を受け取った記憶は・・)
原坊「けいちゃんー!マネージャーさん来てるわよー!」
桑田は何故かギターを手放すのが惜しく、片手にギターケースを持ち、収録へ向かった。
“桑田佳祐様楽屋”
桑田は楽屋で、寄せ書きがされたギターを一人眺めていた。
桑田(これが何なのかはわからないが・・・)
桑田(俺にとって、何か凄く大事な物・・)
桑田(それだけはわかる。)
桑田(しかし、なんで大事な物なのか・・)
桑田(誰から受け取った物なのか・・)
桑田(・・・)
桑田(・・・ダメだ、どうしても思い出せない。・・・トイレでも行くか。)
桑田はまた考える事を断念し、本番前のトイレを済ませに楽屋を出た。
桑田(・・ふう。)
用を足し、手を洗ってトイレから出る。
何となく、今日の収録ではあのぎたーを使って演奏しようか・・そんな事を思いながら廊下を歩き、再び楽屋へ戻る。
桑田(・・・ん?)
自分の楽屋の前に、若い女の子が一人立ち尽くしているのが見える。
桑田(出演者かな?楽屋挨拶に来たのか・・でも、今日の出演者に女性ソロなんていたかな。)
こちらから声を掛けた方が良いのだろうが、何故か言葉が出てこない。
いつの間にか、桑田はその女の子の後ろで立ち止まってしまった。
桑田(・・・あれ・・)
懐かしい感じを覚える。・・それと同時に、何故か身体を大分殴られた事があるような、そんな苦笑してしまう思い出が頭を過ぎる。
桑田(・・会った事ある子かな・・えっと・・)
桑田が何とか思い出そうとしていると、そお女の子は勢いよく桑田の方に振り向いた。
桑田(・・・)
一瞬目が合うが、彼女はすぐ下を向いてしまった。なにやら小刻みに身体を震わせている。
顔を見ても、やはり誰なのかは思い出せなかった。・・・しかし、何だろう、この感覚は。
懐かしいような、悲しいような・・・数年前から慢性的に押し寄せてくるこの感じ。
それが、彼女を目の前にして、これまでにないような勢いで増幅して来ていた。
とりあえず、何か声を掛けよう、そう思い口を開こうとすると、
彼女は再び顔を上げ、真っ直ぐにこちらを見つめてきた。
「あああああの、、あの、えっと・・あ、あれ?あれ・・・」
しかし彼女は、
口が上手く回らないようではみ出したような言葉の断片しか形となって出てこない。
「あ・・・あの・・」ポロポロ
彼女の目はみるみる涙が溜まって行き、今にも零れ落ちてきそうだ。
前にも確か、こんな状況があったような気がする・・
その時。
その時もこの子は泣いていて・・
俺のせいで、泣かせてしまって・・・
桑田「・・・」
律「わ、私・・・
田井中律と・・・い、言いま・・・ち、ちが・・そうじゃなくて・・そうじゃなく・・て・・・」
最終更新:2010年05月17日 23:24