澪「バンドは全てのメンバーがいなくちゃ成り立たない。まずは自分ができることを探さなくちゃ」

梓「自分ができること……」

澪「私の場合は、歌詞とボーカルかな。勿論、ベースプレイもあるけどさ、本当は恥ずかしいから、最初は歌いたくなかったんだ。でも今じゃそれが私の個性になってる」

梓「自分ができることを探す……」

それは、1年生の1年間をかけての私の至上命題となりました。

唯先輩と同じスタイルの轟音ギターでは、勝負にならない。
私だけのギタースタイルを確立して、唯先輩の隣に立つことを目指すのです。

1年生の学園祭までは、まさにあっという間でした。


唯「それじゃあ次の曲は……『ふわふわ時間』!」

この頃になるとバンド名も『放課後ティータイム』に決まっていました。

そして何よりも特筆すべきは、HTTで初めて作ったオリジナル曲、『ふわふわ時間』の進化でした。

4分ほどの軽快なポップパンク風のこの曲を、唯先輩は20分以上もの長尺演奏にアレンジし直したのです!

しかも、20分の内の15分――曲の間奏に延々と続く轟音ノイズパートを挿入する形で!

ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!
ギュギュギュググググワワワーーーーン!!!!!!!!!!
ガガガガガ……ゴワーーーーーーーーン!!!!!!!!!!

かつて、軽音部はあの新入生歓迎会での演奏による持ち時間の大幅なオーバーで、生徒会にこってり絞られたと言います。

でも、そんなこともお構いなしです。

グガガガガガガガガガガガピーーーーッ!!!!!!!!!!
ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!

そして、私はその15分間を唯先輩とともに、ムスタングを掻き毟り、
足元のエフェクターをいじりまくり、マーシャルを苛め倒して、轟音の生成の加担に加わることが出来たのです!


そしてこの瞬間、私は驚くべき光景を目にしました。

はじめは耳を塞いで苦悶の表情を浮かべていた観客の人たちが、
ひとり、またひとりと私たちの繰り出す轟音に身をゆだねるように、ある者は踊り、ある者は腕を振り上げ、
ある者は焦点の定まらないふやけた瞳でこちらを見て……とにかく陶酔していたのです!

いつかの澪先輩の言葉が思い出されました。

澪「私もあんなうるさい音を出す音楽、初めは嫌だと思ったよ。
  でも梓、知ってる? 轟音ってある一定のレベルを超えると、聴く者の感覚は麻痺し、一種の夢遊状態に陥ることがあるって――」

唯先輩は、まさにそれを狙ってやっていたのです。

和「唯! 貴方また持ち時間をオーバーしたでしょ!?
  しかもあんなうるさい音……近隣の住民から苦情が来るわよ!?」

唯「そんなこと言って~。和ちゃんも舞台袖でアヘ顔して轟音シャワーを浴びてたくせに~」

和「なっ……!(確かにそうだけど……)」

やっぱり怒られました。

でも悪い気はしません。心地よい達成感で身体が一杯です。
こんなこと、ギターを手にしてから初めての経験です。



すると、唯先輩はまるで赤子のような無垢な笑みを浮かべて、私に振り返りました。

唯「それと、あずにゃん!」

梓「は、はいっ……?」

唯「『ふわふわ時間』のノイズパート、良かったよ~! やっぱりギターが二本だと、厚みが違うよね~」

梓「!!」

この瞬間の私の胸の高鳴りをどう表現すればよいでしょう。

今思えば、この瞬間から、唯先輩は私の憧れのギタリストというレベルを通り越して、
身も心もゆだねたくなるような存在――つまりは、愛しい人に変わっていたのです。


梓「唯先輩、『ふでペン~ボールペン~』のアレンジはどうしましょうか?」

唯「んー、そうだね。ギターの壁の後ろで、澪ちゃんのボーカルが微かに聴こえる感じまで、ギターの音を厚くしたいかな~」

唯「あずにゃん、この映画面白いんだよ~? 今日家帰って見てみてよ!」

梓「『血のバレンタイン』……ホラー映画ですか。私は苦手なんですけど……」

唯「澪ちゃんに貸そうと思ったら断固嫌がられてさ~。なんならあずにゃんの家で二人一緒に見ようよ!」

梓「は……はい!」

この頃から、唯先輩と私は音楽のことやそれ以外のことでもよく会話を交わすようになりました。
その近しさは、仲の良い先輩と後輩というには、少々異様なものだったらしいです。

紬「私は特別何とも思わないわ。むしろどんとこいです!」

律「まぁ恋愛の形は人それぞれっていうし……」

澪「梓がいいなら、いいんじゃないか?」

幸いなことに、軽音部には理解のある先輩しかいませんでした。

でも、違うんです。
これはまだ私の一方的な片思いで、唯先輩に気持ちは伝わっていない……。

一歩踏み出す勇気は、私にはまだありませんでした。


4月――。
私は2年生になり、唯先輩達は3年生になりました。

新入生歓迎会では最高の演奏を見せたにもかかわらず、1年生は入部しませんでした。

それでも別にいいかな、と思ってしまったのは、自分と唯先輩の間に余計なお邪魔虫が入らなくて済むという、
あまりにも勝手で少しだけ醜い女の子心からだったのかもしれません。

同級生の友達にも、こんなことを言われました。

純「たぶんね、軽音部は傍から見ると5人の結束が強いように見えるから、入りにくいんだよ。
梓と唯先輩の轟音ギターの隙間には余計な音一つ入り込む隙間がないように、ね」

本当にそうだったら、どれだけよいことかと思いました。

ちなみに、この頃には『ふわふわ時間』の間奏ノイズパートは30分を超えていました。



夏休み――。

私の提案で軽音部は夏合宿として、野外フェスを見に行くことになりました。
所謂フジ・ロック・フェスティバルというやつです。

律「あー、やっぱり青い空の下で見るライヴは最高だな! よーし、澪! 次はあっち行ってみようぜ!」

澪「おい律! 炎天下なんだからあまりはしゃぎ過ぎるなよ!」

紬「野外フェスティバルなんて初めてだから新鮮だわ~」

唯「そうだね~。あ~、やきそばたべたいな~」

梓「…………」

正直言って、私は狙っていました。何って、唯先輩を。

まぁ、こういう言い方は語弊があるかもしれませんが、理解してほしいのは私ももう限界だったということです。

最初はその魔法のようなギタープレイに同じギタリストとして憧れただけのはずの唯先輩、今ではその全てが欲しくてたまらなかった。



そうしてその夜――。

私は運よく二人きりで、大トリのバンドのステージを見ることができました。

律先輩は昼間のはしゃぎ過ぎのせいで、疲れてテントで既に就寝。
澪先輩と紬先輩は別のステージを見に行っています。もしかしたら気を使ってくれたのかもしれません。

唯「わたし、一度でいいからこのバンドのライヴを見てみたかったんだ!」

大トリははるばるアイルランドからやってきたというバンド。
なんでもかなり昔に名盤と言われる1枚のアルバムをリリースしてからは、活動を休止してしまい、その後長い休眠を続けたものの今年再始動。
今日が17年ぶりの日本でのライブだそうです。
なんでもフロントのギター・ボーカル担当の2人のメンバーは夫婦同士だとか……。うらやましいなぁ。

そして、そのバンドは唯先輩がギターを始めてから最も影響を受けたバンドだということでした。

『ゴオォォォォォォォォォォォォォォ!!!!!!!!!!!!』

野外とは思えない物凄い轟音――。さすが唯先輩が影響を受けたバンドだけあります。
そして、その轟音の隙間から漏れ聞こえてくるのは、どこまでも美しいメロディ。

梓「HTTに……すごく似てる……」

私が思わずそう漏らしてしまったのも無理はありません。


そして、感極まった私は、

(ぎゅっ)

唯「えっ?」

唯先輩の手を握ってしまいました。

私は轟音にかき消されぬよう、唯先輩の耳元で囁きました。

梓「私、唯先輩と一緒に音楽がやれて、本当によかったです」

唯先輩はにっこり笑いました。

唯「それは私もだよ――あずにゃん」

違う。

本当はもっと言いたいことがあるのに――。

私は自分がイヤになりました。



唯「だいじょうぶ。全部わかってるよ、あずにゃん――」

でも、唯先輩はそんな私の頭を優しく撫でてくれました。

もはや、言葉は要りませんでした。

その日、恐ろしいほどのギターのフィードバックの轟音に包まれて、唯先輩と私は初めてのキスを交わしました。

今となってはあまりに興奮していたもので、その時のバンドの名前も正確に覚えていません。

確か、前に唯先輩に薦められたホラー映画のタイトルみたいな、趣味の悪い名前でした。

でも、キスを交わした時に演奏されていた曲のタイトルだけは、一生忘れることはないでしょう。

『You Made Me Realize(あなたがわたしに気づかせてくれた)』



それから先は、まるでジェットコースターにでも乗っているかのように、速く時は過ぎて行きました。

でも、その分だけ濃密で、楽しい時間でした。

唯先輩と私は、軽音部内でも公認のカップルになることができました。

紬「いいものが見れて、私、軽音部に入って本当によかったわ。
  もし私が明日二階建てバスに轢かれて死んだとしても、
  唯ちゃんと梓ちゃんのことを思い出せば、世界一幸せな女として死ねるわね♪」

律「唯と梓を見ているとこっちまでホンワカした気分になってくるよ。あ~あ、私も彼氏でも作るかな~」

澪「なっ! 律みたいにガサツな女に彼氏なんてできるわけないだろ!」

律「なんだよー。そんなのわかんないじゃん。そういう澪こそどうなのさー?」

澪「……ばか律。(そういう意味で言ったんじゃないのに……)」

紬「オゥフwwwwwww(今日轢かれてもいいかも……)」

そして、一番の心配のタネだったあの人も……

憂「お姉ちゃんが選んだ人なら……私は何も言わないよ。それにお姉ちゃんの相手が梓ちゃんでよかった」

梓「憂……」

なんとか理解を得られました。


こうして、唯先輩と私は蜜月の日々を過ごしました。

本当に、この時の幸せを何と表現したらよいでしょうか!

そして、この頃、私たち放課後ティータイムが演奏しているような音楽は
『シューゲイザー(shoegazer)』というジャンルにカテゴライズされることを知りました。

澪「何でも、演奏中に客に愛想を振りまくこともせず、じっと手元ばっかり見て演奏している様子が、
  『自分の靴ばかり見てる(shoe gaze)』ように見えるからそういう名前になったんだって」

律「へぇー」

澪「それで音楽的な特徴は、やたらと轟音のギター、
  歌詞の聞き取りづらいふわふわとした不安定な歌、綺麗なメロディーライン……」

紬「まさに私たちのことですねー」

でもそんなジャンル付けは唯先輩と私には関係ありませんでした。

放課後ティータイムは放課後ティータイム以外の何物でもないからです。

それに、演奏中の唯先輩と私は、傍からは『靴を見て』周囲には無関心に自分の演奏に没頭しているように見えても、
その実傍らにいる大切な人の暖かい存在感を、ギターから発される轟音を通して感じあっているのですから。



その後、秋の学園祭ライヴを終える頃になると、
放課後ティータイムにはライヴハウスへの出演(1年生の冬に一度だけ出たことがあった)や、
インディーズでのレコードデビューの話が来るようになりました。

しかし、ライヴハウスへの出演はともかく、レコードデビューは時期尚早と判断し、
私たちは地道に軽音部としての活動を続けていました。

そうして、とうとうやってきてしまった卒業ライヴ。

私はあまりの寂しさにステージ上で泣きじゃくり、コードを押さえる指は勿論、
足元のエフェクターのスイッチさえ涙で滲んでよく見えず、うまく踏むことができませんでした。

それでも演奏は最後だけあって気合いが入り、素晴らしいものとなりました。

この時、私はいつか澪先輩が言っていた『自分のできること』が何か、わかりました。

それは、唯先輩と二人三脚で、唯先輩の呼吸を察知し、意図を汲み、共に轟音の壁を作りだすパートナーとしての役目。

それはまさに、私にしかできない役目です。



律「はははっ、梓は泣き過ぎだよ! ……会えなくなるわけじゃないのに」

梓「らって……グスン……みんな卒業しちゃう……そんなのいやで……グスン」

澪「それでも演奏だけはちゃんとやっていて、えらかったぞ?」

梓「ありがとうござ……グスン……います……」

紬「よっぽど唯ちゃんと離れるのが寂しかったのね(ニヤニヤ)」

唯「大丈夫だよ! 私たち4人、みんなおなじ女子大に行くし、HTTも続けられるよ?」

梓「でも……でもぉ……」

唯「あずにゃん……軽音部のことよろしくね……?」

梓「でも……わたし……ひとりになっちゃうんですよ? そんなのって……」

唯「『私たちの軽音部』を守っていくのはあずにゃんにしか出来ない役目なんだよ?」

梓「ゆいせんぱぁい……」

HTT、軽音部としての最後のライヴ。
その轟音はとうとうレッドゾーンを超え、講堂の窓ガラスは振動で割れ、
アンプの前をたまたま通りかかったネズミがあまりの爆音で破裂し、
観客達はまるでドラッグをキメたかのように音の壁に身を任せ、ゆらゆらと漂っていたといいます。

まさに最高のライヴでした。



その後、私は3年生になりました。

唯先輩達の卒業で消沈し、部員集めもロクにできない私を見かねて、
憂が決意して入部してくれ、純もジャズ研と掛け持ちという条件ながらも参加してくれました。

その後、憂と純の協力もあり、4人の新入部員を獲得。
唯先輩達から受け取った軽音部のバトンを、私もなんとか次の世代につなぐことができそうです。

その後、私は純をベース、憂をドラムス(というより憂はちょっとコツさえつかめばどんな楽器も人並みに演奏出来てしまう、唯先輩とは違った意味での天才でした)に据え、
トリオバンド『放課後涅槃タイム』として活動。

HTTとは違う、時には爽やかなポップロック、時にはちょっとハードなグランジロックを演奏して、
『轟音製造機』なる軽音部の妙な異名を払拭することもできました。

唯先輩達も学園祭に私たちの演奏を見に来てくれ、とても誉めてくれました。

唯「たまにはこういう爽やかな音楽もいいね~」

唯先輩はこんなことを言っていましたが。

全く、唯先輩はたまにこういう素直じゃないところがあるんですよね。

ベッドの中とかでもそうだけど……。あ、今のは聞かなかったことにしてくださいね?


そして、私の高校卒業を機に、この1年間はライヴを中心に活動していた放課後ティータイムが、更に本格的な活動に乗り出しました。

きっかけは、唯先輩達の同級生である真鍋和さんが、
生徒会長の経験で培ったリーダーシップと元来の知力を活かし、
大学在学中にインディーズのレコード会社を起業。

その第1弾アーティストとして、放課後ティータイムをレコードデビューさせたいという話を持ってきたことでした。


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最終更新:2010年05月23日 00:04