和「私も唯達の影響で音楽に目覚めてね。楽器は出来ないけど、レーベルの経営なら……って思ったの。
レーベルの名前は『創造(クリエイション)レコード』!
HTTなら、きっと新たな音楽シーンを創造する旗手になれるはずだわ」
創造レコード――まさにHTTに相応しい名前です。
そうしてレコーディング。
唯「必殺! フィードバック!!」
――ギョワアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!
ああ、この音です……この音。
唯先輩のギー太(トレモロアームを装着する改造済み)から放たれる轟音に身を任せていると、
つくづく自分がこのバンドにいることができる幸せを、
そして、何よりも自分が唯先輩の隣を歩くことのできる唯一無二の存在(つまり恋人ってやつです!)であることの幸せを感じます!
私、ちょっと病気でしょうか……?
ともあれ、レコーディングは順調に推移。
放課後ティータイムとしての1stアルバム
『Houkago Tea Time Isn’t Anything(放課後ティータイムは何者でもない)』
が完成しました。
この意味深なタイトルは唯先輩がつけました。
HTTに対して、シューゲイザーだのサイケデリックロックだのオルタナだの何だのという、
無意味でキリのない空虚なジャンル付けをしたがる世間に対する、唯先輩からの回答でした。
アルバムは評論家筋にも好評、売上もそれなりに上がり、創造レコードの今後の操業資金とするには十分な利益を得ることもできました。
そうして、アルバムリリースに伴うライヴツアー。
放課後ティータイムの、
『最初の10分はただ耳を塞いでいるだけでいっぱいいっぱい、20分すると帰りたくなる、でも30分経つと轟音に身をゆだねて踊りたくなる』
と評された轟音ライヴは、各所で話題となりました。
唯「あずにゃん、今日のライヴも最高だったよ! いいビックマフとワウのコントロールっぷりだったね!」
梓「ほ、本当ですか……!?」
唯「うん! わたしも最高に気持ち良かった~。これだから、あずにゃんのこと、大好き!」
梓「…………ありがとうございます(顔から火が出そう……)」
紬「あらあら♪ 微笑ましいわ~」
律「こっちまで熱くなってくるな~」
澪「それなら律……今夜は私と……いや、なんでもない」
まさに放課後ティータイムの活動は順風満帆でした。
そして、私にとってはあの、最愛の人、唯先輩に認められているという事実が、何よりもうれしかったのです。
でも、そんな幸せな日々は長くは続きませんでした。
年頃の女の子と言うものは、時には身体が疼いて仕方ない夜を過ごすものです。
梓「唯先輩……唯先輩……」
その日、奇しくも発情期であった私は、耐えきれなくなって同じベッドで寝ている唯先輩の肩をゆすりました。
(ちなみに唯先輩と私は1stアルバムの印税で、二人で住むためのマンションを借りました)
いつもなら、
唯『もうあずにゃんったら、仕方ないなぁ~。発情すると止まらないところも猫そっくり♪』
とか言って可愛がってくれるのが常なのですが……。
唯「んー……今日はダメ……」
帰ってきたのは眠そうな返事でした。
唯「今日……1日中……ミキシング……つかれた……」
結論から言ってしまいましょう。
この頃、唯先輩とのすれ違いが激しいのです。
きっかけは、間違いなく2ndアルバムのレコーディングが始まったことでした。
和「1stアルバムも好評だったし、次はもっと期待できるわ!
最近とみに増えてきているHTTのフォロワーのようなバンドとの違いをシーンに見せつけるためにも、次のアルバムが大事よ!」
そんな期待と共に、創造レコードからは多額のアルバム製作費がHTTにあてられました。
これなら今まで以上に機材にもレコーディングにもこだわることができて、すごい作品ができる!
5人のうちの誰もがそう考えたことでしょう。
しかし、現実はそうはいきませんでした。
最初のトラブルは、不動のドラマー、律先輩に起こりました。
律「最近、身体が動かないんだ……」
激しいドラミングが身上だった律先輩は、2ndアルバムのレコーディングという最悪のタイミングで身体を壊してしまいました。
特に脚へのダメージは甚大で、もはや律先輩はロクにバスドラムを踏むことすらできなくなっていたのです。
律先輩は、レコーディングを中断し、入院することになりました。
退院しても、しばらく以前のようなドラミングは難しいそうです。
澪「律が……入院だって……!?」
このことに最も心を痛めたのは澪先輩でした。
もはやこの時期には澪先輩が律先輩に幼馴染の友情を超えた特別な感情を抱いていることは、周知の事実でした。
そして、そんな澪先輩の心のダメージに拍車をかけたのは――
澪「唯……お前は何を考えているんだ!?」
唯先輩が、離脱した律先輩のドラムパートを全てサンプリングで賄うと言いだしたことです。
唯「別にりっちゃんをクビにするわけじゃないよ。前のアルバムのセッションの時のりっちゃんのドラムパートをサンプリングして、編集して2ndの曲に使うんだよ?」
澪「でも……律が叩いていないことに変わりないじゃないか!
律が回復するまでレコーディングは延期するべきだ!」
唯「でも和ちゃんからもらっている製作費にも限りがあるし、
そうそう長い間レコーディングをひきのばすこともできないよ?」
唯先輩の案が苦虫をかみつぶした末の苦肉の策であることは、私もムギ先輩も重々承知していました。
澪「ふざけるな!! それじゃあバンドの意味がないじゃないか!!」
しかし、『バンドとはメンバーの誰一人欠けても成立することはない』が信条であり、
その上、律先輩という大切な人の問題となった時の澪先輩にとって、その提案は承服しかねるものでした。
そうして、澪先輩はだんだんとスタジオから足が遠のくようになっていきました。
唯「仕方ないね。ベースは私が弾いて、ボーカルは私とあずにゃんで分担しようか」
それでも唯先輩はレコーディングを中断することはありませんでした。
この頃からです。
唯先輩が口の悪いレコード会社のスタッフやエンジニアから
『コントロールフリーク』だの『独裁者』だの『神経質』だのの陰口を叩かれるようになったのは――。
しかし、唯先輩には確かにそう思われても仕方ないところはありました。
その① 自分以外の人間に卓のツマミは触らせない。
レコーディングには、何人もの腕利きのサウンドエンジニアが関わりました。
しかし、唯先輩はその誰にも、ミキシング卓のボタンひとつ触ることを許さず、アンプに向けるマイク1本にすら触れることをよしとしなかったのです。
唯「だってこれはわたしたちのアルバムだよ? どうしてわたしたち以外の人に音をいじられなくちゃならないの?
そんなの、私たちの飲むお茶をムギちゃん以外の人が淹れるようなもの……つまり台無しだよ!」
唯先輩の言うことはもっともにも聞こえましたが、異常なほどにこだわっていたのも事実です。
唯「わたしたち以外の人間に、絶対にアルバムの音はいじらせないよ!」
こんなことを言う唯先輩ですか、その実、自分以外の人間……私や他の先輩達にすら、卓を操作する権限は与えられませんでした。
その② ギターの一音にすらこだわる。
とある曲のイントロのギターのワンコードを録音するだけで2週間の時間がかかりました。
私も何度ギターリテイクを出されたか、覚えていられないほどでした。
そして、ミキシングにもこだわり、ボーカルのブレスの聞こえ方ひとつから、
ベースとムギ先輩の弾くシンセサイザーの一音の重なりにまで、何度もリミキシングを重ねました。
思えば唯先輩は高校時代、チューナーなしで4分の1音のチューニングのずれにまで気付いた絶対音感の持ち主です。
唯「うーん、今のところ、わたしが考えていたコードの響きとちょっとちがうかな~。もう一回だね」
口の悪い音楽雑誌の記者は『
平沢唯は1曲でギターを200本も重ねるパラノイア』と書き立てました。
その③ とにかく時間がかかる。
前述したサウンドへのこだわり。
これにサンプリングした律先輩のドラムトラックの切り貼りが加わるというのですから、かかる時間は考えたくもありません。
しかも、唯先輩はその全てを一人でこなすわけです!
レコーディングの予定は、当然のことならどんどん後ろにずれ込んでいきました。
そんなある日、創造レコードの社長にして唯先輩の幼馴染である真鍋先輩が、真っ青な顔をしてスタジオにやってきました。
和「唯……ちょっと相談なんだけど」
唯「な~に?」
唯先輩はミキシング卓に向かったまま、振り向きもしません。
和「アルバムのレコーディング……もうちょっと早くならないかしら。
時間がかかり過ぎているせいで、スタジオ代がとんでもないことになっているの。
これじゃ、いずれ創造レコードは倒産してしまうわ」
真鍋先輩の言葉は冗談には聞こえませんでした。
この頃、創造レコードはHTT以外にもいくつかの売れっ子インディーバンドを抱えており、
資金にはそれなりに余裕はあるはずなのにもかかわらず、この発言です。
唯「それじゃ、こういうこと? 和ちゃんはHTTに中途半端な出来のアルバムを出せっていうの?」
和「そう言うわけじゃないけど……いい加減に出費が……」
唯「だからもうすぐできるって! 何度も言ってるじゃん!
すぐ! もうすぐ! 英語でいえば『Soon』!!」
和「…………」
この唯先輩の剣幕には、さすがの真鍋先輩も閉口してしまいました。
後年、HTTは『アルバム制作に金をかけ過ぎて、レコード会社をひとつ潰しかけたバンド』とのありがたくない異名を頂戴することになりました。
とにかく、毎日がこんな調子――。
以前の軽音部の部室やHTTのスタジオにあったはずの、ほのぼのとして楽しい空気は微塵もありませんでした。
そして、アルバムの制作に没頭する唯先輩は1日の殆どをスタジオで過ごし、
マンションには寝に帰ってくるだけ、(それも3日に1度程度)というありさまでした。
これですれ違いにならない方がおかしいというものです。
梓「今日も帰ってきてくれないんですか……?」
唯「うーん、まだミキシングの出来に納得いかないんだ~」
梓「そんな……。これで1週間も連続で一緒に夜を過ごしていないじゃないですか……」
唯「仕方ないよ。あずにゃんはギター弾いてちょっと歌うだけでいいけど、わたしはそれに加えて、もっといろんな作業をやらなくちゃいけないんだから」
当然、私も理解はしていたつもりでした。
唯先輩は天才だ。音楽の神に選ばれた人だ。そんな唯先輩を私は好きになった。
だから、我慢しなくちゃいけない。
そう何度も自分に言い聞かせてきました。
でも、それももう限界だったのです。
梓「いい加減にしてください!!」
ある日、スタジオで私は唯先輩に対して溜まりに溜まった感情を爆発させてしまいました。
梓「来る日も来る日もスタジオ、スタジオ、ミキシング、ミキシング……唯先輩はちょっとおかしいです!!」
唯「おかしい? どうして? 私たちHTTのアルバムのためだよ?
一生懸命アルバムを作ることの何がおかしいの?」
梓「それが律先輩の身体の……澪先輩の心の……そして私と唯先輩の生活の破綻に繋がっていてもですか!?」
紬「梓ちゃん? 落ち着きましょう、ね?
ほら、座って……紅茶も淹れるから、ゆっくり飲んで、落ち着いて話しましょう、ね?」
すかさずムギ先輩が間に入りますが、私は止まれませんでした。
そうして、私は言ってはいけない一言を言ってしまったのです。
梓「唯先輩は……私とアルバムのどっちが大事なんですか!!??」
その時の、固まった唯先輩の表情を、私は一生忘れることはないでしょう。
やってしまった――と後悔した時にはもう遅かったのです。
唯先輩は戸惑いがちに、ムギ先輩の顔をちらりと見、そしてもう一度私の顔を見ると、
唯「………ごめんね」
とだけ小さくつぶやき、またミキシングの作業に戻りました。
この瞬間、私にとって全てが……終わってしまったのです。
その後、気まずくなった私は当然スタジオに顔を出すこともできませんでした。
私の分のギターパートとボーカルパートのベーシックトラックは全て録り終えた後だったというのが不幸中の幸いと言うほかありません。
そして、最後まで私たちの間に入ってくれたムギ先輩も、とうとうスタジオに顔を見せなくなったとのことでした。
なんでもムギ先輩は真鍋先輩にこう言い残し、スタジオを後にしたと言います。
紬「りっちゃんに澪ちゃん……そして今度は唯ちゃんと梓ちゃん……
あんなに仲の良かった皆の関係がこれ以上壊れていく様を、もう私は見ていられない」
ぐうの音も出ませんでした。
私が荷物をまとめ、唯先輩との愛の巣だったマンションを離れたのもそのすぐ後のことでした。
そうして、長い月日と、膨大な労力と、山のような札束と、そして何よりも取り返しのつかない友情と愛情の喪失を引きかえに
完成した放課後ティータイムの2ndアルバムには、皮肉なまでに象徴的なタイトルが付けられました。
その名も
『らぶれす!(Loveless)』
まさに愛なき世界となってしまった私たちの未来を象徴するようなタイトルでした。
放課後ティータイムの2ndアルバム『らぶれす!』はとてつもない好評をもって世間に迎え入れられました。
しかし、後になると、この『らぶれす!』は『放課後ティータイムの2ndアルバム』ではなく、
『平沢唯のソロアルバム』として受け取られることが多くなりました。
それも当然です。
このアルバムはほぼ唯先輩が一人でつくったものなのですから。
その証拠に、律先輩はただのサンプリング音源のドラムマシーンと化し、アルバムでは1曲も新録を行っていません。
(それでも唯先輩の巧みな編集技術により、アルバムで聴かれるドラム音は生録音と殆ど違わないものでしたが)
澪先輩は、アルバムでは一音もベースを弾いておらず、数曲での作詞とコーラスに僅かに声が残っていただけです。
ムギ先輩が録音したキーボードパートは、最終的に全て唯先輩の演奏に差し替えられました。
私に関しても、数曲でのボーカルとギター演奏で、その痕跡を残したのみです。
そして、最も皮肉なのはそんなアルバムの出来が素晴らしかったことです。
ギターの轟音はこれまで以上に猛威を増し、その間隙を流れるように漂うボーカルもこの世のものとは思えない天上の美しさを讃えていました。
『らぶれす!』アルバムは世紀の名盤として、音楽史に名を刻み、後世に影響を与え続ける存在となったのです。
この後、あれだけのすれ違い、仲違いがあったにもかかわらず、
放課後ティータイムは『らぶれす!』のリリースに伴うライヴツアーに出ました。
(この頃には律先輩も一応のドラミングはできるまでに回復していました)
商業上、契約上の理由で仕方なく行ったものとはいえ、ツアーは当然ながらつらいものとなりました。
楽屋でも移動のバスの中でも、当然ながらまともな会話はなし。
唯「………」
澪「………」
律「……しゃれこうべ」
紬「………」
梓「………」
空気を変えようとした律先輩必殺の一発ギャグもまったく効果はありませんでした。
バンド全体としての雰囲気も悪かったけれど、私と唯先輩の間にはそれ以上に気まずい空気が流れていました。
以前はあれだけ頻繁にされていた唯先輩からのスキンシップも、二人の間でのちょっとした会話ですらも皆無。
互いが互いを空気であるかのように認識していました。
もっとも私は無理やりにでもそう思わなければ、心がバラバラになってしまいそうなくらいつらかったからなのですが。
しかし、皮肉だったのはそんなバンドの雰囲気の悪さにも関わらず、
肝心のライヴ演奏に関しては、HTTのキャリア内でも最高の状態にあったことです。
唯「え~、それじゃ次は『ふわふわ時間』」
客「ウオーッ!!」
ふわふわ時間での長尺ノイズパートはもはやHTTライヴの風物詩となり、
多くの観客が轟音の波に身を委ね、気持ちよさそうに陶酔していました。
海外でのライヴを行うこともできました。
しかし、頂点に達したこの轟音は同時に、HTTというバンドの断末魔の叫びでもあったのです。
最終更新:2010年05月23日 00:06