夕飯を食べ終え、私は部屋に戻ると、早速教科書とノートを開いた。
和「さて、と。まずは英語からやろうかな」
私はスラスラと問題を解いていく。
こんなに宿題が出て、唯と律は大丈夫かしら。
……まぁ写させてって言ってくるんだろうけど。
ピーンポーン。
部屋の外にインターホンのベルの音が響いた。
和「誰かしら?」
まあこんな時間にウチに来るのなんて、宗教の勧誘か怠惰な幼なじみのどちらかだろうけど。
ピーンポーンピーンポーン。
訪問者はしつこくベルを鳴らし、私を急かした。
和「はぁ……」
こんな時間にいきなり来て、呼び鈴を連打するのなんて唯以外にいない。
生憎ね、私もまだ宿題終わらせてないし、写させてあげる事はできないのよ。
最初から写させるつもりはないけれど。
ピーンポーン。
和「はいはい。今行くわ」
私は椅子から立ち上がり、部屋を出て、玄関のドアを開けた。
唯「の……和ちゃあああああん!」
そこには、顔も服も血まみれで泣きじゃくる唯が立っていた。
和「ど……どうしたの?!」
こんばんは。平沢憂です。
憂「ここも売り切れ……。どうして……?」
私は肩を落として、お店を出ました。
他にお菓子売ってるような場所なんてあったかなぁ……。
けっこう遠くまで来ちゃったけど……ここまでしても買えないなんて、私はお姉ちゃんとチュー……じゃなくてポッキーゲームできない運命なのかな……。
憂「はぁ……」
溜め息は夜空にすうっと吸い込まれていきました。
「ひいいいいい!!」
突然聞こえてきた奇声も、夜空は平等に響かせてくれます。
憂「あれ?澪さん……?」
よし、走るぞ。
走ってあの記憶を消そう。
私はスプリンターMIOだ。
今はアーティストじゃなくてアスリートだ。
ipodの曲を爆風スランプのランナーにセットして、ポッキーを口にくわえながら私はクラウチングスタートの姿勢をとり、足にぐっと力を入れた。
ポン。
そのとき、誰かが私の肩を叩いた。
澪「うわあああっ!?」
憂「あっ、すいません……。驚かせちゃいました……?」
へっ?な、なんだ。
憂ちゃんか……。
私はイヤホンを耳から外して挨拶をした。
澪「あ、あははは……。こんばんは憂ちゃん」
憂「こんばんは。……あの、何してるんですか?」
今の私。
夜に街中で学校のジャージを着て、iPodを装着。
両手に買い物袋を持ちながら、ポッキーを口にくわえてクラウチングスタートの構え。
うん、どう見ても変人だ。
よくよく考えたらアーティストにもアスリートにも見えない。
澪「あ、ああ、えっと……だ、ダイエット中なんだ!ランニングだよ!」
憂「そ、そうですか」
うぅ……。
憂「えっと……何買ったんですか?」
澪「えっ?」
憂「その……買い物袋、パンパンですけど」
澪「ああ、これはポッ……」
待てよ。
もし唯が家で今日の部活の事を……ポッキーゲームの事を話してたら、まずいんじゃないか?
私が大量にポッキーを買い込んでるってバレたら、まるで私が率先してゲームを楽しんでるエッチな子って憂ちゃんに思われちゃうんじゃないか!?
澪「あ、ああ。これは……な、何でもないよ」
私はさっと買い物袋を後ろに回して隠した。
澪「う、憂ちゃんこそどうしたの?こんな所で……」
憂「えっ?私ですか……?私はイチゴのポッ……」
イチゴのポッ……?
ポッ、何!?
今イチゴのポッキーって言おうとした!?
やっぱり唯は憂ちゃんに話したのか!?
【PM8:19 平沢憂】
憂「私はイチゴのポッ……」
こんばんは。平沢憂です。
私はポッキーと言いかけて、言葉を引っ込めました。
ポッキーの事、澪さんに話して大丈夫なのかな?
妹とポッキーゲームなんて、お友達に知られたらお姉ちゃん恥ずかしくならないかな?
……ていうか私が恥ずかしいよぅ。
もしかしたらお姉ちゃんの事だから、部活で「私、憂とポッキーゲームしたい!」って話してるかもしれないし。
憂「あ、わ、私は……えぇっと……お夕飯の買い物で……」
澪「そ、そうなんだ。あは、あははは……」
憂「はい。え、えへへ……」
あれ?何か気まずい空気……?もしかしてバレてる?
ていうか、澪さんが口にくわえてるのってもしかして……。
【PM8:20 秋山澪】
憂「あの……その、澪さんがくわえてるのって……」
うわっ!やばい!!
私今イチゴのポッキーくわえてるんだった!
澪「ポリポリポリポリゴクン」
私は急いでポッキーを噛み砕き、飲み込んだ。
さっきから憂ちゃんと私の間には、変な空気が流れている。
まさか唯は本当に話してしまったのか!?
澪「な、なんでもないよ!」
憂「もしかしてイチゴのポッキーですか?」
ひいいい!やっぱりバレてる!?
澪「え、えーっと……ポッキーというかなんていうか……その……」
【PM8:21 平沢憂】
こんばんは。平沢憂です。
私は見ました。
澪さんがくわえていたのは、間違いなくイチゴのポッキーでした。
憂「あのっ!それどこに売ってたんですか!?」
澪「へっ?あ、ああ、あそこのコンビニだけど……」
やった!やっと見つけたよお姉ちゃん!
憂「ありがとうございます!じゃあ私はこれで!失礼します!」
澪「ちょ、ちょっと待って!」
憂「はい?」
澪「えっと、唯から……何か聞いた?」
憂「えっ?」
澪「いや、その……ポッキーがどうとか……」
お……お姉ちゃん……。やっぱり軽音部のみなさんに話しちゃってるんだね……。恥ずかしいよぅ……。
憂「は、はい……。まぁ……」
【PM8:22 秋山澪】
終わった。
もう憂ちゃんの私の印象は、ふしだらな女の子になっちゃってるんだろうな……。
ははは……。
澪「き、聞いちゃったのか……」
憂「……はい」
ほら、その証拠に憂ちゃんは顔を赤らめている。
澪「……」
憂「……」
空気が重くのしかかる。
外したイヤホンからシャカシャカ流れる爆風スランプの声が、何とも不似合いだ。
憂「あの、私そろそろ……。お姉ちゃんにお使い頼まれてるので……」
澪「あ、うん……」
そう言えばさっき憂ちゃんもイチゴのポッキーがどうとか……唯のお使いってそれの事かな?
ってまさか、唯の奴、明日もポッキーゲームやらせるつもりじゃないだろうな!?
冗談じゃないぞ!
あ、でも……。
憂「じゃあ、失礼します」
澪「うん。じゃあ……」
憂ちゃんは駆け足でコンビニへ向かっていった。
ごめんね憂ちゃん。
あそこのコンビニのイチゴポッキーも、私が買い占めたんだ。
とりあえず、これで明日はポッキーゲームなんてしなくて済みそうだ。
梓「着いた……」
憂の家は玄関まで煌々と灯りがついていた。
私は呼び鈴を鳴らした。
出てくるのは憂か、唯先輩か。
出来れば憂であってほしいなぁ。
梓「……」
梓「……」
あれ?誰も出てこない。
私はもう一度呼び鈴を鳴らした。
……やっぱり出てこない。
灯りはついてるから、中にいるはずなんだけど……ていうか今日行くって約束してたし。
もう一度私は呼び鈴を押した。
梓「う、憂……早く……!おしっこ漏れちゃう……」
部屋で漫画を読んでいて、ふと思い出した。
律「あーやっべ。今日宿題大量にあるんだっけ」
まあいつも通り澪に教えてもらえばいいか……。
あー!しまった!
さっき私がからかったから、あいつきっとヘソ曲げて教えてくれないぞ……。
さっきのフォローメールにも返信こないし。
律「はぁ……。自分でやるか……」
ブブブブブ。
私が教科書を開くと、ケータイが鳴った。
澪かっ!?グッドタイミング!
律「もしもーし!」
紬「……りっちゃん」
律「なんだムギかよ……」
紬「えっ……」
「なんだ」って……私嫌われてるのかしら……。
澪ちゃんとチューしちゃったから……?
律「おーいムギ~?」
紬「りっちゃん、私の事怒ってる……?」
律「へ?ああ、ごめんごめん。ちょうど澪に宿題教えてもらおっかなーと思ってたところだったからさ」
紬「ほっ……良かった……」
律「どした?ポッキー用意できなさそうとか?」
紬「あ、うん……。ポッキーはちょっと無理かも……」
律「そっかぁ。まぁ無理なら仕方ないよ。気にすんなー」
紬「うん、ありがとう。それと、澪ちゃんの事なんだけど……」
律「んー?」
紬「私、澪ちゃんの事怒らせちゃったかも……」
律「へ?ムギが?澪を?なんで?」
紬「わかんないけど……もしかしたら今日の事で……。電話しても出てくれないの……」
律「あー、そういや私も澪からメール返って来ないなぁ」
紬「え?りっちゃんも?」
律「まあ明日になったら澪も機嫌直してるって」
紬「そんな!ダメだよ。ちゃんと謝ろう?」
律「ええ~?」
紬「宿題、澪ちゃんに教えてもらいたいんでしょ?」
律「んーまぁね」
紬「一緒に謝りに行こう?」
りっちゃんは少し唸ってから答えました。
律「……そだな。わかったよ。じゃ、一緒に澪んち行くか。とりあえず私んちに今から来れる?」
紬「うん。実はもうりっちゃんちの前にいるの!」
律「メリーさんかお前は」
唯「いやあ、お騒がせしました~」
和「全く……びっくりさせないでちょうだい」
和ちゃんは、私の手に絆創膏を貼りながら、溜め息をついた。
一時はどうなる事かと思ったけど、傷はそこまで深くなくて、とりあえず今日は応急処置をして、明日病院に行く事になったよ!わーい!
和「ほら、顔洗ってきなさい。それじゃまるで殺人犯みたいよ」
唯「クックック……今宵も私の血が騒ぐよ!」
和「バカ言ってないで早くして。私宿題したいんだから。着替えもここに置いとくわ」
唯「おー、ありがとう和ちゃん!」
グゥゥゥゥ。
唯「お?」
【PM8:42 真鍋和】
唯「お?」
唯のお腹が鳴った。
和「……お腹空いてるの?」
唯「でへへ。実はまだ何も食べてないんだ~」
和「うーん……悪いけど、うちはもうお夕飯済ませちゃったし……」
唯「じゃあ和ちゃん、ウチに来てご飯作ってくれない?」
あの……宿題したいって言ったはずなんだけど。
和「憂は?憂に作ってもらえばいいじゃない」
唯「それが、憂は私が頼んだポッキーを買いに行ったきり戻ってこないんだよ。ケータイも置いていっちゃったし」
ポッキー……?
そういえば私もポッキー買ってきたんだっけ。
……やれやれ、結局あのポッキーは唯が食べる運命にあったのね。
和「ポッキーなら買ってあるから、それで我慢しなさい」
唯「イチゴの?」
和「そう、イチゴの」
唯「でもそれだけじゃ足りないよ……」
和「憂が帰ってくるまで我慢しなさい」
唯「そんなぁ!このままじゃ私、飢え死にしちゃうよ!」
そう言って唯は私にしがみついた。
和「ちょ、ちょっと!私の服に血がついちゃうでしょ!?」
唯「おねげえしますだ~!おらもう3日も飯食ってないだよ~!死にそうだ~!」
まぁ、血まみれで死にそうって言われれば、確かに説得力はある。
3日食べてないっていうのは絶対嘘だけど。
和「はぁ……。仕方ないわね。じゃあすぐ行くからさっさと顔洗って服着替えて」
唯「ありがてえ……!じゃっ、すぐに準備してきます!」
【PM8:43 田井中律】
私はカチューシャをつけ、部屋を出ると玄関のドアを開けた。
紬「りっちゃん……」
いつもニコニコしているムギが、珍しく泣きそうな顔をしながら立っていた。
ムギは喧嘩なんかしないだろうから、こういう時の対処を知らないんだろうなぁ。
律「おまたせ」
ムギは腹を空かせた時の唯みたいな顔で私を見ている。
律「ムギ~そんな顔すんなよ。さ、澪んち行こうぜ」
紬「うん……」
【PM8:45 秋山澪】
憂ちゃんと別れた後、私はさらにお店を巡ってイチゴのポッキーを買い続けた。
お財布がスッカラカンになった時、ようやく私は冷静になった。
澪「……何やってんだ私」
大量の買い物袋は両手で抱えるのが精一杯で、この状態でのランニングはもう無理だった。
ていうか、どうすんだ。
この大量のイチゴポッキー……。
澪「もう帰ろう……」
私はトボトボと歩き始めた。
両手で抱えた買い物袋が視界を狭くする。
ポケットの中でケータイが震えた。
でも荷物で手が塞がっているため、出る事ができない。
ipodから流れるのは、坂本九の曲。
夜空を見上げると、いつの間にか星は曇に覆われて見えなくなっていた。
澪「今の私の気持ちとおんなじだな……」
【PM8:50 平沢憂】
こんばんは。平沢憂です。
憂「ここもダメ……かぁ……」
澪さんに教えてもらったコンビニにも、その後に回ったお店にも、イチゴのポッキーは置いてませんでした。
憂「うぅ……。なんで売ってないの……」
泣きそうです。
でも泣きません。
泣いてる暇があったら、私はポッキーを探さないと……でも……
憂「もう……このへんのお店は全部回ったし……隣町に行くしか……」
ニャーオ。
私の目の前を、黒猫が横切りました。
猫……。
あっ!?梓ちゃんと約束してたの忘れてた!!
どうしよう。
もう梓ちゃん、ウチについてるよね……。
お姉ちゃんがいるはずだから大丈夫かな。
憂「でもご飯作ってないし……」
そうだ、お姉ちゃんもきっとお腹空かせてるはず。
……謝ろう。
帰ってお姉ちゃんに謝ろう。
お姉ちゃん、ごめんね。
私、ポッキー買えなかったよ……。
憂「……っ。泣いちゃダメ……っ」
けっこう遠くまで来ちゃったから、家に帰るのには時間がかかりそうです。
その事がさらに私の気持ちを沈めました。
最終更新:2010年05月27日 00:46