律「えっ?でかけた?」
澪ちゃんのお家についた私とりっちゃんが呼び鈴を鳴らすと、澪ちゃんのお母さんが出てきて、澪ちゃんは外出中だと教えてくれました。
律「まいったなー。どうする?」
紬「澪ちゃん、どこ行っちゃったんだろう。まだ電話にも出ないし」
嫌な予感がしました。
紬「……何か事件に巻き込まれてないといいけど」
律「ええ?ま、まさかそんな事は……」
りっちゃんの表情が曇りました。
紬「……捜しましょう!澪ちゃんを!」
律「う、うん」
重い曇の浮かんだ夜空が、私とりっちゃんの不安を煽りました。
唯「おまたせー!さあいざんゆかん!我が城へ!」
顔を洗って私の服を着た唯が、洗面所から戻ってきた。
サイズ違いで丈の余った格好で歩く唯は、ちょっと可愛かった。
和「さっさと行きましょう」
唯「あ、イチゴのポッキー持った?」
全く、そういう事は忘れないのね。
和「持ってるわよ」
唯「えへへ~。じゃあいきませういきませう!」
ピンポーン。ピンポンピンポンピンポーン。
私は呼び鈴を連打する。
パニック映画でエレベーターのボタンを連打する主人公のように。
梓「なんっ……で……出ないのぉ……っ」
私は脚をもじもじさせながら、涙ぐんだ。
うぅ……我慢しすぎてお腹痛くなってきた。
ピーンポーン。
梓「お願いだから出てよぉっ……!!」
ていうかもしかして留守なの……?
憂がなにも言わずに約束を破るとは思えないけど……。
私は留守である事を確認するために、ドアノブをひねった。
ガチャリ。
梓「えっ?開いてる……?」
梓「お、お邪魔しまーす……」
誰も答えない。
水を打ったように、この家は静まりかえっている。
あの姉妹がいるなら、もっと騒がしいはずだ。
梓「憂ー……唯せんぱーい……いないんですかー……?」
誰も答えない。
梓「うっ……も、漏れちゃう……」
勝手に入って大丈夫だろうか。
人様の家に無断で上がり込んで、トイレを拝借するなんて、人としてまずいよね……。
梓「あっ……?!」
しかし私の理性とは裏腹に、それはもう入り口まで迫っており、今にも氾濫しようとしている。
梓「も、もうダメ!お邪魔します!おトイレ借りますっ!」
私は猫だ。そう考えるんだ。
猫なら人の家に上がり込んで用を足しても、「あらあら困った子ねえ」とかその程度で済むはずだ。
さっきから、私のポケットの中で、携帯電話は振動を続けている。
出たくても出られないんだよ……。
この両手いっぱいに抱えた大量のポッキーのせいで……。
澪「私一人じゃこんなに食べきれないな……」
誰かにあげようかな。
といっても、私、友達多くないし。
唯と律とムギはダメだ。絶対ポッキーゲームに使う。
梓と和なら……大丈夫かな。
ここからだと、梓の家が近いな……。
澪「よし、梓の家に行くか」
かくして私は梓の家へと進路をとった。
紬「ダメ、やっぱり出ないわ……」
律「うーん、私ならともかく、ムギの電話を澪が無視するとは考えられないな」
まさか澪……本当に何かの事件に巻き込まれたのか?
痴漢とかストーカーとか暴漢とか……もしかして誘拐!?
紬「りっちゃん、どうしよう……」
律「困ったな……。とりあえず唯と梓も呼んで一緒に探してみる?」
紬「うん!じゃあ私、唯ちゃんに連絡するね!」
律「おっけー!じゃあ私は梓に電話するよ」
【PM9:07 中野梓】
平沢家の玄関にあがると、私はぎょっとした。
血痕だ。
廊下に点々と血痕がある。
梓「い、一体何が……!?……うっ、漏れる!」
とりあえず殺人現場は後回しにして、トイレに行かないと!!
……。
……。
快楽は鳴る。
私の耳の外から、耳の奥の奥から。
川のせせらぎもような音が外部から響き、キーンという鉄を打ったような音が私の中から聞こえてくる。
梓「はぁ~……危なかった……」
……っと、安心してる場合じゃなかった。
早くトイレから出て、家の外でお行儀よく待ってないと、不審な子に思われちゃう。
私は猫なんかじゃない。
ギターを弾く立派な女子高生、人間なんだから!
梓「それにしても、あの血痕、一体なんなんだろう……?」
私はビデを浴びながら考えた。
もしかして、憂や唯先輩の気配がしないのは、本当に殺人がったとか……。
梓「ま、まさかね……」
でももし本当にそうだとしたら?
もしかしたら犯人はこの家の中にまだ潜んでいるかもしれない。
私がこのトイレのドアを開けたら、口封じに襲ってくるかもしれない。
私は身震いした。
私が襲われるとかそんな事より……憂と唯先輩の身に何かあったとしたらと思うと、私の身体はちぎれそうだった。
梓「憂……唯先輩……」
私はトイレの中で震えながら、二人の無事を祈った。
唯「ただいまー!」
あ、生きてました。
唯「ただいまー!」
和「ちょっと唯!カギ開けっ放しだったの!?」
唯「おお!忘れてた!」
和「不用心よ。不審者が入ってたらどうするの?」
唯「ええ?大丈夫だよ~」
和「全く……。次からはちゃんと閉めなさいよ」
唯「はーい。……あっ!」
和「何よ今度は」
唯「和ちゃんちにケータイ忘れた!着替えた時に……」
まあでもあとで取りに行けばいいかぁ。
【PM9:09 琴吹紬】
何度電話をかけても、唯ちゃんは電話に出ませんでした。
紬「りっちゃん、唯ちゃん出ないよ……」
律「まぁ唯は最初からあんまりアテにしてないし……」
紬「ねえりっちゃん、私、唯ちゃんにも嫌われてるのかな?」
律「いや、それはないだろ。あいつムギの事大好きだろ」
そうかな?どうかな?
そうだといいな。
紬「う、うん……」
律「んじゃ、私は梓にかけるぞ」
【PM9:10 中野梓】
私はトイレの中で、息を殺した。
トイレのドア越しに聞こえてきた唯先輩と和先輩の話から察するに、どうやらあの血痕は唯先輩が指を切ったのが原因で出来たものらしい。
良かった。殺人事件なんてなかったんだ。
唯先輩も憂も無事なんだ。
しかし、殺人事件こそなかったものの、今この家では別の事件が……不審者侵入事件が起きている。
しかもその犯人は私だ。
梓「どうしよう……。留守中に家に上がり込んでトイレ使ってたなんて、唯先輩はともかく、和先輩に知られたら……」
この場はこのまま息を潜めて、隙を見てトイレから抜け出すしかない!
そして何食わぬ顔で呼び鈴を鳴らし、客としてもう一度この家に上がるんだ!
よし、それでいこう。
ブブブブブブ!
梓「にゃっ!?」
【PM9:10 真鍋和】
唯の家で、早速唯の夕飯を作ろうとしていた私の耳に、妙な物音が聞こえてきた。
和「唯、今の聞こえた……?」
唯「うん……。なんだろう?」
和「まさか泥棒が入ってたんじゃ……」
唯「ええっ!?そ、そんな……怖いよ……」
和「私ちょっと見てくるわ……」
唯「き、気をつけて和ちゃん……」
私はキッチンをおそるおそる出た。
私はこの家の間取りをよく知っている。
物音がしたのは、恐らくトイレのほうだ。
【PM9:11 田井中律】
律「あれー?梓も出ないなぁ」
紬「みんなどうしちゃったんだろう……」
律「全く、澪の一大事かもしれないってのに、何やってんだあいつらは」
仕方ない。
私とムギの二人で澪を捜すしかないな。
律「いや、待てよ。和なら頼りになるんじゃないか?」
紬「あっ!そうかも!じゃあ私、和ちゃんい電話す……あれ?携帯の電池切れちゃった」
律「ええ?じゃあ私が電話……って私ももう電池きれそうだ!」
紬「じゃ、直接和ちゃんのお家に行きましょう?」
律「まぁこっからなら歩いていけるし……行ってみるか」
【PM9:12 中野梓】
もーーーーーっ!
何でこんな時に律先輩は電話なんてしてくるんだろう!
案の定、唯先輩と和先輩は私が上げた悲鳴に気づいてしまった。
そして今、和先輩はこっちに近づいて来ている。
どうしようどうしようどうしよう!!
ギシギシと、和先輩の足音が廊下に響く。
一歩、また一歩近づいてくる。
ゴクリ。
私は唾を飲み込む。
口の中はとっくに乾いているのに、喉は鳴った。
和「だ、誰かいるの……?」
ついに和先輩は、トイレの前で尋ねてきた。
しかしドアノブをひねらない限り、トイレのカギが閉まってるかどうかはわからないはず。
すなわち、中に誰かいるという事の確証は得られない!
こ、こうなったら……イチかバチか……!!
梓「にゃ、にゃーお……」
【PM9:14 秋山澪】
澪「案外すぐ着いたな」
梓の家、到着。
ケータイで梓を呼び出したいところだけど、相変わらず私の両手はポッキーの入った袋で塞がっていたため、ケータイを取り出せない。
澪「梓いるかな?……って、ああっ!?」
しまった。
両手が使えないから、インターホンも鳴らせない。
澪「うーん……どうしよう」
ポストにポッキー入れておこうかな。
そうだ、そうしよう。
朝起きてポストを開けたら、ポッキーがいっぱいだったなんてサンタさんみたいでステキじゃないか?
澪「ふふふ、梓、喜ぶかな……」
私は梓の家のポストにポッキーを押し込むと、くるりと振り返り、次の目的地へと舵をとった。
澪「よし、次は和の家だ」
【PM9:15 平沢唯】
まいった。
私が家のカギを閉め忘れたせいで、今この家には泥棒さんがいるかもしれないなんて。
うう……憂に怒られるよ……。
いやいやそういう次元じゃないって。
和ちゃんに何かあったらどうしよう……!
私は目を閉じて、お隣の神社の神サマ?に拝んだ。
唯「お願い和ちゃん……どうかご無事で……!」
和「唯」
唯「ふおっ!?」
和「何やってるの?」
唯「の、和ちゃんの無事を拝んでたんだよ……。どうだった……?」
和ちゃんは笑って答えた。その笑顔が、私を安心させた。
和「大丈夫。近所の猫だったわ」
【PM9:20 中野梓】
梓「助かった……」
私は安堵の息を漏らした。
唯先輩に日頃猫の真似を強要されるのは嫌だったけど、それが役に立つ日が来るなんて思わなかった。
さて、とりあえずの危機は免れたものの、私が窮鼠である事にかわりはない。
追いつめられた鼠は猫をも噛むというが、ここで私がヤケを起こしたら犬のお巡りさんに捕まってしまう。
……まぁ捕まるっていうのは言い過ぎだけど、とりあえず和先輩に奇異の目で見られる事だけは確かだ。
しばらくここでじっとしているしかないのかなぁ……。
梓「ん?」
不意に、いい匂いがしてきた。トイレでいい匂いっていうのも変な話だけど。
そっか。和先輩がお夕飯を作っているんだ。
梓「……お腹空いたなぁ……」
こんばんは。平沢憂です。
曇り空の下、私はまだ、家から離れた場所を歩いていました。
憂「うぅ……。すっかり遅くなっちゃったよぅ……」
梓ちゃんはとっくにウチに来てるはずで、お姉ちゃんもお腹を空かせて泣いてるかもしれない。
二人ともきっとカンカンだよね……。
連絡の一つでも入れる事が出来ればよかったんですが、私は家にケータイを置きっぱなしで来てしまったので、それも適いません。
急がなきゃ。
早く帰らなきゃ。
そうわかっていても、結局イチゴのポッキーを買えず、手ぶらのままな私の足は、ことさら歩みを遅めてしまうのでした。
【PM9:32 真鍋和】
和「はい、出来たわよ」
私は冷蔵庫に入っていた残り物と、まな板の上に置いてあったお豆腐を使って簡単なメニューで唯のお夕飯を拵えてあげた。
鯛の切り身も置いてあったけど、それを使ってたら時間がかかってしまうので、冷凍庫に戻しておいた。
早く帰って宿題しないと。
唯「ありがとう、和ちゃん!いただきまーす」
和「じゃあ、私帰るわね」
唯「ええっ?せっかく来たのに?」
和「しゅ・く・だ・い!するって言ったでしょ?唯もそれ食べたら宿題やらないと終わらないよ。今日、いっぱい出たでしょ?」
唯「ぶーぶー!……あ、そうだ和ちゃん。ポッキー持ってきたんだよね?」
唯は時々変な事を言う。
私はもう15年以上唯の幼なじみをしているから、ちょっとやそっとじゃ怒らない。
でも、この時ばかりは私もカッとなってしまった。
唯「和ちゃん、ご飯食べ終わったらポッキーゲームしようよー」
和「いい加減にしなさい!するわけないでしょ!」
最終更新:2010年05月27日 00:48